「理念で映画を作ってはいけないのではないか?」峠 最後のサムライ komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
理念で映画を作ってはいけないのではないか?
(完全ネタバレですので映画を見てから読んで下さい)
正直、主人公の河井継之助(役所広司さん)が何がしたいのか伝わって来ませんでした。
徳川家との義を全うするために自らの命を懸ける訳でもない。
民のために恥を捨て、頭を垂れて新政府軍の西軍と交渉する訳でもない。
(あのような、我を通しながら相手に譲歩を迫る交渉の仕方で上手く行くはずがないのは当然ではないか、と半ば呆れて見てしまいました。しかも思慮工夫なく長々と‥)
新政府軍の西軍にも旧幕府の東軍にも属さない武装中立を目指すとか言いながら、その現実性に責任を持ってるとも思えない。
新政府軍の西軍との戦いで退却し城を捨てよと命じた後に、再び城を取り戻すと決起し、しかも4日で再び城を失う。その一貫性のなさ。
ガトリング砲で西軍を蹴散らしながら、のちに城奪還のために戦う時には銃を使うな!と正反対の指示をする。
正直、観客の私からは、河井継之助の言動はあらゆる主張が支離滅裂だと思われました。
挙句には「自由と権利」が大切との主張をしますが、その前に、義を通すとか、己を捨てて部下や民を守るとか、やるべきことが山のようにあるのではないかと思われました。
このような理念スローガンだけ唱えるやり方では、当然、民も部下も守れず、このような最後になるのは目に見えていたと思われます。
最後の自害の場面もしっかりとは映されず、あらゆる場面描写から逃げている映画と残念ながら思われてしまいました。
さすがに司馬遼太郎氏の原作はきちんとした描写がされていると思われます。
であるならば、脚本を書いた小泉堯史監督の責任が本当に重たいと思われます。
小泉堯史監督は次作はしっかりとした脚本家に任した方が良いと思われます。
黒澤明監督もこれはいかんと思っているのではないでしょうか。
役所広司さんをはじめとして役者の方々の演技は素晴らしかったと思われます。
映像からもスタッフにも問題あったとも思えません。
つまりひとえに脚本の問題が大部分だったと思われます。
映画も人間も、空虚な理念やスローガンを掲げて描いてはいけないと思われます。
その問題が露骨に表れた映画だったと残念ながら思われています。
空虚な理念やスローガンをまず捨てるところから始められることを願っています。