新聞記者のレビュー・感想・評価
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フィクションはもっとフィクションであってもいいと思った。
この映画は実話ではない。
フィクションだ。
もちろんこのような映画が作られたのは凄いことではあると思うが、
もっと取っ付きやすくても良かったのでは。と思った。
この映画の場合、「i」というドキュメンタリー映画があるわけだし。
正直、順番的に「i」を観てから本作を観たほうがわかりやすいと思った。
重要な真実を伝えようとしているにも関わらず
伝え方が不器用だった印象。
他の方も引き合いに出されていたが、ハリウッドでは
「スポットライト」や「スキャンダル」で残忍な事実が描かれてきた。
両者とも権力者の悪行を暴くものだが、非常に興味深く
また、私にも無関係ではないことを強く訴えられた気がする。
この映画に関しては、正直狭い(自分の生活とは関係ない)ところで
起こっていることであると感じさせる風潮があったように思う。
事実、この作品から何も私は変わっていない。
上に挙げたハリウッド2作品よりも自分と近い関係であるにも
関わらず、だ。
カフカ「審判」の恐怖がここに。
政府の情報操作に翻弄される、新聞記者と若手官僚の苦悩を描いた物語。
この作品を鑑賞した際に、カフカの「審判」と言う作品を思い出しました。
主人公は身に覚えのない罪で裁判に呼び出され、そして無残に死刑に処せられる・・・そんな作品です。
読み終わった後に、言いしれぬ恐怖と不愉快さを感じたのですが、後書きを読んで納得しました。
カフカはドイツ近世の作家で、この作品はナチスドイツ勃興期に書かれた作品だということです。ファシズムが台頭する時代の、閉塞感や無力感、恐怖を現した作品だったようです。
この映画を観た後には、「審判」の読後と同じようなものを感じました。
婦女暴行事件、記録の改ざん、官僚の自殺。本来なら大問題になるべきことが、「矮小化され」「告発者が誹謗され」、いつの間にか「忘れ去られる」、そんなストーリー展開に恐怖を覚えます。
そして、表面上は、この映画と同じことが起こっている現代日本に、凄まじいまでの恐怖を覚えます。
この映画は、そんな日本の不気味さを、良く描いていると思います。
唯一残念に思ったのが、「軍事転用」の話が出て来たこと。少し突飛な話で、現実感が薄らいでしまいました。
そこまでの無茶をしなくても、十分に良い映画になっていたので、蛇足に近い設定だったと思います。
かなり踏み込んだ映画
森友学園、加計学園問題がまだうやむやな状態なのにこの映画を作ったことは凄いと思う。4.5点をつけようと思ったが、韓国人女優を起用した理由が日本の女優を使えなかったとのこと、出演者側が政権に配慮したのかその辺はよくわからないけど、それで4.0点。
とはいえ、シム・ウンギョンが凄く良かった!まさに熱演。日本語がちょっとたどたどしい所もあったけど、役の設定が母親は韓国人で韓国で育った、てことだから別に違和感は感じなかった。ラストの表情、あれで彼女の目の前の光景が想像付くのだから流石の演技力❗️
松坂桃李はもちろん、安定の演技力、最後の憔悴しきった表情は圧巻でした‼️
余談、韓国の女優さんはホントに肌がキレイだあ❣️
真実とは、、
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。
このレビューはフィクションです。
勇気。
女優さんが軒並み仕事を受けない中、引き受けた女優さん、松坂桃李さんに敬意を。
もっと核心にせまり泥沼な話かと思ったが、流石にそこまでは無理だったんですね💦💦💦
残念。
海外の俳優さんは○○党支持とか、○○キャンペーンに寄付とか、デモに対する意思表明!
とか、良く聞きます。
日本は政府と芸能プロダクションが怪しい関係で(吉○興業とか)
どうしても声を上げにくい状況。
芸能事務所も政治的発言は控えてと言ってるとしか思えないし。
まあ、スポンサー的にも無難ですからね。
もっと映画、いや、新聞、テレビ、ラジオ、色々な媒体で正義を貫こうとする人が報われます様に✨
大賞を受賞。
日本アカデミー賞が生放送で放映された件は評価したい。
日本の女優陣、頑張れ
東京新聞の望月記者の原作を映画化、今の政治状況を分かりやすく描いている。
現在進行形の権力状況なので、フィクションの形をとらざるを得ないのだろう。
主演が韓国の女優(シム・ウンギョン)は熱演だが、日本の女優は?
とてもスリリングで、上質なエンターテイメントに仕上がっていた。
実際の職業麺線で見ると
スイーツの欺瞞
朝生の名物MCがよくぞ映画にしたと寸評しているが、よくぞな印象を持てなかった。主人公らは、弱者であり、被害者であり、闇に拮抗し、屠られた者たちに寄り添い、正義をつらぬき、誠実に生きてる──ことを、強調し過ぎだと思う。また生物化学兵器は飛躍が過ぎる。
原案から台詞おこしをしているせいか話が単調だと思った。ストーリーと言えるほどのものがない。これを藤井道人監督に振ったのは、同監督が、陰影や間合いや心象風景やゆっくりのパン/ズーム/ズームアウト等の技巧的作風だからであろうと思った。
つまり、内容が無いから、空気感で乗り切ろう──という気配があった。映画のwikiにも、同監督について『企画を持ちかけられた当時、新聞も読むタイプの人間ではなく、政治にも無関心だったために自信がなく、オファーを2回断っている。』とあった。
政治を知らず、興味もない。
水脈という言葉が猖獗をきわめていたとき、やたら水不足の問題を取り上げてるんだなあと思っていた。──ほどである。
各々の事情が政治に左右されることがある。今の私なら親の介護の問題である。子を持つ親なら保育所の問題かもしれない。
ただし私たちの生活を向上させるのは自助であり、政治とは関係がない。例外もあるだろうが、基本的にはそういうものだと思う。が、平和に慣れるとその基本が揺らいでくる。ひょっとしたら、幸福に収まっているように見えるけれど、俺たちほんとはすげえ虐げられているんじゃないか──とか、思ったりする。この地球の国々の趨勢と日本を比較するなら、戦争もない、犯罪も少ない、迫害もない、差別も少ない。だけど、なんかウラがあるんじゃなかろうか。なんか儲けてる奴がいるんじゃなかろうか。──と妄想してみるのは自由である。
政治に秘匿するところがあるのは当然だと思う。世の中には、おそらく陰謀もはたらいているに違いない、とも思う。
だが、そうだとして、そのことの何がわたしやあなたに関わってくるか──を知らない人間はいない。今ここに自分がいるのは、自分が為しえた結果であり、政府にからめとられた結果ではないことを、自分がいちばんよく解っているはずだ。
この映画の好評は、おそらく日本人は──政府ってやつは1984みたいに俺らを操ろうとしているにちがいない──みたいな妄想に、ものすごく飢えているんじゃなかろうか。と、思わせた。
しかし偏向報道によって大衆操作するのは政府というよりむしろ新聞だということも、わたしたちは知っているはずである。なぜこの映画自体が、一種のプロパガンダでないと言い切れるだろう。
この原案を書いた女史について、
『通常の官房長官記者会見では記者の質問は1人が2~3問で10分程度だが、2017年6月8日で望月は加計学園問題と伊藤詩織の訴えに関して、40分の時間をかけて23回の質問を繰り返したことで注目を浴びるようになる』
と、wikiに記述があった。
ネットではこの記者のスタンスとして「それでも私は権力と戦う」や「大きな声で、わかるまで、私にできるのは、質問し続けること」などのタイトルを見つけることができる。
わたしはヴェロニカゲリンやエドワードスノーデンやメリーコルヴィンが「それでもわたしは──」と言うなら信じられる。その活動に、死のように大きな代償が隣接しているとき、発言は壮語にならない。しかし、この記者は、この平和な国で、いったいどんな対価を払って「それでもわたしは」と述べているのだろうか──という素朴な疑問を感じずにはいられない。
すでにひと昔前のことだが、特定の女性にスイーツという形容をあてることがあった。所謂、インターネットスラングで、wikiには
『(雑誌の)コピーを鵜呑みにし、メディアに躍らされている女性たち。
ケーキやお菓子といえばいいのに、あえてオシャレな感じを装ってそれらを「スイーツ」とよぶ女性たち。
女性誌に出てくることばを実践する女性。
雑誌やテレビ番組が仕掛ける流行を追うことがオシャレだと思いこんでいる女性。
テレビや雑誌などの流行に影響されやすい若い女性。』
と説明されている。とうぜん嘲弄の意図があり、不適切発言に相当するが、個人的な認識としては、もっと広義である。
たとえば、この記者はスイーツだと思う。
女性を利用していると思うし、なんら迫害されていない豊かな生活を顧みず、コンプライアンスに庇護されて、劇的なヒロインを演じ続けることができる厚顔は、同和ヤクザと変わりがない。そのおぞましい錯誤を、曖昧な形容をつかって、かろうじて誹謗を回避して、たとえるとすればスイーツが適切だと思う。
わたしは政治を知らず、興味もないので、実際を解らないが、もし質問を23回繰り返せば、統合失調症あるいは重篤なADHDと見なされ、会社なら馘首になり、学校なら特殊学級へ転属になる。
まっとうな世界ならば、そんな人を、世のなかの不文律を守ることのできない病人と見なすことに、すこしも不合理はない──のである。いかなる管理者であれ、一ミリもためらわずに追放するだろう。
「それでも私は権力と戦う」は、言葉選びが間違っている。抵抗や障壁が無いか、不明瞭なことに「それでも」を冠するのが滑稽だからだ。わたしはある日、それでも起き、それでも歯を磨き、それでもスタバへ寄って、それでも仕事をこなし、それでも一杯やって、それでもテレビを見て、それでも寝た。
すなわちこれらは信念とも正義感とも無縁のattitudeだが、それを信念や正義感だと考えている人に、わたしたちは時間を割かない。壮年の政治的スイーツが持っている、堅牢な固定観念を知っているからだ。面倒臭いので通り過ぎるのを待つだけである。
この女性新聞記者は、不運にも、あなたに対峙してしまった常識人が、あなたと意見交換するつもりなどさらさらなく、ただ単に、あなたが喚き疲れて、次の標的を探すために去ってくれるのを待っているだけだ──ということを、知っているだろうか。
転じて、政治の世界といえども、そこはイデオロギーのぶつかりというよりは、スイーツのような観念のバケモノとの戦いではないかと思うことがあるし、日々、政治のニュースはそれを裏付けるものばかり、ではなかろうか。
ラストが流石すぎる
ドキドキの展開、考えさせられる
「この国の民主主義は、形だけでいいんだ。」この言葉に尽きる。
扇動活動家か妄想癖のある人しか楽しめない
すごく興味があったので楽しみにしていたのだか、いざ見てみると興醒めもいいところ。
ジャーナリストとは、真実を突き止めて広く国民に知らしめ、国の在り方を正す機関だったはずだ。いつから十分な証拠もつかめないまま騒いで虐められるヒーローじゃなきゃいけなくなった?
森友学園問題、加計学園問題。ともに、多方面から取材したか?政権打倒の立場からしか裏とりしていなくないか?洗脳されるのがこわくて、お上の言い分なんて調べられないのか?
この映画の記者のやり方は、不確かな情報だけで「どっち側に着くか」を描写したものである。つまり扇動のお手本をやって、国から圧をかけられて、おめおめ屈してしまったという情けない仕上がりを悲劇的に描いただけのものであり、そこに感動を抱くことは私にはできなかった。
新聞記者は社是の右も左も関係なくお上と馴れ合い、賭け麻雀に興じてでもお上から情報を聞き出そうとするような努力をするものだ。さて、彼ら記者はしていたか?
映画の彼らはヒーローであり、常に権力からの圧力にいじめられていたが、実際の記者らが日々行っているようなどろどろした苦労や筋を曲げてでもしなければならない努力、したたかさが足りないように思ったのは私だけか?
ピッカピカの作業服しか着てない作業員だけで下町ロケットを描こうとしたような非現実感があった。
日本アカデミー賞を選考する人たちは、その辺を気にせずにいられてすごいと思った。
日本の映画は、リアリティーよりも勇気ある与党批判こそが映画を評価する上で価値のある事と認識すれば良いのかな?致命的に汚染されていると感じたのが、わたしの正直な意見だ。
ただ映画として
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