「★の数は郷愁が半分そして優越感が少し…」男はつらいよ お帰り 寅さん もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
★の数は郷愁が半分そして優越感が少し…
観る前は“何を今更寅さん”と思っていたが、観ているうちに涙腺崩壊、それは見終わった後も暫く続いた。
映画の作り方としては少しずるっこいような気もする。寅さん映画の名場面集だけで優に一本の面白い映画が作れるだろう。『ザッツ・エンターテイメント』の日本版である。かの名高き「メロン騒動」も出てくる。今見ても抱腹絶倒である。オールドファンならずっと見ていたい。
しかし本作の骨子はあくまで現在の満男の生活であり、特に再会した初恋の相手泉との三日間の物語である。
山田洋次監督の若い世代の描き方は最早類型的でしかない。
しかし中年層・老年層の描き方はさすがであり悲しくもある。前田吟、倍賞千恵子は既に立派な?ジジババであり(ところどころ若き日の姿が出てくるのでよけいにそう感じることになる)、あのハキハキしていたリリーでさえいいバハァと化している(老いたリリーを出したのが良かったかどうか、は今だに疑問)。しかしこれは自分も歳を取ったことへの認識に跳ね返ってくるが、それは決してネガティブなものではない。今や立派な中年となりそれぞれ自分の家庭を持ち仕事を持ち自分の人生を送っている満男と泉とが三日間だけ互いの変わらぬ想いを確認しまた自分たちのそれぞれの生活に戻って行く。若いときにはいくら望んで手に入らないものもある、過ぎた日々は決して戻ってはこない、でもそれで良いのだと思える、受け入れて前に進むしかない、それはある程度人生という年月を経ないとわからない達観だろう。そう、歳を重ねることは決して悪いことではない。若いときには見えなかったことも見えてくるから。
満男と泉も不倫というドロドロ世界には堕ちず互いにプラトニックな想いを抱えながら(恐らく一生、そしてこれは家族があろうがなかろうが関係ない)別れていく。そう言えば寅さんの(一方通行の)恋もすべからくプラトニックな恋であった。寅さんの肉体関係を伴わないプラトニックな恋はキレイごとだという批判的なレビューを嘗て読んだことがあるが、本当の恋とはプラトニックなものではないだろうか。片想いこそ本当の恋だとも言う(自分の体験少し入ってます)。
しかし山田洋次は本編の主題であるほろ苦い満男/泉の出会いと別れの影に、泉の現在の両親の姿を通して苦い現実も忘れず描いている(これも親の介護が現実問題となった年齢層には身につまされる話だ)。
それにしても、歴代マドンナが、次々にうつし出されるが、寅さんシリーズは昭和後半を代表する女優の宝庫だったと思う。あんなに早くこの世を去ってしまうとは思わなかった太地喜和子や大原麗子の姿にまた涙…
♪「奮闘努力の甲斐もなく…今日も泪の…今日も泪の陽が落ちる…陽がぁ落ちる…」やっぱり寅さんには人生を教えてもらっていたのかなぁ…