アマンダと僕のレビュー・感想・評価
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姉の愛情
淡々と穏やかな日常 観てる側もフランスに住みたいとまで思うくらい、美しい風景と人達 前半はそれに尽きる しかし姉の死で幸せな日々は一転する 突然過ぎて弟ダヴィッドと娘アマンダは受け入れられない それでも時は過ぎる お互いぶつかり合いながら少しずつ成長していく 何故、ダヴィッドは自分を犠牲にしてまでも、わがままなアマンダの面倒を見れるか? 自分の姉の子供だからってだけではない やはりこれは、姉から本当に沢山の愛情をもらってた恩返しとでも言おうか それが子供であるアマンダへとそのまま注がれるのである この映画はダヴィッドとアマンダのやり取りのストーリーに見えるが、自分は前半の姉の素晴らしい愛情が後半を進めて行ってる気がします そして、ダヴィッドはレナに恋をする レナも悲劇に合い、片腕を患う それでもダヴィッドは「僕には君が必要なんだ」と言う そう、心の支えを姉から教わってるから いくつも仕事を掛け持ちしてたり、移動は自転車だったり… そんな素朴な生活だったからこそ、姉の愛情は心を尚更豊かにしたかと思います 本当素晴らしい映画でした
悲しみと再生
ふとした瞬間に涙が出てくるところはものすごく共感しました。現実はこのような瞬間に悲しくなるのだろう。 わざとらしくない演出に、静かに涙が出てきました。そして皆少しずつ再生していくのでしょう。レナとダビッドの間も再生されることを期待します。 ハリウッド映画にはないやさしさを感じました。
アマンダの涙の意味は
フランス映画は文学的である。哲学的と言ってもいい。生と死と愛を実存的なテーマとして、人間のありようが繰り返し描かれる。加えてその時代の社会問題も反映される。最近では移民問題やEUの行き詰まりだ。詳しくは描かれないが、姉サンドリーヌの悲劇にはそのあたりの問題が関係していると思う。 さて近くに住んで互いに助け合って暮している姉弟の弟ダヴィッドが主人公である。姉弟の母親は家族を捨ててイギリスに住んでいて、父親は他界している。姉には娘がひとりいるが、娘の父親はすでに赤の他人となっている。孤独な境涯の姉と弟だが、真面目に仕事をしてなんとか普通に暮らしている。贅沢は望まない。 しかし不条理にもこの慎ましい姉と弟に突然の不幸が訪れる。姉を亡くした弟は母を亡くした姪の世話をしながら途方に暮れる。親族や社会福祉の職員が助けになってくれるが、どこかで決断しなければならない。 日常生活は殆ど正常性バイアスに支配されていると言っていい。家族の突然の死はそれを打ち壊すもので、平静でいられる人は少ない。特に家計を担っている家族の死は深刻な打撃を齎す。アマンダみたいな可愛い姪でも、引き取って育てるとなると大変だ。 ヴァンサン・ラコストは真面目で誠実なダヴィッドの人柄を上手に演じていた。はじめて見る俳優だが、日本の昭和の俳優みたいでなかなかいい。アマンダ役のイゾール・ミュルトリエは更にいい。特にラストシーンの表情が素晴らしい。ずっと受け入れることが出来なかった母の死を、漸く受け入れることが出来た。心に溜まったわだかまりの澱(おり)を涙で流したような晴れ晴れとした表情に、観ているこちらも癒やされる。プレスリーが劇場からいなくなったように、もう母親はこの世界からいなくなったのだ。涙を拭いたアマンダの視界の中で生き生きとプレーする選手の躍動が彼女を勇気づける。不条理な人生だが、生命は輝いている。頑張れアマンダ、世界は君のものだ。
タイトルなし
はっきり言って演出には生硬なところが散見される。間の取り方が悪いところもある。でも最後は泣かされました。泣きました。ママとエルヴィスの唄に合わせて踊ったこと、ママに「エルヴィスは会場を去りました」という英語表現の意味と由来とを教えてもらったこと、最初ぼろ負けしていたテニス選手を観てアマンダの頭には「もうこの選手は勝てない」⇒「もうおしまい」⇒「エルヴィスは会場を去りました」⇒「ママはもういない」という理解がよぎって泣かずにはいられなくなったのだろうけれども、ぼろ負けだった選手が挽回する姿に勇気と希望とをもらって笑顔で拍手するラストに素直に泣けました。だから不満な点も有るけど★4つ。※ステイシー・マーティン可愛い。グレタ・スカッキ、老けた上に肥えていてちょっとショック!
意図は分かるが、物語が散漫
喪失がテーマであり、ドラマティックな展開もなく、テロさえも物語の背景に置いて、大切な人を喪ったふたりの関係性を描く映画。 ...なのだが、ふたりの関係性に焦点を当てたいのであればもっと登場人物を削れたような、物語を削ぎ落とすことができたのではないかと思う。関係者が多すぎて、物語がある意味単純な構造な割に散漫すぎるというか。細かなエピソードを繋ぎすぎて焦点がぼやけてしまったというか。そもそも焦点などないのか...。 ダヴィットとアマンダの哀しみはよく表現されているのだけれど、ふたりの関係性がずっと発展しているように見えないというか...。 でもまあそれがリアルなのだろう。しかし、リアルに描こうと、過剰に描くのはやめようという意図の結果なのか、ふたりが互いに何を見て何を感じているのか、私に心がないせいなのか分からない。心情のリアルに重きを置いた結果、実生活における困難のリアルが見えないのもあるし、テロを完全に背景に置くことの意図を掴めないというか。こちらの勉強不足かもしれないが、とても散漫というか、リアルなシーンを繋げただけでは物語にならない...というのも感じた。 ラストも消化できない。あの演出の意図が分からない。言葉の意味は分かる。アマンダの行為もなんとなく分かる。でもなぜあれをラストに持ってきたんだろうか...。あの台詞はラスト前に昇華しておいて欲しかった、気がしている。
悲しみからの強い絆
突然の悲劇で、母を失った7歳のアマンダと、姉を亡くした24歳のダヴィッド(僕)の絆を描いたフランスのヒューマンドラマ。 身寄りがなく一人ぼっちになった姪のアマンダの世話を、親代わりで引き受けるダヴィッド。 若いダヴィッドには荷が重く、戸惑いを隠せない。しかし、母親の死を受け入れられないアマンダが、自分なりに逞しく生きようとする姿に、ダヴィッドもしっかりしなくてはと絆を深めていく。 互いに支え合い、互いに寄り添って、悲しみを乗り越えれば、必ず希望の光が見えてくるということを教えてくれる。 感動のラストシーンはお見逃しなく。
フランスの今を表していますね
突然の悲劇で肉親を失った青年と少女の絆を映画いた作品。2018年の第31回東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリと最優秀脚本賞をダブル受賞。 “突然の悲劇”と言う事は「交通事故かな?」と思っていたんですが、いやぁ、余りにも現代の“突然の悲劇”ですね。ちょっと驚かされました。って言うか、フランスだと、シャルリー・エブド襲撃事件、パリ同時多発テロ事件など、リアルに起きている出来事。それが、映画で、こういう形で描かれるとは・・・。一般市民が、テロを恐れながら生きていかなければならない時代なんですね・・・。 ダヴィッドは、24歳。はっきり言って、ニートすれすれの生活の様です。そんな時に、いきなり姪っ子の面倒を見なければならないと言うのは、非常に困惑するのは間違いないです。でもそれが、彼の“何かのスイッチ”を入れたのかもしれませんね。それまでも、仲の良かったアマンダですが、良い保護者になっていきそうな感じがしました。 ラストシーンが、なんとも印象的。希望がある事を示しているんですね。
アマンダ
フランス映画らしく叙情的な映像を多く取り入れ家族愛を描いた秀作です。 特筆すべきはやはりレナ(ステイシー・マーティン)の存在感と美しさですが、アマンダちゃんの抑えめの芯の強さを感じる演技にも注目です。
『映画の力』
死者130人、負傷者300人以上というパリ同時多発テロを土台にしていますが、この作品は、声高に何かを叫ぶことはしません。それでも観賞後、ひっそりと、我々の心に訴えかける『映画の力』を深く感じました。 エッフェル塔も凱旋門も出て来ない、日常に徹したパリの映像も、とても好感が持てました。 「Elvis has left the building」、それでもまだ終わりではないのです。
ささえあいにひとひねり
悲劇的な事件で、シングルマザーの姉を失ったダヴィッドと、残された娘のアマンダ。途方に暮れるふたりが支え合いながら、前を向く物語。もうこれだけでジーンと来る。 幼い子供が親と死別して…という設定で、昨年見た「悲しみに、こんにちは」を思い出した。そちらは両親が亡くなったところから話が始まっていて、引き取られた先で家族になっていく物語だった。こちらは前半、姉弟と姉娘の仲の良い平凡な暮らしを見せられた上で、急に姉が失われるので、より残された二人の喪失感が際立つ。感情的に塞いだり泣き叫ぶことはなく、ジッと堪える二人を見てると、なんとも言えない気持ちになる。突然大事な人を失い、7歳のアマンダはもちろんそうだけど、ダヴィッドだって24歳で、どうしたらいいかわからない。でも陽はまた昇り、日常の生活はしなければならない。 でも、ただ静かに耐えるだけの話ではなく、そこに2つの意外な取り合わせが、物語に深い味わいをもたらす。 1つ目が“Elvis has left the building”というワード。 直訳はプレスリーは、会場を出ました。コンサート後に、延々彼の再登場を待っている観客に、主催者が「もう待っても出てきませんよ」というメッセージを出したことが語源で、その意味は…。 そして、2つ目がテニス。唐突感満載だが、それは観てのお楽しみ。この、つながりの無い2つのキーワードが、物語のアクセントとなってこの作品を光り輝かせる。 ジーンという感動の涙しながら、鑑賞後の爽快感を味わえる。優等生的な良作とはこういう作品だ。
前半の突然のテロには
ビックリ(゚o゚)/でした! なんだったんでしょうか? レナも怪我したんですね!なぜ右手つっているのかわかりませんでした。 レナ可愛いですね!後半は興奮しました。 テニス観戦シーンのアマンダの表情よかったです! 141本目
アマンダと僕の心の機微が秀逸
「僕」はパリでアルバイトをしながら暮らす青年。 同じくパリに住む姉とは仲が良く、姉には「アマンダ」という幼い娘がいた。 ある日パリで起こったテロに姉が巻き込まれて死んでしまう。 ピアニストの恋人は腕を負傷してしまう。 「僕」以外に身寄りのいない「アマンダ」 養子にして自力で育てるか、施設に預けるか、幼い頃に離婚して離れてしまった母親を頼るか・・・ パリで「僕」は叔母と代わる代わるで「アマンダ」を世話するが、生きていくためのアルバイトと両立が難しい。 「アマンダ」は突如唯一の肉親を失い、心の拠り所を失ってしまう。 優しくて頼れる叔父さんの「僕」はずっと一緒にいてはくれない。 母親と一緒に暮らしていた家と、叔母の家とを日替わりで移動する日々。 不安に苛む少女。 この二人の物語なわけだけど、この作品にはワザとらしいドラマがない。 時系列に沿って、日々を淡々と描くだけだ。 突如として発生するテロと、残された家族の非可逆な日々。 生活の中で生まれる言葉や表情にやり場のない怒りや悲しみが散りばめられていて、やりきれない思いがスクリーンに映し出される。 そしてアマンダ役の子役がこれがデビューというのはかなり信じがたい。 素晴らしい作品でした。
必見。いい映画。最後に泣けた。振り返ってもっと泣けた!
必見です! 姉が一人で育てている娘アマンダ、アパート経営手伝いをしながら、姉の子育てを手伝う僕(ダヴィッド)。そんな平凡でそれなりに幸せな日々が、突然の姉の死で一転、という話。 やられた。 淡々とした流れで、泣ける映画とは思わなかったが、最後に、すっかりしてやられた。泣けた。(好感) それも、テニス観戦シーンで泣くとは思わなかった。 伏線を回収するという言葉よりは、「全てのことはつながりあっているよね」という監督からのメッセージって感じ。 大好きなママが、一緒に踊りながら教えてくれた「エルビスは、もう出ていった。もういません」という慣用句が、そんな風な負のイメージで、アマンダの心に残っていたとは。そして僕(アマンダにとってのおじさん)が若い頃に打ち込んでいたテニスが、こんな形でその負のイメージを払拭してくれるなんて… ああ、今こう書いていても、また涙が溢れる。気持ちのよい(アマンダにとっての)「再生」を喜ぶ涙だ。 全編通して、明るく気持ちのよい映像が、この映画を支えてくれている。後半は重苦しい内容だが、映像面で救われながら、観続けることができる。パリの街を走る自転車の心地よさを含めて、是非堪能してください。 健やかな映像は、この映画の根底に流れている「生活していると、いろいろな不幸はある。しかし、生活している人たちに、悪い人はいないのだ」という信念みたいなものと、見事に重なりあっているように思える。 主人公の "僕" が、レナと恋人になる経緯と別れ。二人の関係は、別れた後もしっかりと語られる。それは、本編の主ストーリーと紡ぎ合う形で進む。そこもしっかりしてるし、なにより爽やかで気持ちがいい。 登場人物のなりや背景について必要以上の説明は避け、観ていればいずれわかるというスタンスでの作りは、107分という時間に収めるためとして当たり前なのだろうが、簡単なことではないと思う。すごくよくできた脚本だ。 2015,2016年と続いたフランスでのテロ事件と切り離しては話せない映画と思うが、それを中心にするのではなく、ひとりの生活の背景として描きながら、観客の心に「テロはいけない」とこれだけ強く植え付ける力もすごい。 いや、ほんとに傑作。こういう映画に出会えるから、映画ってやめられない。映画って、すごい!!
喪失を乗り越える必要などない
主人公たちに大きな変化をもたらす事件こそ暴力的なものだが、映画の描写は常に抑制が効いており、美しいパリの光景の中で丁寧に描かれる。 日常生活とその生活を浸食する決定的な喪失。主人公たちは各々の喪失とゆっくりと向き合い、喪失を抱えたまま、悲しみを抱えたまま、寄り添ってゆく。 喪失を乗り越えることなど出来ない、乗り越える必要などないのだと、寄り添って生きてゆく。 皆素晴らしい演技だが、アマンダは特にスゴい。あの年齢で、あんなリアリティを持って演じることが出来るんだ…
悲しみに寄り添い合う2人
時間を追うごとにじわじわと心が温かくなる映画だった パリで暮らす7歳のアマンダはママと2人暮らし 学校が終わると、近くで暮らすママの弟のデヴィッドが迎えに来てくれる しかしある時、ママが亡くなってしまい、生活が一変する 24歳のデヴィッドは、大好きな姉を失った悲しみに暮れる間も無く、アマンダの後見人になって彼女を引き取るか、それとも、施設に預けるのか の選択に迫られる… これは人の喪失感についての映画だった 大切な人を失った悲しみから、どうやって立ち直るのかについて、子供の視点で描かれている 7歳の子供に、ある日突然「お母さんが死んだよ」と言った時、頭の中では「もう会えない」と理解できても、本当に「亡くなった」ことを理解するには時間がかかる この映画は、その「立ち直る時間とペース」を、とても自然に描いた作品だった アマンダはまだ7歳で、死を理解できないだけでなく、彼女の叔父さんであるデヴィッドも24歳で、まだまだ若い デヴィッドは、経済的にも、精神的にも自立する過程にあって、まだ頼りない そんな幼いアマンダとデヴィッドが、深い悲しみから立ち直ろうとしていく 私は、その同じ悲しみや、痛みを抱えた人々が、自分たちのペースで支え合い、助け合っていく姿がいいなあと思った この手のタイプの映画では、すごく悲しませたり、頑張って立ち直させたりしがちだけど、この映画は、それがない 彼らが、普通に生活する中で、呼吸をするペースで、悲しみ、立ち直っていく その自然な感じと、彼らを見つめる視線が優しくていいなぁと思った 自分が深く悲しんでいることに気付く瞬間も、また、そこから立ち直る時間も、人それぞれなのだ また、アマンダを演じている子役の女の子が、とても自然で驚かされた 悲しいことがあった時、無理に立ち直ろうとする必要はない 時には、周りの人たちに頼ったり、会話をしていくことで、自然と立ち直れているものだと、この映画を観て思った
慟哭に震える魂の救済
予告編だと「仲のいい姉弟だったのに、事故で姉が死に、姉の娘を弟が引き取るかどうか悩み、だんだん家族になっていく」っていう、漫画『マイガール』みたいな展開かと思いきや! 全然違った! ある事件で姉の命を失い、恋人のピアノ奏者も右腕の動きを失う。 恋人は、悲しみとトラウマを抱え、怯えながら田舎に行ってしまう。 主人公は姉の娘をどうこう出来る心の状態じゃなくて、悲しみと喪失感で、歩いていても仕事していても不意に泣き崩れてしまう。 誰にも頼れない状況で、しかも育てる自信のない姉の娘を抱え、どう生きていけばいいのか? 事件の遺族や被害者の家族らの、悲しみに打ちひしがれ、慟哭とともに彷徨する魂は救済されるのか?というテーマの作品であった。 重い。 が、つまらないわけではない。 生きていくことの意味を感じさせてくれる、すごい仕上がりでした。
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