「レビューを読んだだけでは、どっちを見たのか分らない「この世界の片隅に」&「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」問題」この世界の(さらにいくつもの)片隅に bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
レビューを読んだだけでは、どっちを見たのか分らない「この世界の片隅に」&「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」問題
もう、何から書こう。色んな事が頭ん中でぐるぐるしてて。感想文を書きだしたら止まらない気がしてしまうけど。
広島市のお隣の市に住んでます。散歩には遠すぎるけど遠足には近すぎる距離に、宮島汽船の乗り場があります。古江も草津も通勤のJRが通る場所。行きつけの109シネマは草津だし。更に言うと、生まれ育ちは長崎市内。原爆の爆風で鐘楼を吹き飛ばされた浦上天主堂の、朝晩の鐘の音を聞きながら育ち、熱線に焼かれたマリア像の意味も知らず、その上に乗っかって遊んでました。感じたことも言いたいことも山ほどあるけれど、あっち系の話は完全に封印するとして。こっち系の事を少しだけ感想文にします。
戦時であれ。平時であれ。
痛みや悲しさや、心地よさや喜びは、その時々だと知りながらも。
縁を持ち繋がった人と、居を共にし、心を通わせ、愛を育み生きて行くこと。
それが、世界中の、どんな場所でも、人が生きて行く至るトコロで起きることだと。
世界中の全ての、至る所が、そんな場所であるべきだと。そうでなければならないと。
ただ、それだけの物語でしかない訳で。
”In this corner of the world” と訳されるタイトルは、”Here there and everywhere” なんだよなぁ。なんて前から思ってます。
"居場所なんて、そうそう無いなりゃせん"
リンさんの言葉はホントなんだろうか。少なくとも、あの場面に居た二人の女性の居場所は、そうそう無くなりゃせんとは思うけどね。居場所の無い人間はいると思うけど、そうしてしまっているのは、その人自身だって思う。
コトリンゴさんの歌で幕を開けた時点で、ジンワリと涙が滲むのには参るけど。エンドロールのエピローグの紙芝居では、広島から付いてきた女の子(なんで三つも名前があるんですかw)が、家族として成長していった様子や、リンさんが座敷童を経て娼館に流れ着くまでの物語の紙芝居が見れます。最後の最後まで涙を絞り取りに来るんかいw
白木リンとの繋がり、周作との関係。終戦前後の北條家の描写を中心にストーリーを書き足し、ちょっとだけ「大人の恋感」が出たりしてるだけ。「丸っ切りの新作感」は、はっきり言うと「ゼロ」。スピンオフでも続編でも無く、ただその内容と解釈の「深化」を図っただけだと思います。俺なんか、同じ映画を何回も見るのが当たり前なんで、「全然OK」なんですが、人によっては苦言も出るだろうと言う作品でした。が。
良かった。とっても。やっぱり。
でさ、もう止めようね、これw
頼むから、これっきりにして欲しい。
こんなの、二つも三つも要らないですからね!
類似品、出すんじゃねーぞw
どうもお久しぶりです。
りんさんの言葉が響いてきましたね~「居場所なんてのうりゃせん」
実は書こうと思ってたのに、bloodさんのレビューを読むまで思い出せませんでした(汗)