「福島のことを考えること」Fukushima 50 なほこさんの映画レビュー(感想・評価)
福島のことを考えること
まずこの映画はやはり映画館で見てほしい。
出来るだけ、大きな映画館で大きなスクリーンで見てほしい。
二時間を通してあの日あの時のことを体感できるからだ。
もう、そんな思いはしたくないという人がほとんどだろうがそれでも今この映画をこのタイミングでまた見ることは、少なくとも私には十分に意味のあることだった。
震災を思い出して体調が悪くなってしまう人は、やめたほうがいいのかもしれない。
人を選ぶ映画だと思うが、私はこの映画に会えて感謝している。
昔NHKでこの福島第一原子力発電所のことが大杉漣が吉田所長の役で再現ビデオが放送されていたが同じスタッフなのか同じ作者なのか、わからないが、似ていた。そういえば大杉漣はシンゴジラでは総理の役をやっていた。発見だった。シンゴジラにも似ていた。既視感があった。なのでそれを同じく大画面で再び見ている錯覚にもなった。特撮だった。
大杉漣がもし生きていたのならば、もしかするとこの映画でもまた吉田所長をやっていたのかもしれないのかな、などと思った。今となってはわからないが大画面でその漣さんも見たかったなと思うのだった。渡辺謙は渡辺謙で、素晴らしかった。佐藤浩市は、年々お父さんに似てきたなと思う。
佐藤浩市、渡辺謙の存在感は群を抜いていた。
総理役の佐野史郎、ダニーボーイと米軍が印象的だった。
日本とアメリカの関係についても改めて考えた。
この映画の制作陣の心意気、そしてそれを通して映画を見ながら当時現場にいた作業員の魂を垣間見た気がした。映画というものは、見るものに想像すること、考える力を与えてくれるのだ。
福島について考えた。
追記)
二度目のfukushima50観てきた。
巷では事実と違うだの、見るに値しないだの、捏造だの、散々ボロクソに叩いている感想もかなり多く見かけます、確かにそういう面はありますがそこまで酷いかなあというのが正直なところでしてそこまで陳腐でもなかった。人によっては陳腐に思うのでしょう悲しいことですが。でも私は意味のある映画だったと思います。批判するのは簡単ですが映画の魂を見てほしい。文句だけの人には腹が立ちました。
ただの原発推進映画ではなかったし感動の押し売りでもなかった。
私はこの映画で一切泣いていません。ただ現場の緊迫した様子と過酷さがこの映画のすべてでした。劇場内に臨場感圧迫感が蔓延し泣くのを阻止します。泣く余裕はハッキリ言ってない。感動もしてない。そんなことよりも現場のことです。
感動する以前の問題で泣くことよりもどうするべきか、です。泣いてる暇があったら作業しよう、できることはないか、なんとかしよう、考えよう、現場の方たちはきっとこういう気持ちだったのではないかと思います。視聴者もまるで同じような体験をします。まさに地獄でした。
無論映画なので大胆に大袈裟にドラマチックに作ってあります。かなり進み方はドラマ的でした。演者が台本に沿ってやる芝居なのでそれは普通のことです。
まだ震災から9年ですが大きな出来事だったので映画としてのエンタメになることに拒否反応が出たのもわかります。9年という歳月が問題なのではなく東日本大震災の大きさ悲惨さが映画にするには傷が癒えていないというか時期早々だったという部分もあります。
でも私は観てよかったと思いました。
「考えなさい」、そういう映画だと思います。
観てもいいと私は思います。
「ちゃんと描かれていない!!クソ映画だ観る価値なし!!」なのではなく「みんなが覚えている記憶」なのです。描かれていなくてもみんなちゃんとわかってます。みんなちゃんと記憶にあります。ただやみくもに批判するだけの人たちは好きになれません。描かれていなかったからこそ、映画を見ながら一人一人が想像し思い出し考えることが出来るのではないのですか。その能力は人間は持っているはず。消えてしまいましたか。それとももう忘れてしまいましたか。悲しいことですが。
思い出せ、想像しろ、ということです。
あの時のことを忘れてはいないか、覚えているか、ということ。
そんなことはないはず。もしそうなのであればそれまでのこと。
物語に空白を作ることで思い出す余地を与えているのです。
そうやって自分で考えながら見てほしい。自分の頭で心で補いながら観るものではないのですか。観ながら脳内の記憶をあの頃に戻し補完出来ます。そうやって補いながら映画を見るのです。
人間はいつからただの恩恵を受けるだけの傲慢な人間になったのでしょうか。受け取るだけでは何も生まれません。考えることが出来るのです。原発にしてもそう。本当に必要だったのか、問いかける映画でもあります。原発で今まで悪いことばかりではなかったはず。いいこともあったはず。だが、こうなってしまった。恩恵もありましたがその代償は大きい。
綺麗なものだけを見過ぎたんです。いいことばかりが目につき、悪いことは見なかった。見えていなかった。見ないふりをしてきたのか。原子力への理解、いいことも悪いことも多方面から見なければならない。考えることをしなかったからです。でないと人も自然も暴走します。
全てを描き切ること、全てを映し出すことが正解なのですか。それなら現実の報道映像を見ればいい。二時間弱の一本の映画としてまとめた時にどのように視聴者の心に留まるかが大切なのだと思います。私には原発での出来事に絞った今回の映画は非常に記憶に残りました。
だから見て終わり、ではないのです。考えるのです。この映画になったということは問いかけるということ。この見たまんま受け取って終わりなのでしたら、今までと全く同じ、何の価値もないでしょう。情報だけを鵜呑みにし賞賛するだけの映画になります。違います、この先を考えるのです。そのためのこの映画です。教材です。ただのエンタメではありませんでした。課題です。