ホワイト・ボイスのレビュー・感想・評価
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装った声が導く白い世界
差別と社会構造を、直球の比喩でコミカルにまとめた1本と観る。
ともかく全編に漂うチープなうさん臭さがすでに「白人の社会」を怪しい新興宗教団体かとコケにしているようで、だからして憤慨する当人たちへ「そうシリアスになりなさんなよ」と言いくるめているようで痛快だった。
白人社会の「豊かさ」を手に入れてナニカを失うか、そのナニカを白人社会から守るために「豊かさ」を手放し搾取されるのか。もちろんそのナニカとはプライドで、両方あって相当のはずも、ヘタをすれば共に失う哀れが過ぎた滑稽さ。
笑えないけれども笑ってしまう。
絶望的かつ絶妙なコメディだった。
このヘンテコな物語に「第九地区」×「マトリックス」を思い浮かべる。
時計仕掛けのシルバーレイク
2019年の映画だ。
天気の子、JOKER、パラサイト。
アフターコロナウィルスの今、臨界点が2019年だったとあとから振り返るとそういうタグがつくだろう。
あまりにナイーブ過ぎると2020年になった今思う。
でもそれはフェアじゃない。
ワンシーンワンシーンはとても良かったり、その繋がりも良かった。
サンプリングの楽しさもある。
次の作品もぜひ見たいな。
You do not bother me at all.
タイトルに惹かれて借りて見始めたが、サイファイ、ドラマ、芸術、マイクロアグレション、ユニオンの労働争議、ピケッティング、愛、ヒューマンドラマ、ある寡占企業の人間の奴隷化、そのトップ企業が生産性をあげて市場を独占ために人間の体をを半分馬(equisapien )に。
かなり理解できないのが、芸術、これがカルフォルニア州オークランドのストリートの芸術だったり、デトロイト(俳優テッサ・トンプソン)の創作の賜物だったり、頭の中がバラバラになってしまって、これらすべてを総合的に考えて鑑賞するのは難しかった。
主人公キャシュ(ラッパーで俳優ラキース”・スタンフィールド) が 最後に社会正義のために立ち上がるまでのシーを描き、これによってガールフレンド、デトロイトとうまくいくようになるという話。
私の興味のあるのはマイクロアグレッションのシーン。キャシュはウォリーフリー(WorryFree’s)のCEO ステーブ (アーミー ハンマー)のパーティーに招待され、ラップを無理に歌わせられるシーンがある(黒人の男はみんなラップが歌えると思うバカな偏見が社会に残っている)。
これを人種差別だという人がいるようだが、こういう行為をマイクロアグレションと言う。(したくないのに無理にさせられることなど)
この時の、ステーブの戸惑いをよく観察すると面白い。彼が、ラップをやれと言い出したのだが、招待された人々の極度なのり。スティーブの心の中を私なりに勝手に分析してみると、こののりが全体主義の初期状態、この人々の精神をうまく利用して市場を支配(人間の体をを半分馬にして生産性を上げる)に結びつけようと??
彼はCEOで、テレビでのインタビューから察しても教養があり、社会情勢の勉強もしていそうな人。この人が、優秀な「ホワイト ボイス」が使える従業員の黒人のキャシュに『ラップが歌えるだろう』という言葉は半分冗談のつもりで言っていた思う。
黒人同士が人種に関して言えると言葉と、異なる人種同士が言える言葉は違う。このCEOは自分の蒔いた種の反響にびっくりしてしまったのに違いない???
Black Satire Comedy
風刺っていうのはこういうもののことを言うんだ。
黒人社会や資本主義、格差社会などの社会の問題をコメディで描いた本作。ジャンルで言うと、ブラック・サタイア・コメディ。
この作品、いろんな意味で振り切っている。コメディタッチも従来のようなものではなく、ビジュアルでコメディ要素を追加していて、風刺的な内容もそのストーリーの中心に来ているから分かりやすい。昔から、風刺とコメディとセットで表現されてきて、ダイレクトに主題にぶつけることで、その問題に対して詳しく深く入り込むことができるし、作者の意見も入れることができる。
日本人はこういう作品に対して、少し軽蔑した目で見ることが多い。たしかに美しくはないかもしれないが、人間の良い意味でも悪い意味でも人間の臭さというものを描いている海外ならではのタッチは日本にはないものだから、もっともっといろんな人の目に触れられていってほしい。
この作品で長々と話をするといったような作品ではなく「あの映画見た?ぶっ飛んでるよね!」といったように人々の口コミで広まっていくようなものだと思う。
しかし、映画としての美しさはかなり凝って作られていた。プロダクションデザインの統一感、キャラクターの色濃さ、撮影の遊び心はまさに芸術と呼ぶにふさわしいもの。
映画において撮影というのは、一番の力を持ち、多くの情報を与えてくれる映画最大の要素である。それゆえ、1フレーム、1フレームに意味を持たせ、美しいショットを作ろうとする。一方この作品で強く感じたのは、映画は今や大衆芸術であり、とても多くの人が気軽に観ることのできるもので、第一にエンターテインメントであるということ。単純に人間の意識が画面に向くような画作りをするということは、忘れてはいけないものであると思う。
この作品でも、印象的なシーンから、1フレームの1つのプロップにしても、視聴者が少しでも映画の方向に一歩踏み出せるような工夫が多く見られる。良い映画というのはここを忘れない。更にコメディとなると、くだらないところをどれだけ本気でやれるかで、笑いの幅も広くなるし、そこからの風刺のえぐみも強くなるというものだ。
別にこの映画を観て、社会問題に真剣に考えてもらおうなんて監督は思ってないだろう。純粋に映画を楽しんで、キャラクターを知り、その世界を知り、印象に残ることが重要なのである。こういう作品がもっともっと世界中に広がっていったら良いなと切実にながっています。
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