「愛に捧ぐ」アマンダと僕 森のエテコウさんの映画レビュー(感想・評価)
愛に捧ぐ
何気ない日常が、ある日忽然と奪われる。
その誰にでも起こりうる事態に直面した時、人はどうその先を生きるのか。
青年は迷い苦しみながらも、残された姪を養女にする決心をする。
その決心をするまでの心の軌跡が丹念に紡がれる。
7歳の姪の名前は、ラテン語で「愛する」「愛くるしい」という意味を持つという『アマンダ』
アマンダ役のイゾール ミュルトリエちゃんは、監督が街中でオーディションのチラシを手渡して見い出だした演技経験の無い少女だという。
この少女の無垢な演技が、この作品の品格を一段と高めている。
とても素人とは思えない感情移入した演技で、存在感が半端ない。既に名女優の貫禄すら漂う。
淡いブルーの瞳で真っ直ぐに見つめられたとき、目をそらさずに自分は何を返せるだろうか。
映画監督というのは、街中ですれ違う普通の女の子の才能が直感的に視えるのだろうか!と単純に驚くキャスティングだ。
その少女の演技を引き出しているのが、デビッド役のビンセント ラコスト。彼の演技は、とてもナチュラルで共感できる。きっと彼にいざなわれて少女も自然に感情を表現できたのではないだろうか。
その他、デビッドの恋人レナ役のステイシー マーティン。
モデル出身ながら、イギリスで演技を学んだという私から見て『あいみょん』似の彼女も、この劇中の理不尽な出来事に巻き込まれた若い女性の心の変遷を微妙に表現し、とても印象深い。
心と体の傷を負ったデビッドとレナが、時をおいて再会したとき、二人は時間によって少しだけ癒され、自分を取り戻し、再び対面することができた。
4回目のデートとなったその日の夜、デビッドはレナの胸に抱かれる。
そして、エンドロールの最後にクレジットされた「シャンタル アースに捧ぐ」のメッセージ。
この映画の撮影に入る前に亡くなった、アース監督のお母様の名前であった。
アース監督とお母様の経緯は知るよしもないが、この作品を通してアース監督がお母様に届けたかったメッセージは、「望みは捨てません」であり、その望みとはこの作品の題名の如く「人と人が寄り添い、愛に生きる望み」なのではないか。
監督にとって愛そのものである母性に捧げられた、仏国の大切なアイデンティティである『博愛』という言葉を思い起こされた、心に残る作品だった。
まだ公開館が少ない中、公開初日の客席には、自分より上の世代のご夫婦も多く、上映後に「いい映画だったね」という声が聞かれたのが又印象的で共感できた、世代を問わず観てほしい映画だ。