「私は好きでした。」バード・ボックス こうまるさんの映画レビュー(感想・評価)
私は好きでした。
ネトフリでたまたま鑑賞しました。私は大好きな類の映画でした。
構成もアクションもスリルもすべて良かったです。
何故かものすごい低評価が多いのですが、それぞれ確認するとすべてにおいて「敵がわからない」「敵が描かれてないから」「パクリだから」などと書かれていますが、私は脳死で観れる敵味方ハッキリのお決まり展開系映画が大嫌いなので納得しました。
この作品は五感のどこかを閉じさせる系ジャンルのみであれば上位の方ではないでしょうか。
カメラワークもTPS視点もあり、まるで自分が目隠ししているようで常に臨場感ある絵でした。
ここからは個人的解釈です。
精神病院の患者や精神疾患を抱えた人間が目隠しをしなくていい世界、そして平穏な人間がいきなり突如自殺させられてしまうという展開から敵は「自殺欲そのものの具現化」なのかなと思いました。
主人公が「妹は自殺なんてする人間じゃなかった」と言っていますが本当にそうでしょうか。
例えどんなに親密でも相手を100%理解でき、自殺しないことを確実に保証できる相手なんて誰にでもいますでしょうか。
作中では風や鳥の反応などでバケモノとして表現されていますが、その精神的なテーマであれば姿もなく非常に曖昧にされていることの理由にもなります。
作中に出てくる精神病質者やヤク中の疑いがあるような攻撃的な人たちからすれば幻覚や幻聴が一般論でいう日常です。
そしてそれを強制したがっている様子からすると同じ世界を見てほしい、自分たちの気持ちをわかってほしいという表現なのではと思いました。
スーパーの前科持ちの同僚との遭遇シーンも、殺されたのか自殺したのかはたまた無理心中だったのか、流れてくる血のみの表現で非常に曖昧でした。
閉じ込められていた部屋の中が一瞬写りますが、そこは死体だらけ。でも前科持ちの同僚だけは生きていて、つまりひたすら周りだけを巻き込んだ本人は死ねない無理心中を表現したいならここかなーと。
また、作中では「私は甘やかされて育って恵まれていた」と話していた主人公の妊婦仲間の女性がいますが、出産したばかりの女性でも産後うつというものがあり、このテーマに合致します。
ガールが森ではぐれて幻聴に騙され目隠しを外してしまうかもしれない時、主人公に抱かれたボーイが「ガールはママに怯えてる」と言い、そして激しい渓流で見る当番(死ぬかもしれない係)を求められているのは自分だと理解し、ガール自ら見る当番に立候補したのはボーイに比べて心が弱っていたから無意識下に自分がママから嫌われている(と思い込んでいる)ことへの絶望や生への諦めがあってあの三人の中で一番自殺させやすかったのかな、と悲しくなりました。
結果的に主人公が本音(愛していると伝えることなどのいわゆる説得)で引き止められてよかったですけど、現実で自殺志願者を必死に止めようとしている姿なんてほとんど見れないですし、そこもどこか現代の仄暗さが暗喩されているような気がします。
他人からの愛を自認できるような人はまず自殺なんて考えませんので…そこも裏表現がうまい点だな、と思います。
全体的に考えさせられる映画でした。
ひとつ残念だったのは「こいつそろそろ…」という予想を裏切ってほしかったです。