「当時の125ドルは、、、、」グリーンブック えんぞさんの映画レビュー(感想・評価)
当時の125ドルは、、、、
調べました、1962年→2018年。 ネットってホント便利☆
で、当時の$125は現在の貨幣価値で$1,050ぐらい、ざっと10倍弱弱てとこでしょうか。 $100 ≒ 今の$840、差額$25は→$210。 おーたしかに、週でこの賃上げなら手を打つかもな。 ここでは関係ないので円との為替変動は入れません。
映画の話をしますと、感覚的にですが、この映画はふたりの「強い」人が出てる話かなと思いました。 ふたりの強さはお互い異質です。
ドライバーのトニーは自由な心の持ち主です。 真に自由であり続けるためには強さが必要なのだと、彼をみていてわかります。 彼の強さはひとつには体力と腕力、そして狡猾さです。
彼は愛情を受けるのも上手いので孤独ではありません。 しかし粗野で了見が狭く、わからないものには無関心・非寛容で そこが弱みになっています。
一方、ドクは高等教育と努力によって地位と名声を築いてきました。 しかし肌の色や個人的指向(ネタバレ部分)に強いコンプレックスがあり そこが絡むと途端に暴走し破綻します(南部に真っ向から挑んでいこうとするとか、もうね 笑)
彼をみてるとガードの堅さは弱さなのだとわかります。 それ故に彼は孤独です(ただし理解者はいます)。
この映画では いいか悪いかよりも前に、誰が「強い」か「弱い」かを示す箇所が随所にあった気がしました。
いろんな人が出てきます、金持ちの黒人、貧しい黒人、差別を態度に出す白人、表には出さない白人、差別しない白人、権力の犬、使用人、等々。
主人公もそれぞれ、白人だけど非プロテスタント、黒人だけどルーツが非アフリカン、というのも差別問題が当時から白人/黒人の単純な2項対立の構造ではなかったとわかります。
事は根深く、人は簡単には分かり合えない。
そして大抵はその場で強いものが弱いものを挫きます。 昔からです、どんな時代でも。 よかろうが悪かろうが。
なのでこの映画は、強い体制よりさらに強いふたりが打開していこうとする話ですね。 だからといって強さ万歳・ハイ解決☆ てワケにはいかない。 強くたってひとりじゃムリ、でも協調ゼロ、それぞれに弱さもあり、危なっかしい。 弱さは人を何かしら困難にさせ、だからこそ人は苦しいんだとわかります。
ふたりとも幸せになってほしいと願わずにはおれないキャラクターですが、果たして…。
モノゴトがいいか悪いか、正しいか間違っているかよりも、強いか弱いか、なおかつ自分が何をすべきかすべきでないか、何が出来るか出来ないか、そしてそのためにはどう強くあるべきかを考えさせてくれます。
まずひとりひとりがそれぞれに強くなること。 そして強くあってもなお、信じる者の別の強さにも託してみること、それも強さなのではないかと知りました。
あれ、貨幣価値のちがいがあるのを当たり前に理解してても ちょっと感覚ちがいますよね、かなり安いイメージで、ああ、だから主人公の家庭はそれでも飛びついちゃうほど貧しいのか、とか。
でも、まあ家とか食事とか暮らしとかみてるとたしかに裕福ではないけれどそーんなでもないですもんね。。。
ちょっと待って、ちょっと待って、なんでそんな簡潔にまとめられるんですか。。。 (悲嘆)
そうですね、そう思いました。 中途半端さがいちばん危ういしみっともない、本人にとってだけでなく、気づかないうちに次は自分が差別する側になっているという怖さがあるのも事実です。
ホント、強くあるのも命がけです。
仰る通り、レビューの趣旨もそうでしたね。
相手に託す事が大切。そのためには自分自身が強くなる必要がある。
人からも託してもらえるということですね。
今の日本にも繋がると思います。
たしかにトニーがドクを・という構図が前面に出てたのでご指摘ごもっともです。 ただ、トニーもドクによって救われた部分があったと思うので今回はギヴ&テイクってことでいかがでしょうか。
トニーとドクて書くとなんだかトニー・スタークとドクター(ブルース・バナー)、或いはドクター・ストレンジぽくないですか、どうでもいいですね。。
「ブラック・クランズマン」も実話が元ネタらしいですが脚色もふんだんにあるとか。 スパイク・リーったら。
ところで前コメントで、「バベル」の白人夫婦が離婚話・と書きましたが さすがに離婚じゃなく一歩手前の倦怠期?不仲?相談だったかも(記憶力ゼロ)。 でもモロッコ行ってました、しかも子どもを家におきざりで。
アメリカはデカいですからね。。広い世界と、でも車の中は閉ざされてるので本音を云いあえるのでしょうか。 下世話な云い方しちゃうと 旅に出なきゃ分かり合えない・っていうね 笑
昔「バベル」という映画みましたがアメリカの白人夫婦が離婚の話をするためにモロッコまで行ってましたよ。