この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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幸せはすぐそばに
1年を幸せに過ごせたらと、前作の作品を2017年元旦に観てすごくよいスタートが切れたので、今回も元旦に行きました。
なんですかね。冒頭から涙が(早い)。
なにに対しても、かけがえのない物であるという価値観をおしえてくれる。それは、
私たちが享受している日々が「当たり前」に存在しているわけではなくて、たくさんの人や色々な出来事の失敗や工夫の積み重ねの上に構築されたもので、どれだけ幸せなのかをやさしくおしえてくれます。
まんがは未読なので、前作の映画ではリンさんの存在がよくわからなかったのですが、本作でのリンさんの掘り下げで、あの時代の厳しさがよりわかりやすかったです。
厳しい中でも人々は明るく、みんなが一生懸命に生きていて勇気づけられるのですが、リンさんの言葉がさらに、背中を押してくれます。
「最高に贅沢じゃない?」
ドキッとして、ふわっと温かい気持ちになりました。
物は考え方次第だとは思いますが、まさに痛感しました。
元気が出ない時とか観たら、尻を引っ叩かれたような一喝されて、よい涙が流せそうです(^^)
勇気を出して言うと、個人的には最初のバージョンの方が好きです。
原作にあって劇場アニメでは割愛されていたリンさんのエピソードを復活させ、ほかにもシーンを足したり再構成したりすることによって、確かに印象の違う別の作品ができあがったと言える。前の劇場版は何度も観ているし、原作も複数回読んでいるので、内容的には既知のものばかりなはずなのだが、ここまで受け取る側の気持ちが変わるのかと驚いた。
なにが違うって、同じシーンはたくさんあるのに、どれもが同じようには感じられなくなったのだ。今回の映画の方が、より複雑な心理や裏事情が渦巻いていて、深みを増したということはできる。ただ、そのせいもあって(自分の受け取り方としては)、悲喜こもごもの喜の部分を素直に笑えなくなってしまったのである。こっちのバージョンは、笑いと悲しみが裏表にあるのではなく、裏も表も渾然と混ざり合っているのである。
こっちが「完全版」というわけではない、と監督が発言しているので、こちらの作品も評価しているし意義深いと感じていますと断った上で言うのだが、一本の映画としては前作の方が好きだった。なぜなら、すべてがグレーに見える本作の辛さや世知辛さより、コントラストがくっきりしていた前作の方がより新鮮に感じられたからだったのだと思う。
あと今回のバージョンでは、周作も哲もずいぶん株を落とした印象がある。それはより「女たちの物語」であることを志向したのが理由である気がしている。そして男たちの意地や面子はなんともくだらない。これもどっちがいいとか上とか下とかの話ではなく。
より複雑に、より大人に、よりリアルに寄せてきた長尺版
原作に登場する白木リンのエピソードが通常版で割愛されたのは、まだヒットどころか製作が実現するかどうかもわからない脚本作りの段階で、遊郭の女性という子供向きではない要素が客層をせばめるリスクと考えられたからだろう。しかしロングランヒットで世間に支持されたおかげで、長尺版をより大人向けの内容に描き直すことが可能になった。
リンのエピソードが加わることで、すずの内面、周作との夫婦生活も複雑さを増した。ただその一方で、通常版ではファンタジックにぼかしていた要素に、長尺版ではリアリズムに寄った説明が加わった部分もあり、このあたりは評価が分かれそうな気もする。
ともあれ、今回の「片隅」が、単に引き延ばしただけでない、新たな魅力を獲得した愛すべき「世界」であることは間違いない。のんの声、コトリンゴの歌は今作でも活きている。
個としてのすずが、よりダイナミックに立ち上がってくる
3年前、私は主人公すずさんのことをすっかり理解し尽くしたつもりになっていた。あの頃の自分に言ってあげたい。人の内面はもっと広くて深く、そう易々と把握できるものではないのだと。これは「もう一歩」だけ心の内側に踏み込んだ物語だ。
オリジナル版では、すずさんというキャラクターがあえて柔らかいタッチで描かれていたように思う。それゆえ観客は、当時を生きた名もなき人々の人生や青春や愛すら彼女の輪郭に重ね、過ぎ去りし日々に想いを馳せることができた。一方、本作では、もっと描写やエピソードを尽くしてじっくり心の言葉に寄り添うことで、「個としてのすず」がよりダイナミックに立ち上がってくるようになった。すずさんだけではない。リンとケイコも同じ。ある意味これは「3人の女性たちの物語」なのだ。作り手と観客が深い絆で結ばれたからこそ成し得たこの異例の試み。私はいつしか心底圧倒され、すずさんのことが益々好きになった。
話はつながったが。
泣くしかない
戦争という人間にとっての究極の状況
そんなものは無いのが良いに決まっているが、そんな究極の状況下によって人間性というのか、人の本来の姿を短期間で変化させることができるのかもしれない。
時限爆弾で亡くなってしまったハルミとすずの右手。
しかしそれはほんのわずかな犠牲で、人々は身内を探し続けて彷徨っている。
ガラスの破片が体中に突き刺さりながら娘を連れて当てもなく逃げる母親。
いつしか息絶え、ハエがたかり蛆が湧く。
娘は長い時間をかけて、母が死んだことを理解したのだろう。
食べるものも着るものも、雨風をしのぐ場所さえないまま彷徨い、足元に転がってきた細巻きを手に取った。
娘はそれを口にすることなく、落としたであろうすずと周作に向かってそれを差し出す。
そんなことなどあろうか?
でも娘はきっとそんな風に育てられたのだろう。
すずに言われてそれを口にする。
おそらく何日ぶりかの食事。
二人は娘を連れて帰る。
ゴジラ-1.0の状況を思い返すと、それは相当な決断だったはずだ。
「この世界のさらにいくつもの片隅に、うちを見つけてくれた」のと同じく、彼らはその娘を見つけたのだろう。
「この先、うちは笑顔の入れ物なんです」
この先あの娘は、すずのこの言葉と同様にきっと笑顔の入れ物となるだろう。
この究極への道程、戦争というものの副産物。
計り知れない破壊と犠牲、それに匹敵する本来の人の在り方への変化。
決してそんなことは体験したくはないが、これもまた映画の持つ力によって感じることができる。
さて、すず 人からいつも「ボーッとしとる」と言われる。
暴力的な兄。
兄との日常生活の中ですずはボーっとする技を身に着けたのだろう。
生きる知恵と言った方がいいかもしれない。
力を抜き嫌なことを考えないようにすることが、兄との生活という状況を少しでも楽にするコツだったのだろう。
「肝心なことが言えない」という彼女の言葉は、ボーッとする知恵と引き換えにしてしまったもの。
本当の自分の気持ちを、隠してしまう。
それに気づかされたのが水原の存在。
彼に言えなかった「好き」という言葉。
そしてその事に気づかず、他人にすすめられるままに呉へと嫁に行くことになった。
土地も人も何も知らない場所で生活する。
義理の姉ケイコの存在は、すずのボーっとする得意芸を助長した。
とにかくそこで生きていかなければならない。
しかし、すずのそのあまりにも天然のような性格が、返って北条家に受け入れられる。
嫌味で「広島に帰ったら」と言われ、本当にそうしてしまう。
そしてその帰省は、すずにとっては、嫁に行ったのが夢だったのではないかとさえ思ってしまうほどだった。
それはきっと、それほど自分自身を殺していたのだろう。
10円玉ハゲもそれを象徴している。
再び北条家に帰ってくると、すずの表情は暗く沈み込んでしまっていた。
すずがりんに言った「嫁としての責任」。 この思考は未だにあるが、この考えがすずを殺していたのだろう。
特に絵を描くのが好きなすずから、憲兵によって絵を奪われたことが彼女の心を非常に矮小化させたのだろう。
さて、、 幼いすず。
夢の中で大男にさらわれてかごの中で水原と出会う。
戦争に突入した不安と彼女の心にあった本心。
環境によって「肝心なことが言えない」自分を作ったこと。 水原が北条家を訪ねてきたことで、素の自分を北条家にさらす。
素のすずを初めて見た周作。 周作がすずと水原とに話す時間を与えたことで物語になる。 しかし周作も好きになっている自分の気持ちを水原に打ちあける。
時間差というのか、運命のいたずらというのか、それともそれがタイミングだったのか、すずの働きが義理の父に認められ、その証拠としてなぜ周作がすずを選んだのかというのを、周作とりんとの関係で説明された。
これはすずにとって諸刃の刃となった。
非常に心が揺れ動いてしまう。
その直後の水原の訪問。それ故の二人の会話。
当時の状況下での彼らの心の揺れはなかなか難しいものを感じると同時に、切羽詰まった心の状況はよくわかった。
水原は正式にすずに断られたことを理解すると同時に、戦死を覚悟した。
やがて敵機の機銃がすずを襲い、周作が側溝の中に入って彼女を守る。
ところが機銃はりんがくれた口紅と水原がくれた羽を破壊する。
おそらく水原はりんと同様戦死したのだろう。
その際「もう広島に帰る」と叫んだのは、もちろん戦争という絶望でありすべてを失ってしまったことがあったからだ。
特にハルミと絵を描く右手を失った絶望感が突き刺さるように伝わってくる。
周作はそれでもすずを守りたかったのだろう。
絶望の淵にあってもなお、救いの手は端然と差し伸べられている。
そして、、
りんは幼い頃、すずの祖父母の天井裏に匿われていた子ども。
すずの友達。 遊郭に売られた子ども。
その強さとたくましさに惚れた周作。
同様にりんにはどうしても勝てないと思ったすず。
この4人の関係がこの作品を彩っている。
特にりんとの交流はすずに本心というものを教えているように思った。
すずの言った「嫁の義務」に対し、つまらない考えだと切り捨てる。
さらに「死んだら心の秘密はなかったことになる」。
これはりんが抱えている過去であり、それを抱えて生きる彼女のこと。
死ぬ安らぎの言葉。
さて、、
ケイコ 性格の悪い義理の姉として描かれている。 出戻った理由を離婚だと言った。
しかし実際には夫が爆弾で死んだ。
彼女は口悪くすずに文句ばかりいうが、大和の姿を見て急にどこかへ行った。
彼女の戦争。
夫の死で実家に逃げ込んだが、やり残してきたことがあったのだろう。
彼女のふるまいや悪口は、この戦時下において生きるために気丈にしなければ立っていられないことを意味する。
ハルミにだけは気弱な母を見せたくはなかったのだろう。
それがケイコの「自分で選んだ道の果て」という言葉に現れている。
やがて原爆投下と玉音放送
脳医学博士の養老先生も言っていたが、それまで日本は一億総玉砕を一貫していた。
しかしあのラジオの瞬間、全て嘘だったと思った。
だから日本はモノづくり国家になった。
出来上がったモノは嘘をつかないからだ。
政府は簡単に嘘をつく。だからそんなものは信じない。
すずも大声で泣き喚いた。
当時の誰もが思った暴力に屈しなければならなかった悔しさが、あのシーンに込められていた。
この世界の、さらにいくつもの片隅に、僕らがいる。
すずたちがいたあの時代、あの娘の子孫だ。
この映画は、戦争という極限状態の中で人々がどのように生き抜き、どのように変わっていくのかを深く描いている。
すずや周作、りん、ケイコといった登場人物たちの物語を通じて、私たちは人間の強さや弱さ、そして希望を見つけることができる。
戦争の悲劇とその影響は計り知れないが、それでも人々は前を向いて生き続けることはできる。
すずが最後に見せた笑顔は、絶望の中でも希望を見出すことができるというメッセージを私たちに伝えていたように感じた。
この映画を通して、私たちは過去の出来事を忘れず、平和の大切さを再認識することができる。
そして、どんな困難な状況でも、人間の心には希望と強さがあることを信じ続けることができるのだろう。
素晴らしい作品だった。
すずに、また会えました。
戦争の話だとわかってみましたが
岡田斗司夫さんのYouTubeで
おすすめの映画の動画から世界の片隅にがNetflixになかったのでこちらを先にみました。
泣いてはいけない。泣かずにしっかり見るべきだとありましたのでめちゃくちゃ頑張りました(笑)
前作を見ていないので比較はできませんが
これは見たほうがいいアニメだと思う。
こういう人たちがいたから
今生きているのだと思わされたし、
これは実話なのだと、思わせる作品だと思いました。
すごいねぇ。
やよい軒に連れってあげたい映画NO1
コトリンゴ
涙止まらない トラウマ
小さな光にスポットを当てた作品
「戦争映画」から「すずさん映画」へ
時代
すずとリンの対比が見事
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