ある画家の数奇な運命のレビュー・感想・評価
全12件を表示
彼の真実を描く
三時間という長さを感じさせない
冒頭から見いってしまうほどの作品
…天才画家の数奇な運命
美しく大好きな叔母の死
死に追い込んだ人物の娘と
偶然にも結ばれる
この辺りは数奇な運命を感じる
復讐劇ではないけど
彼の描く画で相手には
いずれ分かることになる
彼の人生が魅力的で淡々と
描かれていて何もかもが興味深い
無口であまり多くを語らない
クルトだけど
好印象に描かれている
安楽死の首謀者
妻の父、幼い頃叔母との写真
…三枚の写真
これらを組み合わせて
完成させた画は素晴らしい
写真からの…カンバス
彼の感性
彼の真実を描いた作品
景色や街並み人物なども素敵に
映し出されて映像、音楽も最高で
少しも退屈に感じることはなかった
…魅力的な作品です
アートは告発する
ナチス政権が如何に若い芸術家の創作意欲を妨げて、
悪影響が大きかったかを描いた一方で
主人公クルトを通して数奇な運命に翻弄されたモデルとなった
世界的巨匠ゲルハルト・リヒターの若き日と、影響を与えた叔母、
恋人でのちに妻になるエリーそしてその父親ゼーバント。
その関係性を振り返り描いています。
見せ場は長い3時間10分の映画のラストの1時間。
クルトが義父ゼーバントを創作した絵で、彼を告発するシーン。
絵画が持つチカラをまざまざと見せつけるシーンでした。
生きている画家で最高額の26億円の値段を付けた世界有数の画家
ゲルハルト・リヒター(91歳で存命)の半生をモデルとした映画。
正直言って、この映画に描かれている事実がどこまでが真実で
誇張していて盛っているのか?
監督のフロリアン・ヘンケル・フォン
・ドナースマルク(善き人のためのソナタの監督)
監督の作品への意向は大きいだろうと思います。
ドイツ人でもないし現代美術界にも詳しくないので、
真偽の程は定かではありませんが。
でもこの映画の中で、クルトが義父の元ナチス親衛隊の医師で、
クルトの愛する叔母エリザベトをガス室で安楽死に追いやった男、
ゼーバント教授を彼のアートで告発するシーンは最大のハイライト、
心に強く訴えるシーンでした。
そのアートとは、
クルトの家族写真やゼーバントのナチス将校姿とコラージュした
写真の模写。
若く美しいエリザベトに抱かれて恍惚の表情を浮かべるクルトの
幼い日のスナップ。
妻のエリーはゼーバントの娘。
クルトの子供を妊娠した時父親ゼーバントは嘘を言って
中絶措置を施されている。
後にエリーは泣いて
「父はクルトの種をゼーバントの血に混ぜたくなくて、種を絶った」
「これからはあなたの作品が私たちの子供」
しかし流産を重ねた末、東ドイツから西に脱出したクルト夫妻は、
デュッセルドルフの美術学校で、素晴らしい指導者に出会うのでした。
東ドイツに生まれたクルトはナチス政権台頭のため、
絵画や芸術にまで社会主義リアリズムを押し付けられる。
自己を表現することを否定されたクルトは芸術の芽を摘み取られて、
道を見失っていた。
そんなクルトに強い影響を与えたのが、美術大学の教授フェルテン。
彼も第二次世界大戦の生き残りの戦闘気乗り。
トレードマークの帽子の下の頭は禿げて焼け爛れたケロイド。
ソフト帽は怪我を隠すためだった。
クルトの東ドイツでの苦労を、フェルテンは、
「君の瞳を見れば、してきた苦労が分かる」
と、理解を示し労い、
創作の素は「自己を表現すること」と教える。
そこからクルトの創作意欲は吹き返して、
半生を振り返った作品が初の個展の作品群になる。
クルトを愛してくれた叔母のエリザベトが精神科病院に収容され、
種を断たれる手術を施され、劣悪な遺伝を持つ者としてガス室に送られて、
安楽死をされた。
ナチスに反抗して職を追われて掃除人となった父親は首を吊って自殺した。
最愛の恋人エリーに授かった子供は実の父により中絶された。
様々な思いをクルトは過去の肖像写真や家族写真を模写して紗をかけ
クルトとエリザベトの聖母子像にゼーバントの顔を塗り込ませて、
ゼーバントを告発したのだ。
ここが山場だと思いました。
モデルのグルハルト・リヒターは本当に現存の画家・芸術家として
最高峰の巨匠。
1944年8月にアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所で
囚人を隠し撮りしたとされる【ホロコースト】の写真を元にして描いた
4点の抽象画「ビルケナウ」シリーズも制作しています。
ナチスが如何に芸術家の自由を奪い制作意欲を削いだが?
クルトが自己を表現する芸術の原点にはナチス将校の蛮行があったこと。
安楽死された叔母エリザベトへの追悼・・・
クルトは言葉に出して告発しない・・・作品が語る。
芸術はピカソの「ゲルニカ」のように反戦をそして平和を訴えることが
可能なのだ。
この映画は自我と自由を尊重することが大事と訴える反戦映画。
そう思います。
この同じ作品で二回目の削除となった。私も学習していないと反省してい...
この同じ作品で二回目の削除となった。私も学習していないと反省している。書いてはいけない事は言葉を変えて表現する。叙事を叙情に変えなければ表現の芸術では無いと言う事だ。もっとも、私はレビューで芸術を語るつもりは無いが。
さて、しかし、突然削除されると何も書く気になれないね。
数奇であり歴史に翻弄された画家と家族
ゲルハルトリヒターが、ボイスの生徒とは知らなかった。
壁ができる前はあんなに簡単に西側に亡命できたこともしらなかった。
エリーとカート2人がとにかく前向きで先入観なく家族について冷静であること、困難に絶望しないところ、に畏敬というか、なかなかないことだかと感じ入った。往々にして芸術家の映画は絶望と破滅をみるのだがゲルハルトリヒター氏は今も活躍されている。2人の寄り添う様もとても良い。
目を背けないで見ること。目を背けない!
おばもまだ若くカート(ゲルハルトリヒター)もまだ幼いが目を背けないで、真実はそこにある現実とおしえてくれたこと。
ヨゼフボイスにとっての脂とフェルト、その話は知ってはいたが戦争中の体験を映像化してもらいとてもありがたかった。
権威主義的で戦争犯罪者である義父がネチネチ嫌味を言っ他通り、カートは、トップに、最高の芸術家になってしまった。
ハイル、、と言いたくなければ3リッターといえばいいよと父に耳打ち、早速実行した父はナチスの下でも東ドイツの共産政権下でも自分を保ちながらも中途半端に党員になってしまった故零落し自殺してしまうし、その息子たちも戦死してしまう。
義父はゴリゴリのナチス党員として栄華を極め機転を効かせ東ドイツではゴリゴリの共産党員に。凶々しい優生思想のもと、自分の娘に嘘をついて中絶手術をするほどのカス。
アウシュビッツだけではない、ナチスによるねじ曲がった優生思想などにより、人の命、その連鎖を断ち切る、断種という悪行の数々、今も世界のどこかで行われているのではないかと思うと無力感しかない。そして、日本でも障がい者や精神疾患の人たちに対し未だ同じようなことが病棟隔離、入院という形でされていることをあらためて恥じる。ボイスの自分はどこかきているか何故に自分かを、そこからたちあがるものが芸術だ、というようなカートへの教え。
西側の、素敵な芸術は、ich ich ichではないだろう、東ドイツでも体制の都合で否定されだが西側世界でも芸術は、真実は、ichの3連発ではないと思う。ich と利他であろうかと。間に合えばゲルハルトリヒター展に行って確かめたい。
「作品の良さは、本人にしかわからない」
3時間超えで重厚なドイツらしい映画
「普通でない」遺伝子を残したくないという
ナチスの安楽死政策で殺された若い叔母
その叔母に可愛がられ「真実はいつも美しい」と
教わっていた幼き日の主人公クルト
長じて画家になったクルト
自由がない東ドイツから、
「ベルリンの壁」が出来る直前の
自由な西ドイツに逃れ
クルトは愛妻エミリーと共に苦労を重ねながら
画家として生きる道に活路を見出そうとする
絵画では成功しないだろうと言われた
デュッセルドルフに行き、試行錯誤しつつ
30歳を過ぎて入学した美術学校の教授が自身の
辛い過去の秘密をクルトに明かしたのは
「ただの数字に意味はないが、ロトの当選番号だったら
意味があるし、美しくさえある」と言うクルトの
新しい視点に、希望を見たのだろう
彼は「真実」という過去を背負って芸術に挑む人だった
「作品の良さは、本人にしかわからない」
その言葉が自分自身の原風景に繋がる
きっかけとなったのか
「真実を描きたい」
と目覚めるクルト
登場人物たちの生きた時代背景や
彼らの人間関係を考えると
真実を語るのは勇気がいる事であったようだ
それだけに、自分の進むべき道を見つけた時の
喜びはひとしおだったろう
ずっしり重みのある、見ごたえのある作品だった
長時間でもスクリーンから目が離せなかった
歴史詳しくないのであまり語れませんが、
とても切ないシーンからのスタートで、
この内容なら3時間苦痛すになるかと思ったら。
役者さんの演技力もあり、
3時間あっという間でした。
ちょっとエッチのシーンが多すぎて
もういいわ~っておもったりもした(笑)
まさに「数奇な」
まさに「数奇な運命」を描いた映画ではあるが、前半の「医学を政治に仕えさせること」「芸術を政治に仕えさせること」がいかに間違っているか、が後半の「自由」の苦しさとの対比になっており面白い。
ストーリーとしては、義父との直接対決がなんらかの形であるのかと思っていただけに拍子抜けではあるが、そこは実話ベースだから仕方ないな…
しかしまぁホントに興味深い。ハリウッドならコレほど長くはならなかっただろうが、コレほど真摯な作品にもならなかっただろう…
しかしドイツ人民がこれほどナチスの所業を反省し追求していることは日本人も良く理解しておくべき。
覚醒の瞬間
ゲルハルト・リヒターは2005年の川村美術館での個展を見て以来、好きなアーティストである。展覧会図録も買ったが、この映画のために見返しても叔母のことは経歴にも書いてないし、作品解説にも触れられてはいない。特に東ドイツにいた頃のことはほとんど情報がない。なので画家の過去は初めて知った。が、映画化にあたって、リアルとフィクションは曖昧にされている。
主人公に関わることは事実とは限らないのだが、ナチスの思想や、価値観は実際のものだし、戦後の街の様子などはなかなかリアルだった。生まれる時代は自分で選べるわけではないから、「合わない」場合は悲劇。ナチスに対して同調できないのに、仕方なく迎合したクルトの父も、戦後は冷遇され、時代に振り回された。ドイツの抱えるトラウマは相当なものだろう。
東ドイツから脱出したのは、クルトの芸術家人生にとって、大きなプラスである。自由な表現ができるようになり、だからこそあれこれ試して、模索を繰り返す。けっこうキツいだろうな、自分探し。でも、決して妥協しないからこそ、ようやく糸口がつかめた。これが自分の表現だ!と確信できた瞬間を見られて、なんか自分まで嬉しくなった。そして、ヨーゼフ・ボイスをモデルにした教授、いいわ〜。胸にウサギの毛らしきものを付けていて、萌えた〜。
エリーの父は、要領よく生きているつもりだが、やはり因果は巡ってくる。何も知らないはずのクルトによって、その因果が一枚の絵に収まるのは皮肉だ。エリザベト・マイは無残な最期だったけど、クルトの絵の中で彼女は生きている。そして、エリーも父の犠牲にならずに済んで、本当に良かった。映画では描かれないが、この先、クルトとエリーが真実を知る日が、おそらく来てしまうんだろうな…。
疑問点がふたつ。ひとつはクルトの母。夫は自殺して、兄弟も戦死、妹も強制収容、頼れるのはクルトだけなんじゃ…? 東に残したままなの? そこ放置していいのかーい。ふたつめはエリーの母。家族の秘密を知ってても知らないふり。実の娘の中絶手術を黙って見てるだけ? 何を考えて生きているのだろうか。あまりにもこの2人はぞんざいな扱いで、ベッドシーンをもう少し減らして、何カットか加えればよかったのに、と思う。
物語終盤、個展の場でリヒターの初期作品がたくさん出てきて、思わず前のめりになってしまった。また日本で大規模展を企画して欲しい。
運命の皮肉、現実のなかに秘められた真実
1930年代後半、ナチ政権下のドイツ。
幼いクルトは、愛する叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンダール)の影響で芸術に目覚める。
エリザベトが愛した美術は現代美術。
ナチスによって「退廃芸術」との烙印を押されたものだった。
若いエリザベトは、その繊細さゆえに、時折、錯乱することがあるが、精神錯乱はナチスドイツによって否定されたものだった。
精神病院に隔離され、ついにはガス室送りになってしまう・・・
といったところから始まる物語で、ここまでがおおよそ3分の1。
この後、終戦後、東ドイツの美術学校へと進学したクルト(トム・シリング)は、叔母に似たエリー(パウラ・ベーア)と出会って恋に落ちるが、エリーの父は、愛する叔母エリザベトをガス室送りにした張本人だった・・・と展開していきます。
中盤のクルトとエリーの恋愛譚は、ややコミカルな調子で演出しているので、このあたりは息抜き的に鑑賞するといいでしょう。
社会主義のお仕着せが強くなり、結婚したクルトとエリーは西側に脱出。
自由な中で生来の芸術家魂がクルトに湧き上がってくる物語と、元ナチス医官のエリーの父(セバスチャン・コッホ)にも追手が迫るという物語と、名家の血脈を守るために堕胎手術をされた影響でエリーとクルトの間に子供ができないという物語が三位一体的に繰り広げられます。
ナチス時代の影響が色濃く物語に影を落とす・・・という内容なのですが、かなり大味な感じで、観ている間は面白いのですが、観終わって何日か経つと印象が薄れてしまいます。
ただし、出色のシーンが後半にあります。
内なる芸術魂の目覚めたクルトが描く絵(叔母エリザベトと幼いクルトの写真の模写)の上に、スライド投影でエリーの父の顔が二重写しになるシーン。
運命の皮肉、現実のなかに秘められた真実・・・
そういうものが一瞬で表現されていて、素晴らしいシーンです。
とはいえ、全体的には大味な映画といったところでしょうか。
2020年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
今年1番の映画作品!💖
物語にはナチスを告発する部分もありますが、その視点(テーマ)はもっと広く、ある画家の人生を通して、人の営みや原体験の大切さ、そして、そこから生まれる芸術作品の素晴らしさが、"我(自我)"というキーワードと共に語られます。
そして、人生をどう生きるのか?・どう生きたのか?を私たちに問いかけて来ます。
主人公の叔母が残した「それでも真実はすべて美しい」という言葉が耳に残ります。
(ストーリーはわかりやすく、美術や芸術への入門編という感じです)
*ドイツ語の原題『Werk ohne Autor』は、「作家(作者)なき作品」の意。なお、英語タイトルは『Never Look Away』で「目を逸らさないで」の意。これは、主人公の叔母が精神病院へ連れて行かれる時に、主人公へ言った言葉から(正確には、「真実はすべて美しい。だから、目を逸らさないで」)。
感性の先に
物語はクルトの幼少期から始まりはじめは彼の家族の描写から始まる。
若くして叔母は不必要な人間と政府に判断され殺され、父も自殺をする。空襲で他の家族も失う。
クルトは学生になりエリーと出会い恋に落ちる。そのエリーの父親が叔母を殺した元高官である事は観客側にはすぐ伝わりこの後何が起きるのか、伏線を張られてるような展開に緊張感が高まる。
この辺りまでは面白く鑑賞できたのだがそこからの展開に残念ながら僕はあまり興味を唆られる事はなかった。
模写から真実に近づいていくシーンなんかも一瞬は興味を惹きつけれるのだがその後の表現が非常に感性的であり残念ながら僕の感性が未熟であり作品の理解に追いつくことができなかった。
最後はエリーは再度妊娠をしハッピーエンドで終わったクルト。
今回は少し中盤から興味を失ってしまったが個人的にはまた機会があればといった作品ではあった。
話は作品とはそれるが3時間作品ということもあり体は疲れた。上映している劇場も箱が小さいところが多く疲労感を感じた。
現代画家の巨匠リヒターの半生
ルハルト リヒターという美術界で、「ドイツの最高峰の画家」といわれている画家の半生。88歳。現存する作家のなかで世界で最も注目されている現代画家と言われて、日本でも人気が高い。
リヒターは、ナチ政権下のドレスデンで多感な少年時代を過ごし、敗戦で生まれた土地が完璧に破壊される過程を目撃し、ロシア軍の進駐によって再建された芸術大学で学んだ。優秀な画家の卵は、やがて自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前に西ドイツに逃れ,前衛作家として成功する。文字通り激動の時代のドイツを生きた画家だ。
現代美術の旗手で、抽象画、シュールリアリズム、フォトリアリズム、ハイパーナチュラリズム、などの作風をとり、油絵だけでなく彫刻、ガラス作品など製作している。初期の作品群であるフォトペインテイングは、写真を大きくキャンバスに模写し、画面全体をぼかして、さらに人物などを描きこんでいくという独特の作風だ。また、モザイクのように256もの色を並べた「カラーチャート」、キャンバス全体を灰色に塗りこめた「グレーペインテイング」、様々な色を織り込んだ「アブストラクト ペインテイング」、ガラスをたくさん並べ周囲の風景を映すガラス作品、5千枚以上の写生や写真からなるパネルを並べた「アトラス」などが代表作で、いまは油絵からエナメルや印刷技術を用いた作品制作している。また「線」を描かずに、先に鉛筆をつけた電気ドリルを使って絵描く方法を取っていたりする。
2002年にリヒターは、ドイツのケルン大聖堂のステンドグラスを製作依頼され、113メートル四方の聖堂の南回廊を、72色のステンドグラスではめ込んで、これを2007年に完成させた。リヒター本人はこの仕事でいっさい報酬を受け取っていないが、長い年月と506000ドルという法外な費用がかかたため沢山の人の寄付を仰がなければならず、完成後、ケルン市長は余程機嫌を悪くしたらしく、こんな作品はカトリック教会でなくモスクとかほかの宗教に似合ってるんじゃないか、とコメントしている。ケルン聖堂は、世界最大のゴチック聖堂で人気が高いので、ヨーロッパ旅行者が必ず訪れるところでもある。
日本では瀬戸内海の無人島の豊島にリヒターの「14枚のガラス」が展示されている。全長8メートル、縦190センチ横180センチの14枚のガラスがハの字を描くように少しずつ角度を変えて立ち並んでいる。2011年に島を訪れたリヒターが、この静かな海に囲まれた土地が気に入って作品を恒久展示することに決めた。作品を収める箱形の建物も彼がデザインして製作したそうだ。
2012年オークションで、エリッククラプトンが所有するリヒターの抽象画「アブストラクテルスビルト」が26憶9千万円で落札、翌年には別の作品が29憶3千万円で取引されて、生存する画家の作品として史上最高額を記録したという。
映画監督、フロリアン ヘンケル ヴォン ドネルスマルクは、この映画を作るにあたって数週間、リヒターとの対話をテープに取り、話し合いの末、映画を製作した。だがいざ映画が完成してみると、本人リヒターは、自分は伝記なんか作ってもらいたくない、映画を見る気もないし、全く興味もない。映画がリヒターの伝記だなんて言ってもらいたくない、と主張。そういうわけで、この映画の解説にリヒターのリの字も出てこない。ただ映画の紹介に、現実の画家にインスパイヤ―されて製作した、と記述されているだけだ。
一人の画家の成長の物語として素晴らしく、画面の美しさも映画作品として完成度が非常に高い芸術作品。3時間の長編映画だがまったく飽きない。2018年代75回ベニス国際映画祭で、金獅子賞候補作。映画祭で13分間スタンデイングオベーションで拍手が収まらなかったと報じられた。ゴールデングローブ、91回アカデミー賞でも最高外国語作品賞候補となった。
ストーリーは、
1937年、ナチ政権下のドレスデン。
5歳のカートは美しい伯母に連れられて美術館に行く。ユーゲン ホフマン(EUGEN HOFFMANN 1892-1955)の彫刻「青い髪の少女」に、魅入られたカートに向かって、叔母は、これらの作品がどんなに美しいか、一つ一つを見逃さないようにじっくり観るように言う。 ナチの美術館案内人は、これらホフマンなどの前衛芸術は、退廃的で社会的ではない、と批判的だが、叔母はそういった表面的な解説をまったく意に介さない。美しいものに純粋に身をゆだねるように生きる叔母は、カートの一番の理解者だったが、やがて精神分裂症と診断されて、ナチの病院に連行されシーバンド医師により去勢手術を強制され、その後ガス室に送られて殺される。
戦争が終わり、街の小学校の校長先生だったカートの父親は、進駐してきたロシア軍によって、ナチ政権に与したものとされて、小学校の掃除夫を命ぜられる。ナチ信奉者は、ユダヤ人ばかりでなくドイツ人の精神病者や身体障害者を沢山処分した。カートの叔母をガス室に送ったシーバンド医師は、犯罪人として刑務所に入れられる。しかし、刑務所のなかでロシア人将校の妻の出産を助けたことで、将校に母児の命の恩人として扱われ、釈放されてシーバンド医師が犯した罪に関する書類は、すべて廃棄される。
カートはドレスデン芸術大学で絵画を学ぶ学生となり、同じ大学でデザインを学ぶ、エリという美しい学生と出会う。彼女は熱烈なナチ信奉者だったシーバンド医師の一人娘だった。シーバンド医師は娘が可愛いので、カートとの関係を認めない。娘が妊娠しても自分のところに引き留めるために娘に妊娠中絶を強制する。やがてシーバンド医師を釈放し保護してくれたロシア人将校が帰国することになったのを機会に、シーバンド一家は西ドイツに逃れる。カートも東ドイツの社会主義的な芸術感に堪えられず、自由な表現を求めて東西の壁ができる寸前の緊迫する国境を越え、西ドイツに逃れる。
西独に移り、ドッセルドウ芸術大学に入り、教師だったジョセフ ベイス(JOSEPH BEUYS 1921-1986)から現代絵画を学ぶ。才能を認められるが、本人は自分の表現に苦しむ。30歳を過ぎても社会人として働くでもなく絵が売れるでもなく、自分のスタイルができるわけでもなく、表現することに四苦八苦していたが、彼の義父シーバンド医師が戦争犯罪で、いつ逮捕、追及されるかわからない恐怖にかられる姿をみて、彼の写真をキャンバスに模写して、その上に人物を重ねて描くフォトリアリズム手法を考え付く。それを機に、カートは新聞や写真をキャンバスに模写して絵を重ねるハイパーナチュラリズム、フォトリアルといった自分のスタイルを見つけていく。
幼い時から美意識の高い伯母から、NEVER LOOK AWAY 見過さないで芸術作品から目をそらさずによく見てよく観察しなさい、と言いきかされていた少年が、成長と共に画家となり、観察するだけでなく自分で作り出し、人に伝えようとして、表現者としてもがき苦しむ姿が描かれている。
若く瑞々しい美少年と、美しい伯母、叔母にそっくりな姿の可憐で美しい妻。一人の画家が成長していく姿が良く描かれている。背景も自然描写も秀逸。3時間が少しも長くない。いつまでも美しい画面を見ていたくなる。
カートは、30歳すぎても妻の裕福な父親シーバンド医師に食べさせてもらって画学生を続けているから、義父に皮肉を言われる。 「レンブラントは30歳で数えきれないほどの弟子をもっていた。モーツアルトなんか30歳といえばもう死んでいた。」そんなふうに、画家の生活力のなさを非難されても、カートは何一つ言葉を返せない。それでもひたすらキャンバスに向かうカートの姿は胸を打つ。
リヒターの芸術大学の教師だったジョセフ ベイスが、絵に取り付かれた魔物みたいに、映画でもものすごく魅力的に描かれている。教室で古典派の画家の写真をキャンバスに立て、それに火をつけて燃やしながら、呆気に取られている学生達を前に、講義を始める。本物を見つけろ、とリヒターを激励するために、いつも被っている帽子を取って、自分が死にかけてタタール人に救われた爆撃機事故のときの頭のひどい傷を見せたりする。映画には出てこないエピソードだが、1974年彼はアメリカに招待されたとき、「コヨーテ私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」という作品を展示した。それはニューヨークの画廊で、1週間フェルトや新聞、干し草の積まれたギャラリーの中に籠ってアメリカ先住民の聖なる動物コヨーテとともにじゃれあったり、にらみ合ったりして無言の対話を続けるといった展示だった。
リヒターを演じた役者も絵を描く人だと思う。おおきな刷毛で床に置いたキャンバスに、何度も大きな円を描いてみせる。彼がキャンバスに描かれた本当の写真みたいに模写された油絵を、板で強くなぞってぼかしていく。絵がぼやけるに従って過去の写真が、心に映った本当の過去の姿になぞられていく。魔法をみるようだ。
一心に絵を描く人の姿は、美しい。5歳の少年を前にして素裸でピアノを弾く美しい伯母、何台ものバスの運転手に頼んで力いっぱい警笛を鳴らしてもらって、その音の渦に身を浸す美しい伯母が美しい。ガス室で死んでいった叔母が、一番の芸術家だったのかもしれない。
とても良い映画だ。
投稿者 DOGLOVER AKIKO 時刻: 1:07
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