「お前が見てるのは、ほんの一瞬、光が当たっているとこ」影裏 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
お前が見てるのは、ほんの一瞬、光が当たっているとこ
震災前後の岩手。やたら下着姿の綾野剛が出てくる理由は、なるほどそれかというそれなりの訳がある(そこが中村倫也の登場理由なのだから)。演じる今野の地味さは、自分を卑屈に感じている部分と人には知られたくない部分が彼の心に宿っているからなのだろう。
松田演じる日浅ははじめから、社交的に見えながらもミステリアスな存在である。山火事やザクロの話題は、彼の底の知れない人間性を想起されてぞわっとする。さらに、「苔はさ、木漏れ日の下の古木が好きなんだよ、死んだ木に苔がついて、また新しい芽が出る、その繰り返しだな」「人を見るのは影の裏から」「屍の上に立っているんだよ、俺たち」の台詞の意味深さ。だから、二人が交友を深める間柄になったとしても、今野はどこか見えない彼の本性に怯えている様だった。家族の話す彼の人物像(つまり、影の一番濃いところ)を知るに従い沸き起こる今野の戸惑いは、当然なのだ。父親に「あいつは元来、そっち側の、盗人の類のような人間なんです」と悪態をつかれるような男なのだから。だから、震災後の行方知らずの彼の消息が、不吉(不安ではなく)に思えて仕方がない。
ラスト、今野の笑顔の意味について解釈はいろいろあろう。ちなみに僕はあそこで、泣いた。日浅の勤めていた会社からの案内状に日浅の筆跡を認め、彼の存在を確かめた今野。その彼は今はどこにいるか不明ではあるにもかかわらず、彼が”存在したこと”の確認ができた安堵。その感情が見えたからだ。それは、かつて彼を疎かにしてしまった自分を悔いていたからだと思う。そして愛していた感情を改めて確認できたからだとも思う。
そう、今野は今、日浅の屍の上で生きているのだ。
僕はそう解釈して、するっと涙が出てきたのだ。
誰もが年齢にあったそれまでの人生を生きてきた。人に知られていない人生を生きてきた。人には知られたくない人生だってあった。それは今野だって、日浅だって、そして僕だってそうだ。
タバコをふかしながら見つめる日浅の幻影が、「ニジマスだってそうだろう?」と言った気がした。