「☆☆☆★★★(映画のラストで、役に憑依する女優松岡茉優の本領発揮に...」蜜蜂と遠雷 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
☆☆☆★★★(映画のラストで、役に憑依する女優松岡茉優の本領発揮に...
☆☆☆★★★(映画のラストで、役に憑依する女優松岡茉優の本領発揮に★1つ追加で)
原作読了済み。簡単に。
〝 音楽の神に愛された少年 〟
〝 音楽の神に愛されたい野心を持つ青年〟
〝 音楽を誰よりも愛している努力の人 〟
そして。〝 音楽の神から逃げて来たが。再び音楽の神の前に跪く決意するに至る、消えた天才少女 〟
原作はコンテスタントの4人。
亜夜に寄り添う奏。
同級生の明石に期待(寄り添う?)するテレビディレクターの雅美。
塵を発掘する評論家三枝子の、主に7人の目線からコンクール予選から本選までの間に、心の中に有る恐れや葛藤の戦いを描く傑作長編。
原作と映像化には数多くの変更点が有り。おそらく書ききれ無いのですが。流石に尺の関係から、この長編をそのまま描く訳には行かず。亜夜に寄り添う存在の奏はカット。パリの予選会で発掘される塵は一次予選会からの参戦。
その塵を発掘した三枝子は、審査委員長のオリガとの2人のキャラクターを兼任。(これは無理が無い変更点)
そして何よりも。(単行本では)前後半約10000頁近い長編の、残り約100頁の本選部分だけで、映画本編の半分近くを占める。
それにより。各コンテスタントが演奏する曲や、作曲家に対する個人個人の解釈は薄まり。原作から感じるクラシック音楽に対する濃密さは、映画化に於いては薄まってしまっている感覚は拭えない。
特に、♬春と修羅♬に対するコンテスタント各人の解釈は。原作に於いても、かなりの熱量で書かれており。その解釈と演奏には、各人の音楽に対する取り組み方や姿勢を示していたのだが…。
反面で。原作では殆ど描かれなかった本選が、ほぼ映画オリジナルとして演出されている。
鹿賀丈史演じる指揮者は、原作だと殆ど空気でしかなく。逆に、光石研演じる♬春と修羅♬の作曲家が、歯に絹着せぬ物言いの男なのだが。この2人の人格を入れ替える事で、亜夜の中での心の揺れ動きを最大限に表現する事に成功していた。
そんな亜夜だが。映画では最後の最後まで、過去のトラウマを引き摺ったままでコンクールに参加していた。
映画だと、過去の栄光の名前だけが一人歩きしている《消えた天才少女》なのだが。原作では、一次予選から【モノが違う】レベルを発揮し。天才としての存在感を漂わせる。
それは、〝 音楽の神に愛された、天才少年との出会いから。
一次予選の前に、ふとしたきっかけから。塵とゆう《ギフト》を受け取り。塵とのドビュッシー〜ベートーベンの連弾で、〝音楽の神〟との交信を果たした事から。亜夜の心の中からの迷いが吹っ切れる。
この辺りの描かれた方は、映画本編の方が違和感が無く観ていられる気がする。
またその方が、観客側から観ても「どうなってしまうのだろう?」…と言った、ハラハラ感がしっかりと描かれていると思う。
ただ原作をよんでいた事で、1番残念に感じた箇所が1つ…。
コンテスタントの中で、誰よりも〝音楽を愛する努力の人 〟の明石。
原作を読んでいて、実は1箇所だけ思わず泣いてしまったところが有った。
それが、明石と亜夜が会話する場面。
原作で、明石と亜夜が会話する場面は(間違えでなければ)1回だけ。
原作の後半部分で、元々《消えた天才少女》のフアンだった明石は、亜夜に感謝の言葉を述べる。
「ありがとう」 そしてもう一言…。
「お帰りなさい!」…と。
決して才能に恵まれている訳では無く、単に音楽を愛しているだけ。
それでも少しづつではあるが、努力に努力を重ねる事で。一歩一歩ではあるものの、音楽の高みに登って行こう…と、努力する事を厭わない明石。
そんな明石に、天才と呼ばれてはいるが。本質的には、(他人の演奏を聴くのが好きで。少しでも自分の演奏に取り入れられるならば参考にしたい》努力を惜しまない亜夜の、明石へ言う一言。
「私、あなたの演奏が好きです!」
その一言こそは。原作者からの、世の中の多くの人に対しての応援する一言の様に感じ。読んでいて感激した箇所でした。
それだけに。映画本編での、亜夜と明石が何回も会話している場面は、ちょっとだけ残念な気持ちが強かったのが本音。
他にも、塵の【絶対音感】を表す。調律師とのやり取りに、オーケストラの楽員が塵の凄さに慄く場面等。多くの読ませるエピソードが削られていたのは少し残念でした。冒頭とラストに映る、豪雨の中を疾走する馬の画も。原作を読んでいないと意味不明なところでしようね。
原作を読んだ限りに於いてでは、ホフマンから贈られた《ギフト》である塵の奏でる音の世界が起爆剤となり。亜夜・マサル・明石らの才能が、コンクール期間中に。それぞれの持ち得る資質をお互いに吸収し、一気に成長させるきっかけとなる。
但し、映像化に於ける主役は。明らかに松岡茉優演じる亜夜の《消えた天才少女》の帰還と覚醒に趣きを置いている。
何故、彼女は消えてしまったのか?彼女の復活はなるのか?
或る意味それに特化した事で、映画的な分かりやすさには繋がっている気はする。原作通りに描くとなると…。
「音楽を世界へ連れ出す」
とゆう主題は確かにちょっと分かりづらい。
…と、原作及び映像化に於いて。お互いに良い
箇所。今一つ(悪い…って訳では無く)と感じる箇所とが相殺している感じでしようか。
ちなみに。原作のラストは、亜夜の演奏が始まる直前に終わる。
コンクールの順位は、映画同様に最後に結果のみが…。
2019年10月10日 TOHOシネマズ上野/スクリーン7