「待ってました」新聞記者 ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
待ってました
洋画は、政治色の強い作品、反権力、ジェンダー、LGBT、哲学的な作品など、社会や世界の事が知りたい時や生きる力が欲しい時に非常にバラエティ豊かで自分の肥やしとなる作品が多いと感じています。対して昨今の邦画は、一部の単館で上映される作品を除いて、アイドル恋愛映画やテレビのタイアップ映画ばかりだと感じています。大人が知的に楽しめる邦画の上映をここ最近では半ば諦めていましたが、やっとこんな作品が出てきてくれたと、嬉しい気持ちでいっぱいです。
日本には、保守、リベラル、派遣労働者、エリート、外国籍、女性、農家など、様々な背景を持った人達が暮らしています。だからこそ、意見に多様性があるのは当然の事です。しかし、ここ6年半の安倍政権では一部の限られた人、国民の1%にも満たない金持ちの意見がまるで全国民の意見であるかの様に報じられている事が増え、そして政府に意見する人を揶揄したりヘイト発言をしたりと、日本人の精神が落ちぶれて下品になってきたと感じていました。一部の考えがさも日本人全員の考えであるかの様に報じること、国民を当事者ではなく国を評論する人間に仕立ててしまったこと、マスコミの罪は大きいと思います。
Twitterやヤフコメなどの安倍首相を賛美する投稿やヘイト投稿は自民党ネットサポーターが時給を貰ってやってると思ってましたが、仮に内調に勤めるトップエリートがやっているとしたら、日本が世界から取り残され落ちぶれるのは当然です。政府が物事の本質から逃げれば、本質を解決できる優秀な人材が日本で育たないからです。解決能力がない国に何ができるのかというと、嘘と隠蔽しかありません。また、嘘や隠蔽を作り出す大金は一体どこから出ているのでしょうか?
神崎や杉原は政府の方針には従うものの、自分の立場と良心で葛藤していました。また、吉岡は自分の仕事に信念を持っています。私が仮に神崎だったら、杉原だったら、吉岡だったらどうするだろう。作品は観客にそう問いかけていると思います。映画を評論した後に現実社会でも自分は評論し続ける側に回るのか。当事者になるのか。久しぶりに厳しい作品だと思いました。
文部科学省のダメ振りを伝える報道(ゆとり教育とか、最近の英語の民間試験導入とか)を見てると、自分たちの地位の安泰の為に、自分たちより優秀な人が育たないシステムを作ってるんじゃないかと私は思ったりしてます。