男はつらいよ お帰り 寅さんのレビュー・感想・評価
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寅次郎永遠の花
昔は寅さんに興味無かった。
でも、今では一番好きな映画。
寅さん好きになった時、すでに渥美清は他界。
なので、寅さんを見る時は必ずTV。それが当たり前。
一度は劇場で観てみたいと思った事は勿論あるが、そんなの単なる夢。
…と、思っていたら!
超ビッグニュースが飛び込んできたのが、昨秋。
寅さんに、まさかまさかの新作が!
2019年は第1作目が公開されてちょうど50年。『ハイビスカスの花 特別編』も含めると、通算50作目。
節目に、記念作。
それにしても、寅さんを劇場で観れる日が来るなんて…! 新作を観れる日が来るなんて…!
今年は近年稀に見るほど話題作相次いだが、やっぱり一番最大の待望作!!
この日を、待っていた…!
(なのに、地元の映画館では上映せず
。極刑にしたい!(#`皿´)
なので、隣町の映画館へ、有休…いやいや、“ちょうど休みだった”ので、初日朝一で行って来ました!)
寅さんの新作を劇場で観れるってだけで、もう見る前から★5の今年ベストワンは決まってるようなもんである。
この嬉しさ、喜び、楽しさ、令和時代に寅さんが見れる幸せ♪ 上映中、ずっと頬が緩みっ放しだった。
とは言え、寅さんが好き過ぎるからこそここはこうして欲しかったなどを交えつつ、
つまりは、超独断偏見贔屓レビューになりますので、ご勘弁を。
まず、開幕の松竹マークにお馴染みの音楽が流れなかったのが残念! 是非ともあれを劇場で体験したかった~!
メインタイトルと主題歌は、待ってました!
…でも、その主題歌を歌うのは、桑田佳祐。桑田佳祐自身寅さんの大ファンで、山田洋次監督のラブコールで、勿論歌も上手いんだけど…、出来れば渥美清の原曲で聴きたかったなぁ…。桑田佳祐には悪いけど。
寅さんのOPと言えば、夢。さすがに今回寅さんの夢ではなかったけど、ちゃんとある人物の夢で始まる。
さてさて、本編は…
すでに事前に解禁になった通り、シリーズの後半同様、満男メインで展開する。
で、今回の新しい設定を聞いた時、意外で驚きもあった。
シリーズの後半で晴れて小さな靴会社に就職した満男だったが、何と小説家に転身! 何だか、『ALWAYS』の役を彷彿したのは私だけ…?
驚きもう一つ。結婚したが、6年前に妻と死別。あれ、泉と結ばれなかったの~!?
その日は妻の7回忌の法事。今はマンション暮らしのようで、久々に柴又へ。
ああ…。待ってました、この町並み。
柴又駅、帝釈天、商店街、そして“くるまや”…。
ずっとTVで見ていたこの風景を、劇場大スクリーンで見れる日が来るとは…!
そしてそこに、変わらぬお馴染みの面々が。
さくら、博、源ちゃんに三平ちゃんまで。特筆すべきは、あけみの本当に久し振りの登場が嬉しい。
あたかもずっとここで暮らしていたかのように、自然に。
その“くるまや”はちょっと様変わり。お店は今風のカフェになっているが、その奥に、私もTVを通して何度お邪魔しただろう、あの居間が。
スッと私自身もこの家に“帰って来た”。
法事が始まる。新しい御前様は、山田監督作品に欠かせない笹野サン。あのオカマのバイカーから出世したね~!
仏壇には、おいちゃんおばちゃんの遺影も。
さらにこのシーンで、満男の語りで両親の馴れ初めが紹介され、第1作目のシーンが挿入。この記念すべき第1作目を、名シーンを、劇場で観れるなんて…!
またこの時、初代森川おいちゃんや舎弟の登の姿も。早くもジ~ンとしてしまった。
強いて言うなら、裏のタコ社長の工場が今はもう潰れてアパートになっているのが無念! タコ社長があんなに苦労しながら守り続けてきた工場だったのに…。
出来れば博が2代目社長になって、「社長の苦労が分かるよ…」という台詞でも言って欲しかった~!
序盤から懐かしい面々や風景がいっぱい。
そんな中に、新顔が一人。満男の娘、ユリ。
これがとてもしっかり者で、何て可愛いいい娘!
とてもとても不器用な父親やあのろくでなしの伯父さんの血筋とは思えないくらい。諏訪家/車家双方の“新たなる希望”…と言うか、さくらに似たのかな?
何にせよ、この家族にいらっしゃい!
寅さんが好き過ぎるので、ゴジラ同様、自分なりの“その後”を想像した事あるのだが、
意外であったり、こうであって欲しかったり、
でも、これぞ見たかった柴又の皆の“今”であった。
何やら冒頭部分だけで既に長文になってしまったが、スミマセン、ここから話の本題に入ります…。
満男の最新本が出版され、サイン会。
嫌々だったが、引き受けて良かった。
だって、もし引き受けてなかったら、再会は果たせなかったからだ。
イズミこと初恋の相手・及川泉と…。
てっきり二人は結ばれたものだと思っていたが、別れ…
そしてイズミは外国で結婚し家庭を持ち、今は国連で難民を援助するという立派な仕事をしている。
仕事で日本に訪れ、滞在中休みが出来、偶然にも満男のサイン会の事を知った。
果たしてこれは偶然だったのか…? それとも二人はやはり運命の…?
満男はその直前、泉との恥ずかしくて切なくて大切な思い出を夢で見ていたのだ…。
満男をメインで描く以上、やはり泉は欠かせない。
本作で久し振りに女優復帰した後藤久美子。役柄も今の彼女に合わせたような破格の待遇。
かと言って、二人の若かりし頃のような恋が再燃する…というのではなかった。
勿論お互い、今も胸の奥に秘め続けているだろう。あの頃の想いを。
二人は、それぞれの道を歩んだ。
正直、二人が結ばれていて欲しかった。
でも、そう思い通り行かないのもまた人生。
それに何となく、満男がもし再婚するのならばあの人…と思えた。それでいいんじゃないだろうか。ユリも懐いてる事だし。
ちょっぴり切なくも、大切な初恋の思い出と再会出来ただけでも。
二人のその後を見れて、この二人にとっても突然訪れたプレゼント。
そう、本作はプレゼントと言うより、お宝なのである。
ファンには堪らないお宝が、いっぱいいっぱい!
泉と再会した満男は、とあるジャズ喫茶へ連れて行く。その喫茶の名は、“リリー”。そう、経営するは、寅さんの永遠の恋人、リリー!
泉の母・礼子も登場。病床の実父も登場するが、寺尾聰じゃなかったのが残念!
何より最高なのは、これまでのシリーズの名シーンがたっぷり挿入されている事。
現代パートの新撮シーンと思い出の過去の名シーンの合わせで、下手すりゃトンデモ映画になりそうだが、これがその都度その都度、絶妙なタイミングで巧みに合わさっている。その編集の妙!
もう何度も言うが、あのシーンこのシーン、あの名台詞を劇場で観れるなんて…!
特に大好きな、『ぼくの伯父さん』での個人的寅さんベスト名台詞を聞けるなんて、感激…。
新撮シーンで満男の亡き妻の父親が土産で持って来たのは、あのフルーツ! ファンならお馴染みあの爆笑エピソードも!
そしてクライマックスは、これまでシリーズを彩ってきたマドンナたちの姿が一挙に! ほぼ全員ってくらい、出し惜しみ無いくらい映し出されたんじゃないかな。
吉永小百合を始め、もうあの人この人追い付けないくらい。中には、先日亡くなった八千草薫さんや、第1作目のマドンナ・光本幸子や笠智衆も。もう、私に泣け!と言うんですか!
出来ればエンディングはお正月の風景からのお馴染みの音楽で終わって欲しかった気もするが、
エンディングで、待ってました!渥美清が歌う主題歌! 懐かしいあの歌声を聞き入ってしまった。
とにかく改めて、山田洋次監督にとって寅さんがどんなに大事な作品なのかを再認識させられた。
寅さん以外でも沢山の名作を手掛けているが、原点であり全て。
寅さんは山田洋次監督にとって、ご自身の心そのもの。
本当に本当に本当に、新作を作ってくれてありがとうございます!
(そしてこれからも新作(まずは『家族はつらいよ4』)を楽しみにしています!)
新作ではあるが、少なからず番外編やスピンオフの印象も否めず。
何故なら、渥美清はもう居ない。
渥美清が演じてこその寅さん。
無論本作で、渥美清の新撮シーンなんてある訳が無い。
でも…
間違いなく、本作の中心に、あの四角い顔のフーテンは居た。
不思議なもんだ。
過去のシーンの繋ぎ合わせなのに、しっかりと作品の中心になっている。
また、その過去シーンも何度も何度も何度も見ているのに、今回劇場で声に出して笑い、ジ~ンとさせられた。
何故だろう。何故こうも、寅さんに魅了されるのだろう。
きっとそれは、寅さんが我々に沢山の沢山の、
笑い、
人情、
愛情、
優しさ、
温かさ、
涙、
感動…
我々人が一人一人持つ心と感情の全てを与え、伝えてくれたから。
やはり日本や日本映画には、寅さんが居なきゃ!
決して昭和の映画とか古い映画なんかじゃない。
令和の今でも、誰の心にも温かく染み入る、寅さん。
50年分の思いを込めての、寅さんの「ただいま」。
そして我々は、これからも、ずっと、永遠に、迎え入れる。
お帰り、寅さん!
ベタは最強
試写会で鑑賞。「寅さん」シリーズは初めて。
自分が好きな映画ではない気がするとメモしてから見たが、ベタは最強だ。何度か涙が出た。
落ち着いた古い町、押し付けがましく親切な老親が住む狭く温かい家。昭和的な温かさ。
よい。
渥美清という人は嫌味がないと改めて感じた。
総じて出演者のセリフがストレートで、必要以上に語気が強く感じられるが、客層を踏まえるとそうした演出がおそらく正しい。
寅はもういない
良かったです。
ただ、この映画は正に「男はつらいよ」のラスト作品だという事です。この映画でおいちゃんおばちゃんは亡くなっていることには触れられていましたが、寅に関しては一切触れられていない。ただただ満男の情景に幻のように現れている。しかし、幻影を見るだけで何かを言ってくれるわけではない。
寅のいない世界では、ただただ私達が日頃感じているリアルな現実世界しかなく、ラストで満男が寅を思い出し涙を流す。これはもう寅は存在しないという現実を突きつけられてしまった。ラストの回想シーンは本当に悲しくて泣き崩れてしまいました。
この映画で寅は亡くなりましたとは言わないところ唯一の望みですが、それは自分的には無理としかいえない終わり方でしたね。(お帰り寅さんという小説タイトル、満男が回想して涙を流す等)
山田監督は男はつらいよのエンディングをしっかり創りたかったのではないかと思いました。
なので、現実世界に取り残されたように、本当に悲しく辛かったです。
こんな寅さん見たくなかった90% やっぱり見に来てよかった200%
試写会に当たり、今夜、一般公開より一足早く待望の新作を見させていただいたので、そのつとめと思い感想を書きます。
映画の初めの富士山の松竹映画のマークに合わせて、いつもの、♫チヤーン チャラリラチャラ チャララ という音楽もなく、寅さんらしからぬ静かな始まり方に、いつもと違う違和感を感じるところからこの映画は始まりました。
始まってしばらくたって、一番最初の回想シーンからもうだめです。
泣けて泣けて、胸が苦しくなってしまいました。
さくらが博を柴又の駅まで追いかけて、帰ってきて、寅に博との結婚の約束の報告をする第1作の名シーンです。
さくらも博も寅もみんなみんな若くて生き生きとしているシーンを見せつけられた後に、年老いたさくらと博、そして既においちゃんもおばちゃんも仏壇の中の人となり、寅については、その生死については映画の中では語られませんが、見ているこちらは当然に、寅さんはもういないのだなと思ううと、その残酷なまでの現実がに、つらくて見ていられない気持ちとなりました。
ある意味、この映画は全編がこの繰り返しで、寅さんファンであればあるほど、見ているのがつらくなる映画ではないかとも思えます。
思えば私が初めて劇場で寅さん映画を見たのは、中学2年生の夏、第17作の夕焼け小焼けでしたが、そのころには寅さんも性格的に既に温和に丸くなり、いいおじさん化し始めていましたが、まだビデオもなかったあのころ、それ以前の旧作を場末の名画座に探すように見に行った時、手のつけられない、凶暴でわがままな寅さんを見て腹が立ったのを憶えています。
その後寅さんはどんどん丸くなり、満男にとってはいろんな意味で良いおじさんとなっていった辺りが、今回の映画の伏線となっています。
山田監督は最後の何本かの満男シリーズを撮っていたあたりから、今回の映画のような延長線の上にある作品を構想していたのではないのかと思うほどです。
映画を見終わった後、劇場からの帰り道、駅まで歩いている間、まるで大切な人のお通夜の帰り道のような、せつなくて、つらくて、悲しくて、苦しい思いをしながら歩いていました。
こんな思いを、映画を見た後に感じたことがなかったので、これから劇場でこの映画を見ようとしている方たちに、なんと伝えてよいか迷うところですが、タイトルの通り、見たくなかった90%、見に来てよかった200%です。
ある意味今夜は少し興奮しているようなので、少し落ち着いたら、お正月過ぎに、今度はお金を払って、もう一度見てみたいと思います。
きっと、あの年老いたさくらや博が、しばらくぶりに再会した親戚のようにやさしく『2階で良かったら泊まっていけば・・・』と癒してくれるのではないかと思えるのです。
寅さんのいない寂しさを共有する
東京国際映画祭で鑑賞しました。
感想から述べると、本当にいい映画でした。涙が止まりませんでした。
語彙力が乏しい自分が恨めしいのですが・・・エンドロールでは文字通り、泣きっぱなしでした。
こんなに笑って泣いて、泣きすぎて懐かしくて胸が締め付けられて、ああ、私って本当に寅さんが好きなんだなぁとつくづく感じました。私の中で、架空の人物でこんなに恋しく思えるのは寅さんだけかもしれない。
それは渥美清という俳優そのものが好きだということにもつながると思うのですが、渥美清さんが私生活を一切見せなかったことで、より渥美清=寅さんが一体化して、寅さんの存在感が現実味を増したとも思うんですよ。
だから、私およびファンの中では寅さんはファンタジー性がないんです。誰の親族の中にも一人はいそうな「ちょっとだめなおじさん」が、本当に存在してしまってるんです。だから、「便りはないんだけど、どうしてるのやら」とでもいうように、ふと思い出したときに強烈に恋しくなる。寅さんを思い出すときに一種の郷愁を帯びるのは、「子どもの頃はよく遊んだのに」という子どもの立ち位置に自分が還ってしまうからなんです。少なくとも、私はそうです。それは満男そのもので、私は満男を疑似体験しているようなものなのかもしれない。
で、本作も満男が主役です。満男は7年前に奥さんを亡くし、めちゃくちゃいい子に育った娘と一緒に暮らしてます。脱サラして、作家として一歩を踏み出してヒット作がうまれ、サイン会まで行うほどになります。
後藤久美子の演じるイズミはばりばりのキャリアウーマンなのですが、台詞の読み方が初期のゴクミの大根役者ぶり(失礼!)にそっくりで、歳を重ねたのでもっとうまく演技できるはずだろうに、あえてその頃に寄せている感じがしました。それが国際社会で活躍していて、たまに日本語が辿々しくなる女性像とマッチしています。満男は寅さんのようにアグレッシブではないですが、肝心な所で躊躇したり曖昧な態度を取るところが非常に寅さんに似ていて、DNAを継いでるなぁと思わせて笑えます。そして、優しいところも。
で、満男の出版社の編集担当者役・高野演じる池脇千鶴が非常にうまい。満男との距離を壊したいような一線を越えたいような、もどかしい女心と空気感を表現してます。
カフェとなった「くるまや」のなかで登場する色々なアイテムやシュチュエーションから思い出される、寅さんのいた日々。
誰も「寅さんはどこにいるのやら」など、寅さんが実際どうなったのかという直接的な台詞は言わないんです。
ただ、思い出す。それがヒロインや名場面とともに挿入されるんです。寅さんを取り巻く家族やリリー、友人たちと、その思い出を一緒に共有しているようで、切なくてたまりませんでした。
寅さんのいない喪失感から逃げずに受け止めるようなラストに、心の底から感謝しました。
みんなの心に寅さんをよみがえらせてくれた監督に、本当にありがとうと言いたいです。
くるまや同窓会
リチャード・リンクレイター監督の「6才のボクが、大人になるまで。」は13年間にわたる同一キャストの夫婦と息子を経年的に描いて、2015年のアカデミー賞では話題をさらった作品だった。もちろん、その製作手法が大きく評価されたことは言うまでもないだろう。22年の間隙を超えての「寅さん映画」である。令和になった今、新進小説家となった満男は娘ユリとの生活がある。そしてある日、偶然再会した及川泉との数日間が描かれていく。そこで展開される物語は、かつての(後期の寅さんは殆ど満男の青春成長&恋愛物語と人生アドバイザーとなる寅の話だった)満男と泉のエピソードや「くるまや」に集う面々の老いと世代交代を、かつての映画のシーンのカットを共有させたり、目配せしたセリフを重層的に織り交ぜながら進んでいく。
今回の満男と泉のエピソードは、かつては恋愛コンサルタントとして存在した寅さん不在のなか、互いに「ここに寅さんがいたら、どうしていたか」と言うことを意識しつつ描写されていく。相変わらず行方不明の寅さんの存在や輪郭が、すべての登場人物が寅さんを意識することによって浮彫になっていく。たとえば、荒野で堀跡を掘っていったら、城の全容が浮かび上がるようなものか。そこには確かに、この形の「寅さん=城」があったことが解る。「桐島、部活やめるってよ」(2012年 吉田大八監督)という高校生の傑作群像劇で、タイトルロールの桐島は最後まで登場してこなかった。そんな香りを残しつつ本作では、膨大に存在する「男はつらいよ」での寅さんが<具象的に>登場していく(シリーズ50周年、49作品)。最後まで「令和になって老いた寅さん」は出てこないが、さくらは「お兄ちゃん、いつ帰ってきてもいいように」と二階の部屋を使えるようにしている。まだ寅は、どこかで生きているのだろう。
「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年 ジュゼッペ・トルナトーレ監督)を彷彿させるクライマックスのサービスシーン。やはり「冒頭の夢」のあるお約束。微笑ましい。
役者では夏木マリがいい。
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