37セカンズ : 映画評論・批評
2020年1月28日更新
2020年2月7日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
ビビッドに鮮やかに、新たなヒロインをスクリーンに誕生させた
人生の分岐点はいつ訪れるかわからない。彼女の場合、それは生まれた瞬間に訪れた。
タイトルの「37セカンズ」とは、本作の主人公が生まれた時、息をしていなかった時間の長さである。たった37秒の出来事で脳性麻痺となった女性が、性と家族との葛藤を通じて成長してゆく姿をポップで鮮やかなタッチで描いている。
主人公、ユマはきらびやかな漫画家の友人のゴーストライターをしている。自分を強く主張できない彼女は、いつか自分の名前で漫画を発表したいと考えている。そして、過干渉な母親との2人暮らしで、母の世話焼きを鬱陶しく感じている。友人の影で生きねばならないことと、母親からの自立の2つを克服したいユマは、アダルトコミックの募集の広告を見つけ、思い切って応募してみる。しかし、性的体験のない彼女にはリアルな性描写ができず、編集長にそれを指摘されたことから、ユマは性体験への挑戦に歩みだす。
ユマは夜の街で女を買う障害者やデリヘル嬢、介護士らと出会うことで成長していく。性に目覚め、成長してゆくヒロインの姿を、HIKARI監督はビビッドな東京の街並みにアニメーションや漫画表現を交錯させ、幻想的かつ鮮やかに描いてみせる。障害者の性を扱うことでセンセーショナルを狙ったわけでは決してない。性への目覚めは、過保護な母の「無垢なる娘」という押し付けからの脱却であり、アーティストとしてのオリジナリティを獲得するための苦闘なのである。
物語は、性の問題から彼女の人生における最初の分岐点、彼女の出自の問題へとシフトしていく。後半の展開は、主人公ユマを演じた佳山明自身のパーソナリティを反映しているそうだ。そのルーツは彼女の意思ではどうにもならなかった、生まれた瞬間に訪れた運命の分岐点の残酷さを一層際立たせるものだ。映画はそこに向き合いながらも優しく包み込むように幕を閉じる。1人の女性が殻を破り羽ばたく様を、誰もが通る通過儀礼図式に乗せて活写した美しい人間讃歌だ。
(杉本穂高)