「誰でも「なれる」怖さ」ちいさな独裁者 ヨロレイヒさんの映画レビュー(感想・評価)
誰でも「なれる」怖さ
1945年、ドイツ軍脱走兵ヘロルトは、命からがら逃げる中で偶然にも大尉の制服を手に入れる。初めは同じ脱走兵を、民家に着けば民間人を、「自分は大尉である」と毅然とした態度で欺いていく。罪を犯した脱走兵達の収容で食い扶持がなくなりつつある屯所ではその脱走兵達を殺すことにもっともらしい理由をつける。幾度も正体がバレそうになりながら、偽りの権力は増長を続け……
ヘロルトの正体がバレる?バレない?というサスペンス。本来脱走兵のヘロルトが「脱走兵は軍規に違反する売国奴だ!」と追及するお前が言うななシニカルコメディ。そして笑えない大量虐殺。
事実は小説より奇なりを地で行く話。
そんなの簡単にバレそうなのにバレない。怪しいと思っても借り物の権力に付いていく兵士もいる。創作ならご都合主義だなーと呆れますが、この映画は不自然じゃない。なぜなら実話を基にしているから。
戦乱の弱った人々が毅然とした態度と口先だけの男に扇動されていく様子はどうしてもヒトラーとナチスに被ります。
直接グロはありませんが、人が人を容赦なく殺すシーンはたくさんあります。戦争映画でならそういうのもあるだろうと見るのですが、この映画の場合敵国ではなくドイツ兵がドイツ兵やドイツ民を殺すので後味の悪さがすごいです。
この映画で人が殺されるシーンはほぼ遠巻きに眺めるようなロングショット。派手な殺戮による恐怖を目的には撮られていません。
アップが多用されるのはヘロルトの表情変化。
身分証を求められた時の焦りつつも大尉らしさを失うまいとしている所や、「どこかで見た」と言われてややぎこちなくなる所。
「完全に怪しい」じゃなく「違和感がある」くらいの挙動になっているので、視聴者側も「もしやバレた?まだいけるのか?」というスリルをヘロルト視点で味わってしまいます。
バレたら殺される。バレなければ好き放題できる。ヘロルトの立場に立ったら自分はどうするでしょうか。
自分のために権力に従うふりをする奴、権力者に心酔したように媚を売る奴、やり方がおかしいと思いながら別の権力に従うしかない奴、やり方がおかしいと訴えて殺されてしまう奴…ヘロルトが増長していく点だけでなく、周囲の人間のさまざまな考えもかいま見える所が面白いと思いました。
また、これなら騙されてしまうかもという堂々演技するヘロルトを描く一方、大量虐殺シーンで銃声に合わせて叫ぶ所や、ラストの字幕で保身の嘘をつきまくったことを描写することで、やはりヘロルト自身は卑怯な虎の威を借る狐であり、裁判などでの模範軍人的言葉は虚構であったと示しています。
間違っても「ヘロルトけっこうカッコいい奴じゃん」とならない演出をしっかりしている辺りに作り手のバランス感覚の良さを感じました。
スタッフロールでの、現代の街でへロルトら即決裁判所連中が横暴をふるう様子は「帰ってきたヒトラー」に通じるものを感じました。
この映画が怖いのは、「権力への盲従による愚行」がまた今も繰り返されそう、若しくはすでに今も形を変えて繰り返されているからです。