LORO 欲望のイタリア : 映画評論・批評
2019年11月12日更新
2019年11月15日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
畸形的な権力者の肖像を透かし彫りにすることで、現代イタリアの空虚を凝視する
数限りない収賄、脱税、女性スキャンダルによって悪名を轟かせたイタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニ(トニ・セルヴィッロ)が、政権に返り咲く2006年から10年の時期にスポットを当て、この稀代の権力者の一筋縄ではいかない内面に迫ったドラマである。
しかし、ベルルスコーニが登場するのは40分ほど経過してからで、監督のパオロ・ソレンティーノは、まずは美女を斡旋し権力者に取り入ろうとする野心家の青年セルジュ(リッカルド・スカマルチョ)の浮薄きわまりない行状を、お得意の万華鏡を思わせる華麗な映像テクニックを駆使して描き出す。とはいえ、肌を露出させた美女たちの延々と終わることのない乱舞を眺めていても、そこには濃密なエロスはまったくといってよいほど立ち上がってこない。どこか冷めきった虚ろさが漂っているだけだ。
ベルルスコーニが自邸で美女軍団を集めてパーティを開いたものの、ベッドで若い娘に「祖父と同じ口の臭いがする」とすげなく拒まれるシーンがひときわ印象的だ。それは、後半、ベルルスコーニが、未成年淫行疑惑の果てに長年連れ添った妻ヴェロニカ(エレナ・ソフィア・リッチ)から三下り半を叩きつけられ、激しく罵倒しあう、寒々とした光景と奇妙に照応しあうものである。
つねにベルルスコーニは、表情のニュアンスを欠落させたグロテスクな仮面のようなメイクで佇んでいるだけだ。その内面は他者にはまったく判読不可能で、大いなる虚無に包まれているかにみえる。
ラストで大地震が起き、被災地を訪れたベルルスコーニが耐震住宅の建設を約束すると、崩壊した教会からイエス像が引き上げられてゆく。この場面は、フェリーニの「甘い生活」(60)の冒頭、キリスト像を吊り下げたヘリコプターがローマ市街の上空を周回するシーンを否応なく想起させる。フェリーニは高度成長期のイタリアを古代バビロンになぞらえ、絢爛たるデカダン絵巻として描いたが、パオロ・ソレンティーノは、畸形的な権力者の肖像を透かし彫りにすることで、現代イタリアの抱える途方もない空虚をじっと凝視しているかのようである。
(高崎俊夫)