象は静かに座っているのレビュー・感想・評価
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フィルムを縦に切れ!
蒙昧な者の言い訳....4時間と知って、ただ単に見るのを諦めようと思った作品。映画通や映画好きと呼ばれる人たちとは異なり、前評判や監督の少ない情報を知ってみようと思った訳ではなく、ただ暇で、何故か’見なければ’という変な押し付けがましいものが湧いてきたためで、他の人とは違い、いたって不純な動機から鑑賞した。そんな動機なら、書くなってか?
'ボンベイ'と’ハリウッド’の造語ボリウッドもビックリの4時間近い映画。個人的には、その長さが人を選ぶように捉える天邪鬼な者にとって、映画産業として成り立っているのかと余計なお世話様的なことをまず考えた。そして、そんな勇気のある長さの映画に対して、ある意味悪い内容のレビューなんて書くもんなら、裸の王様状態になりはしないか、頭をよぎる。その前に、映画の予告編やこの映画のエンドロール前のテロップでも紹介されている”In memory of HuBo” より、この映画の原作者でもあるフー・ボー 監督に対して、ご冥福をお祈りいたします。
ユー・チェンが朝起きたときに。隣には、友達の妻が寝ていた。
He told me the other day. There is an elephant in Manzhouli.
It sits there all day long. Perhaps some people keep stabbing it
with forks. Or maybe it just enjoys sitting there. I don't know.
映像としては、あえて自然光を使い、余計な照明を使わずに撮影し、ワンショットの長回しを多用している。また被写体となる人物に焦点を当て、その他の背景や人物については、恣意的に焦点をぼかした撮影方法をとっている。しかも、人物が歩く場合やそのほかの時でも人の背後から撮影されたり、顔のアップの場合は、顔が半分きれていてもそのまま撮影されている。また人ごみの多い場所に限っては、腰を中心に下から上の方向に向かって見上げるように撮られている。
シナリオ自体は、群像劇と呼べるもので、4人のそれぞれにバラバラに起こっている殺伐として空虚でしかないような出来事が、実は、なにかの力学が働いたかのように繋がっていき、ラストの満州里市(まんしゅうりし)行きのバスに乗り込み目的を果たすことが出来るかをこの映画は、たんたんと描いている。その途中に色々なイベントと呼べることが、この映画の魅力として挙げられ、ウェイ・ブーが誤っていじめっ子を階段から突き落とし、死なせてしまったことが発端となり、その後、そのいじめっ子のヤクザの兄ユー・チェンから逃げるようになったために行き場を無くした彼が、道連れとなる者と共に幻の象がいる地を目指す物語となっている。義理の息子から家が狭いという理由から、やむなく現代のオバ捨て山を象徴するかのような老人施設。そのワン・ジンが訪れた未来の住処では老人が、何をするわけでもなく、ただ部屋の中を行ったり来たりしている無言の行脚のようなシーンを捉えることで彼の行く末を暗示しているし、言い知れない恐ろしいものを感じてしまう。
Life just won't get better. It's all about agony.
That agony has begun since you were born.
You think that a new place will change your fate?
It's bullshit. New place, new sufferings. You understand?
No one truly knows about existence.
こんな冷たいとしか言いようのない言葉を投げかけられたファン・リンは、家族にも慕う者にも愛というものが存在しないことを身に染みて感じている。シナリオを読めないところがある。ユー・チェンが、ウェイ・ブーを見逃す場面で、ウェイ・ブーが何故見逃してくれるのかとユー・チェンに尋ねる場面。”ただ弟が嫌いなだけさ”ッテ、何それ?
現代中国が抱える閉塞感を制作者は描きたかったのかもしれないし、中国という国の地方都市の住宅事情の荒れ果てた、むかし日本でも駅や地下道の壁に広告の紙が糊付けされたりしていたのを今の中国でも見ることができ、道はがれきが転がっていて、川なんぞに犬の死骸をビニール袋に入れてそのまま投げ捨てるシーンもある。中国が、よくぞ映像化を許したなと思える場面も登場している。とにかく中国の街が汚すぎる。しかも、自然光だけで撮ったとされるものに加えて、冬に撮影されたのか、画面自体が暗すぎることによってか知らないが、シーンとシーン、またエピソードとエピソードの繋がりの歪さが、個人的には、どうしても気になるものとなっている。
1996年に設立された映画産業およびレビューWebサイトのindieWireの’The First and Last Masterpiece of a Great Filmmaker Gone Too Soon’ 2019.5.8
「 この映画は、飛びぬけた気分の良い映画に相応しくはありません。それでも、物語は満州里の神秘的な象を見る絶好の旅行に向けて作られており、お年寄りのワン・ジンは仲間に加わることを待ち望んでいます。」
映画の世界からのより多様であまり知られていない映画公開のいくつかを焦点を当て、支持することを目的としているCineVue 2018.2.21
「悲しみと暴力の持続的に起こる出来事にもかかわらず、美しく、神秘的で、叙情的で、何となくリラックスして、主に彼のカメラの叙情性のおかげで、フー・ボー監督の映画を囲む幻影のオーラがあります。」
視聴者からも評論家からも高い支持を受けている本作。一部何かおかしなところもあり、人が窓から飛び降りて、すぐに”ドサッ”という擬音が聞こえているのが早すぎはしないかとか、教師が教室に入ってきた言葉が、字幕では”警察には知らせるな”と出ているのにその部分だけ無音となっていた。何故? 何かの不良か? いわゆる感情的に訴える、感傷的にさせる映画に対しての評価は、誰しも無茶なことはできない前提があるのかもしれない。この映画は、日本人好みと言えるものか? 言える?
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