「オリンピックの前に見るべき映画」Fukushima 50 shironさんの映画レビュー(感想・評価)
オリンピックの前に見るべき映画
「こんなにも、忘れてしまっていたのか…」と自分自身にショックを受けました。
東電の禊ぎ映画では御座いません。
政府を非難したり、現場をヒーロー視するだけの映画でもなく、自然の脅威を前にして私たちが学ばなければいけない事は山ほどある…決して風化させてはいけない記憶だと思わせてくれる映画でした。
上映中に「こんなの捏造だ!」と叫んで席を立たれた方がいましたが、
そりゃ〜映画だから、フィクションな部分もあるだろうし、わかりやすい演出もあるだろうから、捏造と思われるのも仕方ないけれど、出来れば最後まで見ていただきたかった。
たとえドキュメンタリーだとしても、誰かが作り上げたものには、必ず作り手の意図が入るものだし、むしろ私達はその作り手の視線を見つめているのではないだろうか?
100人の監督がいたら、100通りの『Fukushima50』が出来るだろうし、1000人の観客がいたら1000通りの解釈があるだろう。
そして更に、それぞれの解釈には賛成や反対が生まれ…そうやってこの出来事を風化させない為に、勇気を持って作られた映画だと感じました。
現場の状況がわからないなか、防護服を着てボンベを背負った作業の恐怖。
最善を尽くそうと懸命な人々の姿。
当時のニュースで結果を知っているにもかかわらず「どうか成功して!」「どうか爆発しないで!」と祈っていました。
東電の職員なんだから、何とかするのは当たり前だと思っていたけれど、もし職場放棄していたら、日本は早い段階で壊滅していた。
どこがどうなって、現場は何をしていたのか?を知ることが出来て良かった。
そして本当に恐ろしいと感じたのは、人の手によって暴走を食い止めたのではなかったという事実。自然を前にしては運を天に任せるしかない。
そんなギリギリな現場をよそに、政府のアピールや本社の対応には正直イライラしますが、良くも悪くも、それぞれの立場で最善と判断した“結果”がここにある。
何が間違っていたのか?どこに責任があるのか?
罪を着せるのは簡単だけれども、責めるだけでは何も変わらない。
電力を消費している立場の自分自身も含めて、自然をコントロールした気になっていたおごりを捨てて、真摯に結果と向き合って変わるべき。だった。
未来に向かって、企業の体質や行政の対応を見直すべき。だったのだ…。
そうでなければ、犠牲になった方々や被災された方々に合わす顔がないし、あまりにも大きな代償を払った意味がない。
でも今、実際に良い方向に変わっているのだろうか??
そして、それは個人的にも。
ファーストシーンからあの日が蘇ってきて、とても怖かったです。
私は震源地から遠く離れてはいましたが、帰宅困難者として歩き続けた寒さや、家族と連絡が取れなかった心細さ。
ニュース映像の衝撃に、思考と心が停止したこと。
計画停電で、電気の有り難さと電気への依存を感じたこと。
その当時は、第二第三の避難場所へのルート確認や、普段の持ち物にも気を配っていたのに…災害用伝言ダイヤルの番号すら忘れている自分に愕然としました。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。電気も普通に使っているし。
“あの日の事は忘れていない”と思っていたけど、実際はいろんな事を忘れてしまっていると気づかせてくれました。