楽園(2019)のレビュー・感想・評価
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楽園とは
率直に言うと和製ジョーカー。
ジョーカーを先に見たため余計にそれを意識した。
まずこのお話には最後の最後まで徹底的に救いが無い。特に善二郎の物語はジョーカーそのものだ。1人の普通の男がどのようにして、村の人間を6人も殺傷してしまう殺人鬼になったのか。
誰が少女を誘拐したのか。それは最後まで明言はされない。もしかしたら生きていてどこかで幸せに暮らしているのかもしれない、又は外国籍の青年が誘拐したのか。
作者が描きたかったのは明確に個人を犯人とすることでは無い。
村の全ての人が少女を誘拐したのだ。そう思った。
狭い集落の中で起こる排他的な村八分といういじめ。
外国人というだけで差別的な扱いを受ける青年。
それら全ての人が少女を誘拐し恐ろしい連続殺人事件を起こしたのだ。
この作品に出てくる登場人物ははそれぞれ楽園を探してもがいている。
それらのもがき、苦しみが一切ない楽園は果たしてこの世にあるのだろうか?
つじつま合わせに生まれた僕等
高層ビルに磔の 価値観は血の涙を流す
消費が美徳の人間が こぞって石を投げつけるから
騙されねーと疑い出して 全部が怪しく見えてきて
人を信じられなくなったら 立派な病気にカテゴライズ
不健康な心が飢えて 悲劇をもっとと叫んでいる
大義名分が出来た他人が やましさも無く断罪する
人殺しと 誰かの不倫と 宗教と 流行の店と
いじめと 夜9時のドラマと 戦争と ヒットチャートと
ふざけた歴史のどん詰まりで 僕等未だにもがいている
結局なにも解らずに 許すとか 許されないとか
死刑になった犯罪者も 聖者の振りした悪人も
罪深い君も僕も いつか土に還った時
その上に花が咲くなら それだけで報われる世界
そこで人が愛し合うなら それだけで価値のある世界
だからせめて人を愛して 一生かけて愛してよ
このろくでもない世界で つじつま合わせに生まれた僕等
amazarashi / つじつま合わせに生まれた僕等 より抜粋
この世に楽園なんて在りはしなのか?
在るとするならば、
それはヒトの拠り所であるこころの中だけなのか?
だがそんなささやかな幸せさえも
人生においてほんの一時に過ぎないのか?
楽園をこころに抱き続けるにはあまりに短い、
こころを膿むにはあまりに長い、時の螺旋状…
それでも、我々は渇望する。焦がれる。
もがき、抗いながら、安息の地を求める…
ギスギスした都会にも、花は咲く。
自然に溢れているが、封鎖的な限界集落。
「どこへ、いっても、おなじ…」
やるせない。ただ、ただ、やるせない…
暴力や戦争を用いて理不尽を表現する以上に
無関心を決め込む社会の風潮に紛れ
声高に主張する煽動者による決め付けが
こんなにも理不尽を生むのかと、ただ、ただ、呆然…
だとしたら、何を信じればいい?誰を信じればいい?
そして、何をすればいい?
わからない。わからない。わからない。
自分の作った楽園に逃げ込むか?
自分しか存在しない楽園に…
それは果たして楽園と言えるのだろうか?
愛するヒト、信じたヒトがいる「この世界」を
楽園だと思うことはできないだろうか?
そんな疑問符を投げかけ続けて幕が降りる…
瀬々監督の過去作『友罪』と同じ構造ではあるが
本作『楽園』は更に人間の集団心理が絡み合う
極上のサスペンス!いやほとんどホラーに近い!
最後まで12年前の事件の真相を明確に語らない
切り口が、様々な解釈を生む。
目を覆いたくなる事件が近年に増し、
各方面のメディアを通じて色々な報じ方がなされますが
我々はその報道をどう受けとめ考えたら良いのでしょう?
加害者が当然悪い。だが被害者に全くの非がなかったと
誰が言い切れるのでしょう…
ひとつの事件が、
社会の歪みを暗示しているのではないか?
社会全体の問題の種が、知らず知らずのうちに
各個人に植え込まれているのではないか?
あなたにとって、社会問題を考える上で補助線を
一本でも増やせるような作品になることを願います。
合わなかった
ミステリーが解かれるに連れて、だんだんと繋がる伏線。
そしてラストで一気にこっちと繋がってたのか!
という映画ではなかったのでした。
二つ目の行方不明事件の時の地域の人が一気に行動し始めたところでリアリティが感じられず、退屈になってしまいました。
#84 だから村って嫌なのよ
私自身狭い村社会で育ったから、最初はいい人扱いだったのにふとしたことから嫌われ者になっちゃう世界が手に取るようにわかる。
彼は狭い世界の除け者の象徴で主人公は全世界的に生きる場所がない人の象徴。
楽園は自分で造るしかない。でも生きている限り楽園を造れる可能性はある。
演技は素晴らしい!
日本映画界でも実力のある方たちが出演されているだけあって、素晴らしい演技が終始詰まっていた。原作は未読なので、どのくらい原作のエピソードを盛り込んでいるのかは分からないが、盛り込み過ぎていて何が表現したいのか散漫になってしまった感じがした。
表面的に見れば日本は楽園ではなく、田舎は閉鎖的でそれが在日であろうが日本人であろうが差別は起こりますと言っているように見える。また、世界の何処にも楽園なんてものは存在しなくて、つらいことも悲しいことも抱えて生きていく先に、その人なりの楽園があると言うメッセージなのか。
しかしながら、あいかちゃんが行方不明になったあの日の回想で、タケシが殺した風な描写の後に東京で同じあいかという女の子を紡が見かけるという描写も、どっちの可能性もあるよねと言われているようでモヤモヤが残る。
また、村上虹郎の役所も急に病気になったり治ったり少しついていけなかった。
総評として、画は綺麗で役者は素晴らしく見応えのある作品だが、盛り込み過ぎて収拾がつかなくなっている脚本をもう少し精査する必要があると思った。
最後まで誰が犯人か分からず終わった後モヤモヤした 圧倒されるほどの...
最後まで誰が犯人か分からず終わった後モヤモヤした
圧倒されるほどの演技ではなかったが皆がそれぞれはまり役
内容より演技を見る作品ですね
犯人が誰でもいい。私は抱えて生きていく。
吉田修一は人間の内面をえぐりだして、晒すのが得意だ。ずぅと罪を背負って生きてきたような、精気のない紡を観ながらそう思う。
現実でも、世間にはじかれて犯行に至る事件は数多く、これまで映画では、陰湿な画面と煽る効果音でそんな事件事故を描いてきた。しかし紡の暮す町は、閉塞した人間関係をあざ笑うかのような、晴れやかな田園風景が広がっている。この明るく美しい風景こそが、まるで人間の心の裏表を映すかのような腐肉さ。
だけど、最近になって日本人の心が乱れてきたわけでもなく、余所者を受け入れない人心は昔から変わりがない。村八分、神隠し、江戸時代からそういうものはあった。それを吉田修一が現代的な言葉で書き換えたに過ぎない。善次郎なんて昭和の時代でいえば津山三十三人殺しを思い起こさせるし。
不審者?それはこの地域の連中みんなだろ、と思う。東京は恐いところだというが、田舎だって同じだろ?と思う。恐い世の中になったねえというが、それは昔から同じじゃね?と思う。そうやって、自分の住む世界をよく思いたいのだろうが、あんたが思ってる恐い世の中こそが、真実の世界なんだよって思う。
そしてこの手のメジャー作品を観るたびに思う。いつも同じような顔ぶれだな、と。
たしかに興行的な理由を勘ぐれば、主要キャストが大物ばかりになるのは否めない。演技力の計算の出来ない若手よりは実績をつんでる人気俳優のほうがいい。だけど、年齢的に見てもはたしてタケシが綾野剛でなければいけないのだろうか?彼がキャスティングされた時点で、すでに観客にある種の先入観が生まれる。個人的にそれは興ざめなのだ。むしろ虹郎にこそこの役をさせたらどうだったろう?と想像する。いい緊張感がうまれたんじゃないかなあ。同じことは、佐藤浩市にしても柄本明にしてもそう。そりゃ上手いけど、こちらの期待通り。言い換えれば予想を超えてくるのではないか?のハラハラ感はない。結局、片田舎の限界集落に対するステレオ的なメッセージとまるで同じだ。
楽園は生きてる場所には無い
日本の田舎、部落、過疎化地域における、昔から今なお存在する根深く決して無くならない体質問題(排他、村八分)を軸に、在日差別、障害者差別を組み込み、実に重々しいドラマだった。
宣伝でもメインとうたっている少女行方不明事件につき、確定では無いが恐らく犯人はアノ人物だろうが、この作品の重要視はそこでは無い。戦後日本人の持つ『他人事』『見て見ぬふり』『噂好き』『右に習え』『自分さえ解決、納得すれば良し』などの体質を嫌な感じであぶり出し、お前らの言う楽園、理想郷なんてある訳無いと言わんばかりの映画だった。
グリグリ来るこの映画、嫌いじゃ無い。絶望とした中、ヒロインが言う『それでも生きていく』。苦境の世の中で、楽園など無いが日々のちょっとした幸福に出会えれば.....その為に人は産まれ生きていくのだと、あらためて感じた。
個人的には『悪人』『怒り』の作品名を広告で出してんだから、オリジナル要素でも良いから、もう少し突っ込んでR15指定くらいで仕上げて欲しかった。
しかし、佐藤浩市はどんな役を演じても凄いなあ。
重厚で難解なストーリー、謎は自分で。
最後スッキリ終わらせず、考えさせる手法なのか。単なる幼女誘拐事件での警察ドラマではなかった。現代、回想シーンがめまぐるしく変わるので頭がスッキリした日じゃないと訳がわからなくなる。疑問点1。10年後に起きる新たな誘拐事件の犯人は単なる不審者で村人じゃないのか。それぞれの登場人物や高齢化した村の存続は楽園を求めていあて、闇を落とし幸せを奪っていく。最初の真犯人はおそらく佐藤浩市なのでは。一番闇が深く病んでる人間なのかもしれない。その伏線、子供が出来なかった。愛する妻の病死、マネキンに服を着せる異常性、温泉での性癖、村八分になって庭を掘り起こされた時に小さな人骨が。疑問点2,青い車で犬を捨てにきたのは佐藤浩市なのに、本人が白い車で何故か同情して拾い上げるシーンは一人芝居か?
事件に関係する重要な部分なのか?
白か青かで事件に関与したと思われる車と繋がるのか、回想シーンで幼女をつけていき最後に焼身自殺した綾野はおそらく犯人ではないような気がする。犯人扱いされゴミ屋敷に住む彼が犯人なら単純明快すぎるし、そのまんまだ。おそらく違うのだろう。佐藤浩市の闇の意味がなくなるのでは?追伸。柄本明のような人間が部落には一人くらいはいるのか?迫真に満ちた演技だ。定年後に田舎に住みたがる人はたいがい人間関係で逃げ帰るらしい。要注意ですわ。
それぞれの「楽園」を求めていた3人の末路
ネタバレなしだとレビューが難しいため、ネタバレ注意!!
母親と共に移民としてやって来た豪士
都会の暮らしに疲れ、田舎に妻と移住してきた善次郎
友達だったあいかちゃんが行方不明になってしまったことで罪悪感を抱えて東京に居場所を求めて上京した紡
3人のキャラクターのそれぞれの視点で描かれる、それぞれの求めた「楽園」とは…
楽園=救いとか楽園=安住の地とか…おそらく明確な「楽園」に対する解釈は用意されておらず、この映画のタイトルの「楽園」とは何のことを指しているのか…それ自体がこの映画のテーマでこの映画における何が「楽園」なんてことにそもそも正解はないのだろうと思う。
だから、それぞれの「楽園」を求めていた3人の末路を描いていると個人的に解釈した。
唯一、紡には未来に希望をもたせることで、人生という不条理さを受け入れて生きることで「楽園」を見つけることができるかもしれないというメッセージにもとらえられた。
ただ、広呂が紡に対して「おまえだけの「楽園」を作れ」と言ったのはミスリードの様で不自然すぎるから、あえて言葉に出す意味はなかったと思うし、あのセリフによって少し幻滅させられるし、「楽園」の解釈をよりわかりにくくさせている。
あくまでこれは個人的な解釈のもとに言っているだけなので、あのセリフが必要な意味がもしかしたらあるのかもしれない。
それぞれの「楽園」とするのであれば、綾野剛が演じている豪士という存在をもっと細かく描いた方がよかったと思う。
移民でやって来たっていう部分をもう少し掘り下げて「ここなら安全で平和な国だから」という希望からのギャップによる絶望、自分はひとりぼっちという孤立感、未来が見えない恐怖…そんな中で触れたはじめての優しさにどう対応していいのかわからず、殺してしまったのだと思う。映画では誰が犯人ということを、あえて描いておらず、物語の着地点がそこではないし、犯人が誰かはわからないままでいいにしても豪士というキャラクターに重みを持たせるには描いた方がよかったし、仮に犯人ではなかったとしても、幸せな環境から移民でくるなんてことはないだろうから、移民としてくる前の悲惨な状況は描くべきだった。
はじめてひとりぼっちではないと感じた相手にどう接していいのかわからないというのであれば、変に優しくされていたら紡も殺されていたのかもしれない。
どことなく素っ気ないけれども、嫌われてはいないという安心感、そして小銭入れがつながりを感じられるアイテムだとしたら、急に泣き出した豪士の心境にも納得がいく。
善次郎の場合は、最後の結末に至るまでの壊れていく様子がじっくりと描かれていただけに、ちょっと温度差が出てしまっている。ただ、豪士を犯人と確定させないために意図的にあえて描かないことで、不確定要素としたのであれば違ってくるりだが、あくまで私の解釈が正しいとした場合は、善次郎を描いているのだから、もっとじっくり描いてほしかったというのが個人的意見だ。
同時に田舎の怖さも描いていて、3人の登場人物に共通して伝わってくるのは田舎の恐怖。
『悪魔のいけにえ』や『ヒルズ・ハブ・アイズ』『クライモリ』などでも田舎の恐怖感を描いたホラーは昔から多く存在しているが、『八墓村』みたいに日本の田舎の恐怖はまた独特のものだ。
メインは3人のキャラクターだが、4人目として描かれるのは柄本明演じる藤木五郎。
気持ちはわかるんだけど...怒りの先が違うでしょ!!って言いたくなるし、 が可哀そうになるほど攻められていて、嫌になるキャラクターでなかなか存在が怖いし、紡にとってはトラウマ要素のひとつだが、五郎の「楽園」は=「救い」なのだろう。
犯人を特定してしまうと豪士が犯人だと決めつけて、解決できたと思っていたことがまた迷宮入りしてしまい、救いが得られない…ということであえて犯人は描かなかったのだろう。そのため、五郎の「楽園」のあやふや感を引き立たせている。
犯人を描かなかったことはその点ではよかったと思うのだが、あいかちゃんの父親が落ち着きすぎているため、五郎のテンションがおかしく感じてしまうという難点もある。
4人目はあいかちゃんの父親か、祖父にするにしても「あの時ああしていたら生きていた」という何かしら罪悪感を持った存在にしておくべきだったと思う。
犬は好きですか?
笑っていいのかわからなかったのですが、終盤、杉咲花ちゃんが「私、抱えて生きていく」という台詞と同時に「不審者を見かけたら110番に」という看板を抱えていたシーン。彼女が綾野剛と待ち合わせをした場所も「あいかちゃんの情報を」という看板のあるところだったのも印象的だ。気づかない人も多かったと思いますが、「待ち伏せ注意」という立て看板も印象に残ります。それを見て石川ひとみを思い出した人は全国でも10人いるかいないか・・・
罪、罰、人という3章立てになってはいますが、全体的に短編集を繋ぎ合わせたようなプロットとなっていて、ミステリーファンを納得させるほどの作品ではありませんでした。それよりもメッセージ色が非常に強く、誰かが罪を被れば解決するだの、村八分になって精神的に追い詰められてもその本人の気持ちは無視されていたり、在日やアフリカ人を犯人扱いしたりと、憤りを感じるものばかり。長野県でも閉鎖的な田舎の一角。それでも出戻りの片岡礼子は限界集落から逃げてきたとか言ってたし、もっともっと寒村が日本に存在していることを示唆していた。
少女失踪事件は一つのきっかけに過ぎず、そこから沸き起こる嫌悪に値する人間の醜さを暴露したり、田舎特有の集団心理も露呈する。こうなってくると差別やヘイトを超越した個人攻撃となり、人類が村を形成した太古からあったものだと想像せざるを得ない。また、「なんでお前だけが生きてるんだよ」という言っちゃいけない人間の奥底にある妬みの言葉。柄本父が言うと迫力もあり、痛烈な人間批判とも言えるのではないでしょうか。
序盤で新幹線の高架なんかも見え、つい北陸新幹線車両基地が水没したことを想起させられ、失踪事件では道志村キャンプ場での事件、焼身自殺では京アニの・・・と、今年のニュース映像総まとめみたいなものを感じました。犯罪、自然災害と、ある意味今年を代表する作品だったのかもしれません。役者の演技は全体的に高レベルだったので、また日本アカデミーでは話題となるでしょう。
もう一つ印象に残ったのは片岡礼子のヌードシーン。一緒に風呂に入った段階で、誘ってるようなものなのに、人口の少ない村でのことだけに、すぐに好色男と噂が立ってしまう佐藤浩市。可哀そうでした・・・。それにしても『北京原人 Who are you?』以来見た礼子さんのヌードだけに、熟女となった彼女の体の違いが確認できます(するなよ)。
大人のいじめはタチが悪い
楽園を求め集う人々、のどかな田園風景
しかしそこには抜け出せない小さなコミュニティ、狂気の集団
悪いのは犯人か?
犯人を育んだコミュニティか?
出る杭は打たれる
正義のために悪を作り出す
弱者をいじめ、自らを正当化する
先日観た「ジョーカー」にかぶる印象を受けました
原作を読んでいないため、ラストは少しモヤっとしましたが、面白い映画でした♪
面白かった。でも二度と見たくない。
ストーリーは面白かったし、作品の雰囲気も悪くなかったと思います。
でも何か嫌な作品で、もう二度と見たくありません。
内容は実際の出来事を参考にしていることは明白で、この荒んだ世の中へのメッセージでもあるように感じたけれど、細かな演出に全くリアリティーを感じなかったので、なんか・・・嫌でした。
楽園というタイトルに込められた思いはかなり強いと感じたし、未来への思いも感じました。共感するところも大いにありましたが、なんか・・・嫌でした。
有名どころ旬どころを寄せ集めた感は否めません。それによって作品が面白くなっていたとも思えます。でも・・・
綾野剛があの役を見事に演じていたと素直に認めますが、なんか違うというか違和感を覚えてしまって、そう、嫌だったんです。
演出とはいえ、嫌な人間が多かった印象です。分かりやすいくらいに酷い事をする演出が多かったから嫌だったのでしょうか、でも、その効果は結構絶大だったし・・・。
評価するのがなかなか難しい映画でした。でも、面白かったです。
難しい映画
サスペンスかと思いきや、人間の醜い部分を上手く表現したドロドロヒューマンドラマ。
自分が楽になるために「そうあって欲しい」と思うストーリーを集団で作り上げて1人を叩く。田舎みたいな閉塞的なコミュニティだからってわけじゃなくて、都会でもネットの世界でもよく見る光景。
「誰かがそう言ったから」「それをみんなが望んでいるから」と自分の行動や発言に責任を持たない人が多い社会へのメッセージなのかな。そして自分もそうはならないようにしたい。
この映画のメッセージ性とはずれているかもしれないが、杉咲花が最後に言った「私は背負って生きていく」という言葉が、そんな意味なのかなと思えた。
綾野剛と杉咲花の演技、最高でした。
サスペンス的に観てしまっていたが、そういう映画ではなかった。深くて...
サスペンス的に観てしまっていたが、そういう映画ではなかった。深くて、シンプルに分かりやすい作品ではなかったが、人の悪いところみたいなのが、浮き彫りになる作品だった。俳優陣良し、映像の美しさ良しだった。
村人
役者の演技も素晴らしかったが
村人や寄り合いの一般のキャスト達が
リアルだった。
村人達の怒りと冷たい視線が忘れられない。
異質なものに対する執拗な攻撃性は、
人間の直感から来る防衛本能かも知れない。
村人達の異質に対する執拗な攻撃と
「直感」はストーリー上正しかった事になる。
(多くの原因となり、その結果となる)
冤罪ではなく最悪の結末に2度も帰結する
この話を単純に評価して良いのか迷う。
凄い鬱映画
メンタルをゴッソリ削られました
ものすごく疲れました笑
CMがすごく面白そうで期待していたのですが
話の本筋がはっきりせず語りたい内容がいまいち見えないのが残念でした
あいか失踪〜たけしパートとぜんじろうパートが噛み合ってない気がするのです。あいか失踪〜たけしの話をじっくり描くだけでよかったのに…
この作品にメッセージを見出すとするならば
怪しいやつはやっぱり怪しい。田舎は閉鎖的で醜い。でしょうか。私の理解力不足もあると思いますが実際に田舎で暮らす私はちょっと酷いなと思いました
あっ!主題歌はよかったです
追記
ベルセルクという漫画のセリフを思い出しました
『逃げ出した先に
楽園なんてありゃしねえのさ
辿り着いた先そこにあるのは
やっぱり戦場だけだ』
自分の村から『ここじゃないどこか』へ連れ出してという少女に主人公が言った言葉です
辛いことから避けるように東京へ出たつむぎ
つむぎだけでなく皆が楽園を求めて出て行ったり帰ってきたりしたはずです
どこかで踏ん張ってひろの言うように楽園が築けたらいいなと思いました
がっかり😞
何を訴えたいのか、全く私には理解出来ない代物でした。
長野の景色は最高でしたが、筋が、バラバラで、監督のやりたい放題、観てる観客の事なんぞ、一切考えない姿勢が伝わって来ます。
悪人とかの切れを期待して観たが、全く期待はずれでした。
それでもあなたは彼を疑うのか?
私の想像力が乏しいのか最後まで真意は分からず終始試されてるようで。
考えさせるシーンが多すぎて頭が疲れました。
想像以上に思わせぶりな場面が多く現実なのか妄想なのか最後まで悶々。
観客に想像させて真意を委ねるのが狙いであっても、こんなにも負の連鎖のように都合よくたくさんのタイミングの悪い偶然が起こるのか? と思いながら観ていました。
ちなみに思い出せる範囲で気になった場面をあげると、
笛を買いに行った帰り、途中車を降りて豪士が街を眺めて佇んでいる場面。
豪士が灯油をかぶった後ライターを握りしめながら「愛華」と名前を連呼した場面。
豪士の母親が取り調べ?で事件当日は豪士とずっと一緒だったという嘘を答える回想場面。
「何であんなことをしたの?」と後日母親が豪士に聞き、
豪士が「母ちゃんが言ったろ。ここには楽園がある」と答える回想場面。
取り調べ?が終わって帰る時の豪士の表情が薄ら笑いをしている回想場面。
豪士の母親が紡に向かって「あんたも豪士に救われたんだよ」と言った場面。
酔っ払った広呂と歩いている時、紡が突然後ろを振り向いて何かを見つめている場面。
その見つめる先に愛華?が紡を笑顔で見ている回想場面。
豪士が車内に忘れた紡の小銭入れを握りしめて泣き叫ぶ場面。
愛華ちゃんが消えた日と善次郎が子犬を拾った日が同じ日である偶然に何か特別な意図があるのか?
同級生の広呂は何の病気だったのか?
12年もの年月が経っているのに今頃になってなぜ紡の父親は豪士が怪しいと突然言い出したのか?
また12年前と12年後の豪士の容姿に年月の経過が感じられなかったので時系列が少し混乱した。
なぜ豪士は愛華ちゃんの後をついて行ったのか?
そもそもこの場面は紡が見た現実の回想だったのかそれとも妄想なのか?
結局、豪士が犯人なのか…?
悶々としながらエンディングの歌が流れ出しよくわからない安堵感に騙されそうになりながらこの歌を聞いていたのですが、なんとなく歌詞が頭に残り気になって家に帰ってすぐ歌詞を検索していました。頭の中でもう一度映像を思い返しながら解読して気付いたのですが、この映画の真意はこの歌の歌詞を含めて観客の頭の中でやっと完成するものではないかと。明解な答えとわかるものなどありません。
それでもあなたは彼を疑うのか? あなたは何を信じるのか? と自分自身に問いただされます。
役者の演技力が素晴らしく強く印象に残る場面もありました。
「俺を捨てるの?」母親に向かって口数の少ない豪士が不安に耐え切れず震える体を振り絞って声を上げる場面。
「世の中で一番好きです」善次郎が自殺を図って空を見上げながら初めて妻の問いに本音で答えた場面。
「生きる。生きる。生きる」やりきれない現実と真実と豪士の存在全てを抱えて生きて行くと決めた紡の決意。
杉咲花のあの大きな瞳でまっすぐと見つめる眼差しの向こうに少しだけ明るい未来を感じました。
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