ホワイト・クロウ 伝説のダンサーのレビュー・感想・評価
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国家によって個人の自由は束縛されるべきではない
ロシアが生んだ天才バレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフが映画にフィーチャーされたのは、1971年の映画「バレンチノ」以来かもしれない。あの時、鬼才ケン・ラッセルはハリウッド黄金期のレジェンド、ルドルフ・バレンチノ役に同名のヌレエフを起用して、賛否はあったものの、映画が夢を紡いだ時代の雰囲気を画面に蘇らせた。特に、ヌレエフ扮するバレンチノが同時代のアイコン、ニジンスキーにタンゴを伝授する場面は、異様に艶めかしかったものだ。監督のレイフ・ファインズが今作で描くのは、そのヌレエフがいかに祖国ソ連に束縛され、自由な表現、自由な場所を夢見て足掻いていたかだ。そんな天才の内面にどこまで切り込めたのかは疑問だが、映画のクライマックスで展開する亡命に至る経緯のスリルとサスペンスは、過去のいかなる作品をも凌駕する緊迫感に満ちている。すぐ目の前にある自由をつかみ取れそうで取れない、ギリギリの駆け引きは、とりあえず自由な空間で生きる保障を約束された観る側の恵まされた状況を改めて考えさせられる。天才であろうがなかろうが、国家によって個人の自由は束縛されるべきではない。単純にそんなメッセージが胸に突き刺さる実録ドラマである。
自らの信じた道を貫くダンサーの姿に、監督レイフ・ファインズの信念が重なる
俳優としておなじみのレイフ・ファインズが、その一方で監督業へ進出して久しい。これまでシェイクスピア物の現代版や文豪ディケンズの知られざる逸話などを映画化した彼が新たに挑むのは、60年代にソ連から亡命した若きバレエダンサーの物語だ。『愛を読むひと』やTV映画、舞台作などでも組んだことのある脚本家デヴィッド・ヘアに脚色を託した末、そこには「表現することへの欲求」や「個人の自由」を追求した主人公の飛翔ともいうべき瞬間が刻まれることとなった。 有名俳優を使わず、バレエの本質をごまかすことなく、さらにセリフには英語とロシア語、フランス語が混ざり合う。通常の商業映画ならば誰もが避けたがるこれらの道をあえて辿り、この物語や世界観を真摯に描きつくそうとする姿勢にファインズの心意気が伝わって来る。自らの信じた価値を貫こうとする主人公の姿には、少なからずファインズ自身の生き様が投影されているのかもしれない。
国家のために特攻隊の肉弾にされる芸術家たち
冒頭、 パリに到着したヌレエフ。 見つめる先は ルーブル美術館のジェリコーの大油彩画 「メデューズ号の筏」だ。 これから始まる「命を賭したヌレエフの行く手」を暗示する絵だ。 台詞の少ないこの作品を、破綻させずに「バレエ映画」として、実話ベースのドラマとして、ここまで格調高く仕上げた脚本家、演出家たち。そして有能なアドバイザーも大勢いたはずだ。もちろん出演する有名無名のダンサーたちの輝きは言わずもがな。 統括する映画監督はレイフ・ファインズ。 プロフィールを調べれば納得だ。彼らの実力は大したものではないか。 ルドルフ・ヌレエフの半生。 はみ出し者=ホワイトクローな彼、ヌレエフの、「誰とも上手くやっていけない非常にまずい性格」が、 ―彼の幼少期にも、 ―ロシアでのバレエ生活でも、 ―彼を支えようとしてくれる人々への対応でも、そして ―彼を監視し、政治思想犯として連れ戻そうとする官憲に対しても、 ヌレエフは「困ったことに」丁寧な対応が出来ない。 けれど、 いくらかの問題があるから孤高の存在になれるのであり、 たしかに問題があるからアーティストはアーティストたる所以なのだろう。 ゆえに、 国境も、決まり事も、恋人の想いも踏みにじって、ただ彼は自分のためだけに舞う男だったのだ。 ・ヌレエフの伝記として、また、 ・そんなに彼に惚れ込み、攪乱させられた多国籍の人たちの物語として、とても興味深く観させてもらった。 ・・・・・・・・・・・・・ 僕は、 「EUがノーベル平和賞を受賞した時」に、 この世界がついに、満身創痍の泥沼から、 政治と文化と民族と歴史を超越して、とうとう我々人類が難波した船から「救難の筏」で脱出し始めたのだ!と思い、感動で胸が一杯になったものだ。 本作も、フルシチョフ時代のソ連が、一旦崩壊し、その後の、つかの間の冷戦の緩和を受けて、ロシア・フランス・イギリスの三国が協力して作り上げた作品。 サウンドトラックの管弦楽も、ロンドンとベオグラードが分担している。 自国の過去を省み、かつての自国のイデオロギーを否定し得る、「協調」。これが新しいロシアのキーワードだ。 それにしても 体制の波にもまれながら、じつにたくさんの芸術家たちがヨーロッパへ、そしてアメリカへと渡ったものだ。 追手の追跡を振り切って逃げたアーティストたちは、歴史に名を残すだろう。しかし亡命に成功した彼らは氷山のほんの一角なのだ。 その美談と名声の陰に埋もれて、ついに逃げ切れなかった者たち、そして やはり亡命を選ばなかった者たち ( 選べなかった者たち) が、どれほどまでに多く、壁の向こう側にいたかと思うと、胸が痛まないではおれない。 ・ ・ チリ人の裕福なパトロン =クララ (アデル・エグザルホプロス)や、先生の妻もとても良い味を出していて、ドラマを熱く息づかせている。 そして劇中でヌレエフを支え続けたパリ在住のダンサー役はウクライナ出身のセルゲイ・ポルーニンだった。 その後のロシアは、あろうことか、ウクライナ戦争を引き起こし、ペレストロイカの喜びはいずこ・・。ロシアは過去の恐怖政治に逆戻りだ。 プーチン支持を表明した僕の大好きな指揮者ワレリー・ゲルギエフが、西側からボイコットされて演奏旅行に出られなくなってしまった事も、本当に悲しい結末。 ヌレエフがふるさとに残してきたお母さんの面影が、幾度も白黒映像で去来します。 ここ信州には、徴兵によって家族と引き裂かれた画学生たちの「無言館」もあるのです。 アーティストも、アスリートも、そして誰ひとりも、国の威信のための肉弾になってはいけない。 抵抗しなければいけない。 逃げなければいけない。 ·
天才の孤独
持て囃されるのに、どこかクールで辛そう。 ダンスに物語を吹き込む事のできる人は、技術に専念注意のダンサーとは思いもパッションもレベチなのですね。 満たされているはずなのに、僻むのは切ないけれど、だからこそ、ダンスに打ち込める。 素晴らしいバレエでした。 お見事です。
母よ、故郷よ
キーロフ・バレエ団の一員としてパリを訪れるバレエダンサー、ルドルフ・ヌレエフをオレグ・イヴェンコが演じる。
映し出される不安げであどけない幼少期の映像、厳寒の地で質素に暮らす彼らの姿が切ない。
緊迫した空港での亡命シーンがリアルに迫る。
ーウファの農家の子
ーシベリア鉄道
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕)
バレエ映画あるある
はい。 もう、バレエ映画あるあるで 兎に角主演ダンサー役が踊れ無さ過ぎる。 カメラワークで誤魔化そうと頑張っているが、そんな小手先で誤魔化せるはずも無く。 自分が演ずる予定ではなかったが(ワガノワ校長に?)説得されてプーシキンを演ったというレイフ・ファインズが素晴らしい。 ヌレエフ 、バリシニコフを育てた名教師でありながら薄幸だったプーシキンその人のようだった。 プーシキンの妻役も亡命の際に働く令嬢役も良い。ってか、ヌレエフ 役以外みなさん好演。 ポルーニンは無駄遣い。
メデューズ号の筏が見たいな
伝記映画は虚飾があるので、あまり好きになれないのですが、それを抜きにして素晴らしい映画でした。3つの時間軸が同時に流れるのですが、キャストを利用して、理解を容易にしてくれていると思いました。イデオロギー抜きにして良かったと思います。 バレーの映画なのに、メデューズ号の筏が見たくなりました。ルーブル美術館へ行きたいですね。 シベリア鉄道よりもヨーロッパを語るならオリエント急行なのかなぁ?
自分ごとに
日本は当時のソビエト連邦の様な国ではありませんが、閉塞感があって息苦しく感じている人も少なくないと思います。ダンサーでなくても、天才でなくても、新天地を目指す全ての人の背中をそっと押してくれる作品かと思います。
シベリア鉄道
実在の亡命ダンサー、ルドルフ・ヌレエフの半生を描いた作品。彼が誕生した1938年と名門キーロフ・バレエ団に入団した1955年、初のパリ公演となった1961年の三つの時代を交互に描かれていた。
バレエについては全く知識がないため、ルディの芸術への憧れとさらなる高みを目指す姿勢に驚かされる一方、パリの夜を遊び歩いた自由奔放さに団体行動ができない身勝手さや傲慢さの印象で、友達になりたくない!と感じてしまいました。天才という人はどこか違う。列車の中で生まれたという特異性もあるけど、ソ連という枠の中でだけの活躍するだけじゃ惜しい存在だと思った。ホワイトクロウというタイトル通り、団体行動ができない異端児。バレエにしてもソロの演技が目立っていた。
自分を理解してくれる教師(ファインズ)の奥さんとも肉体関係を持ったとか、フランス女性クララとも仲良くなるが、そうした恋愛の結末がさっぱりわからないところが残念でした。それはクララの記者会見にも象徴されるように、「彼とは恋人ではない。どうなるかもわからない。彼はそういう人なのよ」と、恋愛や人間関係においても自由人だったのだろう。それがオペラ座で伝説ダンサーになったのだから世の中わからないものだ。
亡命ってそんなに簡単なものなの?という、終盤のスリリングな展開。思わず息をのんでしまいました。最後のテロップには死について簡単に書いてありましたが、AIDSで亡くなったとか詳細に書いても良かったんじゃないのかな?
野性味溢れるダンサー
ルドルフ・ヌレエフってこんなダンサーだったんだと改めて知る事が出来る映画。オレグ・イベンコが有りのままの野性味溢れるルドルフ・ヌレエフを体現している。この映画の監督でもある レイフ・ファインズがルドルフの指導教師役で 出ているが、抑えつつも内面のにじみ出る 演技をしていて良い。 後半の展開がスリリングだった。
タイトルなし
1961年 23才の天才ダンサー 初の海外バレエ公演をパリで。 ソ連から「西側」へ亡命した伝説のダンサー #ルドルフヌレエフ の半生を映画化 . #レイフファインズ は ヌレエフの映画化を考え20年以上ーー。 「これだけ長い時間を要した。ひとつ強力な原動力を挙げるなら、ルドルフ・ヌレエフの精神。『個』よりも『集団』に重きが置かれていた当時のソ連で、ヌレエフは『個』としての夢を追求する。アーティストとして自己実現する姿が、私の心をとらえ続けたのだと思う」 そう語る。 演技経験のないプロのダンサーを起用 ウクライナ出身でカザン・タタール劇場で プリンシパルを務めるオレグ・イヴェンコ 実力は折り紙付き 躍りそして表情も本人と錯覚させるそう . ヌレエフは傲慢でもあるが パリの美術館で絵画や彫刻を目にし 美を追求する姿勢・その感性に魅せられ 踊るシーンはすばらしい 社会主義国家からの亡命 緊迫し手に汗握ります . . 以前鑑賞した 🎥「ホワイトナイツ 白夜」('85アメリカ) こちらは 1974年にソ連からアメリカに亡命 ミハエル・バリシニコフについて 描かれています
美しい。そして素敵✨
美しい✨
景色
音楽
建物
絵画
ステンドグラス
ヨーロッパに行きたい。
フランスの警察がカッコ良過ぎ💕
『 45分間 1人で考えなさい』
『あれはフランス行きのドア
こっちは飛行機(ソビエト)へ』
『君が決めるんだ』
45分で遠くへ逃げて~!!!
最初あまり感情移入できなかったが、いつの間にか前のめり気味で観てた(*^^*)
そして実話と知らず鑑賞したので
より一層感動した✨
ありがとう、自由😃
監督のレイフ・ファインズってハ、ハリーポッターに出てたじゃないですか~💦💦💦
す、すごい。
二本立て二本目。今日のテーマは社会主義、実話。 主人公ヌレエフ、ヤ...
二本立て二本目。今日のテーマは社会主義、実話。 主人公ヌレエフ、ヤバい奴。劇中でも世界一わがままと言われていたがまさに。師事した先生もまたヤバい。ソ連って浮気公認?先生の嫁、私の前にも現れて欲しい(笑) ラストの亡命シーンは手に汗握ります。クララ・サンって何者?セレブ?(笑) それにしても今のロシアってどんな感じなんだろう。それこそロシア映画とか、面白い作品を見ていろいろ知りたい。
技術を研磨してストーリーを語れ!
ストーリーは
1938年3月17日、ヌレエフ一家が、父親の赴任先に向かうシベリア鉄道の列車の中で,ルドルフは生まれる。タタール人の父親は軍人で、ムスリムだった。ルドルフには上に3人の姉がいた。5歳の時に、母親がもらい受けた1枚のチケットで、家族はバレエを見に初めて劇場に行く。ルドルフは劇場の豪華なシャンデリアや、踊り子たちが照明に照らされて拍手を浴びる様子を見て、バレエを自分の一生の仕事にしたいと思う。そこで戦争中の貧困と食糧難もあって、幼いルドルフは地方の全寮制のダンス学校に入れられる。戦争が終わり、ルドルフが17歳になって、1955年やっと彼はレニングラード(セントぺテルスブルグ)のマリンスキーバレエ学校に入学を許される。そこでアレクサンドル プーシキンに実力を認められる。
ヌレエフはバレエ団のなかで人一番熱心に練習をする団員だったが、性格的に協調性に欠け、自己主張が強いために、いつも孤独だった。また裕福な子女が多いバレエ団のなかで、貧しいタタール人出身だったヌレエフは、ムスリムのタタール人を揶揄するホワイトクロウをいうレッテルを貼られていた。それは事実上にのけ者にされていたルドルフのあだ名でもあった。しかし彼の実力を誰も否定できなくなり、やがてプリンシパルとしてバレエ団の中心的存在になっていく。
彼はバレエ団の海外巡業でパリを訪れ、フランス文化大臣の息子の婚約者クララと親しくなって、彼女とキャバレーやバーに行き夜遊びをする。KGBはそういったフランス文化を資本主義の退廃した姿と捕えていたから、ヌレエフの監視を強化した。そしてこの海外遠征が彼にとって最後の旅になるだろうと、警告する。
パリ公演を終えて、バレエ団がパリからロンドンに移動しようとする空港で、ヌレエフはKGBに、他の団員達と別れてヌレエフだけ帰国して、モスクワ公演に合流するように命令される。KGBに取り囲まれ自由を奪われたヌレエフは、助けを求めて叫ぶ。見送りに来ていたパリバレエの団員は、急きょクララに助けを求める。亡命希望者は、自分から亡命をする国の担当官に亡命したい旨を伝えなければそれを認められない。クララは、パリ空港警察を、ヌレエフの後ろに立たせ、別れの言葉をヌレエフに言う許可をKGBからとって、ヌレエフに空港警察官に亡命する意思を伝えるようにささやく。クララの言葉に従い、ヌレエフはKGBと空港警察との激しいやり取りの末、保護されてフランスに亡命する。1961年、ヌレエフが23歳の時の事だった。
というお話。
この映画の話題性のひとつは、監督がシェイクスピア劇場出身の英国が誇る名優、レイ ファインズが監督したということだ。英国映画にも拘らず、舞台がセントぺテロスブルグとパリなので、ロシア語とフランス語で物語が進行して、それに英語字幕がつく。
ヌレエフは実際、英語を独学していて、米ソ冷戦時に珍しく英語が話せるロシア人だったそうだ。映画の中でも役者はロシア語なまりの英語を話す。米ソが一触触発で核戦争が始まるような危険な世界情勢のなかで、ヌレエフが英語を話せたことは奇跡のようだが、それが亡命するうえでものすごく役に立ったのだ。
それと、この映画が評判になったのは、何といってもルドルフ ヌレエフという世界一名高いバレエダンサーの波乱の半生を描いた作品だということだろう。ヌレエフは日本にも公演に来たし、彼のダイナミックで現代的なバレエは、いまも沢山映像になって残っていて、没後26年経っても人気が衰えることがない。
レイフ ファインズは1993年に刊行されたヌレエフの評伝を読んで、20年もの間ずっと映画にしたいと考えていたという。ヌレエフ役のダンサーを、9か月間探して、ロシアでオーデイションを繰り返してヌレエフの体つきも踊り方も似ているバレエダンサーを見つけた。
ヌレエフ自身は、短気で自己主張が強く、周りの人を平気で傷つけ、自分が思い通りのダンスが踊れるようになるまで妥協のない、極度の頑固者だった。地方巡業を断ったり、自分の実力を認めない教師に怒りをぶつけたり、高級レストランでウェイターが自分を百姓の息子だと馬鹿にしていると怒り出したり、わかままいっぱいだ。それでもダンサーとして最高のところまで行き着きたいと一心に願っている混じりけのない純粋さが、胸を打つ。
映画の中でヌレエフがひとり美術館で絵画や彫刻を食い入るように真剣に見つめるシーンがいくつか出てくる。初めて訪れたパリで、ひとりルーブルに入りテオドール ジェリコの「メデユース号の筏」を凝視する。フランスフリゲート艦メデユース号が座礁して乗組員149人のうち、わずか15人が、救命ボートの中で殺人やカニバリズムをして生き残った。男達の生と死、期待と絶望、そのすさまじさをヌレエフは見ていたのだろうか。
またセントペテルスブルグのエルミタージュ美術館で、レンブラントの「放蕩息子の帰還」を見つめる。父親の大きな手に抱きしめられる子供の安堵、それはヌレエフの子供時代に決して得られないものだった。
ヌレエフを演じたオレグ イヴェンコが素晴らしい跳躍を見せてくれる。バレエ学校の練習風景が沢山出てくるのが嬉しい。男の美しい足が床を蹴る。床をなぞるように、流れるように円を描きながら跳躍する。力強いジャンプから着地するときの激しい音。
おまけに「ダンサー、セルゲイボルーニン世界一優雅な野獣」のセルゲイ ボルーニンがマリンスキーバレエ団のヌレエフのルームメイトとして出演していて、練習風景の中でこれまた素晴らしいジャンプを見せてくれる。英国紙ガーデアンの映画評では、オレグ イヴェンコよりも,端役のセルゲイ ボルーニンがずっとチャーミングでセクシーで素敵だ、と書いてあった。でも映画ではそんなことはなく、オレグ イヴエンコがちゃんと主役になるように撮影されている。当たり前だけど、、。。実際は、二人は仲の良い仕事仲間として互いに尊敬しているそうだ。
映画の中でプーシキンが、ヌレエフに、どんなに技術が素晴らしくても語るべきストーリーが伝えられなかったら、バレエじゃない、と言っているが、オレグ イヴェンコも、セルゲイ ボルーニンもストーリーを踊りでみせてくれる力を持っている。
ヌレエフは1961年に亡命したあと1980年まで20年間英国ロイヤルバレエ団に所属してプリンシパルダンサーとして、カリオグラファーとして活躍した。19歳年上のマーゴ フォンテーンとペアを組み、ジゼル、白鳥の湖、ロメオとジュリエットなどで世界中をセンセーションの渦に巻き込んだ。マーゴは1961年にヌレエフに会った時、ロイヤルアカデミーオブダンスの校長先生で、42歳でリタイヤをするところだった。だが23歳のヌレエフとのペアが実に似合っていて、二人の踊るヴィデオを今見るとロマンチックで優雅で夢みたいだ。マーゴはその後、パナマ人で弁護士の夫が暴漢に襲われ車椅子生活を余儀なくされたため、看護するためにリタイヤして1991年パナマで、71歳で亡くなった。彼女の死亡を告げる新聞記事が出たとき、華やかだったバレリーナ人生と実生活の不幸とが思われて、悲しかったことをよく覚えている。
ヌレエフは、英国ロイヤルバレエを去ってから、パリオペラバレエのダイレクターになり、そのあとは、カリオグラファーとして活躍した。10数年前シドニーにパリオペラバレエが来た時の「白鳥の湖」はヌレエフ版の作品だった。伝統的なロシアバージョンではなく、ヌレエフ版は、より人間的な悩み、迷い、悲嘆にくれて死んでいく王子のストーリーが生き生きと語られて涙をさそった。
バレエはフランスでルイ14世によってはじめて作られて以来、男の美しさを見せるための芸術だった。そういった人々の期待に応える形でヌレエフは究極を追及し、死ぬまでバレエ芸術に身を捧げた。1993年に、54歳の若さでエイズで亡くなった時も新聞で知った。芸術家は技術を磨き、その優れた技術を手段にして物語を人々に伝えなければならない。プーシキンは、ヌレエフに繰り返しそう言った。良い言葉だ。
バレエがあまり好きでない人でも、この映画で好きになるかもしれない。見て損はない。
天才がいなくならなくて良かった
バレエを見るための映画かと思ったら、ラストの亡命シーンにドキドキして、まるでサスペンスを見ているようでした。 人間としてはどうなの?と思うところは多々あったけど、それを補えるほどの才能だったんだろうな。 今回もフランス人の芯の強さをがっちり見せてもらいました。
ふつうの自由
亡命するって、何か強い主義主張があってするもんなのかなって思ってました。もっと広い世界を見たい、知りたいってことが制約される国で生まれるって辛いなって感じました。あたり前に自由がある国にいるんだから、もっと色んなことしないともったいんだなと考えるきっかけになりました。
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