新聞記者のレビュー・感想・評価
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カフカ「審判」の恐怖がここに。
政府の情報操作に翻弄される、新聞記者と若手官僚の苦悩を描いた物語。
この作品を鑑賞した際に、カフカの「審判」と言う作品を思い出しました。
主人公は身に覚えのない罪で裁判に呼び出され、そして無残に死刑に処せられる・・・そんな作品です。
読み終わった後に、言いしれぬ恐怖と不愉快さを感じたのですが、後書きを読んで納得しました。
カフカはドイツ近世の作家で、この作品はナチスドイツ勃興期に書かれた作品だということです。ファシズムが台頭する時代の、閉塞感や無力感、恐怖を現した作品だったようです。
この映画を観た後には、「審判」の読後と同じようなものを感じました。
婦女暴行事件、記録の改ざん、官僚の自殺。本来なら大問題になるべきことが、「矮小化され」「告発者が誹謗され」、いつの間にか「忘れ去られる」、そんなストーリー展開に恐怖を覚えます。
そして、表面上は、この映画と同じことが起こっている現代日本に、凄まじいまでの恐怖を覚えます。
この映画は、そんな日本の不気味さを、良く描いていると思います。
唯一残念に思ったのが、「軍事転用」の話が出て来たこと。少し突飛な話で、現実感が薄らいでしまいました。
そこまでの無茶をしなくても、十分に良い映画になっていたので、蛇足に近い設定だったと思います。
かなり踏み込んだ映画
森友学園、加計学園問題がまだうやむやな状態なのにこの映画を作ったことは凄いと思う。4.5点をつけようと思ったが、韓国人女優を起用した理由が日本の女優を使えなかったとのこと、出演者側が政権に配慮したのかその辺はよくわからないけど、それで4.0点。
とはいえ、シム・ウンギョンが凄く良かった!まさに熱演。日本語がちょっとたどたどしい所もあったけど、役の設定が母親は韓国人で韓国で育った、てことだから別に違和感は感じなかった。ラストの表情、あれで彼女の目の前の光景が想像付くのだから流石の演技力❗️
松坂桃李はもちろん、安定の演技力、最後の憔悴しきった表情は圧巻でした‼️
余談、韓国の女優さんはホントに肌がキレイだあ❣️
真実とは、、
ずっと観たかった映画。早くもネトフリに!
知られざる本当の日本の政治なんだなと。この作品がアカデミー賞主演男優、女優をとるのは凄いことだなと思う。
最後が意味深だが、、、
松坂桃李の演技はやはり凄みを感じる。豪華俳優人が揃うなか、韓国女優の器用を不思議に思ったが、調べてみて納得し、改めてこの映画の凄さも理解できた。
是非若い世代に観ておいてほしい、選挙にもつな
がる。世の中の理解を深めてほしい。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。
このレビューはフィクションです。
勇気。
女優さんが軒並み仕事を受けない中、引き受けた女優さん、松坂桃李さんに敬意を。
もっと核心にせまり泥沼な話かと思ったが、流石にそこまでは無理だったんですね💦💦💦
残念。
海外の俳優さんは○○党支持とか、○○キャンペーンに寄付とか、デモに対する意思表明!
とか、良く聞きます。
日本は政府と芸能プロダクションが怪しい関係で(吉○興業とか)
どうしても声を上げにくい状況。
芸能事務所も政治的発言は控えてと言ってるとしか思えないし。
まあ、スポンサー的にも無難ですからね。
もっと映画、いや、新聞、テレビ、ラジオ、色々な媒体で正義を貫こうとする人が報われます様に✨
大賞を受賞。
日本アカデミー賞が生放送で放映された件は評価したい。
日本の女優陣、頑張れ
東京新聞の望月記者の原作を映画化、今の政治状況を分かりやすく描いている。
現在進行形の権力状況なので、フィクションの形をとらざるを得ないのだろう。
主演が韓国の女優(シム・ウンギョン)は熱演だが、日本の女優は?
とてもスリリングで、上質なエンターテイメントに仕上がっていた。
実際の職業麺線で見ると
会社員気質が強い日本の新聞記者が、官庁の役人の親密に付き合ったり、原稿が世に出る前に取材先に内容を見せたりすることは考えづらいが、ジャーナリズムの空気感を詳細に伝えている作品だと思った。
しかし、新聞記者は忙しい職業のため、1つの事案について、ここまで構っている暇はないと思う。これも、あくまでも現実目線で、新聞記者という職業を見た場合の感想。
スイーツの欺瞞
朝生の名物MCがよくぞ映画にしたと寸評しているが、よくぞな印象を持てなかった。主人公らは、弱者であり、被害者であり、闇に拮抗し、屠られた者たちに寄り添い、正義をつらぬき、誠実に生きてる──ことを、強調し過ぎだと思う。また生物化学兵器は飛躍が過ぎる。
原案から台詞おこしをしているせいか話が単調だと思った。ストーリーと言えるほどのものがない。これを藤井道人監督に振ったのは、同監督が、陰影や間合いや心象風景やゆっくりのパン/ズーム/ズームアウト等の技巧的作風だからであろうと思った。
つまり、内容が無いから、空気感で乗り切ろう──という気配があった。映画のwikiにも、同監督について『企画を持ちかけられた当時、新聞も読むタイプの人間ではなく、政治にも無関心だったために自信がなく、オファーを2回断っている。』とあった。
政治を知らず、興味もない。
水脈という言葉が猖獗をきわめていたとき、やたら水不足の問題を取り上げてるんだなあと思っていた。──ほどである。
各々の事情が政治に左右されることがある。今の私なら親の介護の問題である。子を持つ親なら保育所の問題かもしれない。
ただし私たちの生活を向上させるのは自助であり、政治とは関係がない。例外もあるだろうが、基本的にはそういうものだと思う。が、平和に慣れるとその基本が揺らいでくる。ひょっとしたら、幸福に収まっているように見えるけれど、俺たちほんとはすげえ虐げられているんじゃないか──とか、思ったりする。この地球の国々の趨勢と日本を比較するなら、戦争もない、犯罪も少ない、迫害もない、差別も少ない。だけど、なんかウラがあるんじゃなかろうか。なんか儲けてる奴がいるんじゃなかろうか。──と妄想してみるのは自由である。
政治に秘匿するところがあるのは当然だと思う。世の中には、おそらく陰謀もはたらいているに違いない、とも思う。
だが、そうだとして、そのことの何がわたしやあなたに関わってくるか──を知らない人間はいない。今ここに自分がいるのは、自分が為しえた結果であり、政府にからめとられた結果ではないことを、自分がいちばんよく解っているはずだ。
この映画の好評は、おそらく日本人は──政府ってやつは1984みたいに俺らを操ろうとしているにちがいない──みたいな妄想に、ものすごく飢えているんじゃなかろうか。と、思わせた。
しかし偏向報道によって大衆操作するのは政府というよりむしろ新聞だということも、わたしたちは知っているはずである。なぜこの映画自体が、一種のプロパガンダでないと言い切れるだろう。
この原案を書いた女史について、
『通常の官房長官記者会見では記者の質問は1人が2~3問で10分程度だが、2017年6月8日で望月は加計学園問題と伊藤詩織の訴えに関して、40分の時間をかけて23回の質問を繰り返したことで注目を浴びるようになる』
と、wikiに記述があった。
ネットではこの記者のスタンスとして「それでも私は権力と戦う」や「大きな声で、わかるまで、私にできるのは、質問し続けること」などのタイトルを見つけることができる。
わたしはヴェロニカゲリンやエドワードスノーデンやメリーコルヴィンが「それでもわたしは──」と言うなら信じられる。その活動に、死のように大きな代償が隣接しているとき、発言は壮語にならない。しかし、この記者は、この平和な国で、いったいどんな対価を払って「それでもわたしは」と述べているのだろうか──という素朴な疑問を感じずにはいられない。
すでにひと昔前のことだが、特定の女性にスイーツという形容をあてることがあった。所謂、インターネットスラングで、wikiには
『(雑誌の)コピーを鵜呑みにし、メディアに躍らされている女性たち。
ケーキやお菓子といえばいいのに、あえてオシャレな感じを装ってそれらを「スイーツ」とよぶ女性たち。
女性誌に出てくることばを実践する女性。
雑誌やテレビ番組が仕掛ける流行を追うことがオシャレだと思いこんでいる女性。
テレビや雑誌などの流行に影響されやすい若い女性。』
と説明されている。とうぜん嘲弄の意図があり、不適切発言に相当するが、個人的な認識としては、もっと広義である。
たとえば、この記者はスイーツだと思う。
女性を利用していると思うし、なんら迫害されていない豊かな生活を顧みず、コンプライアンスに庇護されて、劇的なヒロインを演じ続けることができる厚顔は、同和ヤクザと変わりがない。そのおぞましい錯誤を、曖昧な形容をつかって、かろうじて誹謗を回避して、たとえるとすればスイーツが適切だと思う。
わたしは政治を知らず、興味もないので、実際を解らないが、もし質問を23回繰り返せば、統合失調症あるいは重篤なADHDと見なされ、会社なら馘首になり、学校なら特殊学級へ転属になる。
まっとうな世界ならば、そんな人を、世のなかの不文律を守ることのできない病人と見なすことに、すこしも不合理はない──のである。いかなる管理者であれ、一ミリもためらわずに追放するだろう。
「それでも私は権力と戦う」は、言葉選びが間違っている。抵抗や障壁が無いか、不明瞭なことに「それでも」を冠するのが滑稽だからだ。わたしはある日、それでも起き、それでも歯を磨き、それでもスタバへ寄って、それでも仕事をこなし、それでも一杯やって、それでもテレビを見て、それでも寝た。
すなわちこれらは信念とも正義感とも無縁のattitudeだが、それを信念や正義感だと考えている人に、わたしたちは時間を割かない。壮年の政治的スイーツが持っている、堅牢な固定観念を知っているからだ。面倒臭いので通り過ぎるのを待つだけである。
この女性新聞記者は、不運にも、あなたに対峙してしまった常識人が、あなたと意見交換するつもりなどさらさらなく、ただ単に、あなたが喚き疲れて、次の標的を探すために去ってくれるのを待っているだけだ──ということを、知っているだろうか。
転じて、政治の世界といえども、そこはイデオロギーのぶつかりというよりは、スイーツのような観念のバケモノとの戦いではないかと思うことがあるし、日々、政治のニュースはそれを裏付けるものばかり、ではなかろうか。
ラストが流石すぎる
この作品が2019年のアカデミー作品賞を受賞したということの意味がとてつもないね。藤井道人監督の誠実さと適度な遊び心が硬派なサスペンスを少しばかりフットワークの軽いものにしているように感じた。ラスト、ね、予想外。私は本当に松坂桃李さんが好きです。
ドキドキの展開、考えさせられる
前知識をほとんど入れず観に行った。スピード感やスリルに最後まで喰い入るように見た。
ドキュメンタリーに近い作りになっている為リアルと比較される点があるが、社会派のフィクション作品としては良くできている。ギリギリに現政権へメスを入れる内容を盛り込んでいて気持ちがよい。
女優が日本の方でないため、彼女に対する情報や先入観が全くなく、いちフィクションとして見られたことも良かった。
「この国の民主主義は、形だけでいいんだ。」この言葉に尽きる。
よくここまで、現実の政治を彷彿とさせる作品を世に出せたと思う。
この作品に関わった監督やスタッフ、演者の方の気概を感じる作品だった。
この映画を観る前と観た後では、今の世の中への見方が少し変わる。
現実に起きている現政権の問題も
全てこんな風に権力を握っている人にとって都合よく握りつぶされて、変換されて伝わっているように感じる。
だだひとつ言えることは、この映画を普通に世に出せる国であることは、まだマシなのかもしれないけれど。
扇動活動家か妄想癖のある人しか楽しめない
すごく興味があったので楽しみにしていたのだか、いざ見てみると興醒めもいいところ。
ジャーナリストとは、真実を突き止めて広く国民に知らしめ、国の在り方を正す機関だったはずだ。いつから十分な証拠もつかめないまま騒いで虐められるヒーローじゃなきゃいけなくなった?
森友学園問題、加計学園問題。ともに、多方面から取材したか?政権打倒の立場からしか裏とりしていなくないか?洗脳されるのがこわくて、お上の言い分なんて調べられないのか?
この映画の記者のやり方は、不確かな情報だけで「どっち側に着くか」を描写したものである。つまり扇動のお手本をやって、国から圧をかけられて、おめおめ屈してしまったという情けない仕上がりを悲劇的に描いただけのものであり、そこに感動を抱くことは私にはできなかった。
新聞記者は社是の右も左も関係なくお上と馴れ合い、賭け麻雀に興じてでもお上から情報を聞き出そうとするような努力をするものだ。さて、彼ら記者はしていたか?
映画の彼らはヒーローであり、常に権力からの圧力にいじめられていたが、実際の記者らが日々行っているようなどろどろした苦労や筋を曲げてでもしなければならない努力、したたかさが足りないように思ったのは私だけか?
ピッカピカの作業服しか着てない作業員だけで下町ロケットを描こうとしたような非現実感があった。
日本アカデミー賞を選考する人たちは、その辺を気にせずにいられてすごいと思った。
日本の映画は、リアリティーよりも勇気ある与党批判こそが映画を評価する上で価値のある事と認識すれば良いのかな?致命的に汚染されていると感じたのが、わたしの正直な意見だ。
ただ映画として
日本の政治の実態は結局映画を見たとしてもわからない。本当の事など僕ら民間人は結局知る術すら持っていないのだ。そしてこの映画が公開される時告知でメディアに出ることはできなかった。そうゆう事実を作るまでがこの映画の意義だったような気がする。
松坂桃李は最高だね。
〝コロナ後〟のメディアと政治の役割について
コロナ禍のただ中、かつ先の見通しもまったく立たないタイミングで鑑賞したということも大いに影響していますが、コロナウィルスが世界的に広がったことの大きな要因のひとつが『グローバル化』にあったということを前提にした場合、収束(終息)後の日本において、政治やメディアが果たすべきことの優先順位がとても明確になったように感じました。
コロナ後の国家目標は、シンプルに国民の命を守る体制を早期に築くこと、そして、若い世代の未来のためにそれを100年単位で持続できるオプションを複数備えること、の二点である、と私は考えます。
国民の命を守ること、極めて単純化すれば、それは水と食の安全を確保すること。
(最盛期の古代ローマが今に残る水道橋で水と衛生を確保し(テルマエ・ロマエを見よ❗️)、ローマ街道で物流(経済・軍事)を支えた結果、実現したパックスロマーナをイメージすると分かりやすい)
全国どこでも水道水を直接飲める国は、国土交通省のHPによると世界でも十数カ国しかありません。
水が清潔ということは、当然衛生面の恩恵も計り知れません。間違っても、現在の日本が築いたこの恵まれた水道システムや水源をグローバル化の一環の中で、他国所有を許してしまう〝民営化〟などがなされないように、メディアはチェックしなくてはなりません。
そして、水と食を守るということは、当然国土の安全あってこそなので、派生的に外交(防衛)、人材(教育)、インフラ整備(経済)などの施策もその延長線上に立てられていくはずです。この時、メディアは日本の安全を守る政策であることが優先順位として盛り込まれているかをチェックして欲
しいのです。
一方、日本の〝食〟については、カロリーベースの自給率が40%をきる現状は、国際情勢によって輸入が止まる事態が発生した場合、即、国民が飢え始めるということであり、少なくとも憲法改正やギャンブル法案よりは優先順位が高いはずなのに、声高に叫ぶ人が政界でもメディアでも少ないのはどうしてなのだろう。
グローバリズムが金科玉条となって以降、貿易障壁というネガティブな文脈で農業を批判する傾向があるが、フランスもアメリカも自国の農業への補助金等の保護政策が手厚いことは専門的な文献でなくてもわかることなのにあまり公平には報道されていないように私には見えます。
コロナの影響により都市部で失われた雇用がそのまま農業の人手不足の穴埋めになるなどと単純には言えないのは十分承知しています。
土いじりは絶対無理とか、年単位での成果(収穫)よりもっと早く成果が出せる仕事の方が好き、という人もいるでしょうし、食材費はあまりかからなくても、見かけの収入が一気に上がるということもないわけで、都市生活に慣れた人はどうしても不向きな方が多いと思います。それでも食糧確保の観点から、何かしらの人材がマッチする仕組みを作っていただきその結果、補助金の一部が農業従事者の人件費に回ったとしても、アメリカやヨーロッパの国が穀物や乳製品を日本向けに回してくれない事態に備えることができるのなら、税金の使い道として、まったく文句はありません。強い農薬に耐えられるために開発された遺伝子組み換えの穀物を大量に輸入するよりは、未来を背負う若者たちに対して少しは誇らしく思えるはずです。
コロナ後の経済復興については、ほぼすべての分野にわたってグローバル化に依存し過ぎた弊害が明らかになったこと、コロナがトラウマとなりしばらくの間は従来のような外国人消費や交流が当てに出来ないこと、などを踏まえて、食の安全・自給率アップを絡めて複合的に考えることが必要だと思います。
メディアの役割ももっとシンプルに、政権が本当に国民の命を守るための政策を考え実行しているか、を常にチェックし、優先順位を国民に知らしめてくれるようになって欲しいと願っています。
世論調査の報道なども、目先の首相の人気度が分かるだけで、たとえば福島の汚染水処理について国民全員が改めて考えなければいけないということがわかるような設問にするなどの工夫が無いような気がするのですが、いかがでしょうか?
題材は素晴らしい、中身は薄味
映画ファンはどんな事があろうとも見に行きます。
日本アカデミー賞を受賞したらしく、再上映しているとの事で鑑賞。ホントは公開日に見に行きたかったけどね。
素晴らしい。
ようやったと思いますよ。
拍手を送りたい。
新聞記者の女性と内閣府である官僚の男性が国に立ち向かう話。今にピッタリかな?
始まりはいい感じ。
内閣府の霧がかかったようなのは闇を表しているようで、非常に趣深い。
新聞記者の父、官僚の赤ちゃんと上司。
様々な面で命について知らされる。
命と共に社会の裏側も。
まぁまぁ難しいが、難しさがイヤにならない。
なんというか心地よく見れる。
星3.5にしたのは何故?一番の理由としては、
飽きる。ずっと同じペース。
2人が出会ってから展開があるかと思いきや、特になし。引き込まれない。
田中哲司は好きだし今回も良かったんだけど、
怒鳴るシーンや大声出すシーンが無かったので何とも言えなかった。欲深すぎですね。
とにかく、惜しい。
私が好きなだけですけど、騙しとかあったら良かったな。映画館で見る意味があったのに。映画館である必要あったかなぁ...。
詰まってるんですよ。だけど、結果的に浅い。何が言いたかったの?って。。
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