峠 最後のサムライのレビュー・感想・評価
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待ちに待っただけあった傑作!
ユナイテッドシネマ浦和にて鑑賞。
コロナ禍が始まる前(2019年)に司馬遼太郎の原作小説を再読して、待ちに待って、ようやく観た映画。
延期や公開日未定が続いたが、この映画、見事な出来だった!
公開延期されている間に、やはり司馬遼太郎の「竜馬がゆく(全8巻)」も読んだこともあり、「峠」の前に読んだ「燃えよ剣」も含めて、幕末をいろいろな角度から見つめていたこともあって、本作はとても深い映画に見えた。
大政奉還から始まり、薩長と会桑の対立、戊辰戦争の勃発、越後長岡藩の家老=河井継之助(役所広司)にスポットを当てた壮大なドラマ。
継之助の妻を演じた松たか子の名演が光る。
また、仲代達矢・香川京子・田中泯・井川比佐志などが脇を固めたのも、流石、小泉尭史監督ならでは…。
久しぶりに、きちんと原稿用紙に「映画評」を書きたくなった映画なので、ここでは詳細は記さない。
<映倫No.121709>
ガトリング砲はあんまり役に立たない!
中立国になろうとした話
予告編が面白そうだったので期待してましたが・・・
正直、がっかりな出来栄えでした。
面白いとか詰まんない以前に「古い臭い」
黒澤明監督のスタッフが集結して映画を作っているのでしょうがないのかも知れないけれど、画的に退屈でしたね。よく言えば正統派時代劇なんだけれど、悪く言えば時代錯誤な作品といった印象です。
司馬遼太郎原作の別映画「燃えよ剣」はもっと動きも見せ方も、アクションも現代風で退屈しないんだけど、本作はかなり地味なので現代の映画に慣れてる人は眠くなるかも。
小泉監督の「雨あがる」は個人的に大好きな作品だけに残念です。
原作は読んでませんが、河井継之助の事は少し知っていたのでこの映画で彼の事をもっと深く知れるのかと思い鑑賞したのですが、正直あまり参考にならなかったですね。
それに魂が揺さぶられることも無かったな。
私の浅い知識での河井はガトリング砲買い付けたり、西洋軍備をかなり取り入れて、当時の日本でも有数の武力を保持し、兵器の強さで新政府軍と渡り合おうとした人物で、先進技術を取り入れて未来を見ていたけれど、未来を見誤ってしまった印象。
当時イケイケの薩長に対し関東でも凄い人物がいたんだよってくらいの認識でいした。
この映画を通して最期を知れたのはよかったけれど、予想の範疇を超えてなかったので、まぁそんなもんだよね。って感じでした。
継之助の生き方とか考えは悪くないと思うけれど、結局なすがまま時代のうねりに飲み込まれてしまった一人のサムライであり、決して最後のサムライではなかった様に思う。
この映画でではかっこいい生きざまだとは思えなかったし、滅びの美学や未来を憂いて無念に散る儚さなんかもあまり感じなかったです。
私があまりこの映画に乗れなかったからかも知れませんが、もっとかっこよく撮れたんじゃないですかね?原作もこんな感じで英雄譚ではないのかな?
だとしたら私が勝手に美談を期待したのが悪い・・・。どうにも不完全燃焼で劇場を後にしてしまいました。
俳優陣は可も無く不可もなく無難でした。
仲代達矢はもう演じてるとかの次元じゃなくていつもの仲代達矢でしたけれども、他の方々は役所広司含め皆さんかなり力を抑えてた様におもいました。
変に個性を出さず均一化されたような印象で、ここが見せ場ってシーンが無かったようにも思います。
吉岡秀隆の憤慨してる感じは見たことなかったでこのシーンだけは見れてよかったなと思ったけれど、それぐらいかな。
思わず笑っちゃいそうなったシーンは有りましたね。
田中泯が竹藪で素振りするシーン。
映画内で泯さんの見せ場が無いから無理やり撮ったんだろうけれど、全然かっこよくない・・・。
取り合えず入れました感がにじみ出てましたな。
総評としては、古き良き時代劇映画であり残さねばならない手法や表現かもしれないし、ある意味では安定の品質なのだけれど、制作側としてそれでいいのかな?です。
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劇中セリフより
「今のお嬢では生臭い」
赤ん坊のころから知ってる女の子を性的に見ないため&見られないため、誘いを断るのはサムライとして当然の義務!
滅びの美学は今の時代に流行らない。あと、主人公が魅力的に描かれていません。
去年公開された「燃えよ剣」(新選組土方歳三)を見た際も思ったのですが、滅びの美学は今の時代に流行らない。
司馬遼太郎の原作は高度経済成長期に出版されたもので、イケイケドンドンの時代なら滅びを美しいととらえる考え方もあるのでしょうが、国自体が傾いている今の時代には滅びの話は魅力的に映らず流行らないと思う。
あと、主人公が魅力的に描かれていないように感じられる。
ほどほどの身分の出身でありながら、藩主の信認を得て藩政改革や兵制改革を断行したのが
主人公の功績のはずなのに全く触れられておらず、せいぜい武器購入に励んだとだけとしか描かれていない。
軍才があって新政府軍相手に八面六臂の活躍をしていれば華々しいけど、大したことがないのは史実のとおり。
妻思いの描写もねえ、昔はともかく今の時代では当たり前だし・・・
正直なところ、この映画をリピート鑑賞する人は稀なのではないかと思います。
2年を超えて公開された大作。日本史枠で押すならこちらが本命。
今年169本目(合計445本目/今月(2022年6月度)16本目)。
さて、こちらの作品。そもそもは2020年公開予定だったのですが、コロナ事情いろいろがあって2022年の公開と2年越しとなっています(なので、フィルムも2020年公開を想定したような部分が存在する)。
この類の映画、つまり、戊辰戦争を描く映画としては、去年2021年に「燃えよ剣」がありましたが、おおむね高評価だったものの「描き方が変」(回顧形式になっているので見る人が混乱するが、おそらく海外進出を想定しているもので、なぜか日本映画なのに英語の字幕が入ったりする)というのはありましたが、こちらはそのようなことはなく、主人公目線になっています。
映画内で参照される人物は実在した人物ですが、そこそこマニアックです(新潟県にお住まいの方はいわゆる「ご当地枠」として歴史で扱うのかな?)。一方で戊辰戦争は常識扱いなので、このギャップをいかに埋めるか、という点が論点になってきます。
他の方も書かれていた通り、どちらの勢力にも積極的に味方するわけでもなく、むしろこの戦争が終わった後(史実であれば明治維新以降の文化の「大変革」といえるほどの変わりぶり)を見通して行動をとれるようなリーダー、それが真に必要なのだという趣旨です。
やや中学歴史(義務教育の範囲)を超えている(換言すると、高校日本史でないと扱わない内容)が字幕にまで及んでいますが、国語(古文)などから類推はできる範囲です。また、一部聞き取りづらい点がありましたが(新潟弁?単に「必要語彙」が足りないだけ?)、理解に妨げを与えるものではありません。
こちらの映画も実在する人物がベースですし、もとの小説もあります。あれこれ書き始めるとこれもネタバレになってしまいます(もっとも、小説を読んでしまえば「動画化された」という意味以外でのネタバレの概念は存在しなくなりますが)。
特に減点要素はないのでフルスコアです。
よくできた作品
河井継之助の最後の5年間を描いたというので、若い頃の河井継之助が見れないのが残念だったが、役所広司の名演技で見ごたえのある作品となった。司馬遼太郎の原作通りかどうかはよくわからないけれども、気になる場面はよく描かれていて良かったと思う。
役所広司、松たか子、田中泯、香川京子、佐々木蔵之介、仲代達矢ら日本...
役所広司、松たか子、田中泯、香川京子、佐々木蔵之介、仲代達矢ら日本映画界を代表する豪華キャストの共演で映画化。
継之助の凄さがあまり伝わらないのが残念
2019 年には撮影が終わっていて、2020 年公開予定であったこの映画が、ウィルス騒ぎのせいで2年遅れながら遂に公開された。文庫本で3冊ある原作は読了している。司馬遼太郎が 1966〜1968 年に新聞連載したこの小説は、それまでほとんど無名に近かった幕末の越後長岡藩家老・河井継之助の名を一躍世間に広めることとなった歴史小説である。当時の武士には珍しい近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描いている。
まず、継之助の人となり、特にその卓越した先進的な価値観を彼がどうやって身につけ、その上で周囲に認知させるに至ったのかについて、原作小説では実に詳しく書いてあるのだが、それがこの映画では全く欠落している。維新の騒乱から家臣や領民を守るための最良の策は、多くの藩がそうしたように、新政府軍に恭順することであったが、長岡藩は徳川本家の親戚筋であり、主家を裏切る真似は倫理的に出来なかった。かと言って抗戦して勝てるほどの戦力は、僅か6万4千石の長岡藩にはない。そこで考えたのが武装中立というスイスのようなあり方である。
しかも、継之助が修めた学問は陽明学である。明代の王陽明学派の学問で、当時の支配思想であった朱子学に対抗して、思想界の底流にあった思想傾向は継承しながら、人間平等観に基づいた主体性尊重の哲学をたて、万物一体の理想社会の実現を目ざし、心即理、知行合一、致良知といった概念によって実践を尊ぶ情熱的な講学活動を行った。江戸初期には日本に伝わったが、開花したのは江戸中期から幕末で、飢饉の窮民を救うべく私財をなげうって活動した大塩平八郎などが陽明学の信奉者として知られている。
実践を重んじることから、つねに人を行動へと駆りたてるこの思想にあっては、つねに自分の主題を燃やしつづけていなければならない。この人の世で、自分の命をどう使用するか、それを考えるのが陽明学的思考法である。「命などは、使うときに使わなければ意味がない」という継之助の台詞は、まさに陽明学から出た言葉なのであるが、そうしたバックボーンが全く語られていないために、台詞に言葉の重みが欠けてしまっていた。
国家にとっての武装は、核兵器などを見ても明らかなように、使わないために準備するというのが本来の姿である。見せるだけで相手をビビらせるという効果を期待するものであって、その意味ではルイ 14 世が現代に換算して 30 兆円をかけて建設したヴェルサイユ宮殿も、敵の首脳を招待して圧倒し、戦争を諦めさせるために建てられており、戦争抑止力として機能していた。実際の戦争ほど金のかかるものはなく、ウクライナ侵攻でロシアは1日あたり3兆円の戦費を費やしていると言われているので、10 日分でヴェルサイユ宮殿が建ってしまうことになり、むしろヴェルサイユ宮殿は戦争をするより安上がりだったことが知れるのである。
継之助が購入したガトリング砲は、戊辰戦争の僅か6年前にアメリカで開発された当時最先端の機関銃で、当時日本に3台しかなかったもののうち2台を長岡藩が購入したものであったが、砲身の冷却機構がなかったためにすぐに過熱状態となって、あまり実戦には向かなかった。また、強力な武器は敵に奪われてしまうと自分に向けて使われてしまうことになるので、その運用には十分注意を払う必要がある。当時の記録を見てもガトリング砲が大活躍したという記述は見られないことから、局地的に使われただけであったのだろう。
中立を守るためには兵器も重要であるが、兵数も極めて重要である。江戸時代の軍法では、1万石あたり動員できる兵数は 300 名ほどとされていたので、6万4千石の長岡藩は 1,920 名ほどであり、存亡の危機ということで無理に動員したとしてもせいぜいその倍くらいが限度であろう。対する新政府軍はその数倍を送り込んできていた。いざ開戦となった場合には全く敵う相手ではなかったのである。
従って、継之助は全力を注入して事前交渉に当たったのだが、相手が悪かった。新政府軍監だった土佐藩の岩村精一郎は、恭順工作を仲介した尾張藩の紹介で長岡藩の河井継之助と小千谷の慈眼寺において会談したが、長岡の獨立特行を岩村精一郎が認めなかったのである。土佐の陸援隊崩れのこの男は、継之助の思考レベルには遠く及ばず、新政府軍への派兵と戦費の提供を怠ったことを詰るばかりで、説いて話せる相手ではなかった。アインシュタインの相手に中学生を寄越したようなものだったのである。
中立だと言っているのであるから、攻撃しなければ反撃されず、また敵に回ることもないので、スルーして通過すれば良かったのである。現にスイスはこの立場によって 200 年以上戦争を回避し続けている。せめて西郷隆盛クラスの頭脳を持つ者が来ていればという思いは拭えない。庄内藩との交渉に当たった西郷は、最後まで幕府側として戦った庄内藩に対して非常に穏便な処置で済ませ、その人物的な魅力によって庄内藩の上から下まで丸ごと心酔させているのである。
役者は役所広司をはじめ実力派を集めてあったが、ことごとく総髪の髷を結っていたのに違和感を覚えた。総髪は医者や学者など非戦闘員の髷であり、戦闘員である一般の武士は頭頂部を剃り上げていたはずで、現存する継之助の写真でもそれは明らかである。最近の時代劇はことごとくこの総髪の髷だらけなのが非常に不満である。また、徳川慶喜役は是非草薙剛に演じて欲しかった。女優では芳根京子が印象的であったが、「真犯人フラグ」などに比べると、彼女の良さはあまり引き出されていなかったような気がする。
加古隆の音楽は格調が高くて映画に合っていたと思うが、もう一つ劇的な表現があれば更に良かったと思う。監督・脚本の小泉堯史の映画は、「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」と、いずれも夫婦の映画であることから、本作も継之助夫妻のやり取りにかなりの比重が置かれていたが、その尺を少し削って継之助の近代的な思考法について述べて欲しかったと思わずにいられない。
(映像5+脚本3+役者3+音楽4+演出3)×4= 72 点
役所広司と松たか子に救われます
原作これまた長いんだよねー(笑)
松たか子のナレーションではじまります。
どうしても細かい描写を端折らなければならない作品の常套手段。
各々の登場人物の設定などは全て観る側の想像の構築に任せる他ありません。
ちょっと投げやりな?設定を原作ファンは受け入れなければ…
それでもやはり役所広司。この手の弁の立つ侍演じさせたら飛び抜けてます。誰もこの時代の本当の事知らないわけですけど本物を感じさせます。
妻役として松たか子を持って来たのも彼の演技を受け止め切れると思っての起用なんでしょうね。
芳根京子との掛け合いではどうしても芳根京子の拙さを感じてしまいました。(まだ幼い設定なのでしょうから仕方がない?)
悪くない作品だとは思います。数少ない時代劇大作ですし。
ただ司馬遼太郎先生の大作を1本の映画に纏めるのは大変だよなぁ…っと改めて。
せめて前後半の2部に(無理なんだろうけど)
『燃えよ剣』みたいに語り部を設定して端折るのはいい手だと思ったんだけど。
時代劇には厳しい時代です。
実力派俳優陣の生み出すセリフの説得力
試写会で拝見しました。
豪華実力派俳優陣で固めたので、「話している内容の説得力」と「キャラの存在感」がすごい。
これだけで2時間もたせてると言って過言ではない。
難しかっただろうに、よく映画化したなぁ、と。
原作は文庫で分厚い上中下巻。
江戸に留学して勉学に励み藩の要職を目指す上巻、長岡藩へ洋式の新しい銃器を導入して家老になり薩長西軍にも幕軍東軍にも味方しない(スイスのような)中立独立国を作り上げるために京へ江戸へと奔走の中巻をすっとばし、中巻の後半~下巻部分=大政奉還以降を映像化したので、個人的には物足りなさもありました。
前提が十分に描かれていないため、なぜ藩の人々にあんなに慕われ信用されているのかが、役所さんだからの説得力で押し通されてしまっていました。
結果、信念に殉じた不器用な男の生き様を見るだけになったような気がしてもったいなかったです。
心意気!
運良く、試写会に参加出来ました。しかも役所さん、松さん、小泉監督が登壇されて、インタビュー形式での新鮮なスピーチを聞けました。現代において戦国時代の映画を作る難しさは並大抵のことでなく、しかもメジャーな歴史上の人物や物語は既に幾つも出来上がっていて、それらを経て、今回の作品に至った経緯を知ることができて、それを噛みしめて、映し出される背景までも、つぶさに観ることができました。映画館で観る迫真溢れる映像や音声は素晴らしいものだと、あたりまえのことを再認識できました。そして日本人の心、愛する人との心の繋がり、地域一帯の心意気、粘り強さ、ひたむきさ、情熱、そしてそれらが凛とした仕草に顕れる様を観て、試写会後には、自身の歪んだ背骨が少しだけ真っすぐに戻ったようです。舞台となった歴史を調べてみたい気にもなりました。面白さや感動を過剰に期待することなく、平常心で、もう一度、映画館に足を運んで、幕末末期の心意気を感じ入りたいと思いました。
映画祭で一番後ろで見てしまったので、よく見えなかったし、オヤジの世...
映画祭で一番後ろで見てしまったので、よく見えなかったし、オヤジの世界で、何が撮りたかったのか、いまいちわからない。長岡という土地は好きだ、松たか子さんは良かったけど、大豆田の松さんの方が好きだし。
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