37セカンズのレビュー・感想・評価
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心に刺さる映画。自分自身のことを見直せる。
障害者の性や尊厳みたいなテーマは雑誌とかテレビでよく取り上げられるけど、それを映像として分かりやすく説明してくれる映画。
テーマが重いので、見ようか見まいか迷ったけど、なぜだか見た。
主役の方のヌードにもびっくりしたし、その後の展開も引き付けられた。結果として、最後まで観ることが出来た。
観た方はみんな感じたのではないかと思うけど、あの、最後の方のタイでのベットでのシーン。あの一言が、すべてを救ってくれたと感じる。結果、観て良かった、と。
優しい人は助けてくれる
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23歳女性の主人公は障害で手足が不自由で、過保護な母に介護してもらってた。
でも漫画を描く才能があり、アイドルみたいな漫画家のアシスタントについてた。
とは言っても実質ゴーストライターみたいなもので、利用されてる感じだった。
ある日、落ちてたエロ雑誌の編集部に、自分の漫画を掲載できないか問い合わせる。
女性編集長は会ってくれたが、作品から性体験の無さを見抜かれ、却下される。
ただ漫画のセンスは認めてくれて、セックスを経験したらまた連絡しろとのこと。
で過保護な母からの子供扱いに辟易してたこともあり、密かに夜の町へ。
ポン引きと話をして男を買ってみるが、ベッドで漏らしてしまい、失敗。
失意の中、そのラブホテルで障碍者の男と40歳くらいの売春婦と出会う。
この売春婦が面倒見のいい人で、仲良くなって一緒に買い物したり飲んだりする。
エロ漫画を描くために大人のおもちゃの店に付き合ってもらったりもする。
しかしそれが過保護な母にバレ、携帯を奪われ、しかも家に軟禁される。
それが嫌で脱出し、売春婦の紹介で知り合った介護士の家に居候する。
売春婦は女だてらに本当に男気のある人で、金の面倒まで見てくれた。
主人公は一念発起、子供の頃に両親が離婚して顔も知らなかった父に会いに行く。
しかしそこにいたのはその弟で、父は死んでた。しかしそこで双子の姉の存在を知る。
姉はタイで教師をしてた。介護士とそこへ行き、会うことが出来た。
妹がいるのは知ってた、でも障碍者と聞いてて怖くて連絡しなかったとのこと。
そういう本音で交流することができ、ついに自宅へ戻る。
過保護な母も反省したのだろう、子供扱いせず温かく迎え入れる。
そして姉が母に会いたがってたと聞き、号泣する。
この一連の経験は女性編集長の一言がきっかけだったので、後日礼を言いに行く。
主人公はエロでない普通の漫画はまだ描いてたが、それを別雑誌に紹介してくれた。
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障害を持ったことで異性経験はしにくいし、母も過保護になりがち。
そんな息の詰まる生活から自立を求めて頑張る女性の話。
そして正直に頑張る人間を助けてくれるのは、いつも心優しい人達。
この作品での売春婦、介護士、編集長といった面々である。
頑張らない人間はいつも自分のことで精一杯やけどね。
彼らの助けを得て、自分自身と向き合うことができた主人公。
またそれを間近で見た母も自身と向き合い、子離れするきっかけをつかむ。
タイトルの37秒というのは、生まれて来る時に主人公が呼吸できなかった時間。
そのせいで障害が残ってしまった。そして姉と立場が逆だった可能性もある。
それでも私で良かった、というラストの台詞が印象深い。
『私で良かった』ボブ・ディランの『BORN IN TIME』
懸命に生きようする女性の話。
やはり、こう言った話は、賢明な女性の監督の偉業だと思う。
『私で良かった』この台詞の意味する所が大事な所だと思う。
つまり、
相手を思いやって『私で良かった』
と、
相手にそう思われるのが嫌だから『私で良かった』
さて、どちらだろうか?僕は彼女の取った行動を総括すれば、相手への思いやりではないと思う。そんな自己犠牲的な献身者ではないと見た。言葉が悪いが『自己中心的』で『自立している』と思う。
つまり、もっと適切な台詞があるとすれば、『貴女じゃなくて本当に良かった』だと思う。ハグをするが、主人公は泣いていない。同様にどんな場面でも彼女は泣かなかった。僕はそれで良いと思う。
だから、この映画は感動する。
この映画のテーマだと思う。この映画の演出家はそこが分かっている。
また、母親、編集者、アイドルまがいの偽漫画家、そして、自分と、もう一人の自分も、全員、性格をデフォルメしている。しかし、デフォルメで生じる矛盾を抑える努力が、この演出家には見受けられる。例えば編集長が『アダルトな漫画を書くなら、アダルトな経験をしなけりゃ』とのたまうが、それは男ならばこそ。言うに及ばず、そんな経験しない女性の方が『妄想がわく』ものである。つまり、エロとはギャップ。大多数の男はそれを知っている。この演出家はそこへ観客の目を誘っている。勿論、意識的に。
商業的に考えれば、出演者に人件費を使わずに、ロケ地を選んだ打算が素晴らしい。そう言った所にお金を投資してもらいたいものだ。固定概念をバリバリに身にまとった国民的俳優じゃなくとも、演技のうまい俳優やアイドルは沢山存在する。だから、国民的に名の通った俳優を主役に据えている様な作品は、興行だけを目標としていると見るべきだ。勿論、演出も演出家の指示がなくとも、俳優は自分のモノを持っている。そして、国民的名の通った俳優は、自らその殻を破ろうとする事は稀である。
兎も角、この映画は大傑作だと思う。次回作に期待する。しばらくぶりで良い日本映画を見た。
ボブ・ディランの
『BORN IN TIME』を聞いていて涙が流れるのは、この作品を見たからか?
2024年 ある国の国境にて
2024年7月25日17時15分
脳性麻痺の若い女性の性と自分探しの旅。
出産時に37秒呼吸が止まったことから
脳性麻痺となった女性の自分探しの旅路の物語。
主人公のユマを実際に脳性麻痺で障がいのある佳山明が演じて
います。
一歩踏み出すこと、動き出すことで、
世界が変わる瞬間。
それをHIKARI監督は、映画に刻みつけました。
貴田ユマ23歳・脳性麻痺の女性です。
親友のSAYAKAは漫画家。
SAYAKAのゴーストライターとして安い賃金で働いている。
そんな日陰の暮らしから抜け出そうと、
アダルトコミック誌に作品を持ち込みます。
編集長の藤本(板谷由夏)はあけすけでサバサバした女性で、
「男性体験はあるの?性描写にリアリティがないのね!」
と指摘されたユマは、
性サービスをしてくれる男性を紹介してもらって、
安いラブホで初体験を試みるものの・・・・
(でも風俗の男性って意外と思いやり・・・あるのね・・・)
大人のオモチャを買いに行ったり・・・
前半のユマちゃんの性(セックス)を経験するための七転八倒。
哀しくて可笑しくて、もしかしてこの映画、
障害者のセックスを売り物にする怪しい映画なのかと、
ちょっぴり不安になりました。
ユマを演じた佳山明(かやま・めい)さん。
障害を持つ女性100名の中からオーディションで、
選ばれた社会福祉士の資格を持つ女性です。
生まれつきの脳性麻痺の女性で、彼女の声のか細さと純真さに、
審査員全員が心をわしづかみにされたそうです。
HIKARI監督も明(めい)ちゃんと出会い、
ユマを交通事故で脊椎損傷から、
脳性麻痺で障害が残った設定に書き換えた程です。
全裸のシーンやエッチなシーン。
観てる私は辛くて切なくて胸が張り裂けそうでした。
佳山明ちゃんがこの映画の人身御供(ひとみごくう)にされたら?
(もしも、彼女の人生に傷を残すことがあったら、私は許せません)
でもこの映画の後半への布石として、明ちゃんのヌードシーンは、
本当に必要だったのだろうか?
撮影現場でおだてられたり、半ば断りきれなかったのでは?
と、胸が痛みます。
どんなに勇気と覚悟を持って演じたのでしょう。
溢れた涙と共に「頑張ったね!!」
と言いたいです。
(愛らしい声でゆっくり舌足らず話す彼女は、
本当に可愛いらしい女性です)
ユマにとって漫画作家は、健常者と対等に闘えるフィールド。
(足も手も自由に動かせないけど、漫画は、想像力の翼は無限だから・・・)
前半は母親の束縛と過保護を中心に描かれます。
ユマを利用する漫画家でYouTuberのSAYAKA。
キラキラしたメイドカフェ風メイクのアイドル並みのルックスを持つ女の子。
(親友なのにユマを利用してる。安い賃金で働かせて搾取している)
過保護のあまりにユマを縛り付ける母親恭子(神野美鈴)
…………………母親の取り越し苦労や心配のし過ぎ、痛いほど分かります…………
ラブホで障害者のクマ(熊崎慶彦)を常連に持つ
障害者のサービスを行うデルヘリ嬢の舞(渡辺真紀子)と知り合うユマ。
舞はキップのいい女性で、ユマを新しい世界・自由へと誘ってくれます。
そしてチカラになってくれるホームヘルパーの俊哉(大東駿介)
…………舞と俊哉はごく当たり前のさりげなさでユマをサポートします………
そしてユマが母親と遂に衝突して家出。
後半はガラリと作風が変わって、タイ国へ渡る急展開をします。
ここからが最高に素晴らしいです。
なぜタイへ行くのか?
そこに何が待っているのか?
ここでは触れません。
この後半の、チカラ強さと解放感がともかく最高!
視界が一気に開けるのです。
健常者と同じフィールドに立つ。
ユマがその権利を手にした爽快な、そしてちょっぴりユーモラスなラスト。
前半の怪しげな展開にくじけないで、どうか最後まで映画を見届けて下さい。
ともかく秀作。
大感動が待っています。
人生は悲喜劇
人生は、喜劇だ。たとえ悲劇であっても、振り返ってみると皆喜劇に思えてくる。そんなハッピーな気持ちにさせる作品だ。
傍目から見ると、障害者は、健常者に支えられていると思いがちだが、お互いに支え合って生きている。前半は障害者マユの混迷する姿を描いていく。しかし、後半になるとマユの自分探しにステージが移る。それは同時に、健常者の母親の自分探しでもある。
マユは顔も知らない父を訪ね、父の死、双子の姉の存在を知る。自分探しは、自分のルーツを知ることで、今の自分を見つけることができる。そして、彼女がその旅を終えて、自分の進むべき道が見えてきたとき、か細い声の自信なさげな以前の態度とはうって変わって、頼もしいばかりに脱皮する。彼女の力強さに感動しないではいられない。
最後のひとこと
直近で観たミッドナイトスワンの後と同じようなカタルシス。ミッドナイトスワンは30代、40代の普通の女性の日常が、たかがトランスジェンダーであるだけで…という作品。
37セカンズは過干渉の母親と反抗期の娘の日常が、たかが障害者であるだけで…という作品。
最後の「私で良かった」という言葉は直前までそう言わないでほしいと思っていた。人間てもっと汚くて恥ずかしい感情を持った生き物で、これまでの人生の不条理をあの数日の出来事で受け入れられるようになってしまう人間なんていない、それを言ってしまったら『やっぱりフィクションなんだ』と思ってしまう!嫌だ!と思っていた。思っていたのだ。でも、その直後にあの「私で良かった」という言葉はあの状況だから言えた、言わされたんだ、と気付いた。俊哉さんのような人と一緒に旅をして初めて恋愛のような感情を、少なからず夢馬さんは抱いていたのではないか。そんな人との対話だからこそ、『少しの見栄やカッコつけ』みたいなものがあって、それがあのセリフを言わせた。夢馬さんは言わされた。
そして言わされて初めて自分でも本心から「私で良かった」と思えるようになったのではないか。言ったその時の本音は違ったけど、その後本当に、心からそう思えるようになって、感情が後から着いてきて人生が好転した。
ただの自己犠牲ではなく、単純ではない感情の細かな変化を描いたから名作なのだと思う。
自分自身が『見栄やカッコつけ』で言った自分の言葉に背中を押されたり勇気づけられたりした経験があるからそう感じるのかもしれない。読み違えてるかもしれないが私はそう感じた。
インパクトあります。
障害者のリアルを描いている映画だと思います。
誰もが触れてはいけない、聞いてはいけない、言わない…ような障害者のリアルがこの映画にはあるような気がします。
エンディングでは、少し救われた気がしました。
見逃してる事を考えさせられた
・冒頭で、お母さんが主人公との入浴シーンでこの話は脳性麻痺の主人公の性的な話なのかなぁと思ったらそこを含んだ話で、全然考えなかったことだったので色々と驚いた。
・男のデリヘル?みたいな人が主人公に、障害者?の人は本来は別料金なんだけど・・・っていうセリフで切ない気持ちになった。
・母親が何もできないじゃない、と主人公に手を貸すも、それを鬱陶しく感じているシーンが切なかった。
・主人公の親友?っぽい子が主人公を利用して漫画家として活動しているのが中々、精神を保てなさそうだけどよくやってたなぁと思った。
・主人公がお父さんに会いに行ったり、双子の妹に会いに行ったり、どうしようか迷ってたら、やってみたらいいんじゃないかっていう気持ちになった。物凄い後悔もしそうだけど。
・主人公がすぐにタイに飛んだけど、パスポートは?とか思った。
障害も個性
母親は障害を持ってる娘が心配で、あれこれし過ぎてしまっている。
ホントに37秒酸素がいかなかったら脳に障害が起きるものなのかが気になるが、そこはいいとして、漫画を書くのが好きと言う特技があり、それは障害は関係なかった。
障害者が故か、友達に騙されてたり、アダルトコミックの編集者にセックス経験ないといい作品描けないと言われ抱いてもらおうとしてお漏らししたり、佳山明の自然な演技が素晴らしかった。
ユマの双子ユカ役の芋生悠が爽やかで気になった。
抱擁
終盤、片割れが登場する展開に、この構図には弱い。主人公にとっての「たられば」との邂逅。主人公の人生をミラーに投影して客観し、「でも私でよかった」と自己肯定に着地する。自分にしか与えられなかった人生を認知する純真さ。美しい瞬間。
観てる健常者にとっては彼女こそミラーに映りこむ自分自身かも知れぬ。自分が恐れる「たられば」。姉の言う怖かった気持ちは口にしづらいもの。手を取り抱擁する。これも美しい瞬間。
中盤まで子離れ・親離れの話として捉えていたので、終盤の展開は不意打ちだった。主人公は「自分がこうでなければ、母もああならなかったかも知れない」と語る。ミラーを通して、子と母が語らい、最後はやはり手を取り抱擁する。もはや涙でよく見えぬ美しい瞬間。
見事な構成だと思う。主人公のか細い声が終始説得力を持つ。真起子姐、かっこいい。
佳山明さんに主演女優賞をあげたい!
この映画は何といっても佳山明さんの体当たり演技に脱帽。
健常者の役者さんが演じるのではなく、脳性麻痺を抱えている女性が演じたからこそ多くのものが伝わってきて感じ取れたと思う。
その周りを固める渡辺真起子、板谷由夏、神野三鈴といった役者さんも素晴らしかった。
「こんな夜更けにバナナかよ」しかり、最近の障害を抱えた人を主役とする映画は、一昔前のお涙頂戴映画ではなく、自分の人生をより良いものにしていくのに障害がある無しなんて関係ない、自分が置かれた状況を嘆き憐れむのではなく、受け入れ、前向きに一生懸命努力して楽しんで笑って生きよう!という強いメッセージ性を感じる。
ユマがリハビリ施設を抜け出すシーンでは「いいぞいいぞー!行けー!!」と応援せずにはいられず、タイで双子の姉を見つけ出し、赦すシーンから母と再会するシーンあたりまでは涙が止まらず、最後に編集者に原稿を渡して、編集者が知り合いに電話で勧めるシーンではガッツポーズしたかった。
いやぁ、元気をもらった!良い映画を観た。私ももっと笑顔で前向きに頑張ろう!
これは「かわいそうな障害者に親切な人が手を差しのべてよかったね」映画ではない
出生のとき、呼吸をしていない時間が37秒あったために、生まれつき脳性マヒの障害を持っているユマ。
終盤、彼女はこう呟く。
「1秒でも短かったら、自由に生きられたのかな」
僕には彼女のような障害もない。だから、こうした障害を持つ不自由さについて、何にも分からない。
その前提で。
それでも障害を持つ不自由さには、「障害者はこうだろう」とか「こうあるべき」といった社会の持つ偏見や先入観の部分が多いことに気付かされた。
ユマと母親の会話。
「1人じゃ何も出来ないくせに」
「ママが何もやらせてくれないんじゃない!子供扱いしないで!」
ユマが、それまで知らなかったことに興味を持っていく過程を観ると、彼女の持つ自由を求める心の素晴らしさに打たれる。
そして気付く。
自由な心を持てるかどうかって、障害の有無はさほど関係はないよな。
だから、ユマの母親が、娘の障害を気遣うあまり、母親として自分自身にも不自由を課していたことに気付き、向き合う場面に深く心が動くのだ。
後半は意外にもロードムービーの味わい。
母と子の物語に、父と子の物語が加わり、やがてユマの家族の物語へと重層的にストーリーの奥行きが加わる脚本は見事。
絵ハガキの伏線が効いているし、ユマの絵の才能が父譲りのものだと思うと、娘に会えなかった父の無念が一層伝わってくる。
ユマの周囲で、彼女を支える“人生の先輩たち”がほんとうに素敵。
これは“映画のご都合主義”ではなくて、「世の中捨てたものじゃないよね?」という作り手のメッセージだと思う。
(本作が「かわいそうな障害者に親切な人が手を差しのべてよかったね」作品になっていないことに注意されたい。筋立てとしては、そうなってもおかしくないのに、そうならないのが本作の凄いところである)
作り手が人生を強く肯定しているからこそ、本作は、障害という特殊な背景を持ちながら、誰の胸にも届く普遍性があるし、僕たちに生きる元気を与えてくれるのだろう。
主演はもちろん、役者たちの演技も素晴らしい。
傑作である。
素直に凄い作品
脳性麻痺の少女ユマを演じた佳山明の発する一語一句に震えた。事前情報なくこのリアリティのある演技ができる女優は誰なんだろう。観賞後ホームページなどで確認するとオーデションで選ばれた、実際に脊椎損傷で車椅子生活されている一般女性とのことでした。彼女のか細い声がまたせつない。母親役の神野美鈴の芝居も光りました。この女優さん正直知りませんでしたが素晴らしかった。ここまで母性を曝け出す芝居なかなかできません。
障害者にスポットライトを当てた作品は多いですが、37セカンドほどリアリティかつエモーショナルな作品はないです。ドキュメンタリーをみているようでした。障害者の実際の残酷なテリトリー。そこから少しでも違う世界に脱出しもがき苦しむユマ。それを支えたり、応援したり、現実を突きつけたり全てのキャストが素晴らしい。こんな映画つくったHIKARI監督って何者?素直にやられました。必見です。
京成ローザ、よくぞ上映してくれました。
絶望から救ってくれる人がいる幸せ
ちょっと待って!単館系、自分探しの旅赤裸々の巻かと思いきや。途中から完全にぶっ飛ばして"Long way to home -愛こそが全て-家族篇"にトランスフォーム。
タイだよ、スワンナプームのNo.5じゃん、ソンテウやがな、自己申告レスキューのステッカーやん、ゲストハウスですよ、懐かしいなぁ、サワディカーップ!なんて懐かしがってる場合じゃ無い。芋生悠ちゃん?また君が泣かせ役か?あれ、泣かさんのか?そのまま帰してエエんか?なーんてね。やられますただ。メタクソに涙搾り取られました。
どないなってんのや?と言う事で皆さんのレビューを見たところ、そう言う作品だったんだと納得して、また思い出しながら涙目になっとります。
37秒の運命を恨む事なく。絶望感でやるせ無い夜に取り出したのは、子供の頃に受け取った父さんからの手紙。何がしたいのか、どう生きたいのかも分からないけど、今のままでは自分の人生を生きていると言う実感が無い。
俊哉に連れられて訪れた父の住所で、彼の死と双子の姉の存在を知ったユマは、ただ単に会いたくてタイに飛びます。結果的に、純粋な慕情しか抱いていなかった彼女の旅は、離れ離れになった家族を再生させる事になりそうです。
37Secondsは、彼女と家族に過酷な人生を課してしまった運命のリング。人は、それを乗り越えて行けるから。リングに囚われないで、自分の人生を生きろ!って言う映画。
最高。良かった!とっても!
これ、今年の邦画の年一候補だす。
て言うか、あれ、川上奈々美ちゃんだったん?
気付けよ、俺w
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3/17追記
この作品は文化庁の補助を受けています。製作費1億円以上の映画に対し、所定の申請を受けたものの中から、文化庁が補助する映画を選定。補助額は¥1,000万円。でもね。なんかね。韓国の映画関連の政府補助年間予算は300億円だったんじゃなかったっけ、2018年あたりが。ウォンじゃ無くて円。もうね、こんな映画はバンバン補助して、宣伝して、皆に見てもらわなきゃアカンのじゃないかって思います。
また、NHKのクレジットが出てきます。基本的に、NHKは放送法の規定により、商業映画の制作を含めた営利事業に直接関与できません。よって「制作協力」を行うのみ。NHKクレジットの後に出て来た氏名は30名くらいだったでしょうか。結構、ガッツリ行ってます。だがしかし。これ、商業映画なので当のNHKは宣伝もできへんやん。だから、関連番組を作って放送して、間接的に広報を支援するしかできないんでしょう。残念です。
また。B級邦画でお馴染みの面々が顔を揃えた感のあるキャスト。皆様、いつも通りで安定して良かった!
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3/22 ちょっとだけ追記
もう怖く無いですか?
お母さんにも会いに来てください。
障害者だと聞いて、怖くて会いにいけなかったと言う双子の姉ユカに、ユマが言った言葉の重さに。滝。2回目も、ここが滝。ツインタワー、じゃ無いね。ダブル瀑布どした。
“寄せる”
障碍者がテーマの作品は、古今東西積極的に作られている。勿論、そのどれもが社会の生きづらさを抱えたままスポイルされてしまう現実を突きつけられる骨太の内容が描かれている。そして鑑了感の何とも言えない後味の悪さや、社会に対する批判を覚える気持が心を支配してしまうのである。では、本作ではどうだろうか?
まずは、本作の最大の成功点は、主演の女性の抜擢であることは誰もが疑う余地がない。なにせ、主演に併せてストーリーも修正された程だから、それ程監督も彼女に対するインスピレーションが捗ったのではないだろうか。ストーリー展開も、2部構成のような建付けであり、彼女を取り巻く様々な問題や悩みが巧みに描かれ、そのスマートで解説を必要としない演出が端的に形成されている。冒頭からの入浴シーンの件は、何より今作品の覚悟を観客に試すかのような、一種の挑戦状であることは疑いようがない。通常ならばそのシーンを撮る事の必要性に疑問を抱くかも知れない。センシティヴであり、居たたまれない恥部の場面なのだから。
しかし、監督は逃げない。それは観る人に拠っては抵抗感を抱く画作りであっても、作品中の世界を自己解釈の差し挟む余地をさせないよう強烈なメッセージ性が存在しているからである。自分の世界には障碍者がいないモノだという生温い近視眼的見え方に陥ってる眼球を「外して煮沸して磨いて再度取り付けろ」と言わんばかりの強引なパワーを突きつけているのだ。主演の女性、その母親の生活に疲労困憊しているその裸体には、目を背けるなという強さが存在している。その後の学生時代からの健常者の友人による搾取は、100%の悪意だけではない微妙さも感じ取れるがこれも又社会の縮図であろう。そんな世知辛さ故の過保護を通り越しての共依存を表現する母によるハンバーグ切り分けの演出も又、さりげないが丁寧な意味のあるカットである。そんな環境のブレイクスルーを目論む展開の流れは、映画ならではの外連味を感じ取れる大胆なベクトルである。彼女自身が男性的な性欲を意図している訳では無い事は当然描かれている。しかし周りは彼女を単なる欲求不満として片付けてしまう裁量の狭さを的確に映し出す。愛情と性欲は決して切り離せない。ましてや彼女にとってそれは、人間として又は女性として見紛う事無い自然の摂理なのだ。それを否定したりましてや色眼鏡でみる事は人間性の欠如を宣言したい。主役に対する感情移入も甚だしい自分が席に座っている。また、彼女のアニメ声のようなか細い、しかしチャーミングなトーンも今作では重要なファクターであろう。風俗に初体験を求め、そして図らずも粗相をしてしまう件も大変心が痛いシーンだ。そしてこのどん底の居たたまれなさからの話は場面転換してゆく。リアルからファンタジーへの昇華だ。
偶然出会ったセックスワーカーの女性や介護士の男との交遊の中で、彼女の化学反応は急速に加速し、周りの戸惑いとの軋轢の中で遂に“冒険”を決意する。他のレビューではこの件はリアリティに欠ける、鼻白む展開だと言う人もいるが、今作に於ける展開の白眉はここである。彼女にとっての長年の“宿題”である父親との邂逅を描く事に躊躇いなど無意味だ。そこに話の穴や辻褄の合わなさを指摘しても野暮なだけである。パスポートはセンターに行って自ら取得したと想像すればよい。父親が亡くなってからの悄然
からの、存在さえ知らされていなかった双子の姉の出現は、絶望の中での一筋の光を綺麗に組み立てているので違和感なく高揚感を与えてくれる。勿論、父からの手紙にあったイラストのアニメ映像が伏線であることがここできっちり回収されるニクい演出だ。
クライマックスでの、冒険から戻った彼女が描いたイラストを観た母親の大粒の涙は、背景のガラスから差込む太陽の効果が抜群に利いていて、これ以上ないカタルシスを観客にもたらすのである。タイで姉と会い、そして自分を呪った37秒の無酸素状態を、そして、姉から実は逢うのが恐かったという告白も、この冒険によって「私で良かった」と言わしめた自己肯定の取得によって転換できた歓びを、観客である自分も共感以外に思い浮かばないのである。ラストでのこの冒険の先導役であったエロ漫画編集長の粋なご褒美も又、心擽られる展開である。
絶賛の作品だが、唯一、自分が残念だと思ったのはエンドロール中の挿入歌。これだけの冒険譚なのだから、もっと余韻を感じさせる情緒的な、『めでたしめでたし』感を付与してくれる曲が用意されていれば百点満点だったのにと思ってしまったのは、些細な事かも知れないのだろうか・・・。
温度差
前半、バストを露わにするシーンがあったため、セクシャリティーにフォーカスを当てた作品かと思いきや、途中、リハビリを抜け出してタイに行き、双子の姉妹に会うシーンはまるでファンタジー。リアルなのかファンタジーなのかはっきりして欲しかった。主演の女優さんが好演しているのにもったいない。
気合の入った素晴らしい作品
大変素晴らしい作品でした。まず、このような素晴らしい映画を鑑賞出来たことを感謝したいと思います。
自分がこの映画を語るのに相応しいのか少し迷うくらい複雑な内容でした。なので、映画の主題には深く触れずディテールを中心に語りたいと思います。
全体的に安っぽさのない重厚な映像が印象的でした。
最初のヌードのシーンで映画の本気度が伝わってきました。正直言って目を背けたくなるような映像だったことを告白します。しかしその自分自身の醜さを自覚できたを嬉しく思っております。そんな覚悟でこの映画を観ているのか?と軽く笑われたような感覚を覚えました。
いきなりタイに飛ぶシーンには驚かされました。映画としては面白かったと思いますが、少しリアリティにかけていたと感じました。あとずっと旅に付き添ってくれる親切すぎる知り合いも。
最後まで鑑賞した感想は、これは家族の物語なのかと気づかされました。最初は人の生き抜こうとする力強さが主題かと思っていたのですが、少しずつ話が(違和感なく)ズレていくような形で家族へフォーカスが当たっていきます。
障害があってもなくても
そう
障害があってもなくても
遠慮なく
自分らしく
生きる。
そんな風に感じた。
同級生のゴーストライターで
搾取されてるのは、辛いけど
家出するシーンはやった!だ。
舞の心意義にうたれた!
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