ふたりの女王 メアリーとエリザベスのレビュー・感想・評価
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時代物だがとても現代的なジェンダー映画
メアリー・スチュアートとエリザベス一世のスキャンダラスな権力闘争を三文記事的に描いているように見せかけて、気がつけば、男性優位社会の中で苦闘するふたりの女性の物語だった。もちろん時代は現代ではないから、彼女たちを取り巻く環境や条件は、21世紀の現実とは大きく異なる。しかし本作は、数百年経っても変わらない、女性を誹り軽んじる男たちの現実を暴き出していて、女王という立場にいるふたりの哀しい限界も赤裸々に描き出す。自分は男性側にいる人間だが、このやるせなさとモヤモヤはちゃんと受け止めたいし、受け止めなくてはならないと強く感じた。女性VS社会。社会に属している限り、性別に関わらず、われわれは加害者足りえるのだ。
歴史モノ、政治劇としての重厚感と、人間ドラマとしての繊細さと儚さ
歴史モノは苦手、特にイギリスのごちゃごちゃした時代の王室モノはちょっと、という人にも、シアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという実力派が女王として主演する本作は、幾分フレッシュな気持ちで歴史を紐解く絶好の機会となるはずだ。
かつて『エリザベス/ゴールデン・エイジ』で描かれたエリザベスとメアリーの確執だが、本作では安易に「敵味方」の二分立で描くのではなく、ふたりの心に「国家の頂きに立つ女性ならではの共振」を芽生えさせているのが特徴的だ。この点にこそ、現代に本作が解き放たれる究極の意義が集約されるのだろう。
忘れてはならないのがボー・ウィリモンの脚本。かつてG.クルーニー監督作『スーパー・チューズデー』を手がけた彼らしく、本作もまた良質なポリティカル・ドラマとしての側面が強い。特に中盤の情報戦、相手の弱みを握って出し抜く際の描写はお見事。現代劇以上にドキドキする政治ドラマと言えよう。
会わないふたりを対話させる、映画ならではの話法
メアリーとエリザベス、史実では直接面会したとの記録はないそう。そんな予備知識から2時間も話がもつのかと心配したが、実際にあった手紙のやり取りに、家臣たちからの伝聞情報も加え、2人が心の中で互いに相手のことを思い語りかける形で「対話」させている。編集の巧みさもあり、スコットランドとイングランド、離れた場所にいる女王たちの距離を感じさせず、2人の対照的な点と共通点を効果的に示しつつ物語を構成した点に映画らしい趣を感じた。
シアーシャ・ローナンの強い目力と端正な顔立ちは、気高く意志の強いメアリーに適役。マーゴット・ロビーによるエリザベスは、白塗りの顔に赤毛のハート型ヘアスタイルが『アリス・イン・ワンダーランド』でヘレナ・ボナム=カーター演じた赤の女王みたい…というか、同作がキャラクター造形の際に16世紀英国の王族の髪形や衣装をモチーフにしたので、赤の女王の元ネタがエリザベス1世と言えるかも。
歴史のifを通して現代に問う生き様
思いがけず、シスターフッドに満ちあふれた映画だった。なんで評価が低いのか、ここまで来ると逆によくわかる。
メアリー・スチュアートとエリザベス1世、勝ち残ったのはエリザベスの方で、全ての歴史がそうであるように、敗者にはスティグマが待っている。
再婚も、イングランドの王位継承権も、もしもメアリーがブリテン島の勝者だったのならば「王族の義務」「凱旋」であり、「淫売」だの「駄々っ子」だの言われる道理はない。
歴史が勝者によって書き換えられる、とはよく言うが、実際のところは勝者におもねる傍観者たちによって塗り固められていくんじゃないかと思う。
美貌を失い、生涯未婚で「既に男になってしまった」と嘆くエリザベスが賛美され、情熱的で美しい「女らしい美徳」がメアリーを窮地に立たせる。それは、「男らしさ」の呪いでもある。
現代も未だにこの呪いに無縁ではない。
「男並みに」バリバリ働いて、子どもを持たず家事など一切しない女は「女を捨てている」ので無能。「女らしく」家事や育児に時間を割き、時短やパートで働く女は責任ある仕事を持たせてもらえず「しょせん女」なので無能。
どっちに転んでも「劣等」というレッテルから逃れられない。
男だって呪いは同じだ。育児休暇を申請し、家事の多くを担えるように時間を作る事を「変わっている」とバカにされる。かたや仕事一筋で不在続きの家ではATM扱いで会話すらなく、定年後に離婚を突きつけられたり。
呪いに満ちた世界では、男も女も完璧超人でなければ「劣等」という罠から逃れられない。
母であり妻であり女であるメアリー・スチュワートと、「女の幸せ」を全てなげうったエリザベス1世。二人の邂逅は史実にはなく、「もしも二人が対面したら」というifのシーンだが、互いに自分の「違う選択をしていた自分」に出逢うような、不思議な感情の昂りを感じる対面だっただろう。
そして二人は、互いに手をとれば「完璧な女王」になれた存在なのである。
この映画のテーマは、メアリーの叫びに集約されている。
「貴女と私は対等に理解し合える。貴女と私を対立させようとしているのは男たち。貴女と私が対立することこそ、彼らの思うつぼ」だと。
映画では権力闘争にまみれた宮廷の男たちを指しているが、本当の「彼ら」とは呪いの世界を支持する者たちだ。呪いの世界の方が都合がいいから、全人類に同じ価値観を植えつけようと企む、呪いの世界の権力者たち。
メアリーのセリフは、この世界に生き辛さを感じる、すべての人に向けられている。
人間を、自分の意志では変えられない「国籍」「人種」「性別」などで分断し、対立を煽ろうとしている。そんな「彼ら」の思惑に乗らないで!それがこの映画のテーマだ。
好評でない理由の1つに、時代背景を無視したキャスティング(主に人種)が挙げられているが、テーマに照らし合わせれば様々な人種を登場させることは、必然のキャスティング。
メアリーやエリザベスの生きた世界と、私たちが生きる世界は、間違いなく繋がっている同じ世界だからだ。
「ふたりの女王」の葛藤はブリテン島だけでなく、「女同士」だけでなく、もっと大きな世界の至るところにある。それを表現するキャスティングなのである。
母であり妻であり女であるメアリーに好感を持つ人も、自分の人生を全て治世にかけたエリザベスに好感を持つ人も、みんな尊ばれるべきなのだ。そして互いが尊重しあい、協力しあうことは、素晴らしいことであり、誰にも阻害されるべきではない。
「ふたりの女王」が手を取り合えたらどんなに良かったか。エリザベスがメアリーの処刑命令にサインした後、少しだけ女王ではなく一人の人物として涙するシーンに、思いは集約される。
エリザベスの姿に思いを同じくした人には確実に届いているメッセージだと思う。
残酷な時代を強く生き抜く女王を描く
何とも切ない、ふたりの女王の話
寛容で平和主義で頭が良くても
今も残るイングランドとスコットランドの因縁
コテンラジオを聴いてから観て!
予習が必要
主演2人の女優さんが素晴らしい
エリザベスもけっこういい。
翻弄された運命♡
本当のところ
ドロドロのドロドロ…
裏切りに続く裏切り。。メアリーとエリザベスの対決というより、スコットランドの内紛の方が色濃くうつった。メアリーは確かに意思が強く、行動力があり、策士だが、周りが見えてない、信頼できる部下がいない、またそれを育てていない、男を見る目が全くない。女王故に孤独、それはエリザベスも同じ、皆権力にすがり、それを利用しよう、手に入れよう、とする。マーゴット演じるエリザベスはまさにアリス・イン・ワンダーランドの赤の女王さながらに、今回の映画では折角の美貌が見れなかったが、もう少し出演シーンがほしかった。病気に冒され、世継ぎもいないエリザベスは実際にはイングランド、国からのプレッシャーも凄かったのだろう。二人の権力者が不要なのは、いつの世も自然のことだが、メアリーの子、ジェームズがその後、両国の国王となるのは凄いと思った。映画のようなメアリーとエリザベスの約束があったと思いたい。この映画では民が出てこないが、実際も民の存在など無に等しかったのだろう。
英国の歴史をもっと知っていれば、、、
タイトルなし
生後わずか6日で王位を継承した
エリザベス女王と同時代に生きた
スコットランド女王メアリーに着目
比べられるふたりの思惑·交流·苦悩
そして国を背負う覚悟が描かれています
.
メアリー女王の肖像画の雰囲気通り
シアーシャローナン がメアリー女王
映画「ハーレイ·クインの華麗なる覚醒」を
少し前に観たのでその印象が強い
マーゴットロビー がエリザベス女王
ふたりの注目女優が共演
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男性優位社会への抵抗 (女性vs社会)
ジェンダーレス等
今の時代を反映してる描き方なのかな🤔
…色々思うところはありますが
メアリーは悲劇の女王か悪女なのか
書簡のやりとりや
慈悲の心をもつエリザベス
エリザベスの死後イングランド王
メアリーの子ジェームズ
その後続くイギリス王室
やっぱり王室関連映画はワクワクします
なるほど
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