「この世に彼らの存在を信じる」ミスター・ガラス 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
この世に彼らの存在を信じる
遂に実現!
MNS(M・ナイト・シャマラン)ユニバース!
『アンブレイカブル』『スプリット』の“ヒーロー”と“ヴィラン”が集結!
実は密かに期待していて、本作を見る前に『アンブレイカブル』『スプリット』も久々に見返して、気分を高めていた。
『アンブレイカブル』で悲惨な列車事故をただ一人生き残り、“不死身のヒーロー”である事が分かったデヴィッド。
『スプリット』の24の人格を持つ多重人格者ケヴィン。最も凶暴な人格“ビースト”が現れ、世に放たれ…。
序盤はこの2人のキャラ紹介を簡単に済まし、いよいよ相見える。
さすがに今話題のヒーロー集結映画ほどではないが、別の映画の主人公同士が顔を合わすのはワクワク。
でもこの対峙シーン、ちょっと意外でもあった。
何故なら、『アンブレイカブル』はじっくりタイプのサスペンス・ドラマ、『スプリット』はスリラーなのに対し、本作はいきなりガチ対決。
え? 本作はこんな感じ…?
このままB級チックなのかと思ったら、そこはシャマラン、ちゃんと展開を用意してあった。
突然警察に拘束され、ある研究施設に入れられる…。
その施設で待ち受けていたのは、精神科医の女医。
2人は研究対象。
女医は超常現象を真っ向から否定し、コミックのような存在はこの世になど存在せず、単なる妄想や精神疾患で、それを証明するという。
この研究にはもう一人、驚愕の人物が。
かつてヒーローを探す為多くの許されない罪を犯した“ヴィラン”。デヴィッドと因縁あり、その呼び名の通りの体質者の“ミスター・ガラス”ことイライジャ。
が、イライジャは今、廃人同然…。
3人のヒーロー&ヴィランと女医の、“禁断の研究”が始まる…。
もし、この世に本当にスーパーヒーローが存在したら…?
憧れの存在か。
それとも、脅威の対象か。
ひょっとしたら、後者の意見の方が多いかもしれない。
ヒーローに憧れるのはコミックや映画の中の世界だけ。現実世界では人間というものは、自分たちと違う異質な存在に対して怪訝になる。
こういう研究も行われるかもしれない。
超常現象を超絶否定する某大学教授のように、「そんな存在や現象は100%無い」「全て科学で証明出来る」と…。
3人のこれまでの超常的な現象を、幼い頃のトラウマや何かのきっかけであると、科学的な裏付けをしていく女医。
思い当たる節や一理もあり、丸め込まれていく3人。
心理的に迫った、ヒーロー否定映画…?
…いやいや、シャマランはまたしても展開を用意していた。
変化球的なヒーロー映画を。
ずっと気になるのは、イライジャ。
本作のタイトルは、“ガラス”。つまり、彼の事だ。
『バットマン』ならジョーカー、『アベンジャーズ』ならサノスのように、ヴィランの名を冠している。
なのに、彼は動かない。言葉も発しない。
彼の存在がキーではないのか…?
ヒーロー映画に於いて、ヒーローを最も苦しめるのは、知的ヴィラン。
そう、彼は待っているのだ。その時を。
そして遂に、その時がやって来た…。
ヒーロー映画にヴィランが2人。しかも、知能ヴィランと体力ヴィラン。
手を結ぶのは必然。
知能ヴィランの陰謀。
全ては彼の思うツボで、彼の掌の上で踊らされていた。
その時、ヒーローは…。
異色の描かれ方ながら、ちゃんとヒーロー映画のあるあるを踏襲。
周りの人物をも巻き込み始まる、ヒーローvsヴィラン。
しかし、単なる勧善懲悪にはならず、思いもがけないオチへ。
女医とある組織の暗躍…かと思いきや、知能ヴィランの本当の目的。
それは、捨て身でもあった。
彼もただの憎々しいヴィランではなく、周りを翻弄させ、見る側にも揺さぶりをかける。
そういうヴィランの存在もヒーロー映画あるある。
確かに本作のタイトルは、“ガラス”で正しい。
ブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソンのシャマラン映画復帰が懐かしく、嬉しい。
24の人格を持つという設定ながら、『スプリット』ではちょいと肩透かし…。しかし本作ではその他の人格も見せ、ジェームズ・マカヴォイの巧演はやはり見事。
このメインの3人だけではなく、周りの面々も個人的には堪らない。
特に『アンブレイカブル』から、イライジャの母親と大きくなったデヴィッドの息子スペンサー・トリート・クラークの再登場は本当に嬉しい。続き物はこうでなきゃ!
また、『スプリット』で華を添えてくれたキュートで魅力的だったアニヤ・テイラー=ジョイも。
この3人もそれなりの役割や出番を果たす。
チャレンジ的で意欲的。
その一方、大袈裟でハッタリ/こけおどし的。
意味深で突飛過ぎて先読み不可能、一応どんでん返しのオチも用意。
唯一無二のシャマラン・ワールドは本作でも健在。
と同時に本作で描かれるのは、シャマランなりの“ヒーローとは?”。
一筋縄ではいかず、人によっては分かり難く消化不良に感じるかもしれない。
でも別の見方では、シャマランもまた純粋にヒーローに憧れ、彼らを信じる少年。寧ろ自分は、そう感じた。
確かにコミックや映画のようなスーパーヒーローは非現実的な存在かもしれない。
でも、あくまで色んな意味で、“特別な”存在は居る。それを否定してはならない。
意外にもポジティブな訴え。
これまた意表突き、これまた色んな意味でシャマランらしいシャマラン映画であった。