「それなりに面白かったけれど、僕たちの(”僕“だけかも知れないけれど)愛する『怪獣映画』からは違うテイストになって来ているように思う…」ゴジラvsコング もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
それなりに面白かったけれど、僕たちの(”僕“だけかも知れないけれど)愛する『怪獣映画』からは違うテイストになって来ているように思う…
①「エイペックス」なんてのが出てくるから安室奈美恵でも出てくるのかと思った(古う)②期待していただけにガッカリ感も多い。以下列挙してみよう。③先ず怪獣(「タイタン」)たちの故郷が地球中心部にある地下空洞という設定はまあ良いとしよう。地下空洞説は使い古されてはいるけれども、最新の特撮技術での映像はそれなりに見れる。「アバター」みたいだけど。でも他に怪獣がいないのはどうして?④「家族じゃなくても親戚がいるかも知れない」とコングを誘っておきながら他のコングがいる形跡もなくほぼ騙しじゃん。⑤ゴジラの親戚らしきのもいなければラドンもモスラもアンギラスもゴロサウルスもいないじゃん。何よりラスト、コングは地下空洞に帰るのに何故ゴジラは帰らない?そこにエネルギーの源があるのなら。⑥怪獣たちの故郷なのに何故か人間が作ったような門や宮殿らしきものがあるのも変な感じ。コングはデカいゴリラではなくて実は原人に近いのか?⑦今回も空飛ぶ蛇みたいなモンスターは出てくるけど「怪獣」とは言えないと思う。「キングコング:骸骨島の巨神」に出てくるモンスターたちも「怪獣」とは言えない。“Kaiju”は世界共通語になったけれど欧米人のイメージする“Kaiju”と日本人が生み出した「怪獣」とはいまだビミョーにずれていると思う。⑧まあ、コングにしてもデカいゴリラだし他のモンスターも実在の生き物や古代生物の系統なので欧米映画のモンスターは結局何処かにリアリティから外れられない結界みたいなのがあるのでしょうな。正直なところ、東宝版『ゴジラ対キングコング』は『モスラ対ゴジラ』や『ゴジラ・モスラ・ラドン・キングギドラ~史上最大の決戦』と並ぶシリーズ屈指の佳作だとは思うけれど、子供だった当時はただのデカいゴリラが放射能光線を吐くゴジラに勝てるわけないでしょ、と思ってました。今となってはアメリカ市場を視野にいれたマーケティングだったのだと解りますが。⑨「怪獣」というのは『そんなものいるかいな?』と思うほど奇抜な創造物ながら、いつの間にか信じてしまう(好きになってしまう)そんな存在だと思う。「怪獣」と「妖怪」とは日本人のイマジネーションからしか生まれなかったもの、というのは身内びいき過ぎるかしら。欧米映画もエイリアンとかは結構奇抜なクリーチャーを創造するのにね。⑩『ゴジラ』のMUTOも如何にも欧米人の考えそうなものだと思ったがまだ怪獣らしさはあった。『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』(ここで既にモンスターと言っているのでズレ始めていたね)は、話に色々穴はあったけれど、それでもモスラ・ラドン・キングギドラが出てきたので、まだ怪獣映画らしいテイストは出ていた(ので採点は良くしました)。⑪『キング・オブ・モンスターズ』でも最後に見つかって生態も良くわかっていなかった「モンスター・ゼロ(キングギドラ)」を先に目覚めさせてしまうというポカをやっておりましたが(ジョナサン・サンズ扮する悪玉とcompromiseする必要があったのでしょうが。今作から察するに当時から背後には「エイペックス」がいたわけね)、今回も地下空洞のエネルギーをチャージされたメカゴジラをテストもせずにすぐ本番稼働させるというポカしてるし(まあ父娘とも己らの大義に殉じたので本望でしょう)、話を早く先に進める為とはいえ、もう少し自然に納得する流れには出来なかったのか。⑫小栗旬の役も芹沢博士の息子だったり日本人だったりする必然性全くなし。こんなことで日本の観客に媚び売るくらいならしない方がまし。⑬USA自体もそうだしLEGENDARYの大株主の中国も核保有国だから触れたくないんでしょうけど、ゴジラにしろラドンにしろモスラにしろ初めは被爆国日本と切っても切れない繋がりがあったのに、最初の『ゴジラ』でちょっとだけRESPECTはあったにせよ「ビキニ環礁の水爆実験は実はゴジラを倒すためだった」という第五福竜丸の遺族さんたちなら激怒しそうな設定だったし。ああ、こんなことも知らずに無心に怪獣映画を楽しんでいた子供の頃が懐かしい。⑭怪獣愛故に重箱の隅をつつくようなあら探しをしてしまったが、何より致命的だったのは少しもワクワクしなかったこと(trailerはワクワクさせてくれたのに)。ゴジラもガメラも出てこない『パシフィック・リム』(1作目)ではあんなにワクワクさせてくれたのに(今でも『パシフィック・リム』萌え、してます)