風をつかまえた少年のレビュー・感想・評価
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実話だから…
テンポがあまり良くない。14歳で自転車と廃品で風車を作って発電化し、地下水を汲み上げ、一年中水を絶やさないよう発明した実話物語。発明する様は詳しく描かれず、どちらかというと、マラウイの貧しさ、政治的混迷を描いている。周囲はタバコ業者に土地を売って金を得、村を出ていく選択をする中、父親は居座り続ける。環境の変化によって、農作物は収穫できなくなる中、飢饉となる。やがて娘も出ていってしまう。息子の学費も未納となり、退学となるが、隠れて図書室で勉強するようになる。それがやがて発明の原点となったが、風車の元となる、自転車を父親は断固として譲らない。父親は学がない。妻のあんたのせいでみんな失うは強烈な一言だった。目が覚めたろう。父親が家族を守るのは当り前、しかし何をして良いのかわからないが本音だと思う。けれど、あのまま行ったらみんな餓死だったし、考えを変えさせた母親こそ素晴らしい。
「朝がいい。朝ご飯が好きだから」
2001年になっても、雨乞いをして、干ばつをしのげると
信じているような村で、「学ぶこと」によって、風力発電に
成功した少年と、その家族の物語
風力発電そのものについての試行錯誤がメインの話と思いきや、
この、マラウイという国の、食べるものにもことかく貧困の実態と、
学ぶことの困難さや、昔ながらの風習に固執する頑なさにより、
貧しさからなかなか抜け出せない人々のドラマが主な話でした
原作を読んだという夫の話では、軽めのノリだったそうですが
この映画は、重いトーンで話が進みます
貧しい暮らしぶりのドラマを観るのは初めてではないので
衝撃を受けるほどではない・・・しかし、監督兼主人公の少年の
父親役のキウェテル・イジョフォーをはじめとして、それぞれの
俳優たちの名演により、説得力のある内容になっていたと思います
印象的だった場面
干ばつで、一日の食事が一回、になった時、
「食事はいつにする?」と聞く父親に
「晩ご飯。お腹がすいてると眠れないから」と答える娘
「朝がいい。朝ご飯が好きだから」と答える主人公ウィリアム
う~ん・・・(家族を食べさせていかなければ)という親の立場で
ないから出てくる言葉
しかし、ポジティブだなぁ。というか、そうならざるをえないか・・・
だからこそ、この村の人々にとっては夢物語の様な発想を
現実のものにしようと思えたのだろうし
絶対に、子供たちを飢えさせないと誓う母親
「食べるものがなくなったら、自分の腕を切り落してでも食べさせる」
静かな気迫がこもっていました
風力発電で、干ばつをしのげるかもしれない、それを現実的な
規模のものにするには、父親が使っている自転車が必要だ、
分解するから返すことはできない、と言うウィリアムに、
食べ物を手に入れる為に必要な自転車が無くなる?
父親の耳には、夢物語のように聞こえる風力発電
自分の食べる食事すら我慢して、飢え死にしそうな未来が
待っているというのにこいつは何寝言言ってんだ・・・という
思い故が、キレる父親の頑固さが、この国の貧しさの根底にあるようで
やりきれないような切ないような気持ちになりました
細かい所では突っ込みどころがなくはないですが
多分、映画として、実在の人物をモデルにする上で
妥協せざるを得なかった部分もあるのでしょう
実際は、描くに描けない話もあったのでは・・・と思います
ラストの場面
父親が、息子ウィリアムに言った言葉
「学校へ、行きなさい」
は、胸に迫るものがありました
学ぶことにより、貧困から脱する事が出来たという実感が
その言葉にこもっていて・・・
特に人に強くお薦めしたいって程ではないけど
いい作品だと思いました
食べることは生きること
少年が試行錯誤して風力発電機をつくる話かと思っていたが、話の焦点は農業の不安定さからくる貧しさで生きる困難さだった。
残酷なシーンがあるわけでないので、
苦しさを伝えることが目的でなく、
苦しい中でも愛情深い両親や懸命に夢を実現しようとする少年の勇気を伝わってきた。
実話が元になっているということで、
理想的な家族愛ばかりでもなく、父親は差し迫る飢えにより、活気的な発想を切り捨て勉強は無駄だと言い放ったりして、心が痛むシーンもあった。
印象的だったのは、政府が小麦を売りにきた際、買えなかった人々が倉庫を取り囲み中から出れなくなってしまったとき。
本当にこわいのは人間だなとゾンビと比べて思った。
食べることは生きること、当たり前だけど便利な生活の中で必死に食べ物を求めることもないため、忘れてしまう。
月並みだが、この恵まれた環境を無駄にしたくないと思うし、こういった境遇の学びが脅かされている子供たちのことも忘れてはいけないと思った。
向学心と努力
農耕の歴史は自然災害との闘いの歴史でもある、飢饉にまつわる悲劇は日本史でも幾度も語られてきた・・。貧困の救済は資金や物資だけでは一過性である、教育、技術習得こそが産業の礎となり自律的且つ持続的発展に繋がるのだろう。
映画は主人公のウィリアム・カムクワンバ14歳の頃を描いた自伝に基づいた実話のようだ。
物語の大半が苦しい飢餓生活の描写だから気が滅入る、母が「食べるものが無くなったら私の腕を食べさせても子供は守る・・」というセリフがあったが口減らしの悲劇を本当に描いたらこんなものでは済まされなかったろう、脚色に助けられた気もする・・。
それでもマラウイは他のアフリカ諸国のような内戦が無かっただけましかもしれない・・。
驚くのは19世紀でなく21世紀初頭のアフリカという点だ、未だに村には電気も無く人力で荒れ地を耕し糧といえばトウモロコシに頼る生活は飽食の時代と言われて久しい日本では俄かに信じがたいアフリカの実情だろう。
技術的な話の深堀りは一般受けが悪いと思ったのでしょう、話は自転車を巡って父親との対立と理解の成り行きに焦点がおかれていました、やはり賢母の存在は大きいですね。
この物語のミソはオランダのような風車による灌漑ではなく廃車置き場の電気部品から風力発電にたどり着いたところでしょう、廃車があるなら車のオルタネーターを使った方が充電にはフィットしますが風車が大きくなりますね、知識も無かったのでしょう。ランプを点けるだけなら自転車の交流のダイナモでも良いがバッテリーを充電するとなると倍電圧整流など電気回路の知識が不可欠、その辺は図書室で独学とされている、義理の兄さんは理科教師ならもう少し力になってくれても良いのにと口惜しいですが映画は事実なのでしょうか、いずれにしてもウィリアムは凄い向学心を持った少年であることはまぎれないでしょう。
エンドロールのその後の紹介では努力が報われたようで何よりです。現地には日本大使館もあるようですから支援は行われているのでしょう、風力発電のノウハウをもつ清水建設さんなど日本にもできることは有りそうですね。
清く正しい物語
貧しい国。電気が届かない村。干ばつ、飢饉。考えるのは次の選挙のことだけで、有権者の批判には暴力で答える政治家。形だけの民主主義。
日本で暮らす我々には想像しにくいそうした環境で、学費を払えずに学校を退学になった少年が、本を読んで学び、独学で風力発電設備を作り上げた。
そしてその電気でポンプを動かし、井戸水を畑に流す。これで飢饉を恐れる必要はない。清く正しい物語。
アフリカの大地に沈む夕日が美しく記憶に残った。
アフリカの夕日とサハラ砂漠の赤い砂はいつか本物を見てみたいんだよな。
もっとタイトルに現実感を
どこにでも居るアフリカの少年。
マラウイと言う最貧国に住む一家。
たんたんと映画が進み単調・・・と思いきや!
少年らしい明るさと反対に住む世界がどんどん悲惨に・・・もう観ていて辛かった。
でも少年は負けなかった悲惨な世界にも大人にも。
スクリーン観ながら声を出して応援したくなった。
ワンコのシーンは観てね。
主役の少年はケニアの洗練された子でどことなく良いトコの子って感じがあった。
不覚にも何回か泣いてしまった(T_T)
日本の台風を分けてあげたい。
風車を作って水を引き、干ばつの被害をなくそうという試みを14歳の少年の発案で行ったという実話がもとになった映画。ただ、その科学的知識とか風力発電器製作の経緯といったシーン以外にも、アフリカの中でも貧しい国の現状を訴えてくるのです。そしてラジオが主な通信機器(しかも電池で)であり、少年たちは9.11テロのニュースよりもサッカー中継にしか興味がないという微笑ましい光景。そして、葬式で始まり、葬式で終わるという構成も面白い。
人口1500万人の国マラウイ。名前しか知らなかったのでwikiでさっと調べてみましたが、映画でわかるように教育には力を入れているようです。識字率が60%超えというのもその証左。学校では公用語の英語を使っていたのも興味深いところでした。しかし、授業料を払えなかったら退学ってのは痛いですよ・・・収穫が終わったら払うと言ってんのに・・・
そんな農業国、災害の多い国、教育熱心なのはわかるのですが、大統領が村を訪問したときに政治の愚かさも目に付きます。干ばつで農作物が獲れないし、飢饉のため食糧難だって訴えようにも、大統領は次の選挙のことしか考えていない。言論の自由と民主主義を演説し、大統領に文句を言った族長がフルボッコにされるシーンも痛々しくて、上の奴らのえげつなさが見え隠れする。まるで西日本大豪雨の際に宴会をやっていたり、千葉が台風で甚大な被害を受けている際に組閣にしか頭が回らなかったりと、どこかの国の閣僚と同じだと感じてしまいましたよ。トホホ・・・。
思いっきり泣いてしまったのは犬カンバの死だったし、新しく子犬を飼ってるところでまた涙。とにかく、長い目で見ても教育優先!インフラ整備!次の選挙のことなんか考えるな!ですね。
少年と犬
他の方たちが書いているように、風力発電機を作り始めるまでは確かに長かったが、そこに至る経緯は知る必要があったかと。
何せ観てるのは電池がなくなればコンビニでいつでも買える世界の私達なのだから。
暮らしや文化や家族の強い絆、それらを知らなければ、お!畑に水が〜良かったね〜で終わってしまう。
少年が制服を着たシーン、学校へ行けるのは限られた子達だけ。それだけに家族の喜びも大きいのだと感じた。
しかし、なかなかインパクトのある制服の色だけど、手足の長い彼らに似合うんだよね、これが。
いつも一緒にいた犬が可愛くて可愛くて。
貧しいのに、自分の食い扶持を分けてあげたり。
なので亡くなったシーンは辛かった。
しかしつくづく私達は物にあふれた暮らしをしていることを強く思い知らされた。
あの学校の図書室を見て愕然としてしまった。
でも、今はライフラインより通信網の方が先に整備されたのでは?田舎でもみんなスマホ持ってるらしいと聞くが。この国はどうなんだろう、とふと思った。
目に見えない風と希望をつかまえる
アフリカのマラウイのこと。
ウィリアム(マクスウェル・シンバ)は父トライウェル(キウェテル・イジョフォー)の甲斐あって学校に通うことができるようになった。
アフリカでも最貧国のひとつであるマラウィでは、学校に通うことなどなかなかできることではない。
けれども、通い始めた矢先、大雨による洪水、その直後に大旱魃に襲われ、頼みの綱の作物の収穫はできなくなってしまう。
ときは、2001年。
米国では同時多発テロが発生し、マラウィでは民主化されたといえでも政治は一部権力者の手に握られており、寒村には援助の手が差し伸べられることはなかった・・・
というところから始まる物語(というか、書いたあたりでは、もう中盤過ぎ)。
アカデミー賞ノミネート俳優のキウェテル・イジョフォーの初監督作品であるが、彼の出身は英国ロンドン。
両親もナイジェリア出身なので、マラウイとの直接的な関係はないが、やはり、アフリカンの血が騒いだのか、それともヒューマニズム的動機からなのか、そこいらあたりはわからない。
けれども、初監督(驚くべきことに脚本も兼ねている)作品にしては、社会派実録エンタテインメントとしてガッチリとつくらている。
途中、ウィリアムの姉が大学進学の権利を得たものの活かすことができず、生家のある村で暮らし続けなければならず、また、ウィリアムを教える理科の教師と恋仲になり、挙句、口減らしと自ら言って出奔してしまうエピソードや、理性的であった父トライウェルが旱魃を機に、政治活動に走ったり、または逆に頑迷な農夫生活に戻ったりというエピソードも出るのだが、描写がエンタテインメント寄りになっているのは惜しい。
ただし、この手の社会派実録には少しばかりのエンタテインメント性がないと商売にならないのはわからなくもない。
最終的には、タイトルにあるとおりにウィリアムは「風をつかまえ」て、村を旱魃から救うわけだが、風も希望も目に見えないものである。
そこいらあたりを踏まえると、クライマックスの風車と水の描写は、定石といえども巧みで、やはり感動してしまいましたね。
映画は、イギリスとマラウイの合作です。
けたたましいシャッター音から国の情勢を知る
題名で既に結果が判ってしまう作品である。よった、重要なのは、その結果に至る道程、話の流れが、大きなポイントになる。邦題の「風をつかまえた」という言葉もいまひとつ。個人として「風を味方にした」も今一つだが。「ウィリアムの生き様」は、エンドロール直前で明かされる。勉学に勤しむ空間も与えられずに、蔵書のほとんど少ない貧相な図書館で、大学まで行くことが出来たのは、凄いことではある。アフリカ大陸の中の一つの国の現実にある社会情勢を知り得たことは、私には考えさせられた。政府があまりにも秩序がなく基盤が弱く信用の置けないものと捉えており、食糧の途絶えた穀物用の備蓄倉庫に隠れ果せた主人公が聞く、けたたましいシャッター音に耐える場面は、国の情勢が良くわかる場面であった。母国で勉学に一心に取り組んだ彼の努力というのは、どれほど立派であったか、作品から彼が厳しい環境下に置かれていたのは十分に伝わった。母国においてどれくらいの知識を得たのだろうか。入学した学校の担任が「理科??」担当であったことも幸いであったし、彼のその後の人生に少なからず影響していたのであろうか。作品の展開は、至って容易であった。しかし、彼が(ジャーナリストの池上彰氏の言う)物理の「ファラデーの法則」をどのように知り得たのか。応用できたのかが、描かれていないのは、作品としてマイナスである。姉の「駆け落ち」後の展開が、早すぎ。ラジカセが直せたからと言って風車を利用して「風力」を着想できるだろうか。「旱魃」の季節の穀物の栽培が一段階解決出来たとはいえ、「雨季」の季節は、どのように逃れたのか。と、ツッコミを感じた入れたくなるが、後進国における人間でも「創造」というものは出来るという。監督の訴えは、ガンガン伝わっていると思う。観せて頂いて感謝と言える作品。個人的には、愛犬ガンボ(名前失念)の飢えによる死は、とっって~も悲しい。もう少し早くウィリアムの父が自転車を息子に譲ってやれば。でも、あの国での移動手段は、徒歩か自転車しかない。非常に残念である。時代の進歩は、つねに遅い。世界を感動で包んだかどうかはしらんが、色々と考えさせられる作品である。
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