峠 最後のサムライのレビュー・感想・評価
全176件中、1~20件目を表示
夕陽に向かう一羽のカラス
上映開始早々、緊迫の大政奉還のシーンが9分弱。これは「坐して聞け」という解釈で良いのでしょうか。映画ですが「見ろ」ではなく「聞け」と。
黒澤映画の血統とするならば、「乱」以来の戦の映画ということになりますか。「乱」のリアルな戦国の映像に大いに白熱しましたが、もはや武士が終焉する時代、戦場には銃声ばかりが鳴り響くのですね。そこは河井継之助、思い切りの良い奇襲作戦で、抜き身で敵に挑んでいく姿は、正しく最後のサムライの姿。
そんな壮絶な映像を見せつつも、カタルシスの強い映画だったと思います。気を引き締めておかなければ一語一句を聞き逃してしまいそう。冒頭の大政奉還は情勢の説明では無く、如何なる映画であるのかを説く、そのための緊迫感だったのか。
戦場の緊張も平和な日常があればこそ。松たか子さんが演ずる、おすがさんがとても良かった。デコピンされて芸者遊びにつれていかれ、盆踊りを踊らされるときの苦笑いw
それにしても、前半で語るカラスの話は素晴らしい布石だと思いました。どんな壮絶な最期かと思いきや、夕陽に向かって飛ぶカラスが、それを暗喩した表現であったのか、と。
ある意味でこれが「最後の日本映画」になるかも知れない。
小泉堯史監督といえば、黒澤明監督作品の助監督を務め、黒澤組のスタッフを引き継ぐように監督デビューした人物。作風や作家性が同一ではないにせよ、画作りや演出におちて、確実に黒澤映画のメソッドを受け継いでいるし、小泉組の常連スタッフたちも、もはや日本映画史の伝説と言っていい。
司馬遼太郎の同名長編小説を原作に、長岡藩家老・河井継之助を主人公に描いた本作は、正直、前知識がない人にはキツイ、というか、限りなく不親切設計だと思う。例えるなら、MCUの知識が一切ないまま『アベンジャーズ エンドゲーム』を観るのに近い。河井継之助という破天荒で矛盾に満ちた人物の、最後の一年間にだけ焦点を絞り、滅びの美学に殉じていく姿を静かに見つめる。そんな構成は、いきなり最終回一回前から見るのにも似ているかも知れない。
サムライの美学、滅びの美学といった、いささか人迷惑な陶酔に溺れすぎているきらいはある。しかし、ちゃんと画面の内外に人を配し、ロングのカメラ複数台で撮影していくというもはや滅びつつある映像はずしりと腰が座っていて、そこで詩のように紡がれる「滅びの一歩手前の静かな時間」は、上品なエモさであふれている。
モブの顔つきがみんないいのもこの映画の長所であり、いずれにせよ手間と暇をかけることを厭わない姿勢に感心すると同時に、こういう豊かな映画作りは今の疲弊した日本では消えていくしかないわけで、最後のサムライならぬ最後の日本映画になるのではないか、とそんな感慨にとらわれた。人は選ぶが、題材に興味がある人にはおすすめです。
「司馬遼太郎」×「黒澤明組スタッフ」が総力を挙げて作り上げた「サムライ(武士)」の最後を描く本格的な時代劇映画。
本作のメインとなる舞台は、現在の新潟県です。
なぜ新潟県なのかというと、実は新潟県は明治初期の段階では「全国の都道府県で人口が最多の県」であり、日本のメインでもあったのです。
本作は、徳川家によって統治された260年余りにも及んだ江戸時代が終わりを告げる「大政奉還」から始まります。
この最後の将軍・徳川慶喜による「大政奉還」のシーンは、もはや映画の現場ではほぼ見かけない「フィルムカメラ」で、2,3台という体制で7分間を超えるような長回しをしています。
本作のメガホンをとったのは黒澤明監督に師事し、黒澤明の遺作シナリオ「雨あがる」でデビューを果たし、日本アカデミー賞で最優秀作品賞をはじめ総なめにした小泉堯史監督です。
本作は「黒沢組スタッフが集結した集大成のような作品」となっているのです!
そして本作の主役は、越後の長岡藩(現在の新潟県長岡市)の家老である河井継之助(つぎのすけ)です。
「大政奉還」により❝平安の時代❞が訪れるはずが、新政府を樹立する薩摩・長州を中心に「徳川慶喜の首が必要だ」となり、国が「東軍(旧幕府側)」と「西軍(新政府を樹立した明治天皇側)」に二分し、「戊辰戦争」という日本最大の内戦に至ります。
この最後の動乱を経て、サムライはいなくなりますが、まさに「サムライとは何だったのか」を象徴する人物が、司馬遼太郎の長編時代小説「峠」で描かれた河井継之助なのです!
「忠義は重んじるものの、無用な争いが起こらないように死をも恐れず誠心誠意を尽くす」姿は、今の世の中に響くものがあります。
そして、この国の行く末を考える際に、福沢諭吉が説く「教育」の重要性が出てくるなどキチンと本質を洞察していた人物であることが分かります。
主演の役所広司の渾身の演技は言うまでもなく、妻役の松たか子はナレーションも上手く、時代劇が無くなりつつある今、見るべき本格的な時代劇となっています。
新選組のように有名ではない幕末のサムライ。戦略を立てながら平和を願う彼の姿にサムライの在り方を改めて考えさせられる
司馬遼太郎の「坂の上の雲」「竜馬がゆく」などは大河ドラマなどで有名だが、彼が書いた「峠」については知らない人が多いのかもしれない。
1977年の大河ドラマ「花神」の原作の1つとして採用はされたが、あくまで1部であり、本作の映画化により初めてその全貌が映像化された。
映画化された本作は、幕末に生きた河井継之助の話で、戊辰戦争前後の長岡藩の話である。
そもそも長岡という地名も新潟県民でないとピンとこないのかもしれない。
しかし、司馬遼太郎が「侍とは何か」を考えるべく白羽の矢を立てたのが河井継之助であり、「峠」により越後長岡藩の家老・河井継之助を世の中に知らしめることとなったのだ。
それは「藩」や「武士」などという仕組みから解放を模索し続け、時代の先を読んでいた人物だからだ。
「侍は民のために存在する」と、戦いのない世を願ったにもかかわらず、時代の転換期による動乱に巻き込まれていく悲劇は「最後のサムライ」の姿を見た思いだ。
幕末の風雲児・河井継之助を演じた役所広司と、その妻を演じた松たか子は、文字通り夫婦そのもので、その凛とした夫婦関係が心に染みた。
この2人以外のキャストも豪華で、「もっと出て欲しい!」と名残惜しく思うほど贅沢な使い方であるが、主役(役所広司)を中心に描くべき作品のため、この思いっきりも潔い。
本作は、徳川幕府の終焉と、あまり知られていない幕末の風雲児と越後長岡藩を改めて学ぶ大事な機会であり、歴史を大局的に把握し、人情的に見ると、より作品の良さが伝わる。
「史実は史実、映画は映画」なんですが…
2022年公開、松竹配給。
監督・脚本:小泉堯史
原作:司馬遼太郎「峠」
主な配役
【河井継之助】:役所広司
【継之助の妻・おすが】:松たか子
【土佐藩・岩村精一郎】:吉岡秀隆
【前藩主・牧野雪堂】:仲代達矢
幕末、長岡藩を率いて、官軍と戦った河井継之助の伝記映画。
原作の『峠』を著した司馬遼太郎は、
歴史上の人物に明確なキャラクターを与えて、
まるで見てきたかのようにイキイキと描く小説家だ。
幕末の坂本龍馬、土方歳三などのイメージは、
司馬遼太郎が作ったと言って良い。
司馬史観、などとも呼ばれる。
本作の河井継之助像は、司馬遼太郎が作ったそれとも異なる。
1.妻と芸者遊び & 手つなぎ
原作の『峠』にも、このエピソードがある。
もちろん有り得ないことではあるが、
河井継之助、というよりも、
役所広司に寄せた逸話のようですらある。
役所広司に似合うシーンだ。
だが、小説で読むのと映画で観るのは異なる。
このシーンには、苦笑を禁じ得なかった。
役所広司には似合うが、
幕末の譜代大名の家老には似合わない。
2.42歳で死んだリアリスト河井継之助
役所広司では老けすぎている。
(言っておくが、私は役所広司ファンです!)
河井継之助は、「超」のつくリアリストだ。
ロマンチックな佐幕派ではない。
史実では、藩主を説得して、
・京都所司代
・幕府の老中職
を次々と短期間に辞職させている。
「史実は史実、映画は映画」なんですが
つまるところ、
河井継之助の何を描きたかったのか、
よく分からなかった。
ところどころ、
予言めいたことを話すシーンが出てくるが、
「先の読める人」
としてアピールしたかったのか?
保守的な時代劇らしい、重厚な感じは好きだが、
河井継之助を描いた伝記映画ではなく、
役所広司のショーケース映画のようだった。
☆3.0
多くの命を預かる真のリーダーとしての役割を、再考させられた。
小泉堯史 脚本・監督による2022年製作(114分/G)の日本映画。
配給:松竹、アスミック・エース、劇場公開日:2022年6月17日。
司馬遼太郎の長編時代小説「峠」(未読)が原作。河井継之助(1827〜1968)のことは、名前ぐらいしか知らずじまいで、興味深く見ることは出来た。
映画で描かれていた前史になるが、河井継之助は、1865年郡奉行に就任したのを機に藩政改革(風紀粛正、農政改革、灌漑工事)を行って窮乏する藩財政の立て直しをはかるとともに、1868年兵制を改革してフランス軍に範を取った近代的軍隊を設立。映画でも登場したが、当時の最新兵器であった連射可能なガトリング砲2門(当時日本に3門しか存在せず)を所持していたらしい。
戊辰戦争が起こり藩論が佐幕か恭順かで二分すると、家老に就任した河井は藩主の信任のもと恭順派を抑える一方、佐幕派にも自重を求め、藩論の決定権を掌中に収めた。さらに、新政府軍からの献金・出兵要請を黙止し、会津藩などからの協力要請に対しても明言を避け、中立状態を維持。
映画は、継之助(役所広司)の藩主歎願書を持参しての新政府軍監だった土佐藩の岩村精一郎(吉岡秀隆)への講和談判(小千谷の慈眼寺、1986年6/21)、それが決裂しての新政府軍との「北越戊辰戦争」を中心に描かれていた。
とは言え、戦いはなんと言っても多勢に無勢で、分が悪い。唯一、敵の意表をつく八丁沖渡沼作戦を実施しての、長岡城奪還(7/24)が見せ場というところか。この地を知り尽くしている鬼頭熊次郎(櫻井勝)を先頭にしての河井主導の渡沼作戦。ただ、奇襲作戦の最中、河井は左膝に流れ弾を受け重傷を負ってしまい、それが命取りになってしまう。
原作も映画も、非戦中立を試みたが叶わず、サムライの義(徳川家への恩義、薩長の非正統的やり口への義憤、及び会津藩への共感?)を重視して、新政府と闘った河井をかなり評価している様に思われた。ただ自分は、勝ち目のない攻撃を米国に仕掛けた大日本帝国のリーダーの決断との類似性を感じてしまった。長岡藩の意思決定権者として、家臣・その家族及び住民に大きな犠牲を強いた、勝てない戦争の意思決定は、独善的で間違っていたのではないかと。
対照的に、あまり世間では評価されていない気もするが、徳川御三家・尾張藩のトップ徳川慶勝は、倒幕か佐幕かに二分された世の中にあって、藩論を一本化し(反対派家臣の切腹も強いたらしいが)、新政府の一員として戊辰戦争勝利のために奔走。東海道や中山道沿いの諸藩を政府に帰順させることにも成功し、結果として多くの臣民や住民の命を守った。河井継之助だって、同様なことが出来たはずと。
監督小泉堯史、原作司馬遼太郎、脚本小泉堯史、製作大角正 木下直哉、エグゼクティブプロデューサー黒田康太、小助川典子、プロデューサー伊藤伴雄、 関根真吾、共同プロデューサー住田節子、撮影上田正治 、北澤弘之、照明山川英明、録音矢野正人、美術酒井賢衣装デザイン、黒澤和子編集、阿賀英登音楽、加古隆主題歌、石川さゆり主題歌(作詞)、阿木燿子
主題歌(作曲)、加古隆音響効果、柴崎憲治俳優担当、鈴木康敬殺陣、久世浩、VFXスーパーバイザー戸枝誠憲、アシスタントプロデューサー中治人、音楽プロデューサー高石真美、
助監督酒井直人、制作担当佐藤龍春。
出演
河井継之助役所広司、おすが松たか子、お貞香川京子、河井代右衛門田中泯、松蔵永山絢斗、むつ芳根京子、小山正太郎坂東龍汰、川島億次郎榎木孝明、花輪求馬渡辺大、松平定敬矢島健一、山本帯刀AKIRA、徳川慶喜東出昌大、小山良運佐々木蔵之介、月泉和尚井川比佐志、老人山本學、岩村精一郎吉岡秀隆、牧野忠恭(雪堂)仲代達矢。
継之助は世界の情勢に詳しく、 福澤諭吉らの動向にも目を配り、 在日西洋人の知己も多い知識人だった。 しかし、自説と自身の理想にこだわり、 現実を見謝った感はぬぐえない。
動画配信で映画「峠 最後のサムライ」を見た。
2022年製作/114分/G/日本
配給:松竹、アスミック・エース
劇場公開日:2022年6月17日
役所広司
松たか子
香川京子
田中泯
永山絢斗
芳根京子
佐々木蔵之介
仲代達矢
吉岡秀隆
芳根京子は時代劇の町娘がよく似合うと思う。
「峠 最後のサムライ」
「居眠り磐音」
「散り椿」に出演していた。
『峠』は司馬遼太郎の時代小説。
人々は熱狂し、
この小説は大いに売れたという。
無名だった、幕末から戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助を、
世間に広めることとなった。
継之助は世界の情勢に詳しく、
福澤諭吉らの動向にも目を配り、
在日西洋人の知己も多い知識人だった。
しかし、自説と自身の理想にこだわり、
現実を見謝った感はぬぐえない。
自慢のガドリング機関銃はそれほど役には立たなかったように見える。
5月に長岡城が奪われた。
7月に長岡城を奪還したが、
城を維持できたのは僅か4日で、
継之助は足に被弾し重傷を負った。
継之助は、騒動の全ての責任を負って切腹した。
生き残った人々は苦難の中、
教育をもって戦後の復興に務めた。
司馬遼太郎がなぜ河井継之助に注目したのかわからない。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
『命なんて、使う時に使わぬと意味がない』
『命なんて、使う時に使わぬと意味がない』
僕の祖先は長岡藩出身なんだけど、
百姓一揆の扇動者とも言われた位、出鱈目な人生だったようで。
カワイさんを恨んでいた様だ。
実際に聞いたわけではないので、ミュンヒハウゼン症候群の様な我が祖父から聞いたの話である。
その爺さん曰く。足尾銅山で仕事をしたあと、蟹工船に乗って、吉原のジョロ屋で婆さんを足抜けさせた♥って、出鱈目極まりない事を言っていた。
彼の愛読書が『大菩薩峠』である。
ハッ♥
その息子の我が亡父は酔っ払って、白虎隊を歌うやはり酔っ払いと鶴ヶ城の前で、喧嘩をしていた。
我が男系は、おかしきサムライ気取りの百性出身者である。
こう言ったお侍さんが死んじまったから、日本は侵略戦争を繰り返し、挙句の果てに自国の民までも犠牲して、こてんぱんにアメリカにやられて、敗戦後はその庇護の元、プライドもなく、金欲に走って、経済動物とまで蔑まれたわけでしょ。黄禍なサルだよー。そう言われて、何がサムライだよー。
く~るゥNIPPONじゃん!
貴重な題材を扱った意欲はともかく
原作既読。
難しいのよ、河合継之助は。
地元長岡ですら好悪両論ある人物で、例えば映画でも描かれる長岡城陥落の際も、陥落した途端一揆が相次いで対応に追われたことで奪還が遅れたことから分かるとおり、当時でも領民からの評判は決して良い人物ではなかった。
戊辰戦争後に長岡に継之助の墓が移された後も、何度も墓石が倒されていて、彼が買った恨みも相当深かったことが伺えるし。
司馬遼太郎の原作ですら、彼を手放しで褒め讃えているわけではないし、自分にも当時のこの情勢で「中立」を模索することはかなりの無理筋であったように思えるし。
ちなみに原作では継之助は長岡藩を中立独立国にすることを目指していたような書きぶりだけど、それはいくら何でも…って思う(^-^*)
それで長岡を焦土にしてしまったのなら、そりゃ恨まれて当然でしょ。
当時の奥羽越列藩同盟の諸藩では、結局寝返って新政府側についた藩の方が多いほどで、戦力分析からも大義名分からも無理もない、とも思える状況だったわけで、その情勢で「中立」を唱える時点で新政府側からは敵と見なされて当然だったわけで。
なのでその河合継之助をどう捉えるか?というのは彼を主役に据えた作品を創るにはとても重要。
司馬遼太郎の原作はそれを成し遂げていたからこそ、一定の評価を受けているわけなのだけど、この映画の製作陣に果たして明確なコンセプトがあったのか?
製作陣が河合継之助という人物をどう評価するのか、その明確なコンセプトがないまま、原作のほぼ下巻だけを無造作につまみ出して映像化しただけ、という印象を受ける映画だったな。
なのでどうにも焦点がぼやけたお話になってしまっている。
役所広司という名優の無駄遣い。
❇️地味だけど伝えたい事が解る無骨な幕末ストーリー
峠 最後のサムライ
🇯🇵1867年
大政奉還後の西と東の戦を未来の日本の為に、まとめたい長岡藩の河合継之助が主人公。
300年の徳川の歴史を伝え、薩摩長州の圧を中立で支え、日本の未来を解く事を思想としていた。
日本が世界に飲まれぬ為に、徳川歴史260年の歴史に終止符を打ち大政奉還する。
しかし、薩摩や長州は止めを刺す為に、更なる戦争を仕掛る。(鳥羽、伏見の戦いや戌辰戦争)
1869年戌辰戦争
主に長州、薩摩、土佐藩の新政府軍と旧幕府軍の戦争。
圧倒的な勢力に翻弄される長岡藩。
最後の武士の心を世に解く。
燻銀史劇ストーリー!
❇️地味だけど伝えたい事が解る無骨な幕末ストーリー
◉67点。
★彡役所広司さんの全面ありきの本格幕末映画。
🟢感想。
1️⃣髭すら自分で剃らない時代なのか⁉️
★彡男尊社会恐るべし!
2️⃣長岡藩の兵力がリアルに弱小感。⭕️
★彡これは本当に負けると解っていて、物凄く怖い感覚を覚えた。
3️⃣燻銀な映画でした。⭕️
★彡役所さんありきのエンタメテイスト無の無骨な映画でござんした。骨太でありしんす。
🈲ネタバレ保管記憶用
大政奉還後、東西の戦いを避けてきたワイの長岡藩。戦わずの想いが伝わらず、戌辰戦争が始まってもうて、ワイもホンマ困った。
しなぁない、長岡藩はサムライの魂を魅せるしかあらへんかった。
一度手放した長岡城を湖から攻める秘策で取り返したってんよ。たったの4日で取り返されたんやけどね。まったくどないやねん。
ワイは足を負傷し、弱って行く一途を辿る。
自分の終わりが見えてきてしもうた。
これからの日本はホンマ楽しくなるはずやねん。ワイはお終いやねんから、燃やしてもらう事で頼んだんねんな。ほなさいなら🖐️
★彡心さえ残れば死は怖へんで。知らんけど😁
勿体ない
司馬遼太郎の原作、素晴らしいキャスティング、本来であれば魅力的な河井継之助という人物、これらの素材が全く生かされず、何も残らない映画となってしまった。
人物描写の掘り下げが浅すぎて、登場人物に感情移入できず、さらに平面的なシーンが淡々と繋がれるだけで、伝えたいものが全く伝わらない。
感動的なセリフを織り交ぜたいのはわかるが、そこに至る背景が描かれず、セリフも心に残らない。
戦闘はあるが迫力がなく、ガトリング砲もすごいのかすごくないのかよくわからず…。
原作が好きだったのですが、ただただ残念な気持ちになりました。
仲代達矢との共演嬉し
レンタル110 役所らの安定感で問題なし
ストーリーはそれぞれの立場で言い分があろう
オラは東北で唯一官軍についた秋田生まれなので
その理屈というか大義を知りたいとも思う
まぁ小ズルいと言われても仕方ないが
それも生きる道と思うところもある
大学のときの友達が長岡出身だった
いつか観光がてら会いに行きたいと改めて思った
無名塾創始者で役所の名付け親の仲代達矢との共演嬉し
いくら役所でもさぁ
司馬遼の小説家が元ネタ。戊辰戦争の中、なんとか「民を巻き込まぬように戦は避けるべき」と言い張った長岡藩家老河合継之助の生涯。
とにかくいうことやること全部カッコいい。そりゃあ役所広司だもん。自らが民兵の盾となって機関銃砲を放射しまくり、切腹覚悟で薩摩藩とやり合う。『城は建物ぞ、打ち捨てて構わん、民を生かせろ!』そして被弾した脚を破傷風が襲い、自らを荼毘に伏すための焚火を見ながら息絶える…。
カッコ良すぎでしょう。
元々司馬遼の小説(そう、あくまで「小説」)ではホントなら?が山なすキャラでもヒーローにしちゃうから怖い。この河合継之助も、実際は当時最新鋭の大砲を買い付けており、その原資を作ったのは急落した米相場を買い叩くことによって、だったというのだから。ということは「非武装平和論者」でもなく、まぢブローカーまがいの輩でもあったみたいじゃん。小説には書かれているのかなぁ。
100%のヒーローなんて居ないのよん。
予想以上
レビューの評価が低かったので、不安はあったがそれなりによくできれると思った。これ原作読んでないと多分よくわからないし、難しいと思う。その中で司馬遼太郎作品の映画化ではダイジェスト版みたいにならざる得ないけど2時間以内にまとめてるのは頑張ったと思う。多分2時間半だろうが3時間だろうがそう変わらないと思う。
生き様より死に様
最後の戦いに焦点が当てられているので、生き様としては薄味になっていたが、死に様としてはきちんと描けていた
この手のサムライの美徳は後の箱館戦争や西南戦争でもラストサムライとして作品があるのでこの作品が好きなら見てみるのも良いかもしれない
過去から学ぶこと。
幕末の長岡藩。河井継之助。
分からん事だらけと思ったけど、
河井継之助の理念や先進的な考え方は現代人にも響くところが多々あった。
ただ長岡藩の中立、独立を訴えたせいで長岡藩を窮地に追い込んだようにも見えなくもなかった。
命をどう使うか、生きるとはどう言う事なのか、
死をどう迎えるか、
河井継之助を通して武士の無骨な生き方をカッコよくも
思うけど、今となってはしんど過ぎるなとも感じた。
2時間では
なかなか深みが出ないなって思い
大河にしたら面白いかもなと
思ったのが感想だったけど。
調べたら、大河になってて驚いた、、
松たか子の凛とした美しさや
映像、音楽は良かった。
映画だと役所広司あたりにしないと
なんだろうけど、、
もう少し柔らかい役者さんでもよかったんじゃないかな。
実際、長岡藩出身だから
山本五十六も苦労したことは事実なんだよな。
こんな戊辰戦争もあったのか
戊辰戦争
一言で言っても全国各地で勃発した戦がいくつもあった。
一般的には会津藩、白虎隊の知名度と物語が一番に来るが、地方それぞれの藩にもこういう侵攻があったと分からせてくれる。
佐幕派と尊王派
この作品だけを見ると薩摩長州の横暴さが目立つ。
描き方一つで見え方が変わるのは映画のおもしろいところ。
さて映画の仕上がりに話を戻すと、このトピックスを取り上げた割には重みに欠けた印象。
エンディングもあれ?という感じでエンドロール。
平均点が低いのも納得
全176件中、1~20件目を表示