「人生は旅である。」男はつらいよ お帰り 寅さん 2bayさんの映画レビュー(感想・評価)
人生は旅である。
シリーズ50作目の今作は、大人になった満男の今のエピソードを軸に、寅さんとの思い出を回想するという特殊な作りになっていたが、僕にとっては特別な映像体験となった。ということで、非常に個人的な感想を少々。
うちの親父の兄に、なぎら健壱を四角くしたような顔で、陽気で、自由で、酒好きの伯父がいた。出来過ぎみたいな話だけど、若い頃の伯父は、露天商でバナナの叩き売りをやっていたこともあり、楽しい冗談でいつも周囲を笑わせてくれる、寅さんのような存在だった。
正月に親戚が集まると、酔って取っ組み合いのケンカをはじめることがあり、親父が止めに入ったり、お袋が割れたグラスを片付ける姿を見て、子どもの頃は「困った伯父さんだな」と感じることも多かった。
実家は商売をやっていて、仕事帰りに伯父がふらっと立ち寄ることがあり、そんなときは決まって、大学生だった僕を相手にビールを飲み、楽しい話を聞かせてくれた(帰りは飲酒運転だったけど、もう時効かな)。
「男はつらいよ」シリーズは、セリフを暗記するほど何度も観ているが、不思議なことに、今作中の名場面は、ことあるごとに、伯父の思い出と重なって見えた。
満男のエピソードもそうだ。駅のホームでの泉との別れの回想シーン。満男が衝動的に列車に飛び乗る場面では、大阪へ越した初恋の人に会いに行った、遠い過去の記憶が甦った。シチュエーションは映画とは逆で、新幹線に乗るのは東京へ帰る10代の僕で、ホームには見送る彼女。発車ベルが鳴り、彼女から「私も一緒に乗って行きたいな」と言われたとき、大事な一言が伝えられず、閉まるドア越しに見送ることしかできなかった無様な自分がスクリーンの満男に重なって見え、何とも切ない気持ちになった。
幼い恋は消滅し、30年余りが過ぎた。ごく平凡な仕事に就き、結婚して家庭を持った。子ども達は中高生になり、さくらや博と同じように、親父もお袋も年をとった。寅さんのような伯父は、数年前に他界した。
最後に会ったとき、伯父は病気で体中が痛いと訴え、「つらくっても、人間はなかなか死ねないもんだな」と言った。「人間は何のために生きてるのかな」という満男の問いに答える寅さんのセリフと伯父の言葉が重なり、スクリーンを観ながら溢れる涙を抑えることができなかった。
映画を観ていたはずが、気が付くと、自分の内面世界を見ていたという不思議な感覚。劇場内240席に240の人生があり、この作品を通して、各人各様のエピソードを思い返したに違いない。タイトルの「お帰り-」は、忘れかけていた大切な人や出来事を思い出させ、これからの旅(人生)を温かく見守ってくれる、旅人寅さんから観客自身への呼びかけのように感じた。