蜜蜂と遠雷のレビュー・感想・評価
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理解しようと思わなければ、美しい映画
原作未読です。そして私は、普段RockとPopsしか聞きません。
なので、評価と言うより、あくまでも個人の感想です。
高評価を付けてわかったフリをしたいのですが、無理です。
この映画は、クラシックの素養があるかどうかも含めて、観る人によって評価が全然違うでしょう。
宣伝では、国際ピアノコンクールに臨む4人の天才たちの才能のぶつかり合い、という構図ですが、実際は、ごくまっとうな感性の持ち主の明石(松坂桃李さん)vs天才肌の3人という印象です。
この3人のうち、マサル(森崎ウィンさん)には共感できます。ジュリアードの学生で、明確なプランを持ち、言葉の端々や、たぶん昔亜夜(松岡茉優さん)の母親にもらったお手製のボトルカバーを今も持っているといった事で、人間性がわかるからです。
しかし亜夜については、回想シーンしか無く、現在の生活や環境、なぜ7年たって復活したのかを一切描いていないので、まるで過去に囚われた亡霊のようです。
塵くん(鈴鹿央士さん)については謎すぎて、妖精ですか?という感じ。
「彼をgiftとするか災厄とするかは我々次第」(だったかな)という回りのセリフもピンと来ないです。
謎と言えば、タイトルに「蜜蜂」とあるのもよく解りません。
映像はとても美しく、音がほとばしって、世界が広がって行き、この人達は音楽と一体化しているんだなと感じますが、こちらはついて行けないので、
この旋律で黒馬のイメージなのかぁ、とか、超絶テクニックだね、位しか思えなくて、ほんとすみません。
ただ、『月の光』から『月光』の連弾シーンは美しいです。
クラシック好きの連れによると、2曲のつなぎは素晴らしいそうです。
連れは、とてもいい映画で面白かったと言っていますので、3.5にしてもいいのですが、宣伝チラシの、「映像化不可能と言われた原作に挑み、勝つために」という文句が気に入らないので、やはり3です。
あと、本筋には関係ないのですが、
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」(雨雪を取ってきてください)
は、宮沢賢治の有名な詩の一節だそうで、私は不勉強で知らなかったのですが、説明を聞くと、とても悲しく、美しい言葉です。イントネーションも違っていたみたいだし、これを、魔法の呪文みたいに面白がって言うシーンをわざわざ入れたのは、東北弁をからかっているように感じました。
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11月17日追記
ひとつ、疑問があります。それは、田久保さん。
私はクラシックのことはわかりませんが、音楽コンテストには出たことがあります。
ああいうのは、音楽祭などとは違い、事前の音合わせはやるとしても、通しのリハーサルはやりませんから、タイムテーブルは作らないです。進行表にも、休憩○時○分頃、終了○時予定としか書いてないです。
欠席者がいれば早まり、アクシデントがあれば遅れます。スタッフが気にするのは時間ではなく、順番です。だから、「栄伝さん、時間です」は、あり得ないような。
音を鳴らしていた人たちへ
子供の頃は苦しくも楽しく弾いていたのに…
という人にはクリティカルだと思います。
ラストは、自分が何に対して感動しているのか、よくわからなくなってしまいました。
主人公たちの成長をはもちろんですが、脇役の人たちがストーリーにアクセントをつけています。
田久保さん(平田満さん)の心の動きにも揺さぶられました。
あと、ツンデレだ! この人間違いなくツンデレだ! とか。
中盤、ピアノの反射シーンの演出は、うわぁ、そう来たのか… と思わされました。
(いい意味です)
個人的に、今年の青春映画の中では最上位に来ました。
拍手に違和感
とても楽しみにしていた作品でしたが、ハズレ評価組です。
原作の「要約」を間違った印象です。
大事な言葉やシーン、人物の選択が私が思うところとは違いました。
四人のコンテスタントが徐々に心を通わせ、互いに触発される青春群像劇は描かれてはいました。しかし、周りの人たちの台詞で描くなどの間接表現も多く、ストレートに観る側の心に落ちない感じでした。
付加された人物も?
片桐はいりさんも、嫌味にならない素晴らしい演技をされていましたが、笑わせるところなのだろうな、とは思いつつ笑いはおきないし必要を感じないシーンでした。
最大の違和感は「拍手」でした。
二次予選、4つの「春と修羅」の演奏後の拍手が、まず、タイミングが違います。いい演奏を聴いた後は、客席は一度息を飲みそれから拍手がきます。しかも拍手に感情がのります。
最後のプロコのコンチェルト後の拍手は効果音とおぼしき無感情なものでした。
出演者へのインタビューで、1000人のエキストラの前で収録・・・だったそうですが、エキストラへの拍手の演出はなかったのでしょうか。
「のだめ」や「ボヘミアンラプソディ」でも、観客の拍手や歓声のシーンはかなり本格的にセッティングして収録しています。感動が「転移する」重要な役割を果たすだけに、残念でした。
演奏、演技はとても良いものなのに、感動に昇華できなかったなぁ、と私は感じました。
栄伝亜夜を演じられる女優はいるのか
栄伝亜夜役は松岡茉優なんだけど、松岡茉優がやっても、ちょっと役に届かない感じがするんだよね。
ピアノコンクールが中心の作品で、僕は演奏の違いはそこまで解らないから、登場人物達の反応で、どういう変化が起きたか知るしかないの。
鹿賀丈史や斉藤由貴はその辺うまい。
ちょっとした仕草で全てを解らせる演技って、熟練しないと難しいよね。松岡茉優の年齢にそれを求めるのは難しいと思うの。それで、ちょっと届いてなかった気がしたな。
ストーリーは面白いけど、大事な部分は、予告編通りね。各シーンがいいから楽しめるけど、だからこそ、突き抜ける演技があったら良かったな。
そして、これ書いてて思ったけど、芳根京子なら栄伝亜夜やれるかもね。
原作は三回読んでいます
原作は三回通して読んでいます。一部だけを含めれば10回以上は手にとっています。
そして映画化されると聞いた時、カザマ ジンを誰が演じるのか?それがずべてだと思っていました。
そして、映画の中には、確かにジン カザマがいて、それだけでも物凄いものを見た気はいたしました。
原作における圧倒的な主人公はジン カザマです。
かれの物語は長い原作でも実は僅かです。しかし、だからこそなのでしょうか、原作者は彼が登場する場面において圧倒的なタッチでジン カザマを描いていきます。
この物語は、ジン カザマが初めてのコンクール出場において、最初から最後まで、極端に言えば、全く成長を見せない物語です。
なぜなら彼はギフトであり、ホフマン先生のたった一人の弟子であり、最初から完全なピアニストとして描かれているからです。
さて、映画。
松岡さんは頑張っていました。
この映画の主人公は彼女であり、彼女の再生の物語でした。
映画の初期での当惑は、困りました。なぜ、ストーリーを変えたのか?
全く理解出来ませんでした。
そして、理解出来ない理由が脚本やら大人の事情にあるのだなと気付いて、この映画は、題名や出演する人たち以外は、原作とは全く違う世界のものだと、覚悟を決めて見始めたとき、始めて、この映画のすばらしさに気づきました。
いい映画でした。
ただ、きっと多分、音楽に興味がない方にとっては、微妙かもしれません。
実際、僕の両隣の方達は途中で飽きてしまったようで、ガタガタと落ち着きもなく僕としては困りました(あそこまで酷いのは初めてでした)。
松岡さんのファンだとか、そんな気で見にはいかない方がいいかと。
それから、ピアノのチューニングが素晴らしかった。
前半、ヤマハが始めて弾かれる時だけ、僅かに狂っていて、ヤマハ可愛そう(実際の演奏はどのピアノかわかりませんが)でした。
しかし、後半のすべてのピアノの透明感あるチューニングは見事でした。
全く揺れを感じさせない音に浸るのも気持ちが良かったです。
演技されていた方々もよく頑張って見せたと思います。しかしそこは指の動きを見るよりもクリアな音に身を任せた方がいいかと。
それにしても、カザマジンだけを追っていけば、よりクオリティーの高い映画が生まれた可能性もあり残念です。
彼を演じた方の凄さ。言葉になりません。
でも、原作にあるカザマ君に寄り添う調律師の方の話があったらと思うと残念です。
長くなりました。
クリアな音に身を任す上質な時間を過ごされたい方は、絶対映画館に足を運ばれた方がよろしいかと思います。
立ち上がって拍手したくなる
蜜蜂と遠雷、この作品は予告だけでビビっときて必ずみなきゃ!と思って意気込んで足を運びました。
本当に素晴らしかったです。4人のピアニストが魂を捧げている演奏は勿論、映像美にも思わず息を呑みました。薄青く霜のかかったような世界が栄伝亜夜を包んでいて、スムーズなカメラワークも好みでした。2時間だけでは急ぎ足になる箇所もありましたが、言葉にせずともひしひしと伝わる登場人物の思いがあり、役者さんも素晴らしかったです。
春と修羅はそれぞれの曲へのアプローチの仕方が「うわ〜〜!わかるわかる!」と解釈一致しすぎていてにやけてしまいました。明石さんの演奏が大好きです。
松岡さんが演じる栄伝亜夜が震え声で「わたしは……」と言ってから泣く場面でぐわーっと苦しくなりました。最初から最後まで洗練された音で溢れています。映画が終わった後は周りの音や声にしばらく耳をすませていました。
役者さんは誰も悪くない。しかし惜しい。
まずは、良いところから。
新人の鈴鹿くんが凄いぞ。これが演技なのか?
自分の素の姿なのかわからない。
特にインタビューシーンは、急にドキュメンタリーになっなのか?と思うほどだ。とりあえずビックリだ!
松岡は、そこそこのレベルの演技、悪いわけじゃない。
だけど、こんなんじゃオレは認めない。もっと凄いはず。
松坂はそこそこ。森崎だって自然で上手いし。
音楽だって、素晴らしいし、映像もいい。
だけど、全体的には感動が薄い。
なんでだか、考えたけど、やっぱり脚本だと思う。
この時間で、4人の物語すべて平等に描いて、
すべての人間に共感するってのが、多分無理なんだろう。
長いテレビシリーズなら、もっと掘り下げた人間描写が
可能で、それぞれの感動も深まったはずだ。
もし、映画にするなら、映画が答え言ってるよ。
4人の起爆剤となる人間にフォーカス当てないと。
いくら松岡頑張っても、母の死のトラウトからの脱却だから、静かで、重いテーマになる。
この映画では成功してない感じ。
風間こと、鈴鹿に絞ってもっとなぜ、養蜂家の出身で、
有名ピアニストからの推薦状もらう事になったのか?
具体的なエピソードもっとないと、
素人には、わからない。
音楽に詳しい人には、あの演奏が、それほどレベルの違うものだとすぐわかるのか?
風間の天才ぶりを描く映画で、それに触発される
ピアニストを描くものにすればよかったかも。
そのへんが、惜しいところなのかな?
多分原作の小説なら、ひとりひとりに感情移入出来るし、
感動も深まるのかな?と思うんだけど。
どうしても、のだめと比べてしまう。
あっちの方が面白くて、音楽の素晴らしさ伝えるのに
成功している気がしてしまう。
音楽には特別な力がある
ピアノコンクールを舞台にした物語。天才少女と呼ばれた過去を持つ栄伝亜夜を筆頭に、さまざまな背景を持つ4人のピアニストたちが奏でるストーリー。ここに辿り着くまでの道はそれぞれ。この舞台に来た理由やピアノをやるモチベーションも様々だけれど、ピアノという共通点がきっかけに集まり、お互いにとって良い協和音となっている。ピアノが好きという強い想いは、忘れていた心を呼び覚ましてくれる。クラシックが詳しいわけではないけれど、音楽に背中を押してもらえた気がする。
素敵な笑顔
松岡さんが演じた亜夜、ピアノ好きな仲間と触れ合う時に見せる笑顔が素敵なんですよね。
森崎さんのマサルが、緊張感が緩んだ時に見せる笑顔も素敵なんですよね。
鈴鹿さんの塵が見せる、好きなものに対しての無邪気な笑顔も素敵なんですよね。
松坂さんの明石がコンクール最終選考の日に見せた、吹っ切れた様な顔も素敵なんですよね。
それだけじゃなく、鹿賀さんが指揮中に見せた笑顔、平田さんの優しい微笑み、更にフルートの女性の見せた笑顔も素敵なんですよね。
これだけ笑顔が素敵な作品、面白くないはずがないんです。
だけど、最終選考の後の亜夜の笑顔が、素敵に感じられなかったんですよね。
あくまでも、私がそう感じちゃっただけなんだけど。
ここ、一番輝いていて欲しかったかな。
いい作品だとは思うんだけど、何か消化不良な感じでした。
ピアノ演奏好きは絶対見るべき映画
映像が美しく、ピアノ演奏が素晴らしい。
気がつけば自然に涙がぽろぽろ溢れ出す映画でした。
各ピアニストが共鳴し合い才能を解放させる描写が見事。月光の下で、アイコンタクトをしながら演奏で語り合う天才同士の連弾の描写は神がかっている。
一番好きなのは、後半の母娘の連弾で雨音を拾い、連弾で即興の音楽を作るシーン。
母と過ごした時間が天才性を育んだ根拠として説得力がある。「あなたが世界を鳴らすのよ」とささやくセリフはゾクッとした。
コンテスト期間を中心に話は進むが、
どのピアニストもお互いを支え合っているのが良い。海辺のシーンは印象的で天才同士共鳴し癒しを感じる映画を通して余韻の残るシーン。
自分にとってこの映画はとても大きなギフト。一番好きな映画となった。出演者や映画関係者に感謝します。
役者の演技は見応えあるけど、原作と比べると残念・・・
原作のファンで、この映画を楽しみにしていたので、初日に見に行きました。
それぞれの役者さんの演技は見応えがあって、全般的に良かったと思います。
一方で、映画という限りある枠の中で、それぞれの原作を映画でなぞっていくのは難しいと思いますが、原作の中でもっとここの部分を表現して欲しかったというところが映画では薄く描かれていて、残念でした。
あと、映画ということで期待していたのが、原作の小説の文字の中から聴こえてくる音楽でさえ、とても重厚でピアノとオーケストラの協奏する様子が鮮明に描かれて、文字から素晴らしい音楽が聴こえてくるため、なおさら映画の迫力からはもっとすごい音楽が聴けるのかなと期待していましたが、私が期待を大きく持ちすぎてしまっていたのか、さらっと流れてしまった印象があり、期待外れで残念でした。
その他、小説では風間塵が野性的で本能的な才能を持った少年で、原作のイメージで映画を見始めましたが、風間塵役の鈴鹿央士さんの演技は、また原作の風間塵と違った個性的で印象的な演技で、素晴らしかったです。
特に栄伝亜夜と風間塵の連弾する場面は小説を越えていたと思いました。
というように、映画なので残念な部分はいくつかありましたが、小説を改めて読んでから、また映画を見てみたいと思える作品ではありました。
ケミストリー(化学反応)
音楽の国際コンクールで優勝や入賞というニュースを耳にすることは結構多いように思うが、偏差値教育の影響か、何か定められた評価方法のようなものがあるのだと信じきっていて、出場者同士で影響し、ケミストリーのようなものがあるのだということを想像もしていなかった。
徹底的な指導と練習で経済的な成功をも視野に入れようとするマサル、
生活に根付いた音楽を追求しようとする高島、
ピアノの演奏や音楽が好きで自然の音や新たな出会いにも刺激を得ようとする天才・塵、
未来に向かうため、過去と向き合い、過去をなんとしても取り戻そうとする英伝。
カデンツァの演奏でも、それが色濃く表される。心の声なのだ。
用意周到に準備をするマサル、
自分の目指すものに捉われるあまりもがく高島、
自由で一分一秒成長する塵、
心の声に耳を傾けようとする英伝。
残念ながら高島は最終選考には残らなかったが、残った三人のそれぞれの最終選考の選曲も、それぞれをよく表すようで聞き入ってしまう。
バルトークはインスピレーションを自分の生まれ育った国以外にも求めた作曲家だ。塵のイメージに合致する。
幼なじみの英伝とマサルは同じ作曲家の異なるピアノ協奏曲を選ぶ。
異なる人生を歩んだということだろうか。
マサルは、プロコフィエフのもっとも成功したピアノ協奏曲と言われる第三番。
英伝は、当初は批判も多かったとされるピアノ協奏曲第二番だ。
このスリリングでダイナミックな感じは、映画やドラマのスリリングな場面で使われることがあるので、日本ではよく知られている気がする。
僕は、こっちの方が好きだ。
有名なゴースト演奏家(?)がいるのは知っているが、願わくば、最終選考の曲はもう少し長く聴きたかった気がする。
そして、最近観た、パリに見出されたピアニストで最も象徴的に使われていたラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番を選んでいたピアニストが(おそらく)棄権していたのは残念でした。
そして、タイトルについて…、
間違っていたら大変申し訳ないし、確認しようもないのですが、昔、蜂の分峰と雷に何らかの相関があるのではと聞いたことがあります。
遠くで鳴り響く雷鳴は、塵自身のようでもあり、そして、自らも含めた四人の化学反応を促したということだろうか。
因みに、バルトークのピアノ協奏曲は、同じハンガリーを祖国とするショルティ指揮のがわりと有名です。iTunes聴き放題でさっき、チェックしたら、ロンドン・フィル、ピアノはあのアシュケナージのものが配信されてました。
綺麗な映画でした
綺麗な映像、良いロケ地、上手な俳優と思います。
ただ、原作読んでいないのですが、天才の悩みというのが、いまいち伝わってきません。きっと原作では文字で伝えているのでしょうが、映像にしたとき、その部分をけっこうすっぱ抜いて描いている印象がありました。
松岡茉優さんの悩みとかトラウマとかは描いているんですけどね。あと、もっとも庶民的な松坂桃李さんの役どころ。そもそも松坂さんくらいしか共感できる人いないからなー。
物語の構成が予選からスタートしているから、少しドキュメンタリー的に撮っている印象がありました。
それはそれでいいのですが、1部、2部があって、第3部から観ているって気がしたのは私だけでしょうか?
あとすみません。どなたかあの黒い馬の意味、教えてください。描かれてました?どういうメタファーなのか、まったくわからんかった。
それから松岡茉優さんが最後、トラウマを乗り越えてやったるでーってなった瞬間、が、よくわかりませんでした。駐車場の脇にピアノあって、それ見て、いろいろ思い出して(なにがあって何を思い出したのかわからん)、いざ会場へ。って、なんで?と疑問符出てしまいました。そこが残念。というか、それも含めて、天才たちの話だからまーいっかーっていうのも観ながらの本音でした。
兎にも角にも、あのピアノの伴奏、みなさん覚えたんですかね? すごいなー、憧れるなー。それから松岡茉優さん、この世代でこういう役演じられるの彼女くらいなものじゃないかしら。鬱陶しくない陰鬱さと、本心からの笑顔。が、とても良い発見でした!
台詞/モノローグなしで主観をどこまで語れるか
公開日の夕方に鑑賞しました。
導入部の印象は「四月は君の嘘」+「ピアノの森」。
ヒロイン、栄伝亜夜がピアノにトラウマを負った原因は、母の死。
優しい母と厳しい母の違いはあるが、「四月は君の嘘」の設定とほぼ同じ。
強い音圧で方にはまらない演奏をする風間塵は、「ピアノの森」の一ノ瀬海っぽい。
コンテストの雰囲気や、コンテスタントの交流や葛藤も、既視感が無いといえば嘘。
それでも、亜夜が7年前に残した宿題を克服しようと演奏するラストは、緊張感があって好きえした。
演奏ぞのものの気迫に加え、また途中で止まっちゃうんじゃないかとハラハラし、独特の緊張感がありました。
本当に弾いているように見えるかは、場面によっては微妙でしたが、演奏後に息が荒い感じはリアルでした。
個人的に好きなシーンは、調律師の工房で、亜夜と塵が連弾するところ。
月を眺めながら、ドビュッシーの「月の光」から「ペーパームーン」(映画音楽)、そしてベートーヴェンの「月光」へと揺蕩い、また「月の光」に戻る件が白眉。
月のイメージ1つで、打ち合わせなし連弾できちゃうなんて、めっちゃ素敵。
プロとしてはコンテストに勝つことが重要なんだろうけど、素人目線では何気ない日常をピアノの調べで満たせることの方が素敵に思えます。
また、塵を演じる鈴鹿央士の、イノセントな美しさと表情には目を奪われる。
演奏する時の歓喜に満ちた表情は、無邪気さと天才性を体現してました。
マサル演じる森崎ウィンも、good acting。
幼馴染としての優しい、野心ある若手ピアニストとしての熱さや焦燥が、よく出てました。
審査委員長を演じる斉藤由貴も良かったです。
尊大で辛辣な感じが、大物ピアニスト然としていました。
課題を感じたのが、今回の演出でどこまでヒロインの心情を表現できたかというところです。
松岡茉優演じる亜夜は、時折笑顔も見せるけど、基本無表情です。
それは、母の生前には響いていた音が鳴らなくなったから。
自然に溢れている音を、音楽として紡げなくなったから。
それでも、風間塵との交流を通じて、自然の音を感じられるようになり、7年前の宿題に立ち向かう。
と、大筋はフラッシュバックの演出や、亜夜が選んだ舞台衣装から理解できました。
ただ、その際の亜夜の感情の高まりまでは、感じることができませんでした。
「四月は君の嘘」ほど雄弁でなくていいけど、モノローグを有効に使う演出もあり得たのではないかと感じました。
無論、実写映画でのモノローグの多様は野暮なのかもしれません。
ただ、心の叫びを表情で語らせないのなら、もっと他の表現手段を開発してほしかったです。
正直、雨に佇む馬のイメージは、最後までピンときませんでした。
原作未読なのがいけないのかもしれませんが、映画が独立した作品である以上、原作み読者にも理解できる演出は必須なはずです。
世界を鳴らす人の成長物語に、静かな涙が溢れ出る
この世は音楽に溢れている。その事を再認識させてくれる、これは音楽映画なのか。しかし静かに溢れる涙の理由は別の所にあったように思う。
それは、幼くして母親と死別するという葛藤を抱えたまま、母親との想い出が一杯詰まった音楽との向き合い方に迷い続ける一人の少女の成長物語に感情が揺さぶられたからだった。
実は、昨年、後にも先にも一度きりのエキストラの経験を、この映画でさせてもらった。
ロケ場所等は箝口令が出されていたが、エンドロールにクレジットされていたので、もう書いてもいいだろう。
その時、客席から演奏中の栄伝亜夜の表情を伺い知ることはできなかった。
しかし、映画の中での松岡茉優の演技は想像以上だった。人目を避けるような冒頭の表情から、時折見せる本来の笑顔、そしてラストの己に克つ凄みの表情。と、葛藤の中で成長する主人公を共感の中に見せてくれた。
ピアノを弾きながらの演技はどれだけ難しいのかと考えると、この女優さんの演技の密度と集中力は、大したものだと思う。
きっと女優という仕事も、葛藤と迷いに満ちた職業だと思うが、劇中の栄伝亜夜のように更なる高みを目指してほしい。
原作の恩田陸さんと石川慶監督は、音楽という刹那な永遠を通して、人が己を乗り越える逞しさと尊さ、そして美しさを描いてくれた。
それは、美しく儚い映像と音に身を任せ耳を澄ませ幸せな時間を過ごさせてくれる、宝石箱に似た贈り物だ。
原作の読者には違和感しか残らない映画
恩田陸さんが「この作品の映像化は無理」と仰っていた意味が改めて納得できる映画。とにかく小説では緻密に描かれている人物の心理、背景などなどをなぎ倒して、理解出来ない幻想的なシーンの挿入で無理矢理映像化した作品。
公開初日に観に行ったが、演奏場面も少なく、架空の課題曲「春と修羅」もごく一部だけの演奏しかなく、ピアノコンクールを舞台にした映画としてはあまりに演奏シーンも少ない。
何より、塵の背景があまりに分からないのでホフマンの手紙の意味するところも分からず、また明石の言う「生活者の為の音楽」という言葉にも違和感しか覚えない。
原作の好きな方にはお勧めできない。
耳で感じ感性で創造して観る作品
オーケストラコンサートには年2〜3回行くが、やはりすでに歌詞が付いていたり背景がある音楽に触れることが多い。そのためそこから創造して音楽を頭で描き音楽を鑑賞してしまうが、この作品はまさに耳で感じ心や感性で創造して観る必要があると個人的には感じた。
その為まだまだ音楽を創造する事に未熟な自分にとっては理解がストーリー追いつけず気疲れしてしまった。
決して悪い作品ではない。しかし、人を選ぶ作品かもしれない。
僕が観賞した回は終盤涙している観客もちらほらいた。
こういった作品で涙を流せるような感受性を自分も育みたいと思った。
余談になるが、個人的にはブルゾンはこの作品には合ってないような気がした。浮いてるというか、少し言葉悪くなってしまうが登場シーンが割と多くて目障りだった。
音楽を楽しめる映画でした
弾き手の方が演者の方毎に違っていて、何て豪華な映画だろう!!と驚きました。
コンクールという同じ曲を弾く舞台で、聴いていて楽しめる映画でした。
あと、新人の鈴木央士さんのバンビのような目が可愛かったです♪
月明かりの下で連弾するシーンはぞわぞわしました。
春と修羅は何年か前シン・ゴジラを観たあと気になって読んではいましたが、明石さんのがやっぱり宮沢賢治っぽいですよね。
風間塵がギフトである理由
換骨奪胎(先人の着想やアイデアを借用し、新味を加えて違う作品に作り直す)と言えるほど、違う作品に仕上がってるわけではない。かといって原作本来の魅力が活かされているわけでもなく、ちょっと残念な出来でした。
風間塵がギフトである理由……風間塵の才能が起爆剤となって、他の才能を秘めた天才たちを弾けさせる。真に個性的な才能たちが、風間塵の演奏を触媒として開花していくこと。
であるならば、風間塵の天才振りがもっと具体的に描かれていて欲しかったのですが、出てきたのはお手製の木製キーボードとボロボロの靴だけでした。これだと、練習環境に恵まれていない養蜂家の家庭で育った自然児であることは分かりますが、天才であることまでは伝わってきません。
映画の中で描かれたオーケストラの一部の配置換えのエピソードなど、原作では次のように風間塵の特異な才能が伝わるようなものとなっています。
本選リハーサルの場で風間塵は、自分は客席に降り、オーケストラだけでバルトークの三番、第三楽章を演奏させる。そしてやおら舞台に登り、椅子を引っ張ったり、譜面台をずらしたりするが、それは床のひずみのことも含めて、すべて音のバランスや伸びの効果を向上させるため。その後、一緒に演奏するのだが、指揮者や楽団員もびっくりするほど見違えるように(聞き違えるように⁈)音が良くなり、彼自身のピアノ演奏も楽団員の方が付いていくのに必死になるほど力強くその場にいる全員を完全に飲み込んでしまう。
そういう天才であるからこそ、マサルも亜夜も予選から彼の演奏を聴くたびにインスピレーションを与えられ、コンクールの中で成長していく。塵もまた、マサルや亜夜や明石の演奏から色々なものを吸収していく。一次審査から観ている聴衆側が、大会中の甲子園で闘うたびに強くなっていく高校球児をいつのまにか親心的に応援したくなるように、それぞれのキャラクターに惹かれ、思い入れや応援の気持ちが強くなっていく。そのような原作の魅力があまり感じられませんでした。
その他にも。
風間塵とホフマン先生の約束。
音楽を世界に連れ出すこと。今の世界はいろんな音に溢れているけど、音楽は箱の中に閉じ込められている。お姉さん(亜夜)も自分と一緒に音楽を外に連れ出すことのできる人。先生、見つけたよ。
亜夜の本来の音楽を解き放つことのできる〝天才〟がマサルや塵との出会いで復活する過程で描かれる「トラウマ克服」について、この映画ではかなり観念的に(映像のイメージでいえば、ラース・フォン・トリアー監督のメランコリアのように)描かれていますが、背中を押してくれたものの正体が今ひとつスッキリせず、明石の前で見せた涙の意味も、原作での複雑な背景に比べると、安易な印象が拭えませんでした。
もうひとつ気になったこと。
原作ではコンクールの4位と5位には韓国の人が入るのですが、この映画では欧米系の名前だったと思います。亜夜さんの前のキム・スジョンさん?がなんらかの理由で欠席のため、出番が繰り上がってたようですが、昨今の日韓関係の悪化と関係があるのでしょうか???
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日本の音楽映画では最上位に位置するのでは
芳ヶ江国際ピアノコンクール。
3年に一度開催され、前回優勝者が世界トップクラスの注目を浴びていることから、若手ピアニストの登竜門として世界から注目を集めている・・・
といったところから始まる物語で、コンテストに出場するピアニストたちのうちの4人に焦点があてられて物語は進んで行きます。
ひとりめ、栄伝亜夜(松岡茉優)。
天才少女と謳われていたが、母親を亡くしたことをきっかけにスランプに陥っている。
ふたりめ、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)。
ニューヨークの名門・ジュリアード音楽院の秀才。
ただし、幼い頃は、亜夜の母親にピアノを習っており、亜夜とは幼馴染。
さんにんめ、高島明石(松坂桃李)。
コンクール出場の年齢制限ギリギリの妻子あるサラリーマンピアニスト。
「生活者の音楽」が彼の心のよりどころ。
よにんめ、風間塵(鈴鹿央士)。
先ごろ他界した世界的ピアニスト、ユージ・フォン・ホフマンが送り込んだ未知数の少年。
「世界は音楽で満ち溢れている」と亜夜に告げる。
登場人物の背景などをあらためて文章にしてみると、かなりベタな設定で、これで(いわゆる)ドラマを中心に描くと、かなり世俗的でベタベタ、ウェットになりかねない。
そこんところを、脚本・編集も兼務した石川慶監督は、音楽を中心にみせることに徹しています(原作でも、音楽を文章で表現したらしいが)。
この試みは、成功。
4人の登場人物それぞれに別々のプロの吹替ピアニストを用意し(クレジットでわかる)、音楽をプレレコし、それに合わせて演技を付けている。
ピアノの音質も違うし、俳優たちのキータッチもスタイルも違う。
もっとも顕著なのは、二次予選の課題曲「春と修羅」のカデンツァ(即興演奏・自由演奏)のシーン。
カデンツァのフレーズは、それぞれ特別に作曲したと思しいが、それぞれのキャラクターに適した演奏、カット割りで魅せてくれます。
最終選考の協奏曲、オーケストラが登場してからは、アクの強い指揮者・小野寺(鹿賀丈史)が登場し、これまた、映画のタッチを絶妙に変えていきます。
全編がピアノを弾くシーンで満たされ、結末もこれ以上描くと蛇足になる、というギリギリ絶妙なタイミングでエンディングを迎えます。
日本映画(外国映画も含めてかも)の音楽映画では最上位に位置する映画ではありますまいか。
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