「男目線な印象派マニエリスムの到来と僕は思っている」永遠の門 ゴッホの見た未来 チネチッタさんの映画レビュー(感想・評価)
男目線な印象派マニエリスムの到来と僕は思っている
この映画は「目録をテオが渡す所」以外は全てゴッホの視点。つまり、全てフィクションと言う事になる。だって、ゴッホの視点って誰が証明できるのだ。
こう言った映画があった事は知らなかった。
確かに「そう言った結末になる事」も理解できないではない。
しかし、ゴッホの絵ってなにが素晴らしいの?
以下 この映画での話
純粋無垢の子供にまでディスられ、
少女に誤解を与える行為を強行。
そして、多分耐えられぬ体臭。
10年間に2000点も作品を描いたのに、売れたのは一枚。ゴーギャンを理解者とか友人と言ってるが、結局は弟だけが理解者。その弟にしても、セールスを積極的やった訳ではない。
10年間に2000点とは、2日で一つの作品を描いている事になる。彼の功績として、全部を一派ヒトカラゲで好評価して、彼を神格化する。
さてさて。この映画ではね。
いずれにしても、テオの妻とその息子には売れなかった1999点もの作品が負債の如きで残ったと言う事になる。
アメリカの画家にポラックと言う抽象画の巨匠がいる。モネの晩年とかゴッホの晩年の絵に影響を受けたらしい。そして、そう言う突然のコメントがゴッホや晩年のモネを評価へと誘う。
だがしかし、鑑賞してみてもらいたい。ポラックとモネとゴッホは全く違う。そして、そう言った流れがわからないとポラックは全くわからない。僕はわからない。
さて、テオはゴッホが亡くなった半年後に錯乱状態で亡くなったそうだ。
まぁ、そう言えば、兄の死でテオは錯乱に至ったと解釈するだろう。しかし、
彼の死はスピロヘータが脳を侵す病気なのだ。
つまり、テオの妻は兄と弟に人生を狂わされたと言っても過言でない。もっとも、だから、1999点で生活を復興させたと言ってもバチは当たらない。
二人の兄弟の冥福を祈る。
また、オランダは春を売る仕事を合法化している。それも考え直すべきだと思う。
僕は印象派が
メアリー・カサットやベルト・モリゾが継承していればと嘆きたくなる時がある。
ルネサンスがマニエリスムしたように、印象派のあとの時代は、印象派マニエリスムに移行したのかと、この時代の美術を捉えている。勿論、僕だけの持論である。
