「色褪せることのない〝奇跡のような映画〟」この世界の(さらにいくつもの)片隅に 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
色褪せることのない〝奇跡のような映画〟
前作にくらべてヒューマンドラマの要素がより濃く描かれていました。
そして、今回は爆弾を落とす側の視点も含めて、空襲のリアルな描写が容赦なく迫ってきます。遥か上空から田畑らしきものは判別できますが、人がそこに生活していることまではパイロットには見えないのです。
なるべく早く戦争を勝利で終わらせようという立場で戦略を立てる人たちにとっては、たぶん、相手国にダメージを与えることで戦争継続の意思を奪うことは大きな目的のひとつだと思うのですが、実際に爆弾を落とすパイロットにしてみれば、自分の操縦する爆撃機が搭載している爆弾をミスなく落とし切ることが仕事の目的になります。人によってはその行為に何らかの葛藤が生じるはずですが、訓練によって躊躇わずに爆弾を投下できる空軍兵士(パイロット)が多く選抜されているのでしょう。
彼らの心の中には、爆弾を投下する先にあるすずやリンやテルが生活している空間への想像力が存在してはならないし、戦争に参加していることがもたらすある種の昂揚感は、元来屈託のない素朴な青年であった若者たちを簡単に大量殺人者に仕立ててしまいます。
その結果、リンや晴海の人生は、パソコンのバックスペースキーでそれまで入力していた文字を消していくように、無かったことにされてしまうのです。
すずさんのただ受け身なだけではない芯の強さや葛藤や揺らぎ。そして、リンさんやテルさんのあまりに儚過ぎる人生。すずにとっては気持ちが通じ合う確かに存在していたはずの彼女らの人生は、すずさんの心の中に居場所を求めるしかないのです。
前作は映画自体は多くを語らず、観た人それぞれが想像力を駆使して、何が自分の心を震わせたのかについて自ら語りたくなるという稀有な作品でした。
本作は、すずさんやリンや径子の人生、そして戦争(空襲)のリアルをかなり具体的に語ることで、鑑賞者はかなり具体的なメッセージを受け取ります。
受け取ったそのメッセージをどう次世代に伝えていくのか。我々自身が宿題を課せられることになりました。
琥珀さん、コメントありがとうございます。
原作も読み返しているのですが、いつ読んでも発見があります。
描かれた情報の多さと密度の濃さにため息がでます。
その中から場面を選び、再構成する労力を考えると、
もう気が遠くなりそうです。
片淵カントクの思い入れの深さを感じます。