「人は行ける、どこへでもな。そして分かる、どこも同じだと。」象は静かに座っている 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
人は行ける、どこへでもな。そして分かる、どこも同じだと。
中国のどこか田舎の、廃れた小都市。
大人も子供も生きる張り合いのない、死にかけの町に住む少年、少女、青年、老人。
世界は一面の荒野だ。
人生は面倒なものだ。
お前はゴミだ。皆ゴミだ。
どいつもこいつもやさぐれて、手持ちの武器は稚拙で、投げやりにしか見えない。唯一、満州里という町の動物園にいる一頭の象の存在だけが、一縷の希望のように映る。見たこともないのに。いやむしろ、もしかしたら実体のないものかもしれないその象だからこそ、希望を仮託しやすい存在なのかもしれない。
そして4時間もの長い上映時間の訳は、各人物の佇まいを醸すために必要な時間だったのだと気づく。
象に出会った先にあるのは希望なのか。逃避なのか。それが劇中ずっと頭を駆け巡る。鑑賞後、駅名にあった「石家庄」から満洲里までの距離を調べた。北京を通り越してざっと2,300kmもあった。近道をしても1,800km。ずいぶん遠い世界の話だと分かっているのだろうか。まるで三蔵法師一行が天竺を目指す気分じゃないか。会うことが目的なのではなくて、会いに行こうと行動を起こすことが重要なのか。それならば、会えない方がいい。ずっと希望を抱いていられるから。
30歳に満たない若さで命を絶ったという監督の人生も、この中に投影されているのかと思うと、強く胸を締め付けられる。あなただって、どこも同じだって知っていたのと違いますか?と。
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