「愛したひとが別の面を持っていても愛せるかどうか」影裏 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
愛したひとが別の面を持っていても愛せるかどうか
沼田真佑の芥川賞受賞作の映画化。原作は未読ながら、主役ふたりの顔合わせが楽しみでした。
岩手県・盛岡に転勤してきた今野秋一(綾野剛)。
勤務先は薬品卸会社の東北支社。
慣れない土地で心細さを感じていた今野は、ある日、ふとしたことから別部署で働く同い年の日浅典博(松田龍平)と知り合う。
馴れ馴れしいでもなく、ぶっきらぼうでもない日浅との距離感が心地よかった今野は、しばしばふたりで渓流釣りに行く仲になる。
が、その後、半年ばかりした後、日浅は会社を辞めて音信不通となってしまう。
姿を消して3か月ばかりしたある頃、ひょっこり今野の前に姿を現した日浅は、ライフイベント互助会の営業マンになっていた。
そして、東日本大震災が発生し、今度こそ日浅は行方不明になってしまう・・・
という物語で行方不明になった日浅を探そうとした今野は、日浅の別の顔を知ることになる・・・
こう書くとサスペンス映画、ミステリー映画のようだが、そうではない。
その手の映画ならば、原作小説は芥川賞ではない別の賞を受賞しているだろう。
この映画の主題とするところは、愛した人物が自分の知っている面と異なる面を持っていても愛することができるか(できる)、というところだろう。
で、その主題をわかりやすくするために、主人公の今野を同性愛者にしている(原作でもそうなのかは未読なのでわからないが)。
ただし、この設定を、説得力あるように描くには、少々演出の細やかさが欠けているように思う。
つまり、日浅が行方不明になるまでの間で、心底、今野が彼を愛していることを示す描写が少ない(唐突に今野が日浅に挑むエピソードは底が浅すぎる)。
途中、ふたりの間柄を示すアイテムとして煙草が登場するが、この扱いが上手くない。
1度目、今野が日浅から吸いかけの煙草を渡されるシーン。
今野は、急いで煙草を消すが、ここは少なくとも、ひと口、吸う仕草が欲しかった。
2度目、契約数が覚束なくなった日浅が、今野のアパートの前で待っているシーン。
日浅が帰った後、部屋の前の階段のところで、幾本もの日浅の吸い殻を見つける今野だが、この扱いがぞんざい。
少なくとも、部屋へ持ち帰るぐらいの細やかな演出が欲しかった。
最後、震災後、行方不明になった日浅であるが、彼が生きていた痕跡として、今野は震災前に日浅が書いた契約変更依頼書の自筆の名前を見つけるが、この映画はここで終わった方がよかった。
その数年後に、ふたりで出かけた場所で今野は日浅の幻をみるが、その時には今野には別の想い人がいる。
新しい恋人が出来ても・・・という文脈なのかもしれないが、まるっきりの蛇足のように感じられてしまいました。
最近の日本映画にしてはチャレンジングな内容の映画だけれど、全体的に物足りなさを感じる出来でした。