劇場公開日 2018年10月26日

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「モニターのみで魅せる感動」search サーチ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0モニターのみで魅せる感動

2020年7月11日
PCから投稿

PC画面だけで構成されるスリラーのUnfriended(2014)はCyberbullyの復讐劇としてヒットし、新しい手法のPOVとしても受け容れられました。
PC画面とはいえスカイプのようなビデオ通話が常時つながっていて、つねに1人~マルチな通話者の顔を見ることができ、その状態を利用して役者がリアルな演技をします。
使ったことがないのでFace to Face通話をよく知りませんが、アメリカ映画のなかでは日常的な風景として度々見られます。
Eighth Gradeのケイラも顔出しの動画SNSを使っていました。
日本では国民性として通話にしろSNSにしろ、顔出しは平常ではありません。ゆえに、とても英語圏な気配のするテクノロジーだと思います。
つまり、アメリカならではの映画だと言えます。

UnfriendedのスマッシュヒットをうけてUnfriended Dark Web(2018)がつくられました。続編がいけるネタではないので続/編ではありませんがアイデアを加味して刷新しています。
もともとUnfriendedはPCのモニター上部に付いているカメラがとらえる世界に過ぎず、登場人物は常にそこにいます。いなければドラマが成り立ちません。ところが、襲われることがわかっているのにPCカメラの前に張り付いてガクガクブルブルしているのは変なので、その不自然を演技によってクリアする必要がありました。

よって、役者たちは台本と設定だけで、恐怖に震えたり、泣き叫んだりしているのであり、それを考えると彼らの没入度には尊敬を感じます。
低予算なPOVの真価がリアルな演技に支えられているのは理解できますが、役者とはいえ、架空の設定に涙を流したり、嘘っぽさがないのはリッパなものです。

Unfriended Dark Webでは登場人物の1人に聾を設定していました。
といえば、2016年のホラーHushのヒロインも耳が聞こえない設定でした。この仕掛けは観客に「志村後ろ!」的効果をもたらすのですが、この前提要素が必ずしも映画を盛り上げるとはかぎりません。ホラーにおける耳の聞こえないヒロインとなれば、観客として解りきった「志村後ろ!」的危険度が、反って料理しづらくなる、と思うからです。

同じく2016年の大ヒットホラーDon’t Breatheの侵入先の主人も目が見えませんでした。だから泥棒にとって楽勝の仕事と思えたわけですが、真っ暗闇を追われるときは、もともと目が見えない主人のほうが有利です──その反転発想がとても鮮やかでした。

Hushの聾ヒロインにしても殺人鬼には楽勝の獲物と思わせながら、感覚が鋭くて賢い──その手強さに裏切りがありました。しかしUnfriended Dark Webは聾をうまく映画に生かしていたとは言えませんでした。

お互いがPC画面に見入っているビデオ通話時は、その背景が見えているのは相手だけであるゆえに「志村後ろ!」状況が生じやすいのです。ただしドリフターズの寸劇ならいざ知らず、スリラー/ホラーで「志村後ろ!」は一度やれば二度目は白けます。
好適な舞台設定とは得てしてそういうものです。

そもそも、POVそのものがジャンルとして二番煎じの難しい宿命を負っているのです。

このSearchingもPC画面だけで構成されるPOVドラマです。
冒頭から懐かしいXPの画面──緑の丘陵と青空──で始まり、何かのモニター画面を外れるロールは一切ありません。つまり映画としての状況描写が無く、PCかテレビ放映か監視カメラかスマホ画面などが、総ての状況を語るわけです。

ゆえにUnfriendedを思い浮かべたわけです。で、POV亜種を見る気分で、暢気に見始めたわけです。
すぐにとんでもない高い志をもっていることに気付かされました。
面白いのに加えて感動的でもあります。個人的にはEighth Gradeと併せて2018年の最高作でした。

感動とは別に、PC画面で構成される映画で感じたのは英語の圧倒的なスピードです。考えてみればあっちには全角なんてものがありません。
タイピング、検索、コピペのような基本動作に加えて、ローカライズの要らないアプリケーションのサクサク感が凄まじいのです。その目まぐるしい速さと、顔出しで様々なWEBサービスを操るアメリカのopen minded personな様子は、まるで未来世界を見るようでした。

アメリカのティーンはFacebookやGoogle+へプロフを載せinstagramやtumblrに写真を残しYouCastであてもなく顔を晒しています。
ただしSearchingはモニター上でドラマを語る必要に迫られて、登場人物をインターネットテクノロジーの操者に仕立てているのであって、ネット社会を肯定も否定もしていません。
そのモニター=POVは自ら強いた枷であり、その枷を自在に操って、感動へ導いているのですから、この映画の凄さには計り知れないものがあると思います。

台詞は発言されるものと画面上のダイアログ、筋書きはPC操作、描写はライブカメラ等々・・・その方法論に感心しながら、ラストのMom would be tooと最高に素敵な写真ではホロッと泣けました。
POVでありながらPOVの限界を感じさせない、完全に魅せられた100分でした。

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津次郎