Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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あの当時を思い出して泣いた!
冒頭、事実に基づいた映画であるとあった。現場に残り死を覚悟しながら必死に対応した方々の姿、非難された方々の深い悲しみと絶望、最後の吉田所長の言葉にあった自然を支配したとの慢心があったと。あの当時を思い出して誰にではなく悔しかった気持ちが蘇り涙が止まらなかった。この映画を多くの日本人が見て、コロナウイルス対応で誰が悪い誰の責任とか誰かを叩き騒ぐだけではなく、もう一度日本人の絆を思い出して協力して助け合うべきだと思いました。
【愚かしき東電本部及び当時の宰相と命懸けで原子炉と戦う現場の温度差を緊迫感溢れる映像で描き出す。だが、今作は決して美談ではない。9年前の”人災”を風化させない意義ある映画である。】
当時、福島第一原子力発電所所長として、陣頭指揮を取られた故吉田昌郎所長始め、文字通り命懸けでいつ爆発するか分からない原子炉と対峙していただいた東電作業者及び関連会社作業者の方々には東北太平洋岸三県に縁のある者として、今更ではありますが、心から感謝いたします。
又、今作品を世に出す決意をした映画製作関係者及び吉田所長を演じられた渡辺謙さんを始めとする俳優さんたちの気概にも敬意を表します。
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天災による予想外の高さの津波による原子炉損傷からの、所員達の命を掛けた原子炉との闘い振りには引き込まれたし、東電本部の現場への”政府の意向を忖度した及び腰の素人指示”
(本部の有事の際の役割は”後方支援、兵站”だろう!と心の中で詰る・・)及び総理官邸の過剰な介入には観ていて、心底情けなくなった。
(当時の総理を演じた佐野史郎さんや、東電幹部を演じた篠井英介さんの心労たるや、大変だったであろう・・。役者魂を感じる。)
ー BCPの”初動”が当時、如何にきちんと行われていなかったかが良く分かる場面が続く。-
それにしても、吉田所長の発災直後からの奮闘ぶりは凄い。
本部に対しての毅然とした対応、所員に対しての的確な指示(余程、肝と奥深い知識がなければ無理であろう。)。そして、彼の右腕、伊崎を演じた佐藤浩一さんも凄みがある。
又、吉田所長と伊崎が如何に部下に慕われていた人物だった事も良く分かる。
彼らの熱演で、当時”どの組織の頑張り”が日本を未曽有の大惨事状態に陥ることを最小限に防いでくれたかが、良く分かるし、彼らの決死の姿が心に沁みる。
又、福島第一原子力発電所が出来る計画が発表され、関連会社に就職が決まった父親に”これで、お父さん、お正月も家にいるんだね!”と嬉しそうに言う回想シーンも切ない。
(このような場面がきちんと描かれているから、かの惨事が重層的に観る側に伝わるのだ。)
が、東北太平洋岸三県に縁のある者としては、あの”人災”は未だ全く収束していない(地元の方々の頑張りは驚異的であるが・・。)という事実がしっかりと描かれていない点が、実に残念である。
福島第一原子力発電所30キロ圏内を中心にした帰還困難地域は依然として変わらず、他県への移住を含め人生が変わってしまった多数の方々の姿が描かれていない・・。
「風の電話」のレビューでも少し触れたが、傷の癒えない人はまだ多数いらっしゃる。
そこにも、きちんと焦点を当てて頂きたかった作品でもある。
<現在、私たちはこの”人災”から学んだことをBCPにて何とか活かそうとしている。そして、今作はあの愚かしき”人災”を二度と繰り返さないようにしなければいけないと、決意を新たにした気持ちにさせてくれた作品でもある。
だが私たちは、厳然たる現実を直視しなくてはいけない。”あの人災の影響は2020年現在でも全く収束していない”という現実を・・。>
ー追記:昨晩、当時の資料を見返して、”4.0”から”4.5”に変更させていただきました。レビュー内容も一部見直しました。ー
あの時総理が来なければ
もっと早く事は進んでいたのだろうか
究極の男達50人
原発に居たかからこそ。皆さんなおさら怖かったに違いない
今さらながらお疲れ様
被爆して被害者なのに。誹謗抽象もされたのだろうな
原発の、町だから富岡町を取り上げていましたが。辛かったのはここの住民だけではないはず
後生に遺伝してほしい覚悟
原作を読んでからずっと待ってました!
あのとき、たくさんの方が日本を守るために動いていたと分かります。
原子炉をどう表現するか心配してましたが、生き物のようでした。津波も地震も怖かったです。
登場人物の家族構成は多少変わっておりましたが、これもありです。この映画を観た人には、原作もぜひ読んでほしい。もっと泥臭い内容で、死の淵を実感して涙が止まらなくなります。
実際の事故状況を知った上で鑑賞することが推奨される一作。
公開前後から本作の内容について賛否共に議論が生じています。
最も問題視されているのは、原子炉のベントが首相の視察によって遅れたかのように描写した場面です。確かに首相の視察が事故対応の遅れに繋がったという批判は当時から持ち上がっていましたが、その後の調査報告でこの二つの因果関係はほぼ否定されています。
こうした事実と描写の違いは作中のいたるところに散見されるため、本作に限って言えば、事前に題材となった福島第一原子力発電所の事故経過を調べた上で鑑賞に臨んだ方が良いと思います(ネタバレになるような要素はありませんし)。
本作の原作である『死の淵を見た男』の著者である門田隆将氏の政治的姿勢を批判するリベラル派の論客が多く、本作を「プロパガンダ映画」と見る向きもあります。確かに当時の民主党政権を揶揄するような描写もあり(佐野史郎演じる菅元首相は容姿が全く似ていない上に極めて情緒不安定な人物として描かれている)、政治色がないと言えば嘘になります。
しかし物語の主軸は大地震と津波、そして原発災害という未知の状況に対処せざるを得ない人々の動向に焦点が絞られており、『ダンケルク』などに類する「体験型映画」の側面から見るとすれば、作品の出来は決して悪いものではないと思いました。災害を考慮せずに原発という制御不可能な装置を作り出してしまったことへの批判も台詞として触れています(本作の描写は、責任の主体を不明確にしている、という批判も当然あるでしょうが)。
原作では重要免震棟と中央制御室、そして原子炉との位置関係が分かりにくく、それぞれでどのような対応が行われていたのか、除染などをどのように行っていたのかを想像するしかありませんでした。本作がそれらを(できるだけ現実の状況に忠実に描写していると仮定して)映像として見せてくれたことで、事故状況の理解が一層深まりました。画面の緊迫感も非常に高く、水素爆発の場面では現場の人々と同様強い絶望感に襲われるほどでした。
作品の臨場感を高める上で、渡辺謙、佐藤浩市をはじめとした多くの俳優の演技が大きく貢献していました。特に佐藤浩市の無精髭にまみれやつれ果てた表情は鬼気迫るものがあります。日本映画でありがちな、登場人物が心の内を全て台詞で話してしまう、という演出上の悪癖についても、かなり抑制されていた点も好感を持ちました。
このように、映画作品としては決して低い完成度ではないと思いました。しかしながら本作が描いた状況に関しては、かなり相対化して見る必要があります。原作の描写に寄りすぎて事実検証を疎かにしている点を差し引いて、今回の評価としました。
※追記※
なお、事故当時首相を務めた菅直人氏は、比較的本作を評価しています。自身をモデルにした劇中の首相が一種戯画的に描かれていることも含めて、「そういった振る舞いもあったかも知れない」と概ね許容しています。しかしながら前述のベントを巡る状況、東電本店で職員の待避を拒絶した下りなどについて、虚偽ではないが幾つか省略されている部分がある、と指摘しています。こうした議論については、菅氏のブログやインタビューからうかがい知ることができます。
現場の熱意は伝わってくるがドキュメンタリーとしては不十分
現場の人の必死な活躍はよく伝わってきた。
何か隠蔽しているのではと原発の作業員に向けられた言われなき中傷は払拭できたのではないだろうか。
官邸からの横槍に抗いながら現場の英雄の活躍で日本崩壊を防いだというシナリオは決して作られたものではない真実である。
しかしベストな判断ができたとはいい難いのが今日までの検証で判明している。
まず肝心の全電源喪失(SBO)についてのマニュアルそのものが無かったという致命的な欠陥が激甚災害への道を辿ることになる。
海抜30mの高台を削ってまで低地に原子炉を置いたのは何故か。
非常電源装置だけでも高台に作っておけばよかったのでは。
冷却配管の耐震性に不備があった点。
メルトダウンが進むと機能しないSR弁の構造的な欠陥など枚挙にいとまがない。
今までドキュメンタリー番組で指摘されてきた原発の不備については特に言及されてはいなかった。
車のバッテリーをつなぎ合わせてSR弁を動かすシーンも、現場の方々の協力で迅速に行われていたように見えるが、実際には対応する12Vのバッテリーが小名浜で足止めされ現場に運び込むことができなかった。
既に原発周辺は基準値を大きく超えた線量となっており、うかつに近づけなかったからだ。
2号機の破滅的な結末が訪れなかったのか、という点も謎のまま分かっていない。
なんとなく奇跡的に建屋に穴が空いて水素爆発を抑えこんだ程度であまり深く踏み込んでいない。
迫真の演技の裏に、解明されていない謎が多いことに少し疑問を感じる。
その後病気で亡くなられた吉田所長には哀悼の意を表する。そして事故対応に当たった作業員の方々には感謝したい。
しかし真相が現場の人が頑張ったのだから仕方がないという論調で闇に葬られてしまうのは今後の原発の運用に少し影を落とすと思う。
原発そのものには反対ではないが、信頼性を大きく損なう結果になったのは残念である。
その原因は事故に対する認識が甘かった東京電力にもある。
今後はこの事故を教訓として、いち早く収束できるよう様々な対策を講じる必要がある。
やはり原発なくしては日本のエネルギー事情を解決できないのは事実である。
私が本当に描いて欲しいのは美談ではなくこの事故を今後に活かすことである。
最後の東京オリンピックのくだりは商業的な匂いが伝わってきて少し冷めてしまった。
コロナがなければこの映画が前座として盛り上がっていたんだろうなと思うと改めて人間の無力さを痛感する。
万が一オリンピックが中止になったら実にお寒い作品になってしまうのではないか。
今回も対応をしっかりとしていたらこんなことにはなっていなかったと思うとなんとも皮肉な結果である。
命懸けで福島原発の事故に現場対応してきた者たちの映画であって、当時...
命懸けで福島原発の事故に現場対応してきた者たちの映画であって、当時どれだけ大変な状況だったかがわかるように作られていてとても良かった。
ただ、現場と上層部との対立をわかりやすくするために首相などを悪くしたり、幹部を無能な上司みたいにする描写はいただけなかった。とくに首相を演じた佐野史郎をキャスティングしたのは間違いだと思う。
首相や官邸の人間が突発的にわめき散らし現場を混乱させるのには違和感を感じざる得ない。
当時の政権を支持批判するつもりはないが、首相や官邸の人達も当時は大変だったはずなのだからそこの描写も丁寧にして欲しかった。
観ておかなければと
49本目。
星での評価はしたくないので、取り敢えず。
現場で闘ってる人に胸をうたれると同時にスクリーンの向こうの人達に怒りを。
なんだこの温度差。
忖度だろうけど、実名出していいんじゃない?
たけしが言ってたと思うけど、東京湾に原発造らなきゃ、真剣に議論しないんだろうね。
自分は観ておかなければと思ったけど、観るのが辛い人もいると思う。
無理に観る作品ではないと思う。
とは言え、ほんの一片なんだよな。
福島は生きていく
私は福島県民である。
福島県民なら本作を気にならない人は居ないだろう。偶々初日が休みだったので観に行ったら、コロナが懸念される中大変な混み具合だった。
また、邦画メジャーの劇映画としてこの題材に真っ正面から挑んだ熱意と意欲に、まずは称賛と拍手を贈りたい。
9年前、東日本~関東の広範囲を、未曾有の大災害が襲った。
地震、津波、液状化…。
それらによる各地の被害は想像を絶するもので、中でも我が福島は、原発事故による放射能漏れという絶対にあってはならない事態が起きた。(と同時に、それと同じくらい許し難い風評被害も)
しかし、あの時あの場所に留まった人々の尽力で最悪の事態は免れ、その後の作業や除染により、福島はまたかつてのような穏やかな暮らしを取り戻しつつある…ように見える。
…が! 今も尚放射線数値が高く立ち入り禁止になっている地区があり、今も尚仮設住宅で避難暮らしを続けている人々が沢山居る。9年経っても尚…否! まだ9年しか経っていないのだ。
福島では今も、夕方の地元ニュース番組では被災者たちやそれらの事を伝え続け、天気予報の時は県内各地の放射線数値も併せて報せている。絶対、忘れてはならない為に。
それなのに、どうだ? 日本全国に目を向けたら?
今はコロナウィルス感染拡大が重大で深刻で最優先事項だが、その前は東京オリンピックに浮かれ、バカみたいな下らない芸能ゴシップばかり…。
福島や東日本の被災地以外では、もうほとんど取り上げてもいないだろう。
連日伝え続けろとまでは言わないが…、9年も経てばここまで風化するものなのか…?
やはりこの国は、東京で何か起きないと誰も真剣に向き合わず、本腰を入れようとしないのか…?
福島もこの国の一つだ。福島県民もこの国の一員だ。
今も助けを求めている人たちが居る。今も窮屈な暮らしを強いられている人たちが居る。
それを忘れるな!
東京オリンピックなんかより復興の方こそ最優先にして欲しいと思っている人々も沢山居る。
まだまだ復興が完全に終わってもいないのに、今東京でオリンピックを開く事がそんなにも最優先最重要で絶対に大事な事なのか? 予算もそっちに割かれ、それと復興が一体何が繋がるというのだ?
オリンピックで活躍する姿が復興と被災者の為になる…?
素晴らしい事を言ってるようだが、本当にそれを被災者/被災地の前で堂々と言えるのか?
勘違いするな!
脱線していきなり吠えてしまったが、さてさて作品の感想を。
実は予告編の印象では、この題材を扱いながらも邦画にありがちな湿っぽい泣きの作風になるんじゃないかと。
実際、そうでもあり。どうしても邦画は一貫してポリティカルに成り切れず。そう思うと、『シン・ゴジラ』はフィクションなのに圧倒的なリアリティーがあって素晴らしかった。また改めて、あの未曾有の大災害をゴジラに置き換えて見事描いていたなぁ、と。
そんな難点ありつつもしかし、本作は思ってた以上の力作であった。
開幕シーンは2011年3月11日午後2時46分。即ち、地震発生時の原発シーンから始まる。
自分もあの地震を身を以て体験したので、あの時の事を思い出しながら、開幕から引き込まれた。
地震が引き金となり、発生した大津波。絶対安心安全がいとも簡単に崩壊した“想定外”。
津波によって原発に異常事態。次から次へと起こる危機、大混乱、今何が起きているのか。余震も続く。そして…
ニュースで我が目を疑ったあの水素爆発…。あの映像を見た時、本当に福島にもう住めないんじゃないかと思った。
第1原発に続き、第3原発も爆発。もし、第2原発も爆発したら…? 福島県民として…いや、日本国民として知らなかったその事実に、ゾッと戦慄した。
昨年の『空母いぶき』など時々作品にムラがあるが、若松節朗監督にとっても本作は『沈まぬ太陽』と並ぶキャリア代表作になるだろう。
小難しい専門用語飛び交うが、それが実際の現場というもの。忠実に再現したという原発内の美術セットも見物。
共に実在の人物を演じた佐藤浩市、渡辺謙の熱演。特に渡辺謙は、あの時あの場所で疲労困憊、精神すり減らし、それこそ血尿が出るほど指揮を執り続け、無理を押し付けてくる東電本店と闘い続けた故・吉田所長という難役を体現し切っていた。
終始緊迫感は途切れず、と同時に感心したのは、細かい描写。
中でも、地震直後、福島では突然吹雪に。雪がちらつくシーンも再現されており、この世の終わりなんじゃないかと思ったあの時の事を尚更思い出した。
原発職員以外の人たちのドラマも。
滑稽で無能な政府や東電本店の奴ら。(役柄は別として、佐野史郎や篠井英介は憎まれ役をよく引き受けてくれた!)
職員の家族や原発のある富岡町の人々…。
私は郡山市民なので、地震以外の被害は免れたが、震災の前の年、仕事で富岡町を訪ねた事がある。遠目で原発も見た。
今でも記憶に残っている。映画のラストシーンを飾った、あの桜の通りも実際に歩いた事ある。
それらが全て…。
映画の中で言う。
「俺たちは何を間違えたんだ?」
永遠の問いだと思う。
火力も水力も風力にも限界はある。そこで日本の未来のエネルギー力と信じてこの福島に作られた原子力発電。
それが後年、福島を苦しめる事に…。
こんな事になるとは思わなかった。
しかし、想定外の事態にもっと備えるべきだった。
何を間違えたのか…?
日本の未来の為を思った事は間違っていないし、甘く見過ぎたのも事実。
この割り切れない複雑な気持ち…。
が、間違いがあったら正し、想定外の事態が起きたら立ち向かうのが、人間。
人間が自身で作り出したエネルギーで危機に陥るなんて、端から見たら滑稽だ。
立ち向かわなければならないのは、更なる原発事故阻止と放射能という背筋も凍り付く事態。
命の保証も無い。被曝も免れない。
しかし今こうして最悪の事態を免れ、福島で暮らしていけるのも、いちいち言う必要もないが、改めて言いたい。
あの時あの場所で、闘った人たちが居たから…。
今、コロナの影響で映画館へ足を運ぶのはなかなか躊躇するだろう。
が、もし足を運べたら…、
レンタルでいいやとか、福島で起きた事だからとか、もう9年前の事だとか、他県で起きた自分には関係ない事だとか絶対に思わないで欲しい。
同じ日本人として、見るべき…いや、忘れてはいけない。
あの時TVかなんかでどっかのバカ連中が、もう福島には住めないとか、福島から逃げろとか、福島というだけで風評を受けた。
そいつら全員、俺の前に出て来やがれ!!
富岡町には桜が咲いた。
私たちは今も福島で暮らしている。
福島は生きている。
困難な時こそ観るべき映画だと思う!
2011年3月11日、PM2:46 突然マグニチュード9の大地震が起き、それから数十分後に大津波が襲う!
原発についての知識はほとんどない為、専門的な用語はわかりませんし、様々なトラブルの順序なども正確ではないかも知れませんがこの「FUKUSIMA 50」を観たばかりの感想を書き記します。
大津波が第一号機を襲い、電源が切れ真っ暗になった
上に破壊された原子炉建屋に圧力が上がった為、吉田所長(渡辺謙)が制御室での指示を出し、実際の現場での指揮は当直長の伊崎(佐藤浩市)が指揮する事になる,
ベントを行う為に2人1組での計3組の決死隊を募る。自ら現場での作業を伊崎が出ようとするが、他の職員は当直長は現場で指揮してくれと制す!
自分が行くと手を挙げ志願する職員! だが命の危険がともなう為若い者は残れ、ベテランが行くと言って3組の決死隊が組織される。
放射線量の高い場所での作業となる。まして足場の悪い真っ暗な場所での作業!
決死隊のトップバッターにはベテラン当直長の大森(火野正平)等が入る。終始緊迫感に包まれた作業である。
福岡原発が大地震による津波で破壊された事で総理自ら翌日の朝、現場へ駆け付ける。当然原発の事については全くの素人であるが、原発が破壊された事については「事の重大性」は十分理解できる!
総理(佐野史郎)自ら現場に行く事は吉田所長他、現場の人間にとっては大変迷惑な話しである。緊急の対応に支障が出るのは当然である。ただ総理としても原発全てが爆発でもすれば1986年に起きたチェルノブイリ事故の10倍の被害が発生し、東日本が壊滅する事になる。
時系列ではやや記憶に不明だが、2号機、3号機のトラブルなどにも対処し富岡町や大舘町などは立ち入り制限区域に指定されてしまう。命がけで現場の作業員は大爆発を食い止める為、不眠不休の戦いをする。東電本店の幹部と怒鳴り合いの戦いを行うシーンも見所であった。
緊迫感の連続であったが、取り敢えず最悪の危機を過ぎた時、吉田所長が「腹が減ったな〜」と言って賞味期限を気にしながら手に取ったパン!皆でパンを頬ばるシーンが救われた。
2014年春、桜並木を見ながら前年に他界した吉田所長を回想しながら原発事故について考える伊崎。
子供の頃での回想で原発はクリーンエネルギーであり、原発のメリットだけを周知させていた。
想定外予想もしなかった高さ10mを超す津波によって破壊された原発。
自然の力には勝てないんだと言う言葉が印象的でしたよ
今、世界的に特に日本では新型コロナウイルス感染拡大で大騒動です。原発事故と比較するのは異論もあるかも知れませんが、対応として時間的にも2ヶ月位の時間があったにも関わらず、緊急性が認識されたのは2月の23日頃になって急にバタバタし始めたと思います。
福島原発は突然の大地震での津波での破壊、メルトダウン、緊急性で一刻を争う中での職員の決死の戦い!
吉田所長や伊崎、大森他数多くの人達が戦っていました。異常な放射線量の中で自衛隊の方が「国民の為、我々は逃げる事は出来ません!」と言った言葉に目頭が熱くなりました。
今、この時期であるが故に是非観たい映画です。
全キャストの方々、本当に良い演技でした!(演技と言うのは失礼ですが)
勇気をいただきました。
みんなを守る、仲間を想う気持ちに男泣き。 家族との別れを決意した心...
みんなを守る、仲間を想う気持ちに男泣き。
家族との別れを決意した心境に泣いて。
家族との再会での嬉し泣き。
沢山の涙がでた。
こんな事になったら何もできない自分やけど、それでも何ができるか?
常に問い続けていたいなと思う。
最後に、日本人でありながらこの映画を観るまで本当に少しもこの事故の事をわかっていなかった自分が恥ずかしくおもった。
あれから9年
経ったわけだが、福島原発が今どうなっているのかという情報もなくなって久しい。
当時を振り返ると、首相の現場介入と東電幹部の無責任な対応に呆れ果てるばかりだった。
映画では当然脚色された部分もあると思いますが、現場の緊迫感や決死の行動が十分に伝わりました。
また、現場の職員それぞれに家族がいて家族を心配する一方で職務をまっとうする姿にはホロリとさせられました。
公開初日の朝一番の回で観たのだが、一番大きなホールに20〜30人程とまばら。新型コロナの影響をもろにかぶってしまった。都内会場での舞台挨拶も急遽中止になったと聞く。
あの惨状を忘れないため、そして現場の東電社員の必死の行動を知るためにも是非映画館に足を運んで欲しいと思う。
当時の原発で働く人の使命感と責任感を見ろ
東日本大震災の時起きた津波による福島第一原発事故での東京電力の現地の人達のお話。
あの事故では色々と言われましたが、しかし、自身の生命の危機にも見舞われても必死で使命感と責任感であの事故に立ち向かった人がいる事を忘れてはいけないと私も思う。
そう言った意味では、本作品は、関係者の証言に基ずきリアル感たっぷりに作られています。
若松節朗監督作品って独特のリズムがありますね。
私的に、そのリズムが合わない時もあるのですが、本作品は本当に当時の事故現場を淡々と描き切っています。
逆に真実なら、現場ではない、東電と政府には、呆れてしまうかな・・・・・
当時は、やっぱ民主が政権下だったしな・・・・呆れてしまう・・・・・
しかし、人間ってある意味凄い不平等だな・・・・・ああして、使命感と責任感とエンジニア魂で命を犠牲にしても立ち向かう人もいれば、いいお金を貰っているのに、逃げたり、こっそり入院したりと、戦争だってそうだよな・・・・
本作品こそ、これまでの日本、これからの日本が決して忘れてはいけない伝えなくてはいけない教訓があります。
出ている俳優さんの人選も見事ですね。佐藤浩市さんを始め、渡辺謙さん、吉岡秀隆さん、火野正平さん、緒形直人さん、平田満さん、萩原聖人さん、それぞれが自身の役割を見事に好演していて、邦画もまだまだ大変に魅力がある事に気がつかされます。
本作品、当時の被害者の方の為にも心して見てください。
東日本大震災の現場で働く人の死をも覚悟した闘い
あの時、色々な情報が流れ、未だ解決してない問題も多くある中で、風の電話とかも見ましたが、現場で働く人の死を覚悟した人々を取り上げたエンターメント性のある映画と思いました。ある意味お金をかけた映画で有る事は間違いない。でも次々と観客を3・11へ連れ戻す力がある映画に間違いない!特に現場の伊崎役の佐藤さんと吉田所長役の渡辺健さんの力量が凄いです。試写会で見ることが出来て良かったです。吉田所長の事は当時、心に残ってました。なでしこジャパンで優勝した時の丸山選手が東電の選手と知り、吉田所長さんに良くして貰ったと知り、感慨深いです。
現場!現場って… 現場だけが偉いのか…
現場の意見を尊重しろって、よく言われる言葉だけど…あまり現場偏重し過ぎても良くない事は往々にしてあります。
織田裕二じゃないけど、この映画が変な風潮を助長しなければいいな!
「放射能」は専門家内では「放射性物質」の意味でつかわれる
コメントを見ていて、よく「放射能を放射性物質の意味で使うのは間違い」と言うのがある。
アレはマスコミが近年取り上げて叩き始めたことで、昔から現場では放射性物質の意味で同語を利用している。
刑事ドラマで、「ホシ」と言う単語を言う刑事に「容疑者と正しく言わぬとはなんたることだ」とねじ込む様だと考えると判りやすい。
現場での通称で皆、ホウシャノーとホウシャセイブッシツが区別出来ていないわけでも知識がないのでもないのに困った物だ。
あの事件後、にわかに盛り上がった素人が学者に向けて「正しく語を使わぬのはどういう事だ!」と凸って来るようになって、言葉狩りを始める物だから仕事が増えて大層迷惑した記憶がある。
拝見したが、必要な事は端的にまとまっていてエンターテインメントとしても及第だと思う。
伝えなくてはならない事は理屈ではない。
まずは楽しさと共に現場にいた「人」の事を想像してほしい。
そして出来るなら、自分達が其処にいたらどうしたろうかと想像してくれたなら、世論は少しだけ現場を踏まえたものになり、戦う人々の助けにならないかと期待するものである。
忘れてはいけないこと
良かった。
専門的分野の方々から言わせれば事実と反するところや突っ込みどころは満載なのだろうが、それでもあの大震災のあと更なる被害拡大を食い止めようとまさに命を懸けて戦った人達がいたことは知らなければいけないし忘れてはいけないことだと思った。
映画作品としては「役者の力」を強く感じた。皆さん素晴らしい演技でグイグイ物語に引き込まれ幾度か涙しました。
風評被害が拡散しないか心配
試写会で拝見。
放射性物質と放射能の区別がつかない「原発の専門スタッフ」たちのセリフに????の嵐。
風評被害促進案件ではないかと、心配になりました。
放射能デマ系な、恐怖の煽り文句「原発事故で福島は人の住めない町に」を連呼。
全てが吹き飛んでフクイチから半径250Kmが汚染された最悪のケースを想定したシーンが、「銀座に死んだ烏、舞い降りる死の灰」って感じ……
そんな具合に、原爆と原発事故の表現を同一にしてるし。
放射線量増加の対応についても、途中からおざなり。
水素爆発も、水素が炉内で発生した理由の説明はなく(燃料棒を覆う保護金属ジルコニウムが高温時に水と反応して水素を生み出すはず)、「炉心融解が進むと高温で圧力が高まって即爆発」という、なにもわかっていない感がすごい表現に思えました。
また、東日本大震災における津波のメカニズムは、断層のズレから生じた水平移動と隆起、ズレの摩擦発熱による間隙水圧上昇現象で、海水面の高さが上昇し、平野の「水没エリアが拡大」したはず。
仙台空港や、東北各地の海岸線押し寄せた津波の映像を覚えているなら、「街が徐々に水没して、ゆっくりとした水のうねりが車や家を押し流した」のは知っているはず。
せいぜい、原発エリアのうち十数メートルの岸壁がある部分に、波が激しくぶつかっている動画があった程度で、全域に高波が押し寄せたわけじゃない。
なのに作中では、TV版『日本沈没』みたいに、海底に亀裂が走り、マグマが溢れ。
『未来少年コナン』のハイハーバー編みたいに水が海岸線から引き。
『ビッグ・ウェンズデー』みたいな大波が襲来。
頭が痛くなりました。
これを「事実に基づく」というのは、いかがなものかと。
震災の数年前に原発の電源喪失の危険性を指摘した野党の質問を当時の首相が「万全」と一蹴し、東電の現場技術陣からは大雨で過去発電機が冠水した経緯から改善要望をしてもトップが経営判断で突っぱねた経緯は、オールスルー。
吉田所長も、改善拒否に賛同した人だったはず(最大津波想定が10mで15mは想定せず、また東電単体では資金面で対策ができなかったことを後悔している記述は、手記や調書に残っている)。
政府や経営トップと、部下や住民の板挟みになっていながら、様々な判断を強いられた所長や当直長の悲憤を描く…って、戦争映画におけるヒーローみたいな美談に落とし込まれているのに違和感。
「祖国や家族を守るために、戦闘機で特攻」を美化するのと、全く構造が一緒。
そして、震災当時の首相をひたすらdisる(まぁ確かに直情的で罵ることしかできない無能でしたが)手法に、よほど現在の経産省や文化庁から協賛や賛美がほしいのかなと穿ってみたくなる、偏ったシナリオに感じました。
まだ、被害は継続し、復興もフクイチ解体も道半ばなのに、もう終わった的な桜のエンディングに呆れもしました。
あの桜並木が、帰宅困難地域のものであったのならば、「本当の事故処理の戦いはこれから何十年も続く」という決意のセリフが無いと嘘だろう、と。
一応娯楽作品と銘うっているので、他の観客がどう受け取ろうが自由なんだけど。
福島、吉田所長、という名前を使う以上、「フィクション」「ドラマ」という逃げは、私にはまったく響かない。そもそも、原作は自称「ノンフィクション」だ。
これが別の架空の県、別の名前ならともかく。
そして、ドラマとはいえ感情に流されたまま自己犠牲を美化し、それに感動しちゃう風潮は、私は苦手だし怖いと感じちゃう。
何より、そういう作品を面白いとは思えないのでした。
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