テル・ミー・ライズのレビュー・感想・評価
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【”ベトナム戦争の嘘を聞くがいい!!”故、ピーター・ブルックが世に問いかけたベトナム戦争を皮肉に満ちた表現方法で、痛烈に批判した反戦映画。】
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作はピーター・ブルック監督らしく、演劇調で展開される。
口以外の全身を包帯で巻かれた哀し気な表情の母の膝に抱かれたベトナム人の子供の写真に慄いた3人の若者が、戦争での暴力の空しさを考え、さまざまな表現で乗り越えようと試みるのである。
・ベトナム戦争を擁護する英国インテリの老人たちへのインタビュー。
”仕方ないじゃないか。アメリカとの関係を良好に保つためには。”
・そんなインタビュー風景を聞きながら、黒人の男が”白人と有色人種との思想の違いさ。”と言うシーンもシニカルである。
・更に、彼の有名なベトナム僧侶のティック・クアン・ドックの焼身自殺シーン。ガソリンを被りカンボジア大使館前の路上で蓮華座をしながら、崩れ落ちるシーンは衝撃的であった。
・又、ノーマン・モリソンの焼身自殺シーン。ここはその実シーンは映されない。が思うのは、このような命を懸けた抗議が、全く政治家たちに届かなかった事への衝撃と、怒りである。
■只、この映画が優れているのは、随所にミュージカル風に徴兵拒否やジョンソン大統領を批判するシーンが盛り込まれている所だと思う。
でないと、陰惨な映画となってしまうところを、ピーター・ブルック監督らしくアイロニックに満ちた表現方法で、ベトナム戦争を批判している所が、強烈に響いてくるのである。
<この作品は、ラストも凄い。
冒頭から映される”口以外の全身を包帯で巻かれた哀し気な表情の母の膝に抱かれたベトナム人の子供の写真”が再びアップで映され、若者の一人が”あのドアから、この子が入って来たらどうする?”と口にし、その後そのドアをアップで映したあとに、真っ白な静寂の画面が続くのである。
今作は、現代で戦争をしている国の愚かしき男達に正座をさせて見せたい反戦映画である。
私は年代的に、ベトナム戦争を知らないが、一つ分かる事が有る。
それは、(一部の)人間とは過去の過ちを全く学習しない生き物であるという事である。
故に、ベトナム戦争は、今でも続いていると私は思うのである。>
“セミドキュメンタリー”
この映画は何に属するのだろう、ドキュメンタリーか、フィクションか、それともミュージカルだろうか。
劇中にあった”セミドキュメンタリー”なのだろう。
多少哲学的な対話や討論の間に急に挟まれる歌の数々。その歌詞はどれもなかなかエグい。
アッテンボロー監督の映画、素晴らしき戦争を思い起こさせる。とてもイギリス的な風刺。
印象的だったのはベトナム人の僧の焼身自殺のシーン、そしてアメリカ国防総省の前で同じく焼身自殺したノーマン・モリソン。
そしてサイゴンで、打ち明け話が出来る相手を求めて兵士たちがゲイバーへ行くという話。田舎の保守的な地域から来た兵士たちのはじめての体験が同性となり、それも心に抱えて帰ってゆく。
テレビ画面越しの快適な環境でベトナム戦争を眺めて、すぐに忘れてしまうことにこの作品のひとつの核があるように思った。
嘘を言ってみろ?
ノーマン・モリソンの焼身自殺はどれだけアメリカ市民に影響を与えたのか?アメリカ人は何も感じ取れない。むしろニュースが伝わったベトナムでの反響が大きかったという事実。その前にベトナム人僧侶が行った焼身自殺の映像もすさまじい・・・
基本的にはベトナム戦争に反対する姿勢の作品だが、それを広く抗議デモにまで発展させるものじゃなく、一つの提議のようなもの。しかも、ミュージカル風だったり、ドキュメンタリー風だったり、実験的な作品でもある。出演者に言わせれば、役者が事実を伝えるセミ・ドキュメンタリーということになるのです。
タイトル通り、ベトナム戦争に関して政治家が大々的にアピールするのは全て嘘。俺たちはそれを見破っているぞ!というテーマではあるけど、議論の的はイギリスがアメリカに派兵など戦争協力をするかどうかという点に矮小化。最後には政治家が「じゃ、代案出してみろ」と吠えて終わる。なんだ、今行われてる議論と変わりないじゃん・・・不気味だったのは、八紘一宇を唱えてた日本と変わりなかったことだ。
教え通りに考えてみると、政治家は嘘ばかりというだけでなく、この作品自体のレトリックにも疑いを持たねばならないのが残念なところ。しかも、サブリミナル効果を使っているし、どこまでが俳優なのかもわからないし・・・
ベトナム戦争を批判するピーター・ブルックの幻の作品
イギリス演劇界の巨匠ピーター・ブルックが1968年に撮った3作目の長編映画とのこと。
セミ・ドキュメンタリーの体でベトナム戦争をストレートに批判する一方、映画的な表現も随所に散りばめられており、作品としての完成度は高い。
パーティーでの政治家たちとのやり取りは白眉と言える。50年経った今でも全く変わらない議論が交わされていることに愕然とする。
若者たちの無力感をもしっかりと伝える普遍性の高い傑作。実に貴重な発掘だ。
いまこそ反戦の意思表示が必要
1969年の発表というから、かれこれ50年も前の映画である。第二次大戦後に世界の警察となるという野望の取りつかれたアメリカは、キューバ危機後のソビエト社会主義共和国連邦との対立もあって、世界の様々な地域に軍隊を送り込んでいた。ベトナムでは多くの兵士が帰国後にPTSDを発症し、大量の自殺者を産んだ。彼らは熱帯雨林のジャングルに紛れるベトコンから時折手痛い反撃を食らい、ヒステリックな絨毯爆撃や枯葉剤の大量散布などを行なった。核兵器を使わなかったのは世界中でベトナム戦争反対の声が上がっていて、アメリカが世界から孤立するのを恐れたからだと一般的に言われているが、本当のところはわからない。当時の大統領がジョンソンでなくてドナルド・トランプだったら核兵器を使っていた可能性もある。
本作品はコラージュのように世界各地の反戦運動を描写し、反戦歌も紹介している。残念ながら日本の反戦歌は登場しないが、日本にも、谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」という名曲がある。戦争が齎す悲劇をストレートに伝えた歌詞で、武満徹のマイナーコード全開のメロディーが重苦しさを運んでくる。日本国内の反戦運動はベ平連を中心に広まり、70年安保で暴力的なデモの頂点を迎え、そして挫折という言葉と共に廃れていった。
この映画のハイライトはふたつの焼身自殺だ。ベトナム戦争に対する抗議の自殺として、何度も報道に取り上げられているから知っている人もいるだろう。仏教の僧侶とクエーカー教徒の勤め人である。それぞれの宗教は自殺の動機とはあまり関係がない。戦争反対を華々しくセンセーショナルに主張したかっただけだ。彼らを英雄視する必要はない。
ただ、人が自殺するにはかなり強い動機が必要だ。死の恐怖は苦痛のイメージと重なって、自殺者を逡巡させ、躊躇させる。しかし絶望があまりにも大きければ、死の恐怖も苦痛も気にならなくなり、人は簡単に自殺する。戦争による絶望がそれだけ大きかったということだ。
戦争を扱った映画だから当然のことだが、悲惨な映像がたくさん流れる。人間の死は、兵士も子供も同じように扱われなければならない。一般市民の被害だけがことさら強調されがちだが、一兵士の死も同じようにひとりの人間の死である。将棋の駒が相手に取られるのとは違うのだ。その違いを理解しない人たちが、いまもなお戦争を始めようとしている。集団的自衛権の行使、特定秘密保護法の施行、共謀罪の成立など、日本でも戦争への準備は着々と進んでいる。いまだに発電を続けようとしている原発は、原子爆弾の製造所でもある。
映画として面白い訳ではないが、いまこそ反戦運動の意思表示が必要だと思わせる作品であった。
反戦ミュージカル!?
哲学的な難しい会話ばかりと思いきや理解しやすい対話を繰り広げたり寝落ちしそうにはなるが...zzz....。
ミュージカル映画ほど動きは無いがブラックジョークを鋭く歌う場面が多くて飽きはしない。
イギリスの視点からのベトナム戦争って新鮮さ?黒人との会話がまた興味深い。
クソ真面目に暗くなりそうな雰囲気の題材をドキュメンタリーとして歌で彩る異端な反戦映画!?
PACIFISM
ベトナム戦争に際し反戦を訴えるイギリスの若者の主張。
ベトナム戦争、及び、反戦活動に対する主張やインタビュー、歌、実際の映像と再現映像からみせており、戦争そのものの描写はないが、被害市民や抗議活動の実際の映像は今更ながらやはり重く胸に刺さる。
ドキュメンタリー風の映画をつくるという体の設定はあるけれど物語やストーリーというものはほぼ皆無に等しく、そういうものを期待すると肩透かしだし、半世紀前の作品であることによる主張の今更感は少々あるけれど、頻繁に差し込まれる歌が今みても通じる皮肉たっぷりでなかなか面白かった。
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