「2度鑑賞し、やっとレビューが書ける」Fukushima 50 ke_yoさんの映画レビュー(感想・評価)
2度鑑賞し、やっとレビューが書ける
2度目の鑑賞を終えた。
1度目はレビュー出来る気分ではなかった。
冒頭からあの日の衝撃が生々しく蘇りすぎてしまい、ひたすら泣いていた。怖かった。
都内にいたので東北の方の比ではないが…。
ビル17階オフィスの休憩室で1人で休憩しているときだった。何気なく見ていたペットボトルの水が揺れだした。小さな揺れを眺めていたら、気づけば体が揺らされていた、周りもみな揺れていた、何が起きてるのか分かるまでの一瞬、激しい目眩で倒れるのかと思っていた、地震だ…!それから女性の悲鳴が聞こえ、物の落ちる音や倒れる音がした、慌ててテーブルの下に潜った、他の人達も潜っていた、休憩していた他のグループの人と目が合う、我に返る…が私の14:46だった。
きっとこの作品の冒頭は、それぞれの14:46を思い出さずにはいられないだろうと思う。
よく出来ていた。
原発について、多くの人は大して何も知らない。
私自身は、子供の頃にTVCMで見たプルサーマル計画がそれだよね、電気を大切にね!って言われたっけ、くらいにしかリアリティのないものとして捉えていた。
あの事故が起きるまで、気にも留めていなかった人は多いのではないだろうか。
でも現地の人にとっては、出稼ぎに行かないで良くなる経済だったのだ、お父さんの仕事であり、隣人の仕事だったのだ。それをこの作品が教えてくれた。
子供の頃に学校行事として科学館みたいなところに行った流れで原発の模型を見て説明を受けるなど、首都圏の私にはない経験だ。
その身近な経済の源は、大いなる危険も孕んでいた。
吉田所長は津波対策の必要性をどこかで感じつつも会社員としての経費の問題を前に、先延ばしにしたのか、起こり得ないと納得したのか、真意は不明だが何も手を打たなかった。
でも津波は予想を遥かに上回って全てを飲み込んだ。
そこを議論するための作品ではないと思う。
誰もが判断を誤るし、考えが甘いことも準備が足りないこともあるからだ。
現場の人の責任感と熱意が最悪の事態を回避して、私達は今も変わらぬ暮らしをさせてもらっていたんだ、そんなことは露ほども知らず、ぬくぬくと。
それを知り、これからを考えるために。
この作品のテーマはそこだと思う。
被災地の方々と違う観点で捉えるのは当たり前だ。
失ったものが違いすぎる。本当に申し訳ない。
みんなで知恵を絞ろう。
資源のないこの国で、利便性と安全性との折り合い、経済、自然の脅威について。
この映画は忘れてはならない天災と事故の記録、
そして問題提起のために生み出された。
原発について勉強しなければならない。
電気を使う全ての人が、自分のこととして捉えよう。
そんな気持ちにさせてもらいました。