影裏のレビュー・感想・評価
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観る人を選ぶ作品
前半は淡々としたブロマンス風に進むが、あるシーンで一気に転調する。予備知識がないと「この題材を扱う映画だったか」と驚くはずだ。私も原作を読んでびっくりした。その要素が示されてから、そこまでの描写を振り返ると、込められた意図、伏線が明らかになる仕掛けだ。
紹介するのが難しいタイプの映画だ。綾野剛が演じる今野のパーソナリティーに関する要素は、本来なら事前にバラされないよう配慮すべきネタだろうが、それを苦手とする人が「知らずに観て後悔した」となるのも忍びない。
多様な価値観が受け入れられる世の中になり、表層の出来事や人間関係の中に普遍的な価値を見出せるようになるのが理想だが、日本の現状はまだ道半ばだろう。ただそんな日本だからこそ、人物たちの孤独や心の渇き、生きざまが際立つ面もある。目にしているようで見えていない物事の裏側に気づくことの大切さを、本作から学べるといい。自戒も込めてそう思う。
これはいい「映画」だったね
文芸作品みたいな映画で面白いなと思っていたら原作は芥川龍之介賞受賞作だった。
原作は読んでいないので正しく判断出来ないが、大衆娯楽よりも芸術に振っている芥川賞の感じは存分に出せていたんじゃないか。
そのせいで芸術を解さない輩には不評みたいで嘆かわしいが。
綾野剛演じる今野はその性的嗜好からか前に進めずにいた。
よくある劇的なストーリーテリングとしては悪い方悪い方へ落ちていくものだけど、今野は落ちているわけではなくて立ち止まってるだけってところがいい。
昔の同僚、昔の恋人、彼らが進んでいく中で進めずに停滞し続けることへのかすかな焦り。
全く無気力なわけではなくどうすればいいのか分からない感じが面白い。ただ時間を浪費するだけの無意味とも思える毎日。
そんな中、松田龍平演じる日浅と出会う。
彼は奔放で馴れ馴れしくミステリアス。駄目な男だとしても腕を掴んでぐいぐい引っ張っていくような厚かましさは停滞している今野にとっては眩しすぎたことだろう。
観る前からやんわりと、どちらかが同性愛者であることを知っていた。てっきり日浅の方だと思っていたけど、冒頭の目覚める今野のシーンでこっちかと気付いた。だってあんなの女の子みたいだもんね。
全く予備知識のなかった妻は開始10分くらいで、これってBL?と聞いてきた。ちゃんと観れていれば知らなくても気付ける。
そして、気付いてしまえば、今野が日浅への想いを募らせていく変化が面白くてたまらない。
そこまで好きでもなかった釣りにハマっていくところがいい。服装、道具、それらが本格的になっていく、もちろん釣りの腕も上達していく。それは日浅に向ける想いの大きさを暗喩する。
そして、今野の想いが最高潮に達するキスしてしまう瞬間の緊張感は素晴らしかった。
ゆるーく変わっていく様を演じた綾野剛は見事としか言いようがない。
物語後半で明らかになる会社の女性の話の中で一番ショッキングだったのは「恋人よ」と言ってしまったというところだろう。
思わず出たでまかせなどではなく本当に恋人だった。いや、彼女は恋人だと思っていた。ある意味で今野と同じ境遇なのだ。
自分は恋焦がれていても日浅にとっては特別でもなんでもないただの日常。突然消えてしまってもフラリと現れ厚かましくするのも、どこででも誰にでもすることなのだ。
今野にとって、同性愛者ではない日浅はノーチャンスといえるわけだが、日浅にとって自分が特別ではないという現実に打ちのめされたことだろう。しかし打ちのめされたことで今野の前に進む原動力が生まれる。
日浅を捜す中で彼の過去も知り、ずる賢く自由に人生を渡っていける存在だと分かった。
残されたのは文字だけ。それを見て涙しやっと気付く。目の前に日浅がいないということは彼の生死にかかわらず失ったのだということを。
そして、失ってはじめて今野の停滞がとける。
震災からの復興に物語がかかっているので、失ったからというのは適切ではないだろうが、失っても失ったから前進することができる。
ラストシーンの今野は今までで一番幸せそうに見えた。
山萌え風薫る岩手産クラフト映画。 映画観る時は影の一番濃いとこ観んだよ。
盛岡に転勤してきた会社員・今野とその同僚・日浅、影裏を隠し持った2人の交流と心情の機微を描き出したヒューマンドラマ。
監督は『るろうに剣心』シリーズや『ミュージアム』の大友啓史。
主人公である今野秋一を演じるのは『ヘルタースケルター』『怒り』の綾野剛。
今野の元恋人、副島和哉を演じるのは『ピースオブケイク』『狐狼の血』の中村倫也。
日浅の父、日浅征吾を演じるのは『風立ちぬ』『シン・ゴジラ』の國村隼。
日浅の兄、日浅馨を演じるのは『猫の恩返し』『ビリギャル』の安田顕。
謎に包まれた今野の同僚、日浅典博を演じるのは『探偵はBARにいる』シリーズや『舟を編む』の松田龍平。
テレビ岩手開局50周年企画。原作は芥川賞を受賞した純文学らしいのだが、こちらは未読。
大友啓史監督曰く、本作はクラフトビールならぬクラフト映画。
岩手県出身の大友監督が岩手県在住の原作者の書いた岩手県を舞台にした岩手県の物語を岩手県で撮る、という地元に密着したまさに”地映画”と呼べる一作。
美しい渓流や緑の山々、盛岡名物さんさ踊りなど、岩手の豊かな自然やお祭りなどが前面に押し出された、観光促進PRのような映画である。
映像の美しさは誰もが認めるところだろうし、綾野剛と松田龍平の組み合わせにはケミストリーを感じることが出来た。
身近にいた人間が忽然と姿を消す、というのは純文学では割とありがちな展開だが、本作はそれと3.11とを組み合わせることで物語に必然性が生まれていたように思うし、日浅の裏の顔がだんだんと明らかになるという後半の展開には求心力があり、役者陣の演技の上手さも相まって目が惹きつけられた。
結局日浅の正体は藪の中、彼の人間性の判断は観客に委ねる、というソリッドな読後感も悪くない。
ただ。ただねぇ…。
「人見る時は影の一番濃いとこ見んだよ」という日浅の言葉もあることだし、この映画の悪いところにも目をやってみたいと思う。
歯に衣着せたところでしょうがないのでスパッというが、この映画クッッッッッソつまんねぇ🫵!!!!!
開始1分で「あっ、これは修行映画だな…」と覚悟を決めたのだが、その予想を裏切らないつまらなさだった。
・登場人物がみんな鬱病かというくらい暗い
・ボソボソ喋りすぎて何言ってんだかよくわからん
・辛気臭くて鈍重な物語運び
・胃もたれしそうな主人公の泣き顔アップ
という、邦画のクソ要素が全て詰まった邦画満貫全席。全然物語が前に進まないにも拘らず134分という長尺。勘弁してください…。
クライマックス、綾野剛がなんか契約書みたいなもん見て泣くんだけど、その意味が全然わからな過ぎて「😵💫?」ってなっちゃった。もう一度見返せば意味がわかるのかも知れないけど、つまらなすぎるのでそんな気はさらさら起きない。
超退屈しながらも頑張って最後まで観たのにっ💦もっとサービスしてくれよ!!
岩手県の観光PR映像と前述したが、はっきり言ってこの映画を観て岩手県に行きたいとは思えない。だって辛気臭すぎるもん。
松田龍平がだんだんと盛岡人として染まっていく姿には恐怖すら覚えたので、これは見様によっては『八つ墓村』的な田舎ホラーと捉えることが出来るかも知れない。
少なくともこの映画を観て「盛岡に移住したい!!」と思う人は一人もいないだろう。テレビ岩手の企画なのにそれで良いのかねぇ。
前半のクッソ長い綾野松田のBL展開をもう少し削って、日浅の謎に迫る後半のサスペンス部分をもっと膨らまして描いていれば面白くなったかも。
純文学=退屈みたいなイメージが定着してるし、大友監督もそう捉えているのかも知れないが、文学部卒の自分から言わせて貰えば、優れた純文学って面白いのだっ!!
漱石だって太宰だって春樹だって谷崎だって乱歩だって、ちゃんとエンタメ的な面白さが作品に込められているからこそ未だに読み継がれている。
多分、この物語も原作は面白いのだろう(読んでないからわかんないけど)。文学を映画にするのは歓迎だが、それをするならもう少し純文学のエンタメ的面白さの部分にも目をやってほしい。
夕暮ればかり気にしていると夜明けを見逃すことになる。
本格的な人生を生きなければならなくなった時、きっと人はこんな映画を創りたくなるのだろう。
絶望と言うものは悪魔が届てくれるわけでもなく、天使が試練だと与えてくれるものでもない。
それにしても絶望を知らない日本人は、絶望する前に諦観に入ってしまうのだろう。
今野秋一も日浅典博は表裏一体。二人で一人の人間のように描かれているようだが残念なことにそんな風には見えてこないのが悲しい。
同性愛者も嘘つき常習者であろうが今や特異体質の人間ではなく至極普通の人間なのだ。今や・・・
東北の震災の被害は計り知れないし言葉にもできぬ絶望を与えている。人が人を傷つける疵など
たかが知れている。かすり傷程度なのだ。
東北の震災を背景に人間を語ろうとするには余りにも優しさを感じさせてはくれない作品になってしまっている。
「死」からの視点をなくして、人は語れないのだから・・・・
ほのめかし文芸・・・盛岡の宣伝映画!?
綾野剛に松田龍平が主演で監督が「るろうに剣心」の大友啓史。
期待しちゃったんですが、ともかくスロー、どこまでもスロー。
核になるSTORYがほぼ退屈。
主人公の今野(綾野剛)は医薬品メーカーの営業マン。
岩手に転勤になり同い年の同僚・日浅(松田龍平)と友人になる。
ここからちょっとだけ推測なんですけど、今野は性的にマイノリティ
・・・らしいんですよね。
女にまるで興味なさそう。
ともかく日浅とつるんで一緒にいたい。
休日の渓流の鮎釣り・・・もう空気も景色も最高。
気持ち良さそう!!
しかし日浅は突然前触れもなく会社を辞めてしまう。
そして見えて来る日浅の裏の顔。
(期待しないで下さい・・・大したこと無いから・・・)
見所と言えば、綾野剛のボクサーショーツ姿が多い。
風呂に入るのに、惜しげもなく後ろ姿のヌードシーン・・・とか、
中村倫也の女装シーンとか・・・
そんなのが見所かなぁ。
《人間には裏の顔がある・・・》
《人は屍の上で生きてるんだよ》
とかの台詞も、心に特に響かず。
私には合わない退屈な映画でした。
面白かった
むちゃくちゃ面白かったです。
原作未読ですが、原作も脚本も演者も演出も良かったんだろうなぁと思いました。
感じたは沢山ありますが、なぜか、書かずに仕舞っておきたい気分。
こういう映画は、他の方のレビュー読むのも面白いですね。
感じてることや解釈が全然違う。
もしかして、原作読んだら、映画とはまた違う読後感あるかな。
読んでみたいなー。
忍耐力を試されている感じ
実際2時間強は長いのに、つまらないからもういつ終わるのかばっかり考えていた。
やたらと出てくる綾野剛のパンツシーン、あぁゲイの話なのね。でも前振りが長すぎる。好きになった男が実はどうしようも無い男?それだけ?
時間の無駄でした。
何が言いたいか分かり易いヤツよりこういう話が好き
出演者が端々に至るまで豪華。
松田兄の、こういう存在感は稀有だし
綾野剛の、小心者な一般的一般人という風貌もいい。
サプライズ的な中村倫也は、もう声でわかるし
安田顕の兄もいい。
岩手
震災に隠れて、全く別の土地で別人として生きているに違いない男
それでも彼本来の生き方は変わるはずもなく
だがそこが居心地悪ければ他の土地に行くのみ
そんな部分は描かれてはいないんだけれど
容易に想像がつく。
ぬらりと生きて、排水溝のような場所を通っては
時に人の生活圏に現れる。
綾野剛演じる男は、確かに
岩手での生活の中で彼との関わりが光明であったわけで
引っ張られて時に不快でも、彼の言う
「身ひとつで来いよ」の温かさは彼の体中に染み渡る。
寒さに凍え冷え切った体に飲む汁物椀のように。
難解といわれる文学作品を
ここまで豪華なメンバーで撮れるのなら アリ。
そういう出来だったと思った。
無理。
暗い。
おもしろくない。
再び綾野剛に同性愛役。
で最後まで見ても心に響くものなし。
都会から地方に行くと、自然の見るもの全てが新鮮にキラキラと写る。これはよーく分かる。
でも逆はどうか。
当たり前すぎて、それしかなくて、都会者に対して何を抱くのだろう。
話題もローカル。広がりが無い。
楽しみは年に一度の大々的なお祭り。
だろうな。
大好きな大友監督でもこの原作の映像化はこれが限界だったかと。
松田龍平のニュートラルな演技
個人評価:2.5
松田龍平と綾野剛の2人芝居は見応えがあり、楽しく鑑賞できる。原作通りなのだろうが、無駄な演出や蛇足が目立ち、気になる部分多い。俳優陣がとても良かったが、中村倫也の配役だけが異彩を放ち、単に集客を狙った違う意図が伺えたたのは残念。
テーマを描く事と、商業的に成功させないといけないキャスティング。難解なテーマと向き合う演出と脚本だったかはわからない。ただ松田龍平の透明感とニュートラルな演技は、どの価値観にも染まる印象だった。
人を見るときはの裏っかわ。影の1番濃いとこ見んだよ
映画「影裏」(大友啓史監督)から。
タイトルが示すのは、普通の人だと思っていた友人が
実は「影の顔・裏の顔」があった・・ということなのだろうが、
現代では、相手がゲイだったからと言って隠すことでもないし、
嘘をついたり、善人ぶることも、裏の顔とは言えないほど、
いろいろなことが告白され、驚くには値しない。
それがいいことかどうかは別として、監督は、この作品を通じて、
私たちに何を伝えたかったのか、わからなかった。
メモした中から引っかかったのは、
「知った気になんなよ。お前が見てんのはほんの一瞬。
光が当たったところだけだってこと。
人を見るときはの裏っかわ。影の1番濃いとこ見んだよ」
人には、いろいろな部分があるし、嘘だってつく。
だから「影の1番濃いとこ」って表現がわかりにくかった。
ただ、出演者の横顔のどアップシーンが多かったから、
きっと、このフレームワークの多用で何かを伝えたかったのかも。
沼田真佑さんの小説「影裏(えいり)」を読んでみようかな。
難解‥
と思ってレビューを見たら、なるほど、本でこそ作品の良さが感じられるんですね!映像では過去のシーンに切り替わってすぐ朝ベッドで寝てる姿から、ゲイなのかなってなんとなく感じた。いまいち作品のいわんとしてることが‥うーん。終始湿ってる感じの映画だった。
サイコパス?
ありのままの自分では生きずらい社会で暮らす人達の話
カタルシスもない、哀愁が残る感じ
こういう心理描写を読み解く淡々系は苦手だがこれはそんなに飽きなかった
前半、怒涛の綾野のセクシーショットと盛岡の町並みと自然、松田龍平との友情、後半は松田龍平の裏側を知っていくヘビーな展開って印象
ただ松田龍平がどういう奴なのかいまいち良く分かんなかったなぁ
サイコパスっぽい気質の人なのか?
善悪の概念が薄く他人に快不快の感情を抱かず、そして道徳を破る事にも恐怖も罪悪感もない
それでも承認欲求はあるから他人を喰い物にしても一番を取りに行く
そんな人間は長期的に良好な人間関係は築きにくい
ずっと孤独のまま、だから綾野剛に「お前は光の当たるとこしか見てない」とポロッと本音を言ったのかなぁ…
あのザクロとか何を暗示してたんだろ
芥川賞作品の映画化という不幸
文学でも映画でも、作品は作品そのもので味わうのが筋で、知ったかぶりした解説などすることは無粋なのでしょうが、この作品、いかにも分かりにくい。
だから、私なりの仮説を書きます。
『存在の不確かさ』これがテーマ。3.11を身をもって体験した東北の人たちにとっては、このテーマはリアリティーがあるはずです。
今野は日浅との関係を深めていき、心をゆるしていく。しかし、日浅の突然の失踪をきっかけに、日浅のことを分かっていなかった事に気付く。岩手で一番の販売成績だ、と見せた賞状も、偽物だったのでしょう、きっと。「お前は、光が当たっている部分しか見ていない。人を見る時、最も大切なのは、影の一番濃い部分を見ることだ」というような言葉を、日浅は今野に語ります。自分は分かっていると思っていた身近な他者の、存在の不確かさが露呈します。
そして、日浅は震災で命を落とす。(生きていたのか死んだのか、契約改定の書類からは伝わりにくい表現で、不親切ですよね)人をだましてまで生きてきた、そして、どんな事があってもしぶとく生きていきそうな日浅が突然、命を落とす。今野と同じアパートに住んでいたおばあさんも、あんなに押しが強い人なのに、突然いなくなる。あるいは、自分の明日も、実は、確かなものとは言えないかもしれない。「おれたちは、屍のうえに立っているんだ」と、日浅はつぶやきます。命など、はかなく、不確かな存在にすぎない。
今野と日浅の会話は、曖昧で、分かりにくい。微妙な表情の裏にある気持ちが見えにくい。それは、観る者を敢えて分かりにくさの中に追いやり、その不安に陥れる演出なのでしょうか。
と、いうのがこの作品の、私の解釈。いま一つ、確信をもてない仮説です。
よい映画というのは、微妙ですよね。伝わらなければ自己満足にすぎないし、でも、みなまで言えばよい訳ではない。芥川賞作品の映画化というのは、特に厄介なのかもしれません。
ただ、ちょっと違うのではないか、と思ったところは、今野が日浅に突然のキス。ゲイが、あの場面であんな行動をとる事、不自然ではないのかな?少数派の弱者として、社会から抹殺されないようにするため、慎重に、臆病に、人との距離を測るのが彼らの常じゃないのだろうか。無理やり押し倒すのがゲイ、という誤解を助長する事につながりはしないか、と気になった。どうでしょう。
好きな俳優
松田龍平、綾野剛、好きな俳優の出ている作品でタイトルも素敵でワクワクしながら見始めましたが…
まさかのBL! 思わず、はぁ〜そこ!?っと声が出てしまいました。
綾野剛が冒頭から下着や全裸になるので、ストーリーに何の関係があるのか不思議に思っていたら、そういう方向に持って行くためだったんだなと…
中村倫也の女装は、コントの様に見えてしまいました。そのまま男性の姿でも良かったんじゃ…
震災や孤独死など盛り込まれて話しの焦点が散漫な気がしました。
ストーリーを楽しむというより、監督が表現する芸術作品を閲覧するという感覚。
原作を読んでから見たら感じる幅も広がるかもしれない。
暗いし分かりにくい
綾野剛も松田龍平も好きな役者さんなのでレンタルして観た。
2人が醸し出す雰囲気はさすがだが、とにかく映像も話も暗いし、静かにと言えば聞こえはいいが、ダラダラと話が進む。
思わせぶりなカット映像も多く、観る人に「想像しろ」「察しろ」「これが芸術だ」と強制されているような気がした。
要するに、監督の自己満足陶酔型の映画かなぁ。
屍の上の生活
「友達は実はサイコパスでした」みたいな展開を当初は想像していた。しかし日浅がなぜあそこまで家族に嫌われているのか良く分からないし、元職場のオバチャンも大金を騙しとれる形になってなお、日浅を憎んでいるように見えない。
そもそも今野が日浅と友情といえるほど深い絆で結ばれているとは思えないし、ガサ掛け釣りの段階で日浅は今野を受け入れようとするサインを出していたのに、今野はサインを知ってなお拒否したよね。
今野にとっては、どちらがどちらを裏切ったのかよく分からない状況で日浅の汚点を探す旅に出、その自身の勝手さを意識した上で、新しい日常を続けている。まさに屍の上での生活なのだ。
あと、役者が上手いんだから、心情を表す音楽の連打はうるさいし、野暮すぎ笑
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