タロウのバカのレビュー・感想・評価
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無関心
129本目。
予告観た時から重いな、何か十字架背負わされそうと。
で観終えて、そこまでの感情はなかったけど、使っちゃいけないものを使ってるリアルさが。
口にはしないけど、心の奥底で思ってる部分、闇?
それ以上にピストル持ってる、昼間に学校行かない人がいる。
普通なら警察沙汰、警戒されるとは思うけど、無関心なんだよね。
無関心ってのは死んでるのと、一緒なのかとも思う。
あとは演出なのかは不明だけどラブホで太賀が、瞬きせず見つめているのが印象的。
でも足立区だったね、分からなくもないけど、ちょっと可哀想。
ついでに、もひとつバットは凶器じゃない。
分からなくもないけど野球好きだから、これだけは言いたい。
3人の行動は理解できないけど苦しみが伝わり苦しい
タロウ、エージ、スギオ。それぞれの本当に欲するものがなんなのか理解できず、その行動に意味があるのか無いのか。分からないから終始ずっと苦しく恐ろしかった。彼らが放つ狂気が何をしでかすか分からなくて、ひたすら怖い。
どうしてこうなってしまったのか。こうするしかなかっまのか。
3人でザリガニ釣りしているままでいられなかったのか。
タロウの叫びが耳に残りました。
剥き出しのナイフを無意味に振り回してくる作品。
以前から気になっていた作品でやっと観賞しました。
で、感想はと言うと…う~ん、なんと言うか…観る人を選ぶ作品と言うのは間違いなくて、いろんな事が衝撃的でパワーがあるんですか、そこに意味を見出ださない虚無感の漂う作品かなと。
タロウとエージとスギオの3人が日々を刹那に生きていき、その中で拳銃を手にした時から、いろんな事に自分の欲望をぶつけていくんですが、これが共感出来る部分が正直少なくて、観ていて不安と不快感がモヤッと感じられるんですよね。
「時計じかけのオレンジ」程のメッセージや拘りを感じられず、それでも何処か時計じかけのオレンジ的なのがにわかに顔を出したりする。
学校に1度も行った事の無いタロウは社会との繋がりが殆どないからこそ、自身を縛る物が無いから強烈な程自由で天真爛漫。
スポーツ推薦で高校に入ったエージは膝を怪我してから、自身の価値を見失い、反発するかの様にワガママに暴走する。
いろんな事に流されがちなスギオは気の弱さもあって、次第にいろんな事を踏み外していくが、好きな洋子の事を思い、自分の立ち位置を流されながらも見つけようとする。
三者三様で周りから弱者とされる事に反発し、ワガママに思うままに疾走していく。
動物的なタロウ。動物になろうとするエージ。動物に成りきれないスギオ。
そんな3人の葛藤でもあるんですが、この作品の共感出来そうで出来ない部分でもあります。
3人だからこその青春の暴走とも言えるし、社会を始めとしたいろんな事から見放させれてきた鬱屈した気持ちの爆発とも言えるし、自身の解放とも言えるんですが、強烈にワガママで、無意味な疾走でもあるんですよね。
大人だから感じられないのかも知れないけど、かと言って共感出来る様にはあんまりなりたくはないですw
あと個人的にちょっとどうなの?も思えるのが障害を抱えた人をストレートに弱者とした所。
勿論、社会的強者ではないし、かと言って、タロウ達が弱者の代弁者として振る舞っていくかと言うとそうでもない。
単に世間から縛られている部分が少ない未成年がワガママに暴走していく部分が多くて、障害を抱えた人が無意味に可哀想感で表現しているのは正直嫌な気持ちになると言うか、そこに意図が感じられなかったです。
終盤のスケキヨマスクの面々の戦いの狼煙的な表現も急にああいった場面が出てきて?な感じ。
生々しい現実の中の無常感を描いているのに、あの場面だけいきなり演劇チックで意味の分からなさにより拍車を掛けました。
勿論、作品の伝えたい事はなんとなくではありますが、感じようとしていても、分かんない事や唐突な事、生理的に合わない事、イラッとする事が沢山散りばめられていて感が単に個人的に合わなかったにしても、ここまで無意味的感じる事を青春の咆哮と疾走でまとめる様に描かれるとやっぱり合わないかな。
監督はあえて共感出来ない青春のワガママな暴走を描きたかったのかなと考えたりします。
あと、舞台が足立区の綾瀬で過去に凄惨な事件があって、都内23区の中でも何処か鬱屈した空気を醸し出していて、取り残された様な下町感は舞台とした合ってはいますが、住んでいる所のご近所過ぎて、“そこまで変で悪い街じゃないよ”と思ったりしましたw
救いな所は変に性に走ったのが無かった(少ない)事。
ドキドキ感が少なくて、ちょっと残念でもw、安易に女性を凌辱するとかの表現が無かったのは、まだ救いで、そう言う表現は表現方法の1つであっても個人的には嫌いと言うか、それを出されると乗り切れないです。
タロウ役のYOSHIさんは強烈にタロウを演じていてハマり役と言えばハマり役。
ただ、タロウ役以上に感じられる事がそれ以上でもそれ以下でも無いので、次の作品でどんな演技をされるのかは気になります。
エージ役の菅田将暉さんは流石に振り幅が広い。
1ヶ月程前に公開された「アルキメデスの対戦」の演技とは真逆ではありますが、菅田将暉さんはどちらかと言うとインディペンデント系の作品で本領発揮される役者さんかなと。
この作品はYOSHIさんの足りない所を菅田将暉さんが上手くカバーしてます。
國村隼さんの使い方は贅沢だなぁw
先日観た「永遠に僕のもの」程のメッセージも感じられないし、時計じかけのオレンジ程のスタイリッシュも感じられない。
剥き出しのナイフをブンブン振り回して、分かってくれよ!と言われても分からないし、正直分かりたくない。
でも剥き出しのパワーを嫌らしいくらいに意味なく振り回してくるちょっと稀有な作品です。
観ないと始まらないし、観ても合う合わないは個人的な評価でしかありませんが、いろんな事を大森監督的に詰め込んで、いろんな意見の中に敢えて否定的な部分を強調したのかなと解釈したいです。
大森監督が担当した「日日是好日」はかなり好きな作品なので、真逆過ぎてこう考えます。
他の方も書かれてますが、なかなかパワーがあって、観る側に何をこそげ落としてくる作品ですw
まずYOSHIが嫌い
何の情報無く彼の演技をみたが、嫌悪感しかない。しかも演技というより彼本人の人となりが見えた気がして、鑑賞後に舞台挨拶の際の態度だったり彼本人の情報を探ったところ、やはりあの嫌な感覚は間違っていなかったと思った。
菅田くんや太賀くんはとても好きな俳優であるし様々な作品も見てきたが、今回は映画そのものの評価が厳しい。併せてYOSHIの演技が悪い意味で相乗効果を示している。
監督との対談コメントとか見ても、誰かもう少し教育しろと言いたくなるくらい、胸糞悪いものしか残らなかった。
まず、彼がダメ。
闇の向こうにある場所
怒りの衝動と仲間内の高揚、そして覚醒の時間。スパイラルのように繰り返されるシーンが、やがて振り幅を大きくしていく。松尾芭蕉の「面白うてやがて悲しき鵜船哉」という俳句を思い起こさせる切なさが、物語全体を包む雰囲気となっている。
俳優陣はかなりしんどい演技だったと思う。長回しの上に登場人物たちの気持ちが複雑極まりない。よくこんな芝居を演じ切ったものだと感心する。意外かもしれないが、中でも半グレの吉岡を演じた奥野瑛太が特によかった。暴力と奸計で大金を手にする存在は、非力で孤立している主人公たちの対極を象徴している。
人間社会に生きていることはそれだけで不条理だ。誰もが不安と恐怖を感じ、欲求不満と怒りを抱いている。しかしのべつ幕なしに怒りを爆発させたり欲望のままに行動してしまうと社会では生きていけない。それは他人に不安と恐怖や実質的な被害を与え、社会の秩序を乱す行為だからだ。社会の秩序を維持することは快適な生活を担保する重大なファクターなのである。
だから誰もが心に闇を抱えつつ、それをひた隠しにしながら生きている。大抵の場合は自分自身に対しても隠している。そのほうが楽だからである。闇を自覚している人は他人の闇を想像する。他人に対する怒りは他人からの怒りに等しく、自分に跳ね返ってくる。だから怒りを表に出すことはない。結局自分自身の問題なのだ。
しかしそれでも何もかも投げ捨てて、全て壊してしまいたい衝動はある。壊すことは創ることだ。人間の文明は自然を壊すことで築き上げられた。しかし人間の生命は一度壊すともう元には戻らない。だから人を殺すためには一度自分が壊れるしかないのだ。
大森監督は人の心の闇を描く。2017年の「光」では闇の島から都会に出てきた若者を闇から来た父親が訪ね、闇、光、闇という心の変遷の物語を紡ぎ、2018年の「日日是好日」では茶の湯に光を求めながら心の奥底には闇を抱えつづける女性像を浮かび上がらせてみせた。いずれの作品も役者陣にとっては骨の折れる演技だったと思うが、それによって瑛太や井浦新、それに黒木華はひとつ壁を破ることができたと思う。
本作品では菅田将暉と太賀、それに新人のYOSHIは、様々な自己抑制、心のブレーキを振り捨てて、闇の衝動の発露を存分に演じてみせた。天才の菅田将暉は別格として、太賀の演技の自然さとYOSHIの存在感は大したものである。
理性のコントロールを捨てた彼らの行動を理性の集積である常識で批判することには何の意味もない。それよりも彼らの行動の根っこにあるものが、社会で生きる我々の最も隠しておきたい部分に一致していることを畏れるべきだ。怒り、破壊衝動、それに強力な武器。この組合せは中国で日本軍がやった残虐行為を思い起こさせる。
武器を失い仲間を失って破壊する手段の一切がなくなってしまえば、あとは叫ぶしかない。孤独で非力な人間の叫び。ある意味必然的なプロットであり、大いに納得のできるところだ。
演じた役者陣ほどではないが、観客にもそれなりの覚悟がいる。エージもスギオもタロウも観客自身の心に存在することを否定しない覚悟である。ひた隠しにしていた闇の存在をこの映画によって暴かれることは観客にとって辛いし、しんどいことだ。しかしそれを映画のせいにして批判するのはネトウヨと同じ精神構造である。誰もが心に闇を抱えていることを認め、自分自身を掘り下げていくことで闇の向こうにある場所に辿り着けるかもしれない。
バカすぎ?
流行りの?ネグレクト&貧困ネタで。クソガキ😎が終始、ギャーギャー叫び続ける。流石に菅田将暉は10代には見えない😣暴力だらけ死体だらけなのにこの国には警察がいないのか?😭不良少年達が川辺でワチャワチャするのは定番すぎて今一つでした。主演の一人、yoshi、また、面白いキャラが出てきましたね、今後に注目です。
好きって何?
『好きって何?』タロウはみんなに問いかける。私もわからない『好きって何?』
愛されたことのないタロウと自分かダブル
誰か教えて『好きって何?』
生と死はとなり合わせ?簡単に死なないって言ってたエイジ死んじゃった
スギオも死んじゃった
誰だって1度くらい人を殺したいって思ったことあるよね?死にたいって思ったこともあるよね?叫びたいって思ったことあるよね?
1度観ただけでは理解出来ない
2回3回観なきゃダメだわ
めっちゃ心痛くなる映画です
思ってたんとちごた
予告編で心を鷲掴みにされて、本日たまたま時間ができたのでわくわくしながら観に行ったのですが…お、思ってたんと違うーーー
好きってなに?を連呼されてもなんだかなぁ。
ピストルと若者っていうのもなんだかなぁ。
冒頭の障がい者のくだりはてな。
スポーツ推薦でケガして荒れるとか、売りやってる女の子好きになるとかも…既視感すごい…ただそれだけ…
問題提起は直球なのに、なにがいいたいのかよくわからない。私には難し過ぎました。
(予告編ではヒリヒリした空気感にぐっときたんだけどな…)
ところで菅田くんはころころその役になっちゃう印象だったけど、あれ?この役はまってない?演技が空々しく感じました。
太賀さんはやっぱいい!の星ひとつ
3人の世界を否定するほど自分は立派なのか
若いエネルギーはどこにぶつけるのが正しいのか。
勉強?部活?恋愛?遊び?
このありきたりな、当たり前と思われる選択肢がもし与えられていなかったら、与えられていたとしても、居場所がなく認められていなかったら、、、??
唯一の仲間との犯罪や殺人を私たちは責められるだろうか。
この映画を共感できないと遮断してしまうのは違う。
たまたま自分の環境が整っていたから、常識を教えられたから犯罪とは無縁の生活だったかもしれないが、
エネルギーを注ぐ矛先がわからなくなることについては共感できたからこそ、
3人を否定することは出来なくて、3人に必死に向き合った映画だった。
生きるか死ぬかなんて紙一重だと私自身も感じたことがある。
戦争の話が映画にも出てきたが、一瞬で国のために消える人の命はどれくらいの重さなのか。
そんなに重いものではないのではないか。
私たちは自分が知らない人が死んでいても気にも留めない。でも、大切な人が死んだらとっても悲しい。
ただそれだけのこと。鳥の目でみるか、虫の目でみるか。この映画は、その描き方がとても上手いと思った。
エイジは「そんな簡単に人は死なねえ」と言っていたが、死んだ。本人は「そんな簡単に」と発した言葉をどう受け止めて死んだのか。その答えが映画にはなくてとても気になった。
タロウは「好きって何」と常に問うていた。誰も真剣に答えてあげていない、そう言う環境に彼はいる。誰か向き合って教えてあげられる人がいれば変わっていたかもしれない。結局、仲間の死を見て知ることになる。
愛って、なに?
愛を明確な言葉で定義できるヒト、いますか?
生きる意味をはっきりと言葉にできるヒト、いますか?
もし愛を説明できるってヒトは、本当の愛を知らない
かもしれない… でも論破した所でそれは淋しい事だわ!
もし生きる意味を言えるってヒトは、他者あってのもの
かもしれない… いいえ、きっとそうよね!
愛は他者との関係性で成り立つもの。(自己愛も含む)
生きるということも他者がいて初めて実感するもの
…だと、わたしは思うのです。
──※──※──※──※──※──※──※──
今夜生まれてくる命と 死んでしまう命
そして懸命に輝く命と 無駄に生き長らえる僕
「こんな夜は消えてしまいたい」とよく思うけれど
お前なんか消えてしまえ なんで今日まで生きてたんだ
無駄じゃないって思いたくて 何処まで無理して走ったんだ
この先もそうするつもりだよ それも無駄になったらどうしよう
生まれた事が奇跡だったら 息をするのも 奇跡 奇跡
ここで笑うか泣き喚こうが どっちにしても 奇跡 奇跡
愛してます その気持ちは どっからやって来て
何処へ消えるんだろう 何故消えるんだろう
身体半分持ってかれるような 別れの痛みとその寂しさ
それさえも奇跡だと 言えたなら 思えたなら
【無価値な事も特別になる ありのままで奇跡だから】
生きてる事が奇跡だったら つまづいたのも 奇跡 奇跡
歩き出すのも諦めるのも 好きにさせろよ 奇跡 奇跡
~恒例心象イメージソングシリーズ
amazarashi / 奇跡 より抜粋~
日常に突如と噴出する不条理を〈暴力〉と言うならば
最も不条理を強いられるものが〈戦争〉と言うのだろう。
それを、主人公を起点とした世界…
ごくわずかな狭い世界観で表現しようとしたのが
本作『タロウのバカ』なんでしょう。
今のわたしたちは、いわゆる“戦争を知らない子供たち世代”
戦争の記録や記憶を見聞きしても
それどころか遠い異国で実際に起きている内戦やテロ事件が
リアルタイムで報道されていてるのにも関わらず
実感として受け止めることのできるヒトは少ないでしょう?
それは仕方ないことです。だって戦争を知らないんだから…
ヒト一人が持ち得る世界観なんてちっぽけなものなんだから…
だから良いように解釈してくれとは言わない
理解してくれとは言わない
嫌悪感を抱いてもらっても構わない
なぜならば、それが今のわたしたちの思う『戦争』なのだから…
ですので、本作を観た感想が
イコールわたしたちの抱く戦争のイメージ
だと、せめてわたしは思いたい…
さて、わたしの感情論はここまでにして
もうちょっと具体的なこと言いますね!
所詮、比較論でしか語れないのですが許してくださいね!
大森 立嗣 監督が長年温めてきたお話とはいえ
まず、お話に既視感を覚えました。
主人公タロウの取り巻く環境 =『誰も知らない』是枝 監督
銃を手にした若者の日常が変貌 =『銃』武 正晴 監督
の2作品を足した感じに思えてしまいました。
でも味付けは、わたしが好きな過去作『光』に
通じるものを確かに感じました。そう言う意味では
「わたしの知っている大森監督が帰ってきた!」と喜び半分。
「よくもまあ、こんな賛否が分かれる作品を!」と不安半分。
そんなこと大森監督も百も承知で、強いメッセージとして
露悪的な表現にしたんでしょう。
わたしはどんな作品も寄り添い、考えるようにしているので
問題作であってもそこそこ許容できる方だと思いますが
逆にこの映画を許容できれば
大抵の作品は好意的に受け止めることができるでしょう!
思考と感情をリセットしたい時に
またこの作品をわたしは観ることになるでしょう…
あっ!しばらくは大丈夫ですぅ!
最後にひとつだけ!
スギオが好きな女の子、洋子がピアノで演奏していた曲
フォーレ作曲「夢のあとに」には本来歌詞があって
その内容が劇中にリンクしてることが分かりました。
興味があったらぜひ調べてみて下さい!
新たな作品の魅力に気付くかも知れません!?
高く飛んだあとは...
3人の飛び方や飛んだ先は様々
それも一般人には理解不能なやり方で
だから、飛んでる様も堕ちてく様も
どちらも見てて不愉快極まりない
タロウが14~15歳なのであれば
普通でも中二病と言われる程、超多感な時期なのに、学校へ行かずエージとスギオが社会の全てな感じで毎日ふらふら過ごしてる
藍子ちゃんと彼氏さんの方がタロウよりも
社会の感覚沢山持ってるかもね(好きってなぁに)
エージやタロウはアドレナリンの出し方が暴力的だな、と思ってたら最後にはスギオが一番ヤバかった
あの鏡越しの顔
狂気?狂喜?(いのる いきる しぬ)
2回目観てもまだゾッとする
顔立ちがお坊ちゃまな太賀さんなだけにね予想外
エージは喜と怒しか無い極端な感情表現
最期はスイッチ切れたみたいになっちゃった
真利子哲也の「ディストラクション・ベイビーズ」や
呉美保「そこのみにて光輝く」でも思ったけど
情緒不安定な役は菅田くんお上手過ぎます
大森立嗣『タロウのバカ』は賛否両論で全然良いと思います
普通、理解したくありませんよね
大森さんの年代の青春時代ってピストルまでは
さすがに無いとしても、あれくらいの不良ギャングみたいの多かった
石井岳竜さんの「ソレダケ」でも戸籍の無い若い主人公や白装束の大人達が出てきたし
こういう解説少なめで、説明セリフも少なめな作品は見る側のそのシチュエーションへの想像力の有無により賛否が着くと思う
観ても無関心 無感情が一番虚しい
演者さんを褒めるも良し
監督さんの温め過ぎた脚本を責めるも良し
是でも非でも何かを想い感じられれば
この映画を観た意味があると思います
立嗣のばか
最悪の出来で、最低の作品。しかも監督本人はコレで評価されると思ったのか、レビューを見て納得がいかないのか、観客に怒ってた。
そもそも、底辺の人間を描くのに彼は調査や、気持ちを理解した上でコレを作ったのか?
意味もわからないけど、障害者を出して罵らせたり、殺したり。罵倒して彼らを悲しませる、それで、世の中はこんなにも最低だって?ふざけるな! 頑張って戦ってる人間に対して、自分の評価が欲しいからって、適当に描くな!
ボツちゃん政治家が、庶民の事も分からず過酷な労働をさせてるのにとても類似した不快感。
大森立嗣は絶対にほんとうの底辺を理解していない。こんなうすら馬鹿に大金で映画を作らせてる時点で、日本は最低なのかもしれない。
主演含む3人が裕福な人間を起用している事も全く納得がいかない。そいつらがいくら演技で吠えようとも、なんの効力も持たないし、見ていて不快でしかない。
暴力やエロ、そして露悪さを描けば褒められると思ってるのか?たつしのばか!
過去最悪の映画だが、、、
過去最悪の映画でした。星1か星5で悩みなが評価を下げない星0で。
狂気や怒りや不快感などが溢れて来ます。まさに胸くそ悪い人達です。
普通は、悪人にもどこか理解出来たり、感情移入もできるものですが、まったく救いがない。
暴力シーンや性的なシーンなどもとても観てられない、、、も思いつつ、最後はどうなるのか気になってきました。
主役の3人のキャラは今思い出しても、怒りと不快感しかありませんが、役者としては素晴らしい。ただただそう思います。
また、演出に関しても、よくもここまで、、、と逆に感心してしまう。
過去最悪の映画であると同時に、どう評価してよいか分からない作品でした。
中途半端無しで、星一つとさせて頂きます。
いきること、しぬこと
内容があまりにも激しいので、年齢制限を設けるべき。スギオの最期の描き方は、
えげつないと言う他はない。
個人的にR指定「15」に疑問です。「15」ではなく、「18」ぐらいではなかろうか。
「R指定」の基準が曖昧になってはいないだろうか。それはさておき、
仲野太賀第一回作品。エンドロールの(個人的には)「俳優 太賀」で良いと思った。
不確かなものへ疑問を抱きながらイライラする3人が、ふとしたことから「本物の拳銃」を手にすることになる。そこから3人の日頃の鬱屈した現実から抜け出す術を知る。三者三様の
欲望が暴発する様を彼らの言動や行動の中に鮮明に出現する。
それが「いきること」「しぬこと」に結びついていく。今現在生きてきた監督の世間への強い訴えとなり、観る者に強いメッセージとなって、作品の中に露出する。「銃を手にする怖さ」とか「反戦」とか。」。私が見た大森作品「日日是好日」から受ける「茶道の無」とはまったく異なる今回の作品「今の時代を生きる大人たちのなぜかはっきりとしない愚かな一面」をカメラで上手く捉えられた秀作であると思われる。ただ表現方法が、若干露骨であることは否めない。これが「監督 大森立嗣」の描き方なのかもしれない。YOSHIの演技も気迫抜群で及第点を差し上げる。母親に銃を突きつける場面は、ハラハラさせられた。
NO WAY OUT
高校同級生の男子2人+無戸籍14~15歳の少年という3人組やんちゃ小僧の話。
推薦で高校に入ったが怪我で柔道をやめたエージ、思いを寄せる同級生が売春をしているが何もできないスギオ、自分勝手でコミュニケーションの無い母親に苛立つ無国籍の通称タロウ。
思春期の少年達それぞれが抱える鬱憤や悩みと、持て余し溢れるパワーや欲求が重なって爆発し、衝動的にやり過ぎてしまう様が、遥か昔にその世代を通り過ぎた自分にもしっかり伝わって来て、怖さもあるけれど良く理解できる。
といってももちろん理性が働くので飽くまでも心情やフィクションの描写としてね。
何で唐突にそれ?というところもあったけど。
爽やかさはないけれど、熱いものや哀しさがグチャグチャになってぶつかってくるし、やり切れないモヤモヤが良かった。
魂の殴り合い
『タロウのバカ』今年最大の問題作であり、最高の作品でした。俳優陣の熱量が半端なく凄い。
また、冒頭から最後まで遠慮無しにぶちかまされる演出に監督 大森立嗣の魂を感じた。関わっている人たちの本気度・魂の殴り合いが伝わって来ました。
もう一度観たい、観ます!
好き、生きる、死ぬ、祈る、そして…
好きって何?
映画の中でずっと投げかけられる問いだ。
好きとは何か?
べつに学校で習った訳でもないし、いつのまにか女の子が好きとか、友達が好きとか自然と湧き上がってくる感情のようで深く考えたことなどなかった。
好きとは何か?
それほど様々なものを削ぎ落とさないと分からないことなのだろうか。
タロウは、母親の愛情など注がれたことはないし、学校も行っていない。
半ば感情を剥き出しにして生きるタロウにとって、好きとは大きなテーマだった。
そして、それはエージやスギオにとっても、更に、洋子にとっても同様だ。
スギオは洋子に対して、好きという感情を抱くが、それは洋子に受け止めてはもらえない。
洋子には好きという感情が欠けてしまっていた。
スギオは、好きという感情を心のうちに抱えて命を絶つ。
エージは、好きということが何か、はっきりしないで、分からぬまま死んでゆく。
そして、タロウは…、きっと、大切な友人を失って初めて、この2人のことが好きだったのだと気付き、狂ったような叫びで、その悲しさを表したのではないか。
好きとは、楽しいと何気なく通り過ぎていく。
好きとは、叶わなければ生きる希望を失うこともあり、
好きな人がいなくなれば悲しい。
好きとは、人が人であるための感情のもとであり、
好きとは、生きるのに大切なものであり、
好きな人のためには何か祈ろうとさえ思う。
タロウが仲良くしていたダウン症の子が、友人を亡くして、雨の中悲しみに暮れて歌っていたのも、実は象徴的な場面だったのではないかと思う。
ティーチインの舞台挨拶のある上映会で鑑賞し、監督に、好きって何ですか?
分からないと。
僕たちへの問いかけですか?
そう、世の中の人みんなへのね。
誰かを好きになりたいと思わせる。
僕は好きな映画だった。
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