「要するに、ネットを扱えない高齢者向けの映画」男はつらいよ お帰り 寅さん ジャワカレー澤田さんの映画レビュー(感想・評価)
要するに、ネットを扱えない高齢者向けの映画
寅さんがこの世を去ってから今まで、時代は大きく動きました。
やはりインターネットというものが普及したことが最も重要な要素だと思います。YouTuberというものが職業と見なされ、様々な才能を持った人が様々な動画を作って多くの視聴回数を稼いでいます。
つまり、現代に寅さんが存命なら「定職のないヤクザ」どころか「すごいことをやって生計を立てている人物」としてもてはやされている可能性があるということです。
そのような時代の変化を、制作陣も映画館に足を運んだお客さんも分かっていないように思えます。
この映画で語られることは、半分は「昔話」です。言い換えれば、回想シーン。昔、寅さんがああいうことをした、こんな女性と付き合っていた、ということで止まっています。
そんなことを言ってる場合じゃないでしょう。現代の価値観で寅さんの生涯を再評価するという作業を、満男ですらしようとしません。彼は作家なのに。
過去のシリーズの名場面集なら、制作陣が編集してYouTubeで公開すればいいじゃないですか。わざわざ映画にする必要なんかありません。
要するにこの作品は、PCどころかスマホも扱えない「情報格差の向こう側の人々(即ち高齢者)」のためだけに作られた代物ということです。
故に、登場キャラの感性が昔と全く変わっていません。
満男に再婚を迫る周囲の人々。満男は「デリカシーがない」と言って怒りますが、それはデリカシーどころかセックスに関わることなんですから、口が裂けても「再婚しなさいよ」なんて言ってはいけません。それが現代の価値観というものです。
ところが、満男の娘までもが父親に再婚の話をする始末。いかにも昭和的な「ありがた迷惑」の感性が、未だに柴又を支配しています。
その上、この作品に出てくるティーンエイジャーはまるで80年代からタイムスリップしてきたような子ばかり。劇中に出てくる「不良を気取った男の子」なんか、2019年の日本に存在しません。
40年前から世界観をアップデートできない制作陣と観客。彼らが考えていることは徹頭徹尾「あの頃は良かった」であり、「もし今の時代に寅さんが生きていたら」「現代の価値観を持った人物が寅さんの生涯を本気で調べたら」という視点はまったく持ち合わせていないということです。
これがいかに残酷か。
ただし、山田洋次監督は今まで何度も「実験的映画」を平気で公開してきた鉄の心臓の持ち主なので(これは誉め言葉です)、この作品に関しても徹頭徹尾計算ずくでやっていた可能性も否定できません。だとしたら、この人とんでもない妖怪ですね(これも誉め言葉です)。
もう一度書きますが、現代にはYouTuberというものが職業として成立しています。それまでは「無職」だの「プータロー」と呼ばれてきた人たちが、その才能と独創性を生かして並の会社員よりも遥かの高額の収入を得られる時代です。つまり、寅さんは現代だからこそ生き様が高評価される(即ち現代の若者に支持される)かもしれないのに、周囲がいつまでも時代に対応しないせいでその機会を逃してしまいました。
そういう意味で、寅さんは既にこの世の人ではありません。