劇場公開日 2019年11月1日

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「マチネという物悲しさを抱え込んでいる「私」への赦し」マチネの終わりに R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0マチネという物悲しさを抱え込んでいる「私」への赦し

2024年5月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

恋愛映画を好きになれない理由は、大きなトラブルとそれを乗り越えて掴んだ幸せというお決まりのパターンかロミオとジュリエットのパターンで、その型にミステリーや戦争やSF、ファンタジーをミックスさせるしか新しさを加えることができなかった長い時代があったからだ。
これもまたそのような作品かと覚悟して見た。
しかしこの作品には「過去を変える」という真理が組み込まれており、起きた現実を変えるとか、その代わりになる何か特別なものを手に入れるというような概念がなく、自然で美しく、多くのシーンで流れるマチネの響きが、最初からどこか物悲しく、切なさを包むこむように流れていて、作品の世界観に引き込まれた。
伏線も用意周到に張り巡らされており、強いて言えば最初の二人の出会い方だけが「特別」に感じてしまった。
そのある種の違和感を覚えるほど「特別な出会い」というものは人生のどこかにあるのかもしれないし、多くの人がそういった体験をしていると思った。
フィアンセのいるヨウコに、マキノが特別な気持ちを感じてしまっていることに最初に気づくのはマネージャーの三谷早苗だ。
ヨウコとリチャード、マキノ、サナエ この人間関係に大きな亀裂を与えたのがマキノのがしたヨウコへの告白だった。
当時彼女はフランスでジャーナリストをしていて、テロ事件に巻き込まれる体験とそのとき受けたマキノの癒しに、ヨウコの心が大きく揺れ動いた。
そこにあったのは非日常的暴力であるテロという出来事、そしてその真逆に位置するマキノの奏でる音楽という癒し。
フィアンセの仕事は株式投資だが、おそらく作者が思うこの仕事は、一番愚かでくだらない仕事。すべては「お金」しかないという発想だからだ。
このことを脳裏の奥で感じていたヨウコは、マキノの真理をついた言葉と音楽によって、私にとって選択すべきものは何なのかを決めなければならないという衝動に駆られたのだと思った。
「正しいかどうかではなく、出会ってしまった」
ヨウコはマキノの告白と自分の現実を鑑み、大きく転身する決心をした。
これも伏線だと思うが、ヨウコのいたビルがテロ攻撃を受け、エレベータの中でもがいていたシーンには、彼のマチネとテロの音が混在していた。
心の変化とはそれほど大きいという見方、または、二人の行く末の暗示かもしれない。
マキノは「ギターを弾くのが嫌になった」のは、技術ではない何かが彼には欠けていて、音楽家として彼はそれに気づいていたものの、それを埋めるものが何かわからなかったのだと思う。
それこそが恋。またはその喪失。もう一度彼女に会いたい。この思いが彼の演奏を飛躍させたが、マドリードでヨウコが来なかったことで演奏が大きく乱れてしまう。心こそが演奏家の大きな原動力なのだ。
テロで傷ついたヨウコの同僚にギターを聴かせて気持ちを落ち着けたことも、投資などというビジネスより音楽の力の素晴らしさを伝えている。
ヨウコがすべてを片付けて日本へ戻ってきたタイミングで、マキノの先生が脳出血で倒れる。タクシーに置き忘れたスマホ。
三谷はしてはならないことをするが、のちに彼女は「正しく生きることが私の人生の目的ではない。私の人生の目的がマキノです」と強く自分の主張をヨウコに伝えている。
そして三谷がマキノとヨウコの仲を引き裂くロジックはよくできている。
そうして4年が経ち、先生が死去、そこには髭を生やしたマキノと妻早苗と娘の姿。
先生のためのアルバム作成と聞かされたヨウコの結婚。早苗の表情。
相変わらずギターの技術は素晴らしいものの、埋められずにいる心の隙間が演奏に出てしまう。
リチャードとよりを戻したヨウコだったが、彼の浮気はあからさま。
「演奏家との浮気を僕は許せない」
ヨウコはすぐに離婚訴訟に入る。
ここでマキノとヨウコがもう一度再開してゴールインできるみたいな見せ方で視聴者を引き込む。
ニューヨークでのコンサートの準備。早苗がヨウコに会い、当時のことを告白する。同時に夫にもメッセージを送信して事実を告げた。
これがなければ物語にはならないのだが、早苗にも良心の呵責があったが、何よりもマキノの音楽に張りがないことを早苗自身が一番よくわかっていたのだと思う。早苗の目的である彼の目的の音楽のために決意したのだろう。
彼の音楽が完成するには、ヨウコの力が必要なのだ。
「いまさらそんなことを聞かされても……」
ヨウコの心中は察するに余りある。庭石と同じくらいの大きな石の上に座って嗚咽する。
彼女にとって石は想い出の象徴。マキノが話した「思い出が変わってしまう」こと。ヨウコは、当時一切取り合おうとしなかった自責の念に堪えられなかった。信じることをしなかった後悔。
そして日本で同時に雄叫びを上げながら一粒の涙を流したマキノ。
コップを割る「空想」は、心の中の何かを破壊した象徴。
それはもしかしたら、あれ以来ずっと後生大事にしてきたヨウコとの思い出だったのかもしれない。もやもやし続けてきた4年間。
妻によって明かされたその原因。もうどうしようもないという怒り、悲しみ、そして今の現状。これらがピークを越えて爆発した時、マキノはすべてを受け入れるしかないというように赦したのかもしれない。赦す以外彼にできることなど何もないと、作者は考えたのだろう。
月に一度会う約束の息子とリチャードとのハリボテの時間の後、早苗からもらったままのアルバムを聴くヨウコは、彼のメッセージに彼の真意と彼が話した「過去を変える」話を思い出し、コンサート会場へ向かう。マキノのヨウコに対する思いは、ずっと、ずっと変わってなどいなかった。ヨウコだけが勝手に拒否したのだ。
ニューヨークでの撮影がマチネの練習の最後のシーンだったのだと思う。俳優である福山雅治さんはミュージシャンだ。この的確な配役でもマチネの練習は大変だっただろう。このシーンのマチネが最も張りのあるリズミカルで力強い音を奏でている。
スタンディングオベーションで見た観客の中にヨウコを見つけ、台本にないアンコール曲を弾き始めた。
「マチネの終わりに」「幸福の硬貨」を「大切な友人のために」
この作品が伝えているメッセージは「人はみな変えられるのは未来だと思っている。だけど過去も未来によって書き換えられている」ということ。そしておそらく、それにはタイミングがあるのだということ。
起きた出来事は変えられない。でも変えることができるのは、その出来事に対する思いであり見方であり考え方だ。苦しみぬいた過去に対する見方を変えることで、その出来事はまるで違ったものに見えてくるという真理だ。そしてそのタイミングがあるということ。
最後に二人はセントラルパークで偶然再会する。
マキノが彼女に駆け寄ろうとする瞬間にエンドロールとなる。
その後どうなったのかは、視聴者に委ねている。
早苗は自分自身を断罪し、ニューヨークで二人が再開する手はずを整えた。それは、おそらく早苗がマキノのコンサートを始めてニューヨークで見たときからすでにそうなるように仕組まれていたのかもしれない。
彼女は子供を連れて実家に戻る。そして二人のことは運命に委ねた。それが彼女のした贖罪だった。
マキノはその言葉をよく理解できていないながらも、その気持ちだけは伝わったのだと思う。
この作品は、表面上に「運命」的なものを匂わせておきながら、そこに介在する人間の「意志」、特に出来事に対する認識は変化するし変えられるということを説いている。
このように運命に翻弄されているように思える人生だが、翻弄しているのは自分自身の勝手な認識と思い込みだけで、その思い込みから解放されて再会した二人にはもうわだかまりはなく、でも取り戻せるものもないのかもしれないが、そのすがすがしさはマチネから爽やかなオーケストラの曲に変化させることで表現している。
見ごたえがあり、音楽の世界観があり、なかなかすばらしい作品だった。

R41
たなかなかなかさんのコメント
2024年8月24日

R41さん、コメントありがとうございます♪
こちらこそ宜しくお願いします!

結局、福山雅治と石田ゆり子だからこそ成り立つ映画なのかな、というのが率直な感想です^^;

たなかなかなか
琥珀糖さんのコメント
2024年5月20日

この映画のラブストーリーは、
日本映画には珍しく、年代を重ねた芳醇な香りと味わいが、
ありましたね。

平野啓一郎、福山雅治、石田ゆり子。
そのコラボが最高でしたね。
ラブストリーがお嫌いとの、R41さんの熱いレビュー。
堪能させて頂きました。

琥珀糖