ミスター・ガラスのレビュー・感想・評価
全56件中、21~40件目を表示
この世に彼らの存在を信じる
遂に実現!
MNS(M・ナイト・シャマラン)ユニバース!
『アンブレイカブル』『スプリット』の“ヒーロー”と“ヴィラン”が集結!
実は密かに期待していて、本作を見る前に『アンブレイカブル』『スプリット』も久々に見返して、気分を高めていた。
『アンブレイカブル』で悲惨な列車事故をただ一人生き残り、“不死身のヒーロー”である事が分かったデヴィッド。
『スプリット』の24の人格を持つ多重人格者ケヴィン。最も凶暴な人格“ビースト”が現れ、世に放たれ…。
序盤はこの2人のキャラ紹介を簡単に済まし、いよいよ相見える。
さすがに今話題のヒーロー集結映画ほどではないが、別の映画の主人公同士が顔を合わすのはワクワク。
でもこの対峙シーン、ちょっと意外でもあった。
何故なら、『アンブレイカブル』はじっくりタイプのサスペンス・ドラマ、『スプリット』はスリラーなのに対し、本作はいきなりガチ対決。
え? 本作はこんな感じ…?
このままB級チックなのかと思ったら、そこはシャマラン、ちゃんと展開を用意してあった。
突然警察に拘束され、ある研究施設に入れられる…。
その施設で待ち受けていたのは、精神科医の女医。
2人は研究対象。
女医は超常現象を真っ向から否定し、コミックのような存在はこの世になど存在せず、単なる妄想や精神疾患で、それを証明するという。
この研究にはもう一人、驚愕の人物が。
かつてヒーローを探す為多くの許されない罪を犯した“ヴィラン”。デヴィッドと因縁あり、その呼び名の通りの体質者の“ミスター・ガラス”ことイライジャ。
が、イライジャは今、廃人同然…。
3人のヒーロー&ヴィランと女医の、“禁断の研究”が始まる…。
もし、この世に本当にスーパーヒーローが存在したら…?
憧れの存在か。
それとも、脅威の対象か。
ひょっとしたら、後者の意見の方が多いかもしれない。
ヒーローに憧れるのはコミックや映画の中の世界だけ。現実世界では人間というものは、自分たちと違う異質な存在に対して怪訝になる。
こういう研究も行われるかもしれない。
超常現象を超絶否定する某大学教授のように、「そんな存在や現象は100%無い」「全て科学で証明出来る」と…。
3人のこれまでの超常的な現象を、幼い頃のトラウマや何かのきっかけであると、科学的な裏付けをしていく女医。
思い当たる節や一理もあり、丸め込まれていく3人。
心理的に迫った、ヒーロー否定映画…?
…いやいや、シャマランはまたしても展開を用意していた。
変化球的なヒーロー映画を。
ずっと気になるのは、イライジャ。
本作のタイトルは、“ガラス”。つまり、彼の事だ。
『バットマン』ならジョーカー、『アベンジャーズ』ならサノスのように、ヴィランの名を冠している。
なのに、彼は動かない。言葉も発しない。
彼の存在がキーではないのか…?
ヒーロー映画に於いて、ヒーローを最も苦しめるのは、知的ヴィラン。
そう、彼は待っているのだ。その時を。
そして遂に、その時がやって来た…。
ヒーロー映画にヴィランが2人。しかも、知能ヴィランと体力ヴィラン。
手を結ぶのは必然。
知能ヴィランの陰謀。
全ては彼の思うツボで、彼の掌の上で踊らされていた。
その時、ヒーローは…。
異色の描かれ方ながら、ちゃんとヒーロー映画のあるあるを踏襲。
周りの人物をも巻き込み始まる、ヒーローvsヴィラン。
しかし、単なる勧善懲悪にはならず、思いもがけないオチへ。
女医とある組織の暗躍…かと思いきや、知能ヴィランの本当の目的。
それは、捨て身でもあった。
彼もただの憎々しいヴィランではなく、周りを翻弄させ、見る側にも揺さぶりをかける。
そういうヴィランの存在もヒーロー映画あるある。
確かに本作のタイトルは、“ガラス”で正しい。
ブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソンのシャマラン映画復帰が懐かしく、嬉しい。
24の人格を持つという設定ながら、『スプリット』ではちょいと肩透かし…。しかし本作ではその他の人格も見せ、ジェームズ・マカヴォイの巧演はやはり見事。
このメインの3人だけではなく、周りの面々も個人的には堪らない。
特に『アンブレイカブル』から、イライジャの母親と大きくなったデヴィッドの息子スペンサー・トリート・クラークの再登場は本当に嬉しい。続き物はこうでなきゃ!
また、『スプリット』で華を添えてくれたキュートで魅力的だったアニヤ・テイラー=ジョイも。
この3人もそれなりの役割や出番を果たす。
チャレンジ的で意欲的。
その一方、大袈裟でハッタリ/こけおどし的。
意味深で突飛過ぎて先読み不可能、一応どんでん返しのオチも用意。
唯一無二のシャマラン・ワールドは本作でも健在。
と同時に本作で描かれるのは、シャマランなりの“ヒーローとは?”。
一筋縄ではいかず、人によっては分かり難く消化不良に感じるかもしれない。
でも別の見方では、シャマランもまた純粋にヒーローに憧れ、彼らを信じる少年。寧ろ自分は、そう感じた。
確かにコミックや映画のようなスーパーヒーローは非現実的な存在かもしれない。
でも、あくまで色んな意味で、“特別な”存在は居る。それを否定してはならない。
意外にもポジティブな訴え。
これまた意表突き、これまた色んな意味でシャマランらしいシャマラン映画であった。
劇場出てからテーマに気付いた
面白いんだけど「なんだったんだろうな」って思うんだよね。なんかスッキリしない終わり方だったこともあって。
映画館出てから「あ、コミックヒーローは実在するのか?」って話なんだって気が付いたの。
結論は「実在する」なんだけど、それを隠そうとする組織があんのね。それがサラ・ポールソンが所属する組織なんだけど。
それで今回は、コミックヒーロー達負けちゃうんだけど、その戦いの様子をネットで配信したから、存在を隠しきれなくなっちゃうはずなのね。戦いに負ける前提だったけど、存在は明らかにして、組織の狙いを阻止したぜっていう。
でも、そんなテーマなくても、作りが面白いから、楽しく観られちゃうよ。
色々と雑…
メタフィクションとは違うんですねえ
「ローガン」でローラが見ていたアメコミ誌のエピソードとは少し違うし、デッドプール的な立ち位置でもないし「キックアス」でもない
かと言って平ジェネForever(仮面ライダー)の虚構感とも違うし
「アンブレイカブル」でヒーロー誕生して「スプリット」でヴィラン誕生して、今回の「ミスターガラス」で両者が対決するって流れ自体はスマートなのに、単体作品毎に観ると今作の出来が影響するんですが…
結論から言うと…
アンブレイカブルの主人公は単に頑丈なだけでよかったのに、触れた相手の犯罪の記憶が流れてくるチート能力が単なる御都合主義に使われてしまった
スプリットで主人公の人格分裂を描くのなら、女の子達を誘拐する以外のエピソードでやるべきだった
そしてミスターガラスにはアメコミを読ませるべきではなかった
どんでん返しのラストは終わらせる為のものでしかないし、あのオチなら施設に軟禁&説得(治療)などしないでデリートすればよかっただけなのに
なんて色々と思ってしまう
でも3部作通して嫌いじゃない( ^ω^ )
ミスターガラス
前作を見ずに鑑賞したけど考えさせられる場面もあり楽しめました。
人とは違う特殊な能力を持つ者達が集められ、悪と戦うために集結させられるのか?と思いきや精神科医の分析と治療によって平均化を図られる。その能力を用いて善・悪どちらに使おうとも、均等化される社会ではあってはならない存在なのだ。
前半、精神科医目線で見ると、本当に彼らが妄想や脳の異常が引き起こすのかもしれないと思わされてしまう。自分がかつて繊細に感じてた記憶もそうだったのかもなと恥ずかしくなったり。
後半、彼らの脱走はトゥルーマンショウのような統制された社会にヒビを入れる計画だったと知る。
人と違うことで生きにくさを感じる現代社会を皮肉っているように見えた。
オオサカタワーに行ってみたい。ロッキーの像とともにフィラデルフィアへ!
石川県での上映がなかったのでお隣富山県まで観に行ってきました。結果、俳優の演技、特にジェームズ・マカヴォイの演技は身震いするほど良かったのですが、遠出してまで観る価値があったかどうかまで考えると★が一つ減っちゃいました。しかも行ったついでに復習のための『アンブレイカブル』のDVDまで買ってしまってるし・・・。ちょっとヤケクソ気味になってしまい、フィラデルフィアまで行ってやる!とまで意気込んでしまいました(実在しそうにないので、もう冷めましたが)。ちなみに『スプリット』は未見。
24もの多重人格者ケヴィンや、過去にテロを起こした高知能のイライジャは病院施設に収監されるのは単純にわかるのですが、なぜ正義感の強いダイハード男デヴィッドまで隔離されなきゃならないのか。全ての作品を観てるわけじゃないのですが、これぞシャマランの手法。意味不明な伏線を終盤まで残しておくのが彼らしいところ。また、そのどんでん返しがつまらないためにずっこけるのもシャマラン流だ。
3部作だということなので、忘却と未見作品があるので的確なことは書けませんが、精神科医ステイプルと謎の団体の意図がヒーロー潰しにあったという恐ろしい事実。非現実社会に憧れ、覚醒していない能力をそのまま閉じ込めさせるという大胆な発想には恐れ入った。ヒーローコミック排他の団体(?)のようなものか。終盤に監視カメラの映像を全て消去しようと試みるも、イライジャ=ミスター・ガラスが知恵比べに勝ったというストーリー。どこまでダウンロード件数が増えるかという、息子、母親、被害者の生き残りがわくわくしているラストシーンは驚愕とは言えない。何しろ、悪い奴VILLANもヒーローと一緒に扱ってるのが、自分の知能が低いせいか、わからないままだ。能力が覚醒すれば、ヒーローもヴィランも関係なく、彼らを政府(じゃないかもしれない謎の組織)が恐れているという漫画チックな考えでいいのでしょうか?マーベルもDCも能力を悪に利用するというハッキリした敵の存在があるのに、それとは真逆の発想なのか・・・難しいシャマランワールド。はっきりわかったのは18年間で骨折回数が40回増えたということか。
『アンブレイカブル』復習と『スプリット』を観てから追記します・・・
ヒーローが好きなら観るべき作品
marvel、dcが好きなら観ておくべき作品だと思う。
これは、正義vs悪ではなく悪vs闇なのだ。
X-MEN「ダークフェニックス」もあり、ジェームズ・マカヴォイさんの役の広がり具合が怖いくらいだ。
続編を期待したかったが、ヒーロー3人の死に方は後世に語り継がれると思う。
納得できないラスト
この映画を三部作の三作目として観ないと不明なことは多々あるようだ。「スプリット」しか観ていないので、あとは観ながらの推測になるが、筋を追うにしたがって、全体像は見えてきた。
人に触れるとその人の過去が見える、不死身の体を持つ男。二十人以上の多重人格”群れ”に支配された男。脆い肉体でありながら抜群の知能を持つ男。彼らと、そのほかにも似たような人間の規格を越えた異能をもつ人間を隔離して、それを解明しようとする組織。彼らは、アメコミに出てくるヒーローを、純粋な正義漢とみることをしない。
誰がヒーローで、誰が悪役なのか、既成観念をぶっ壊しにかかっているこの映画、最後の最後に、「え?その路線でまとめるの?」とびっくり。ラストの三人が手をつなぎ、行く末を嬉しそうに微笑んで未来に希望を持つ、でいいのか?たしかに、こっちはちょっと涙を誘われた。だけど、ちょっと待てよ?あいつをヒーローにしていいのか?って反動がすごい。
スコットランドの狂犬
マカボイの演技がすげ〜!ひたすらすげ〜!って感じ。
スプリットの時も感動したけどあんな瞬時に人格を入れ替える演技できるのほんとにすごい。
内容はそこそこ面白かったけど何か盛り上がりに欠けるな〜って印象。
ケイシーとケヴィンの再会はちょっとジワっときた。
レインコートの男とビーストとミスター・グラスが揃ったらそりゃやばいことが起こるだろ…って超期待したけど確かにやばかったけど…まぁ…みたいな。
精神科病棟の警備緩すぎるし。
あのニュースも合成とか言われちゃうんじゃないのかな。
でも同じキャストで三部作が完結したのはすごいな〜多分思い入れのある人とない人で評価分かれる映画だと思いました。
ボヘミアンなんとかよりよかった!
この精神科医こそ気狂いと感じるでしょう、ねぇねぇねぇと何度も思われされて、あー、そういうことだったの、という結末にうーーんとうなりました。
秘密結社は、スーパーマンやスパイダーマンやXマンのようなヒーローたちとはどう対峙するのでしょうか?
アンブレイカブルの子供が立派になって、親父を手伝っている姿がとてもよかったです。
イライジャはもしかしたら、アンブレイカブルの頃から秘密結社の存在に気がついていたのかもしれません。とすれば、悪ではないのかも。
などとかめばかむほど、なんとかよりも味わいのある作品でした。
シャマランがここにいる
シャマラン、これを作りたかったのね。シャマランも思わず台詞ありになる。永らくシャマランを追いかけてきてのミスターガラス。マイノリティーの存在を認めることに感動した。マカヴォイ先生の演技力が凄いのは知ってるけど、ファンとしては、そろそろ髪も伸ばして、マカヴォイの瞳の色にただただときめくような、つまらないイケメンのマカヴォイも見たい。
ヒーローのリアリズム
なんとなくアンブレイカブルの時の「コミックは現実の伝達手段」という設定にモヤモヤがあったものの、実際はあの組織が公になる前に潰してきただけなんだと思うとスッキリしたというか、妙にリアルに感じる。
実際ラストの衝撃は大きかったものの、ミスターガラスの目的は極論を言ってしまえばコミックの世界の実現であって、なんとなくハッピーエンドっぽい雰囲気で終わるがそれが結果世界にいい影響をもたらしたかは全くわからない(まぁミスターガラスもヴィランなので当然といえば当然か)。例の組織の言い分も理解できないわけではない。実際、コミックや映画の中でヒーローがより大きな悪の原因となる例は数知れない。バットマンという存在自体がゴッサムに狂ったヴィランたちを呼び込んだり、トニースターク(コミックではハンクピム)がウルトロンを作ってしまったりなどなど。そうでなくても、ヒーローがいるせいでヴィランはより大きな力を使わなければ目的を達成できないわけだから、それらが衝突すれば被害が甚大になるのは必然なのかもしれない。そう考えれば、組織の方針は実に合理的だと言えよう。「虚偽の上に成り立つ秩序」か、「真実を知るが故に生じる混沌」か、どちらが正しくあるべきなのかを考えさせられる。
しかしこれは映画という作り物である以上、あのような結末になったとしても我々はいくらか気楽な状態で夢や希望を感じることができた。アンブレイカブルで恐ろしかったのは、イライジャの犯したその手段に対してはあり得ないと感じながらも、現実にヒーローがいるのであればこの目で見てみたいという純粋な彼の気持ちに少しでも共感してしまったことだ。この映画は我々にそうした子供心を思い出させてくれ、近年のアメコミヒーロー映画とはひと味違ったリアルな夢を見させてくれた。
オチがイマイチ
物語の向かう方向を前半で劇的に示せていないので、カタルシスを感じづらい作品だ。
●誰の何の話かわからない。主役が誰で視点が何かがあるようでないようで…。
●超人としての力が地味。リアルに車をひっくり返したり壁を登る人間はいそうだ。だからそれが世に知らしめたからといって、だから?って印象にしかならない。そういう意味で何を目指した物語かがピンとこない。
●オチも地味だ。世界が劇的に変わるように思えない。あんな動画で再生回数がいくとも思えない。
●音楽とサスペンスフルな絵や演出は良かった。…だけに根幹がない内容にガッカリだ。
シャマランは当たり外れがある。
あれ?
シックスセンスの衝撃が忘れられず、その後もそこそこのどんでん返しで楽しませてくれたシャマラン作品。
しかも今回は、19年越しの2作のスピンオフというか続編。
ハプニングやヴィジットで復活した感があったので、タイミング的にも期待が高まったが、ちょっと肩透かしを食らったように感じた。
ひとつだけ興味深かったのは、手首にクローバーの刺青をした影の組織。
陰謀論など信じてはいないが、オカルトととして楽しんできた身としては、異能の人間を使って暗躍するのとは逆の仕事をしている逆説的な設定が、その辺の行政組織のイメージと重なって、シャマラン流の皮肉に感じられた。きっと監督自身がオタクとして異端視され続けてきた経験でもあったのかだろうか。そう考えると、登場人物へのひとかたならぬ愛着が感じられて、ドキドキよりもホッコリしてしまった。
ただ、監視カメラがらみのどんでん返しは、あれ?それだけ?と…。
きっとまた次もみるんだろうけれど、もう少し頑張れ!僕らのシャマラン!
あなたは、超人いる派?いない派?
『アンブレイカブル』『スプリット』、そして本作で三部作を形成。
女性4名の行方不明事件が発生している米国フィラデルフィア。
「アンブレイカブル(不死身の男)」デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)は、息子のジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)とともに女性たちの捜索を行っている。
ダンの能力は、他人に触れただけで相手のことが判るというもの。
ケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)とすれ違った際に、彼が女性たちを監禁していることを知り、救助に向かう・・・
というところから始まる物語で、救出劇では「ビースト」に変化したケヴィンとダンの対決が繰り広げられるが、ふたりは捕縛され、精神病の研究施設に収容されてしまう。
が、そこには異常に知能が発達した「ミスター・ガラス」ことイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されており、ステイプル博士(サラ・ポールソン)は彼ら3人はともに精神病に過ぎないと言う・・・と展開する。
いわゆるヒーロー、スーパーヒューマン(超人)がいるのかいないのか、そこんところが主題なわけだが、3人が3人ともコミックブックや映画で描かれるヒーローほどの能力(たとえば、全身緑に変身するとか、火の玉を飛ばすとか、自身で空を自由に飛べるとか)はないあたりが、この映画の核心。
デヴィッド・ダンもビーストに変化したケヴィンも、一般的な人間に比べて、頑健で怪力なぐらい(ま、ビーストは天井を這いまわれるけど)。
イライジャに至っては、骨形成不全で骨折しやすいが、それは病気であり、異常に知能が発達しているかどうかはよくわからない(なにしろ、収容されている施設の管理が杜撰にみえるし)。
そして、デヴィッドはカウンセリングの結果、自身の特殊能力を自ら疑うようになり、結果、能力が損なわれてしまう。
個人的には、ここいらあたりが非常に面白く、精神の力によって肉体も変化するという、肉体と精神の不分離=哲学的な命題を感じるし、壊れやすいミスター・ガラスに呼応するかのように、決して壊れないアンブレイカブル・マンがいて、世界ではバランスをとっているという妄想じみた考えも気に入っている。
そして、この世界規模のバランス、ただしそのバランスは常に不安定というのが、これまた哲学的。
で、結果、映画はどこへ落ち着くのか、どう決着するのかとハラハラしていたら・・・
出たぁ!シャマラン節。
超高層ビルでの死闘と思わせておいて、安いロケでの肉弾戦。
このチープな感覚、これがシャマラン節だぁ!
しかし、このシャマラン節のチープなロケそのものが最後の最後に伏線だということに驚かされる結末。
さて、これを観て、スーパーヒューマン(超人)がいるのかいないのか、あなたはいる派?いない派?と問われています。
ネタバレ 観る価値なし
がっかりでした、その一言に尽きます。
何故作ったのか分からない。
アンブレイカブルと言う名作を汚しただけ
幼稚な内容矛盾だらけ
水溜りで殺される?
バカなのか⁇
先の読みやすい展開ダサい演出全て最低。
せっかく名俳優を使っているのに無駄でしかなかったな
と
個人的には思いました。
これを見て衝撃のラスト〜
とか言ってる人が理解できない。
タイで見たので鑑賞料は激安でしたのでその点は救われました笑
流石でした
2時間越えで大丈夫かなと心配しましたが、
なんの問題もなく、満足感が高かったです。
アンブレイカブルとスピリットを観ていない方の為に
簡単すぎる3人のご紹介を。
にしてもやはりマカヴォイの演技力が。。。凄すぎ
ケヴィンが元の人格で、母親に虐待されていてそのケヴィンを守る為に沢山の人格が生まれた。
父親は幼少期の時に帰らぬ人となっていた。
ビーストの人格に汚れた女を与え続ける他の人格達。
そんな女を誘拐し、殺害するのを見つけて退治したいのがダン。
ダンは驚異の力持ち。力持ちというか、怪我や病気をしない不死身に近い身体の持ち主。また、人の体に触れるだけでその人が悪人だという事がイメージで見える。
その為その力を活かす。
そしてダンがヒーローだとは悟られないように、悪党退治を続けていた。
そんなダンをヒーローだと思い込ませ、力を活かすべきだと助言していたのが、ミスターガラス。
ガラスの身体はとても脆く、衝撃だけで簡単に骨が折れてしまう。幼少期からそんな身体であったが、ガラスはコミックの知識の豊富さと、手先の器用さ、また頭のキレ、回転が半端じゃなく先を見越し物事を進めて行く。
そんな3人があの女医により収容され集められた所からスタート。
そこから先は
なんやかんやありまして
ガラスは収容先のカルテBoxの中からケヴィンのカルテを見つけ、そこで、彼の父親が自分が起こした脱線事故によりケヴィンの父が帰らぬ人となったことを知る。
しかし、ここでガラスは自分が2人のスーパーヒーローを産んだのだと。自分がやはり凄い人物。存在意義を確信する。
そんな2人を世界中の人々に知らしめたい。(もしくは自分の存在意義を更に確信させたかったのか)だから2人を対決させようとする。
しかし、裏には別の計画があった。
女医がある組織の人間だと気付いていたんでしょう。
そのあとも、ガラスの計画通りだったわけです。
あらすじになっちゃいましたが、さすがシャラマンという感じでした。
私は好きです。この感じ!
9歳のヘドウィッグ(?あってる)がケヴィンの後に出てきて、ケイシーにケヴィンの事好きなの??って言ってる表情がツボりました
まあまあよかった
ビーストとアンブレイカブルが闘う必然性が全然ない。女の子を助けるために闘うのは分かるけど、その後なんで?と思った。お互いそんなに好戦的な感じもしなくて、なんとかわかり合って欲しかった。アンブレイカブルの息子が好感度が高くて、「スプリット」のヒロインともっといちゃいちゃして欲しかった。
アニャかわいいよ
超アップの多様とオチ、そして画面いっぱいのエンドロール。これスマホ観賞用に作ったかな?
中身は「スプリット2」マカヴォイの高座が延々と、、
2人のベテランがもはや老害化、役のキャラクターが全然入ってこない。
アメコミ映画全盛時代になって置いてきぼり食ったシャマラン、さぞ悔しかろ。反発心の地味バトル。
残念ながら眠気との闘いを強いられました。
マーベル映画はプロレス。シャマランのリアルヒーローは総合格闘技。
いまだに"「シックス・センス」の~"、という修飾が消えない M・ナイト・シャマラン監督。そのシャマラン監督がまさに20年前「シックス・センス」(1999)と同時期に制作した「アンブレイカブル」(2000)の完結編である。
「アンブレイカブル」はシャマランの描くアメコミヒーロー誕生のリアルドラマだったが、当時、作品評価はあまり高くなかった。そしてその信念は20年後まで貫かれることとなった。
当時、"アメコミヒーロー像"の意味合いは今とは大きく違っていた。スーパーマンやスパイダーマン、バットマンにしても、ヒーローは無敵な能力を持った正義の味方でいるだけでよかった。
それに対してシャマラン監督は、"もし本当に無敵な男がいたら・・・"という仮説をリアルに追求した。現実に、無敵の能力者がいたら怖いし、みずから正義を訴えたとしても、周りの人間は簡単に信じるだろうか? そんなリアリティが「アンブレイカブル」だったのである。
男は自分の能力に気づかず、やがてそれに覚醒していく。そして、そんな観客にはいまいち伝わらなかった。
しかし今や、MARVELやDCコミックスの実写映画が次々とシリーズ化され、そのヒーローたちは活躍するだけでなく、自分の能力と人々の違いに悩む。その能力ゆえに人間によって差別・抑圧されたり、人間や地球を救うことの意味合いに疑問を持つことなどが描かれている。
悩めるヒーロー像は、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」(2008)によってメジャー化された。つまりシャマランの「アンブレイカブル」(2000)は、あまりにも早すぎた。
最新作タイトルの"ミスター・ガラス"とは、「アンブレイカブル」に登場するサミュエル・L・ジャクソン演じる"イライジャ"のことである。また「アンブレイカブル」で登場する不死身のデヴィッドは、当時、人気も無敵だったブルース・ウィリスが演じた。
イライジャは骨形成不全症という先天性の難病を患い、些細なことでも骨折してしまうほどの脆弱な身体の持ち主。そして"ミスター・ガラス"とよばれた。イライジャは自らの脆弱性ゆえに、無敵のアメコミヒーローに憧れ、ホンモノの完全無欠ヒーローを求めて、デヴィッドを見つけ出した。
また、さらに今回の「ミスター・ガラス」にたどり着く前に、シャマランは「スプリット」(2017)で、もうひとりの無敵な能力者を創っている。
「スプリット」は24の人格を持つ、解離性同一性障害(いわゆる多重人格)の男・ケビンを主役にし、彼が引き起こす女子学生監禁犯罪を描いたスリラーである。女性や子供を含む、24もの人格を見事に演じきった、ジェームズ・マカボイが大絶賛された作品だ。
一見すると、単体で完結しているような「スプリット」だったが、そのエンディングで、デヴィッド役のブルース・ウィリスの出演シーンがある。つまり本作への前振りが行われているのだった。
不死身の肉体を持つデヴィッドと、デヴィッドを見いだしたイライジャ、そしてケビンの多重人格のひとつである"ビースト"が、激しく対立する。
そのとき、普通の人間たちはどう対処するか・・・もちろん"精神病院"対応である。3人を監禁して、精神科医のステイプルが、すべて彼らの妄想であることを証明しようとする。とても自然な判断である。
しかし、能力者が本当にいたら・・・という仮定を描くのが、この映画のリアリティなのだ。正義のヒーローがヴィラン(悪)に勝利して終わったりはしない。
3人の能力者が、ふつうの人間たちによって翻弄される。
本作品の思想はある意味で、「X-men」シリーズの先取りでもあった。むしろシャマランは意図的にそうしたのかもしれないが、24の人格を持つケビンを演じるジェームズ・マカボイは、「X-Men」シリーズでやはり能力者チャールズ(プロフェッサーX)を演じている。
また「アンブレイカブル」からはじまる3部作は、流行りのアメコミシリーズが展開するスピンオフ作品や、"正義 VS 悪"の構図を揶揄している。
本作がリアルなスリラーであることには間違いない。しかし面白いかといわれると、それは別の問題である。
アメコミ映画の魅力は、プロレス的な興行演出なのである。アメコミには、悩めるバットマンはいるものの、一方でカッコいいバットモービルで駆け抜ける派手なシーンに興奮するのである。ちょっと間抜けで勝てそうなヴィランとも戦う。そんな夢にフィギュアも集めたくなる。
「アンブレイカブル」の目指すものは違うと分かっていても、本作のエンディングで強烈な現実がさらに浮き彫りになる。いわゆるアメコミ映画が"プロレス"だとすると、本シリーズは"総合格闘技"なのである。
無敵なはずのヒーローの最後はあっけなく寂しい。そんな現実、ほんとは見たくない。
(2019/1/18/TOHOシネマズ日本橋/シネスコ/字幕:表示なし)
☆☆★★★ 映画のラストで。マーベル映画を始めとする、コミックヒー...
☆☆★★★
映画のラストで。マーベル映画を始めとする、コミックヒーロー映画に対するアンチテーゼを掲げるのには同意する。
但し…!
それは、しっかりとした作品を提示してこそ…と言えるんじゃないのか?
ファンならば堪らんのかもしれないが。観ている間中、自作に突き付けられた批判に対する言い訳を、延々としている 風 にしか感じられなかったのだが…。
そんなのは…いらん( *`ω´)
2019年1月19日 TOHOシネマズ六本木ヒルズ/スクリーン1
全56件中、21~40件目を表示