女王陛下のお気に入りのレビュー・感想・評価
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吾輩はウサギである。
夏目漱石の「吾輩は猫である」よろしく
「吾輩はウザギである」の世界。
つまりウサギの目から見た、滑稽な人間の世界を描いている。
魚眼レンズや広角レンズを使い、また下から見上げたアングルが多いのは、
ウサギの視線(片目180度=魚と同じ。また小動物からすればあの部屋は広い)を表している。
※ウサギは赤が認識できないようですが、あの部屋には赤がなかったような?
また原題の「The Favourite」の意味:他とは比較できないくらい好きというニュアンスを考えれば、
ラストのウサギとアビゲイルが重なるのは同等という意味ではないと思われる。
ウサギがアビゲイルとサラの戦いを高見ならぬ
下から見物しつつ、
「私が一番のお気に入りである」と言っている映画だ。
鳩は平和の象徴でもあるので、
それを撃ち落としている=戦争推進派のサラのイメージを強調すると同時に、
一羽だけアビゲイルが撃ち損じて逃げおおせた鳩がいた=
それがサラだった。
というメタファーでもあると解釈した。
それが、EDの曲に繋がる。
(この時は、鳥の中心視野的なアングルになる)
本作はバカバカしい人間模様を、ウサギや鳩の視点で描いている。
面白い。
スタイリッシュとグロテスクのアンサンブル
うさぎって見た目の可愛さに反して結構くちゃいよね。
アン女王もレディサラもアビゲイルも、みんな自分勝手で、浅はかで、自業自得とか因果応報とか色々言えるんだけど、自分の欲望に正直ってゆうところが、わたしには好ましく思える。
演じた役者の楽しげなこと。ほっぺた赤塗りのニコラスホルトも楽しげだったし、コールマン、ストーン、ワイズは言わずもがな。
魚眼レンズのような画や、広角レンズのような画も目新しく思ったし、
宮殿内のしつらえ、自然光の明かり、モノトーンの衣装も堪能した。
背景はとてもスタイリッシュで、人物造形はかなりグロテスク。そのアンサンブルが味わいなのかなと思います。
ポスターとかで使われてるエマストーンがブーたれ顔で、あんよを投げだして腕組みしている写真が大好きです。
あと、全然関係ないけど、アカデミー賞のプレゼンターの女性が、アン女王のコスプレしてて、うさぎちゃんのぬいぐるみをちりばめた衣装を着てたんだけど、あのコスプレ、あたしもしたーいっておもいました。
ときめきとかポジティブな感動とかはぜーんぜんないんだけど、近世だろうと現代だろうと、人は孤独だし愚かだし欲望に抗えないってことをブラックコメディとして楽しめます。
私は好きです。
相変わらず変
事前情報を聞いた時点では、常識的なお話に寄せてきたのかなと思ったが…撮り方の変さと中世の(現代の視点から見れば)不潔感が目を引くというか鼻をつく。三角関係の駆け引きに自分自身も振り回されていく三人はお見事でした
あともっと直接的なシーン(ペロペロしちゃうとか)があるのかと思ったらそこは控え目なのが良かったのか悪かったのか。
大奥
何がで日本版大奥と言っていたけど、その通りだと思いました。
大奥ちゃんと見てないですが...
幼馴染の女王とアン。落ちた家柄から返り咲きを目指すアビゲイル。
アビゲイルがトントン拍子で成り上がります。
それはもうトントン拍子過ぎるだろってぐらいに。
映画としては展開や会話のテンポがあまり変わらない印象でした。
いっときの快楽に溺れてはいけないって感じ?
ただ、エマストーンの演技は体当たりで凄かったと思います。
そんな感じですかね?
演技合戦は見事だが、クライマックスでカタルシスを得られない
史実をベースにしているが、人物描写は大胆に変更。アン女王をバイセクシャルに描いたことに新鮮な驚き。
史実ではレイチェル・ワイズ演じるサラが宮廷から追放されたとき、女王がレズビアンだと糾弾したとかとかしないとか。
本の背表紙のような各章のデザイン。
カメラ・オブスキュラで覗いたようなファンタスティックな映像。
自然光で撮影したナチュラルな陰影。
蝋燭の灯りにふわっと浮かぶ女の魔性の顔。
宮廷という密室で行われる駆け引き。
オリビア・コールマンが独りで憂う時に醸し出す高貴さ。
レイチェル・ワイズの冷徹な上品さ。
エマ・ストーンがみるみる堕ちていく様子。
見ている間は華やかで卑猥な宮廷絵巻に引き込まれるのだが、いかんせん観た後に心に何も残らない。
三人の演技に牽引され、劇中非常に緊張感を強いられるのだが、それがクライマックスに向け収斂し解放されることがないので、カタルシスを得られない。
劇中ではサラとサラの夫が追放される寸前で終わり、一応アビゲイルの勝利に終わるのだが、どことなく中途半端。
その先の史実ではこの夫婦は罷免されたあと旅行にでかけたらしいので、映画的にはここで終わらせることで含みを持たせたかったのはわかる。だが描き方がスリリングじゃない。
どうせならもっと悲劇に仕立て上げてもよかったのじゃないか?
あくまで史実は逸れたくなかったのか。
ラスト、エマ・ストーンのひくつく表情は見事。
途中からアビゲイルがいつダークサイドに堕ちちゃったのか、そればかり考えていたのだが(笑)、終わってみるとレイチェル・ワイズの存在感がやけに残る。
個人的には彼女に賞をあげたい。
うさぎ
口コミで気になって見に行った。
サラが美しかった。
アン女王の母のようでにふるまい、父のようにふるまい、恋の相手であり、有能な部下。自分の思うように生きる女の、迷いない美しさ。鴨を撃つときの服装が似合うように、男性的な顔が似合う。執政が好きで社会的に有能である。女王に嫉妬するのは本心のようであり(その熱意はみていてぞわりとした)。一方、夫のこともいくらか愛しているようだ。
アビゲイルは、可愛い。顔がいくつも替わる。本心のわからない笑顔、一瞬の狡猾な表情、泣き顔、感情が抜け落ちたみたいな白い頬。花や音楽のように美しく、刹那的で、ときに真っ黒い銃のような横顔も見せる。綺麗に謎めいたエマ・ストーンだった。
彼女は登場してきたときからどこか不安そうである。心の底に、落ちる不安がある。サラは支配欲のかたまりのような人間だが、一方アビゲイルの賢さは寛容と親和性だ。周囲にあわせて自分を操れる。かんしゃくのひどい女王をみて、うさぎの檻をみて、その話をすることができる。子供を失った女王の話に、一瞬、心を寄り添わせることができる。サラは女王の子供にはなれないが、アビゲイルは無防備に、こどものように眠ることで女王の心を掴んだ。一方、彼女はじぶんの心も操る。従姉妹に嘘をつかないという愛やプライドを棄てれば、従姉妹を死ぬような目に合わせても、良心の呵責はない。彼女は誰も愛していない。自分の不安をぬぐうための、地位と金を得たい。敵はサラだ。そのための能力はあった。アビゲイルは見事に従姉妹を追い出した。
手紙にサラは強烈な愛を綴ったのか。女王の身を案じる言葉を綴ったのか。サラが女王からの手紙を棄てたことからサラが女王を愛していることは間違いがない。サラは手紙を読んで放心し、わずかな涙をこぼした。哄笑することもなく、読まずに火にくべることもできなかった。
ラストシーンで、彼女はうさぎをああした。物語は当然の結末を迎えたようにも思えた。彼女はうさぎに最初から愛はない。愛しているふりが上手になりすぎて、自分でも気づかなかったのかもしれないが。女王に愛もない。愛せない人間を愛していくことが今後の彼女に課せられている。彼女はこれからも、ずっとかわらず、不安で居続けるのだろう。うさぎの声がそれを教えてくれる。
隠微な世界の無能な女王と側近政治の危うさ
美術品のような宮殿の中、無能な女王とその側近(お気に入り)が操る政治の危うさが、隠微な宮廷世界と共に見事に描かれています。アン女王、その側近のサラ、そしてそれを追い落とすアビゲイルの3人の演技が秀逸。女の権力争いや愛憎、執念を見事に表現しています。アカデミー主演、助演に3人がノミネートされたのも頷けます。女王の周りの貴族達もその奇抜な衣装や白粉を塗った出で立ち、裸の貴族に果物を投げつける宮殿での遊びなどその愚かさ、馬鹿馬鹿しさを嘲笑しています。
日本の忠臣蔵の元禄時代、18世紀初頭のイングランドの宮殿は、素晴らしい絵画や書籍に囲まれ当時の王室の姿を垣間見た感じがします。また、後のチャーチル首相を生んだブレナム宮殿もこの時期にアン女王の資金援助で建てられのも驚きでした。
ブラックユーモア満載で決して言ってはならないと教えられた英語表現がどんどん出てくるのにも仰天しました。奇抜な映画表現と3人の女優の表現力に圧倒された2時間でした。
よかった
エマ・ストーンが下女から女王の部屋番まで出世する話だった。アン女王にはこれまで全く親しんでこなかったので、何の話なのかよく分からないまま進んでしまった。
レイチェル・ワイズが意識を失ったまま馬にずっと引きずられていくのが怖かった。よく生きていたものだ。
エマ・ストーンの顔芸
キュートな猫顔なのに、えげつない役を嬉々として演じているのがわかってこちらまで嬉しくなる。いいぞもっとやれ、と。
つい最近までミニシアター系だった監督の作品がシネコンでかかり、ついにはアカデミー賞を争うほどまでになるという急激な温度差にクラクラする。
衣装もロケーションも本当によく、自然なライティングでまるで当時のように見えるが、少しポップなセンスが入ってくるので、古めかしい時代劇とも違う。
ありていに言うならものすごくゴージャスな昼メロという感じ。
この監督ならではの意地悪な目線が内容と思いのほか相性がよく、ゲラゲラと笑うわけではないが、要所要所でクスリとさせられる。
かといって勿体つけた先延ばしではなく、脚本の切れ味も鋭い。
レイチェル・ワイズ演じる当時のデキる女最高峰も終始格好よくて惚れた。
女性にはこれ好きな人多いだろうなあと思う。極めてデート向きではないですが…
アカデミー賞の発表時はグレン・クローズにあげればいいのに、と残念だったが、芝居のインパクトで言ったら女王を演じるオリヴィア・コールマンが上回った。
ちょっとした表現で身体の調子がだんだん悪くなる感じとかリアルに伝わってきた。
恋愛は好きになった方の負け、というよくある言葉を思い出した。
ところで「シャーロック」ファンとしては、最後の最後でマーク・ゲイティス(マイクロフト)が1カットだけ出てくるとか気が散るので勘弁してほしい。
そっちのfaborite?
びっくらこいたー、そっちのフェイバレイト?他にやることないのかー!
孤独でしかも体はあちこち痛くて引きずって思うように動けもしない、何もかもどーでも良くなってる女王が唯一心を寄せるものは、
失った子供たちの身代わりのウサギたち。
ふたりの女たちはその存在に成りたくて戦う、が、双方とも失うのだ。ふたりそして女王も。
男は添え物のような存在でこの画の中ではまるで道化。
映画そのものはあまり好きではないが、妙➰にあと引く。
ワラエル
最終的な勝者はアン女王?
女王の自分を使う幼馴染をひょっこり出てきた野心がある”従順な”女の子に蹴落とさせ、最後は立場の差を明確にする。
滑稽な3人の争いに声を出して笑いたかった。
道徳心 を問う映画
この映画は女性の戦いでも、妬みでも、ない。
生きていく上で守りたいもの、守らなければならないものが人それぞれある。
ここでは3人の女性が、道徳心を欠いてまで守りたいもの を描き、その中で3人の間に起きる衝突や変化点、選択を巧妙に描いている。
それぞれの目的はなんだったのか?
細かなシーンに散りばめられたヒントを一つ一つ摘んでいくと、3人の女性が背負った傷と求めているもの、守りたいものが見えてくる。
虎の威を借る狐
今日職場であった嫌なこと全部吹っ飛ぶくらい強烈。
おぉ、、怖い。人間て、なんてアグリー。
最終的に誰が勝ったのか?と話をしたら、友人が「女王陛下じゃない?」と。
確かに納得。周りは女王陛下をうまく手なずけていると思っていたら、実は手の上でころころ転がされていただけ。飽きたら捨てられるだけ。そう、それがまさに「女王陛下のお気に入り」。
見終わってしばらくして、自分も、サラやアビゲイルみたいなことしてないか?と省みる。「虎の威を借る狐」してないか?
やはり、人間嘘をついてはだめだし、ひとに害を与えてはだめだし、傲慢になってもだめなのだ。
そうだ、年始のおみくじにこうあったではないか。
「何事も正直にして他人を恨まず仕事大事と励みなさい」と。
三人が主役で脇役のような話
それぞれが目的を持ってお互いを利用してるのに、油断する。
策を練って策に落ちるってこんなことなんだなぁと思った。
女王は孤独を拒み、サラは権力に溺れ、アビケイルは野心に取りつかれる。
一番正直なのは、女王の子供を思う心なのかな?ウサギの鳴き声に一瞬で目を覚ます。
子を思う母なら見逃さないであろう事でアビゲイルの本性を見てしまう。
でも孤独に耐えられないから手放すことができない。
不安で孤独な女王に一番共感できるのかもしれない。
胸糞悪さが痛快なブラック・コメディ
コスチューム劇と言えば、美しい衣装と絢爛な美術があって、作品自体に気品があって、ストーリーも誇り高い内容を想像されるし、ましてや実在の女王陛下をモチーフにしているなら尚更だという風に思うところ。しかしこの作品はコスチューム劇が持つ「美しくて品のいい映画」というイメージを真っ向から蹴り飛ばしにかかっているかのよう。そもそも監督が「ロブスター」を撮った人であるし(「ロブスター」の面白さはまったく理解できなかったものの)、一筋縄ではいかない映画なのは半ば当然というような感じ。
冒頭のシーンからして側近サラの従妹であるアビゲイル(エマ・ストーン)が汚穢まみれで蠅がたかったような姿で登場するし、アン女王陛下もまったくもって気高い女性なんかではなく、むしろ愚鈍で分別に欠く人物として登場している。そこから描かれる物語は、野心に満ちた者たちの醜い攻防であり、とても美しいとも気高いともましてや品がいいなんて印象はどこにもない。エンドロールの実に読みにくい文字フォントに至るまで何から何まで不愉快で胸糞が悪い・・・というのに、なぜか同時に極めて痛快でもあった。欺瞞だらけの物語で嘘偽りだらけの登場人物たちが生きる姿が、人間として実に正直でまっすぐに見えてくるのだ(少なくとも自らの野心には極めて正直だ)。美しく飾り立てられた所謂「コスチューム劇」という名の映画の中で、堅苦しいアクセントで回りくどい文章を口にし、お上品に振る舞う登場人物たちの方こそよっぽど嘘っぱちではないかと思えてくる。
こういう映画を見ると、すぐに「女同士の醜い争い」みたいな言い回しを使いたがる人が出てきそうで憂鬱になるが、いやいやこの映画みたいなことは男女問わずありますとも。作中でも、ニコラス・ホルト演じる青年などちゃんと醜い野心を剥き出しにしています。多分この映画は別に「女の争い」だとか「女同士の軋轢」だとかそういうことが言いたいんじゃなく、あくまで「人間同士」の愚かな足の引っ張り合いだったり、地位や立場を求めて策謀したりする人間の醜悪さといったようなものを痛烈に風刺していて、別にそれがジェンダーと直結するものという印象は受けなかった。なんなら、女性があそこまで自分の野心に正直でいられる社会なら、寧ろとっても健全では?と思ったくらい。
この映画に関しては、とにかくオリヴィア・コールマンがもう見ているだけで痛快で最高だった。顔つきから声の出し方からセリフ回しからその存在自体がもう痛快そのもの。実際のアン女王がどういう人物だったかは知る由もないが、この映画における実に間抜けな女王を抜群の喜劇センスから独自の解釈で演じていてそれはもう素晴らしかった。ごひいきレイチェル・ワイズとエマ・ストーンのかつてない挑戦的なパフォーマンスも見事に成功していてとても良かった。
好き嫌いがくっきり分かれそうな映画だなという感じはしたけれど、私にはこの毒っ気が逆に清々しく感じられ、役者の演技にも見所が多々あったので、印象が良かった。
The Favourite Is My Favorite
ヨルゴス・ランティモス監督作品は、今回初。
ロブスターは、
ちゃんと観ておけば良かったと思っているので、
見直す予定。
この物語に出てくる、
セリフのある登場人物の大半が、
そこはかとなく狂っている。
でも、狂っているのが、当然ですが何か?
という感じなので、
この映画で描かれる世界全体が、
狂っているように見えてくる。
観ている自分は、狂った世界にいきなり飛び込んで、
置いていかれる。
その狂人らが見せつける、露悪的な描写は、
ある意味で人間本来の姿の一部を描くがごとく美しい。
思わず笑みがこぼれる位に、素晴らしく、
唾棄すべき言動ばかり♡
菓子を貪り食い、嘔吐し、
吐瀉物が髪についたまま、
また貪り食い続ける女王。
そして、
その女王へ取り入ろうと、様々な策略を巡らす、アビゲイル。
舌で女王を慰める下りは、どうかしている。
レディ・サラの強烈な攻撃性そして、支配力。
鳥撃ちが趣味で、女王すら支配している、
その姿も美しい。
復讐に乗り出すところも素敵だったなぁ。
奇抜な格好の野党党首や、アヒルを連れて散歩する与党党首も
どう見ても、ずれている。
〜〜〜
アビゲイルとレディ・サラが初めて、鳥撃ちをするシーンは、
衣装といい、印象的なシーンで、ハッとした。
アビゲイルはそれまでは、割とまともな世界の住人だったはずだが、
没落した地位を取り戻すために、
狂っている世界に飛び込む入り口のように思えた。
この映画の主演と言って良い、
三女優の演技はとにかく、素晴らしく。
久々に観ていてワクワクとした。
ただ、観る人を割と選ぶ映画なので、
番人受けはしないとは思う。
後味悪い
あまりにも後味が悪いから、
このシーンで終わらないで!と
思ったシーンで終わりました。
残ったのはアビゲイルですが、
野心家で人心掌握は長けているが、
サラほどの政治的手腕や実務能力を
持たない彼女には、到底アン女王を満足
させコントロールすることはできない
でしょう。
一方、仮にサラが残ったとしても
アビゲイルによってアン女王は自尊心を
少し取り戻しており、これまでのように
アン女王と均衡をうまく保ちつつ政治を
牛耳ることはできないでしょう。
3人で保っていたバランスが崩れ、
誰も勝者はいない状況で、
サラ戻ってきて!と願いましたが
エンドロールとなり、大変後味が
悪かったです。
かわいい顔して清々しい程野心家の
アビゲイルと、毒を盛られ馬に引き
摺られてもピンピンしてる豪傑な
サラと、繊細で欲深く愚鈍に見えて
切れ者でそれをすべて瞳で語ってくる
女王を見ているだけで、楽しく、
ラストまであっという間でした。
英国は侮辱されている
スカッとした映画や感動する映画
日常的に考えさせられる映画。
そういう映画が観たいバカです。
小難しい英国王室のドロドロやいい加減な
政治。
日本の大奥に似ためちゃくちゃな政治判断
英国にあったなら衝撃的でした。
演者の演技力に文句はありません。
ラストシーンはよくわかりませんでしたが、
よくある自分で考えてみろよ的な感じがして
しかし英国をあそこまで侮辱して
下品過ぎるストーリーに監督の考えがわからない。
気持ち悪くなります。
多分、映画としてのクオリティーはとても高い…。
多分、映画としてのクオリティーはとても高く、非常に計算された脚本と三者三様の素晴らしい演技が織り成す、絢爛豪華な宮廷絵巻とも言えるのでしょう。
後半の女王の決断は、二人の愛人の狭間で揺れた情事の結果でしかないとも見えるし、重税に苦しむ民を救い、無用な流血がこれ以上続くの止めた英断だったとも見えます。
ラストシーンも、エマ・ストーン演じる女中の策略により、国家の財政を使い込んでいた事にされてしまった様にも見えるレイチェル・ワイズだけれども、実際、最前線に居る夫の為に、どうせ承認が下りるハズと、前倒しして使い込んでいた事実があったのかも知れません。
ただ一つ確かに言えるのは、エマ・ストーン演じる女中が、己の欲望の為だけに人として遣ってはいけない行いによって、権力の中枢の座を手に入れたという事実です。厳しいけれども、自分を引き上げて呉れた恩人に対して、恩を仇で返したという事実です。
キャッチフレーズにある様に、宮廷に良心は不要という事なのかも知れませんし、現実社会も似た様な物なのかも知れません。けれども、だからこそ映画の中には夢を見たい、人を信じたいという思いがいつも強く有ります。
そう言った訳で、主人公に深く感情移入する事が出来ませんでした。育ちが悪い人間は、心根までひねくれてしまうといった偏見を助長する様にも思われます。
見終わった後に、酷く複雑で陰鬱な感情に見舞われました…。
全64件中、21~40件目を表示