真実のレビュー・感想・評価
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是枝監督がフランスを舞台に描く、セレブ一家のささやかで愛すべき日常
気付いたら終映間近…で、駆け込み鑑賞。前情報を入れ過ぎていたせいか、え!なーんだ、良いじゃないかー!とホクホク、にんまり。大物揃い過ぎるのでは…と敬遠していたドヌーブ、ビノシュ、ホークのアンサンブルがなかなかに絶妙です。久しぶりにサニエちゃんもたっぷり鑑賞でき、脇の方々含め、登場人物全てが愛すべき魅力にあふれていました。是枝監督らしいなあと思う以上に、フランス映画の良心にあふれているなあ…という気持ちに。懐かしくも新鮮な作品でした。
何より、主人公が大物女優、芸能家族の物語、というところがユニーク。是枝作品といえば、市井の人を丁寧にすくい上げて描き出すところに味わいがあり、希林さんもリリーさんも、物語の中ではそこらのおばあちゃん、おっさんにしか見えません。一方、今作。最初は本人にしか見えない人々が、いつしか女優ファビエンヌ、娘で脚本家のリュミエール、その夫でテレビ俳優バンクに。そして、どこまでが嘘(芝居)で、どこまでが真実なのか分からないやり取りが、あれよあれよと繰り広げられます。それぞれの思惑がすれ違い、絡まり合い、ふっと解けて重なって…。映画の中でSF映画を撮る、という大仕掛けの中で、ごくごくささやかでありふれた事柄を描く点に、最後まで軸足を置いているのもさすがです。俳優を主人公にしたことが、仕事で悩む、生き方にふと立ち止まるという、誰にでも通じる心の揺れの描写に効いていました。ファビエンヌが撮影の中で演じることに迷い悩む姿が、日常では良き母良き姉、そして自分らしくあろうと葛藤する姿に連なっていき、我が事のようにハラハラひやひやしてしました(無論、ドヌーブ様とは歳も姿もかけ離れておりますが…)。
一家が前に進み出す姿を、ぐんぐん引いて上空から捉えるエンドロール。至福の時間が終わってしまった…と思ったら、さらに素敵なおまけが。ドヌーブならぬファビエンヌが愛犬を散歩させる長回しに、思わずニンマリしてしまいました。最後の最後まで映画の楽しみは続きます。そして、彼らのその後や描かれなかった物語を日々の中で想う楽しみも、どこまでも続きそうです。
自筆の脚本を手に世界を渡り歩く監督の未来は明るい
フランスを代表する大女優が出版した自伝に綴られた内容の真偽と、彼女と折り合いが悪い娘との関係の真偽が、Wミーニングとなって進んでいく。集まった家族の団欒に寄り添う是枝演出の"人肌"の体温を感じさせる優しく、時に辛辣で、かつユーモラスなタッチは、撮影場所をパリに移しても何ら変わりはない。これは、自筆の脚本を手に演出できる監督の強みとも言える。
目に見えるものから、どうしても撮影の裏側が垣間みえてしまうのは、思いっきりチャレンジングで危険な配役故。それは、すでに発売されている是枝監督自らが綴った撮影日記からも、そして、先日NHKで放送されたドキュメンタリーを見ても分かるのだが、特に、大女優を演じるカトリーヌ・ドリーヴのわがまま放題と、落ち着きのなさ、稀代のチェーンスモーカーぶりは、画面からも伝わってきて興味深い。本人は自分自身と役の間に共通点はさほど多くないとコメントしているが、まるでドヌーヴそのものと感じさせるところが、彼女の、そして、選んだ是枝監督の凄さだと思う。
是枝裕和の次なるチャレンジはハリウッド・デビューと聞く。手元に脚本の草案がある限り、彼の道筋は明るい。そう確信させる「真実」なのだった。
是枝映画、日仏合作の到達点
ひとえに是枝裕和監督の才能と努力の積み重ねでここまで来たのは重々承知だが、カトリーヌ・ドヌーヴ、 ジュリエット・ビノシュ、リュディヴィーヌ・サニエの仏3世代を代表する女優たちが一堂に会する映画(サニエは出番が少なく残念だが)を日本人監督が撮ったのはやはり感慨深い。庶民の生きざまを描き続けてきた監督にしては珍しく、セレブ層の芸能一家の積年の確執と衝突、その後の展開を語るが、感情の機微とその変化でストーリーを深化させる手腕は健在だ。
経験の乏しい子役や無名の役者から素晴らしい演技を引き出す能力も認知されてきた是枝監督。フランスに移っても、国際的にほぼ無名のマノン・クラベル(新進女優役)、新人子役クレモンティーヌ・グルニエらを見出し、名優たちの中で遜色ない演技と自然な存在感へ導いた。
ゴージャスなフレンチの食材から、腕利きのシェフが和の繊細な味付けで新たな魅力を引き出した、といったところか。
日本人でキャスティングするなら〜
この大女優の役をカトリーヌドヌーブが演じる事に文句をつける人はいないのではないか。この存在感、ワガママで神経質でプライド高くて、、
ドキュメンタリー的な手法で一般家庭や貧困家庭を扱ってきた是枝監督が大女優一家というセレブな家庭を扱うにあたっては、真の大女優が必要である。
でも多くの人が「日本人で撮影するにはキャスティングをどうすれば」と一度は想像してみたのでは?
僕は京マチ子とかすでに亡くなった人しか思いつきませんでした。
大女優にとっての真実とは?
日本人監督が国際的な俳優陣を使って映画を完成させる日が来るとは。そしてそれを海外で高く評価される日が来るとは。同じ日本人として誇らしく思える。
自身の子供にも母親としての優しさや愛情さえも伝えず、回顧録にも様々な真実を書き記さなかったのは、女優としての世間のイメージを保つためなのだろうか。自分自身に強い女優であるべきだと言い聞かせるためなのだろうか。
彼女の心の葛藤は具体的には描かれていないが、ズケズケという言葉のチョイスや身内に対する態度、タバコを吸う回数等で感じられた。
本の中に描かれた嘘の真実ではなく、真の真実が晩年明かされるたびに、成人した子どものモヤモヤも、女優としてのつっかえも溶けていき、観る人をも幸せにしていくあの瞬間は心地よい。
妄想は妄想でしかない。嘘をついてもいつかはバレる。
いったい何が言いたかったのだろうか?
幻想を生み出して見ている者に何かを与える。役者の魂は複雑怪奇で無くてはならない。感動させるなどと言い始める役者はその時点でもう終焉。ドヌーブ演じる女優の醜さは腰回りにへばりついた脂肪の量で推し量れ、陳腐なセリフは馬耳東風。年齢を重ねて行く美しくさと醜さをドヌーブは知りすぎてしまったかなように演じていた。
ドヌーブを知りえぬ監督。あまりにも未熟な映画と言わざるを得ない。
ドライブ・マイカー的な発想か
「真実」って、かなりストイックっぽい題名だったけれど、フランス映画らしく、おしゃれな感じが出ていた。大女優のファビアンヌ(ドヌブーブ)が自伝本を出版し、お祝いに駆け付けた娘リュミール(ビノシュ)と夫(イーサン)とその娘。自伝本には、都合のいいような嘘が散りばめられ、亡くなった姉のサラ、秘書、元夫のピエールのことをまともに書かれていない。内容について、母をなじる。ファビアンヌが演じている映画は、マノンが演じる母が普通よりも歳を早くとってしまう病気のため、普段は宇宙に滞在していて、7年おきにファビアンヌが演じる娘の元に戻ってくる映画。娘であるファビアンヌは、母がいつも不在がちで寂しいという心情を、戻ってきた母にぶつける役。ファビアンヌは、女優だったため子どもたちに寂しい思いをさせたことを、役柄を通じて追体験する。そして、母役を演じるマノンは、娘だったサラに似ている。かつてサラから役を奪って、悲しみにくれたサラは泥酔して海に入って溺れて死んでいた。
娘リュミールに、「お母さんが殺したんでしょ」と追及されても、うそぶくファイアンヌ。
しかし、実の娘とのやり取り、自叙伝に書かなかった秘書や父が出て行ってしまったこと、マノンがサラに見えてしまうこと等を通して、強がっていたファビアンヌの頑なな心が、溶けていく。
「記憶って曖昧なものよ」っていうのもキーワード。自分の記憶って、自分の感情に基づいて、いいように覚えているもの。過去の思い出が、実は真実ではなかったことを、母から聞いて、母を許す気持ちになるリュミール。
母と和解ができたリュミールは、娘のシャルロットに「おばあちゃんを宇宙船に乗せたい。自分が女優になるまで、生きていてほしいから」って言わせて、ファビアンヌは、本当のこととして喜ぶ。シャルロットが、リュミールに聴く。「これって、真実?」
人と人との関係に関わる真実って、人の心を仲介するから、真意を完全に理解するのは難しい。自分の心さえ自分では、わからないことも多いのだから。まして、記憶にしまわれていく自分が信じる真実は、当てにならないってことか。
映画の中での劇中劇という作風は、「ドライブマイカー」と似たようなテイストでした。
演じることが、自分たちの現実にも影響を与えていくって、現代的なのかもしれない。「いいね」とか「映え」、つまり他者を意識して、自分を絶えず演じて、盛らないといけないような現代に生きる我々にとって、身近な題材ともいえるのではないか。
大女優の風格
是枝監督の日仏共同制作映画
フランスを代表する大女優
カトリーヌ・ドヌーヴが
映画でも
フランス映画界を代表する
大女優ファビエンヌを演じるというのが
面白いですね。
まるで、私生活かと思ってしまうほどでした。
パリに住むファビエンヌが
女優人生を振り返った
「真実」というタイトルの
自伝を出版することになり
そのお祝いにと
脚本家の一人娘リュミール
(ジュリエット・ビノシュ)が、
俳優の夫ハンク(イーサン・ホーク)と
娘のシャルロットを連れて
(クレモンティーヌ・グルニエ)
ファビエンヌの元に里帰る・・・
自伝を読んだ 娘リュミールは
真実と違うと指摘するが
「女優だから本当のことは言わない」と
返答するファビエンヌ
更に、共に女優を歩んでいたという
叔母のサラ(早世している)についても
秘書リュックの事も
語っておらずで、憤慨する娘
大女優を母に持ち
苦悩する娘役を
ジュリエット・ビノシュが好演
傍若無人な大女優を
カトリーヌ・ド・ヌーヴが
貫禄の演技で魅せてくれます。
また、ファビエンヌが出演する
劇中劇もあり
そのドラマは、なんと、SFもので
娘役を演じていて
母を思う娘の気持ちも 表現していたり
母と娘の心の葛藤がリアルに伝わってくる
ラストの対峙シーン
自伝には書かれていない
これまで、真実が言えずにいた事
(学芸会を観た事、娘の為に出演した映画)
それは、娘を思う愛故であった事等
真相が露見し
心が通い合うシーンには
温かい気持ちになれました。
常に明るい存在である
リュミールの夫ハンク演じるイーサン・ホークが
妻と、その母の対立をそっと見守るところや
シャルロット役の少女が
とても、天真爛漫で、可愛らしくて
笑顔にしてくれますよ(^^)
他のキャストも素晴らしかったです。
そういえば、インタビュアーに
「天国の入り口で神様から何て言われたい?」
と質問される大女優は
何と答えたのかしら?
冒頭で
庭の枯葉、枯れ木が儚げに映し出され
ラストにも登場しますが
人生に四季があるのなら
悟りの冬に差し掛かっている
大女優の存在感を
表現しているかのようで
とても、美しかったです。
エンドクレジットで
ワンコのトトとお散歩するカトリーヌさん
ステキでした。
(誤字を修正しました)
是枝・脚本演出により上質に思えるフランス映画となったのは、少々誇らしく感じた
是枝裕和 監督による2019年製作(108分)のフランス・日本合作映画。原題:La verite、配給:ギャガ。
監督及び脚本以外は、俳優もスタッフも殆どがフランス人で、更にあの仏大女優カトリーヌ・ドヌーブ主演ということで、全体的な印象としてもフランス映画であった。ただ、テーマは母娘の葛藤や元夫や元夫、娘婿や孫娘、長年の個人秘書も登場しての家庭の変化や家族の絆の様なものを描いていて、まさに是枝ワールドでもあった。そして、予想していた以上に面白く、出演俳優の力量の高さもあるかもしれないが、是枝・脚本演出とフランス映画の相性の良さも感じた。
当初、母カトリーヌ・ドヌーブに対して、自分の面倒は全く見ず、自叙伝も嘘ばかり、ライバル女優(良く懐いていたドヌーブの妹)から汚い手で役を奪ったと批判的にみていた娘ジュリエット・ビノシュが、次第にそうでもない真実(学芸会にも実は来てくれていた等)に気づいていく展開は、後の「怪物」を予見させる真実が次第に明確になっていく趣きで、かなりワクワクとさせられた。
自分以外の俳優の演技やアイデアには辛辣な評価を下す大女優役カトリーヌ・ドヌーブ(1943年生まれ)だが、孫娘相手に魔女を演ずる等ユーモアがあり、高年齢から今後の演技に不安も覚えていて、超我儘だが、可愛いくてどこか憎めない大女優を、上手く造形していて感心させられた。
孫娘役クレモンティーヌ・グルニエも、大人の俳優達を相手に生き生きと演技していて、とても良かった。見学に行ったドヌーブ出演映画に出ていた子役とハリウッド子役になりきったフリの会話も、可愛く可笑しかった。是枝監督の子役への演出術の素晴らしさは、相手がフランス人子供に変わっても健在だった!との印象。
娘ジュリエット・ビノシュの夫で米国人二流俳優役イーサン・ホークも良かった。娘と遊ぶのが大好きで、俳優として義母に大いなる関心を示し禁酒してたのに破ってしまう様の表現が実に上手い。フランス映画らしい音楽も良かったし、何より舞台となった家、否お城の様な屋敷、それを囲む自然の映像がフランス絵画の様に美しかった。
日本人の脚本監督により完成度の高いフランス映画が創られたことを、少し誇りに感じた。
監督是枝裕和、脚本是枝裕和、製作ミュリエル・メルラン、福間美由紀、 マチルド・インセルティ、撮影エリック・ゴーティエ、美術リトン・デュピール=クレモン、衣装パスカリーヌ・シャバンヌ、編集是枝裕和、音楽アレクセイ・アイギ。
出演
カトリーヌ・ドヌーブファビエンヌ・ダンジュヴィル、ジュリエット・ビノシュリュミール、イーサン・ホークハンク・クーパー、リュディビーヌ・サニエアンナ・ルロワ、クレモンティーヌ・グルニエシャルロット、マノン・クラベルマノン・ルノワール、アラン・リボルリュック、クリスチャン・クラエジャック、ロジェ・バン・オールピエール。
地味ながらもしっかりと余韻を残す
豪華キャストに是枝監督がフランス映画を撮るということで気に留まり鑑賞。とはいえ是枝監督作品は本作が初めてだが…
全体を通してまったりとしながらも、カトリーヌ・ドヌーヴの女優魂とフランス映画独特の世界観があいまって良い雰囲気に仕上がっていると思う。これが是枝監督の手法によるものか。
会話の応酬も小気味良くクスッとなるシーンも多々あり、思いのほか楽しく観れたかな。パリの女性のたくましさもとても好印象に映った。
やはりカトリーヌ・ドヌーヴの存在感は光るものがある。
これを機に「万引き家族」いよいよ観てみよう。
おばあちゃんって魔女なの
…フランスの大女優
カトリーヌ・ドヌーブ
いつまでも若くて美しい!
体型は大きく変わってしまったけど
貫禄がついて…見応え十分です
多分…是枝監督は美しい彼女を撮って
観たかったのでしょう
冒頭でインタビューを受けている場面で
これはドキュメンタリーなのかなの思いながら観てましたがちゃんとした映画でした
娘との想い
母親としての想い
がお互いに通じ合えなくて
…真実
を知って親子の絆を確かめ合う
という是枝監督の定番の家族愛ですね
フランスというお国柄で言葉とか
街並みとかオシャレに映って素敵です
…好きなところ
辞めたリュックと会うところ
戻って欲しいと娘をダシにして話す場面…
リュックの表情が何とも言えない
表情…
色んな想いが有るんだろうな~と思った
彼女は大切なところは語らなかった
…真実の全ては本に記さなかった
お茶目なカトリーヌ・ドヌーブが
見られただけでも満足
…PS
リュックが辞めると言ったのは
ちよっとしたストライキ?
彼女に自分の存在を知ってほしくて
フランスでも是枝節
わたしのように過疎な状態のままネットに文を書いていると、ある誤解/希望的観測をすることがある。
売れない人が売れない理由を「才能が突出しすぎているから」と理由付けして、じぶんを慰めることがあるが、それに似て、あまり衆目をかき寄せることができないSNS発信者/レビュアー/ブロガーは、己の情報力/文章力を否定的に見てはいない。
人気がでない理由をじぶんの才ではなく運や大衆のせいにする傾向がある。
この現象に説明がひつようだろうか。
だれでも大なり小なり自己愛をもっている。
「だって人間だもの、みつを」という話。
ただし、個人なら歳月に埋もれてお終いだが、界内でそんな自己愛が頻出していると、業界が衰退する。たとえば日本映画界のように。
先般(2022/03)、是枝裕和監督と6名の監督有志の会が、映画業界の性加害やハラスメントに関する問題に対して声明を発表した。
同有志会はさらに、映画業界内の共助システムの構築をより強く継続的に求めるべく「日本版CNC(セーエヌセー)設立を求める会」を立ち上げ、6月14日(2022)に記者会見が行われた。──とのニュースがあった。
CNCとは──
『CNC(国立映画映像センター)は1946年創設のフランスの映画支援機関。 劇場や放送局、ビデオ販売などの利益の一部を財源に、映画制作や興行などを支援し、業界全体に資金を還元する共助の仕組みがある。 韓国にもCNCをモデルにした官民合議体の韓国映画振興委員会(KOFIC)がある。』(ネット上の概説より)
会見では是枝監督が「日本では趣味の延長やボランティアで作られる映画も多い。そのおもしろさに甘えてきたが、それでは成り立たなくなっている」と述べた──と伝えられていた。
もちろん会見の全容はそれだけではないが、是枝監督らが共助システムをつくる理由を簡単に言うなら、(日本映画界に)アマチュア精神がまかりとおっていることに対する危惧──であろう。
アマチュア精神(趣味の延長やボランティア)でやってきて、総てその延長だから、やがて小さな王国の王様になることができ、(園子温とか河瀬直美とかの)セクハラやパワハラが横行した──と言っているわけである。
じぶんはドヤるつもりはさらさらないが、いままでのレビューで日本映画界のアマチュア精神に対する嫌味をさんざん述べてきた。
(過疎レビュアーの愚痴ですスルーして下さい)
日本映画界では、目タコ耳タコするほど引き合いにしてきた「21世紀の女の子」みたいに、未成熟な技量をもてはやす風潮が定着している。
かれらは天才or鬼才と呼ばれて業界デビューするものの鳴かず飛ばずで数年後に消えていく。取り巻き/マスコミと一体化した未就学の映画監督──そんな人のどこにプロフェッショナルの位相があるのか、という話である。
そんなアマチュア精神がはびこる業界を危惧し、共助システムを設えて、業界を再構築すべく発起した──わけである。
虚妄の自称クリエイターが跋扈する日本映画界──その旧弊な世界にたいして、是枝監督の提議は、はじめて差した文明のような話だと思った。
ところで、カンヌで男優賞をとった「ベイビーブローカー」の公開を6月24日(2022)にひかえて盛り上がっている是枝裕和監督の周辺だが、海外進出の第一弾はこの映画だった。
この映画「真実」のときは、ベイビーブローカーほど盛り上がっていなかったが──、
『Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「『真実』は是枝裕和の最高傑作とは言えないかもしれないが、脚本・監督としておなじみのテーマを彼らしい繊細なタッチで再度取り上げている。」』(ウィキペディア、真実より)
──とあった。
映画は、同監督の海よりもまだ深く(2016)に似ている。リュミール(ジュリエット・ビノシュ)は、海よりも~の阿部寛のように、親との確執をかかえている。帰省からはじまる構造もおなじで、海よりも~の海外リメイクといってもさほど遠くない。
フランスでフランスの役者を使っていても是枝映画だということが明瞭に解った。誰がつくった映画か解らない──ということがなかった。加えてキャラクターにも是枝映画らしさがあった。それらの独自性がすんなり解ることに感心した。
ゴーイング マイ ホームというテレビドラマをみたとき、せつめいはできないが、演出や台詞に「是枝裕和」があらわれていた。穏やかな筆跡だが、画には明解なカラー/特異点を持っている監督だと思う。
リュミールと夫のハンク(イーサン・ホーク)とその娘が、大女優かつ母親のファビエンヌ(カトリーヌド・ヌーヴ)の自伝「真実」の出版記念によせて、ニューヨークからパリへ帰省してくる。
ファビエンヌはとあるSF映画に出演中だった。その映画「母の記憶に」では、母親は宇宙にいて年をとらず、数年ごとに訪ねてくる娘のほうが年老いていく──という設定。リュミールは不仲だった母と自分を、その映画中映画のキャラクターに重ね合わせる。
気ままなファビエンヌと現実的なリュミール。
真実と題された自伝は脚色だらけだったが、ふたりは亡くなったサラ(おそらくリュミールの姉妹/女優)の思い出を共有することで、徐々に歩み寄っていく。──という話。
海よりも~と同じところへ刺さる感じの映画で、よかった。
が、個人的にはリュディヴィーヌ・サニエがもっとみたかった。
さて「ベイビー・ブローカー」の公開前広報が功奏していると思う。
あたらしい映画を「あとでいいや」と思うじぶんもけっこう見たい感がつのってきた。
あの予告トレーラーがいい。
フランスを代表する大女優と、日本を代表する映画監督の夢のコラボ。 大仰なあらすじに真実はあるのか?
ぎくしゃくした関係である国民的女優ファビエンヌと、脚本家である彼女の娘リュミール。
ファビエンヌとリュミールの確執と、次第に変化していく2人の心境を描いたヒューマン・ドラマ。
監督/脚本/編集は『海街diary』『万引き家族』の、日本が世界に誇る名匠・是枝裕和。
大女優ファビエンヌを演じるのは『シェルブールの雨傘』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の、レジェンド女優カトリーヌ・ドヌーヴ。
ファビエンヌの娘・リュミールを演じるのは、『GODZILLA ゴジラ』『ゴースト・イン・ザ・シェル』の、オスカー&世界三大映画祭を制したレジェンド女優ジュリエット・ビノシュ。
リュミールの夫・ハンクを演じるのは『ビフォア』シリーズや『ガタカ』のイーサン・ホーク。
本作で描かれるのは、「客観的な真実などは存在しない」という真実。
真実とは常に主観的なものであり、観測者の有様によって、事象は如何様にも姿形を変える。
そして、もう一つ。自分の記憶は真実にはなり得ない、という事。
記憶は現在に至るまでの過程で、観測した時とは別の形へとその姿を変えているからである。
大女優ではあるが性格が最悪な母・ファビエンヌ、そんな母親に嫌気が差してアメリカへと渡った娘、リュミール。
数年ぶりに帰省したリュミールが、久々にファビエンヌと共に時間を過ごす事で、見えていなかった…というよりは見ようとしなかった真実が顔を覗かせる、というのが本作のストーリー。
あらすじを読むと、本作は親子の間に隠された秘密を巡る、愛憎入り混じった驚愕のサスペンスなのだと勘違いしてしまうだろう。
実際自分もそういう映画なんだと思って観賞し始めたのだが、実際は全く違う。
拍子抜けするほどに軽やかなタッチで描かれた、ほとんどコメディと言っても良いほどに明るく爽やかな映画だった。
監督曰く、「読後感の重たい映画」が続いていたので、本作は意識的に明るい映画にしたのだそう。
ぶっちゃけ、なんでこれをわざわざフランスに行ってまで撮ったの?と言いたくなるほどカロリー低めの映画。
とはいえ、邦画特有の辛気臭さみたいな物が無い、誰にでもお勧めできる気楽で楽しい映画だった♪
一つ思ったのは、主演を務めるカトリーヌ・ドヌーヴに対する思い入れの大きさで、本作にノれるかどうかが分かれるかも知れない、ということ。
イーストウッドの『クライ・マッチョ』やスタローンの『クリード チャンプを継ぐ男』など、往年の大スターは、自分の置かれた境遇と映画の役どころがリンクするかのような作品を制作することがある。
本作も正しくそういう映画。国民的女優でありながら、業界的にはもう終わったロートルとして扱われがちなファビエンヌの姿は、やっぱり現在のカトリーヌ・ドヌーヴと被る。
名前だけしか登場しないものの、物語のキーパーソンとして確かに存在している女優の「サラ」。
若くして死んでしまったという親友かつ好敵手のサラ。
彼女の存在は、どうしても夭折したカトリーヌ・ドヌーヴの姉フランソワーズ・ドルレアックと、カトリーヌから恋人を奪った名女優ジェーン・フォンダを思い起こさせる(「政治やチャリティーに口を出す女優は、女優という仕事に負けたのよ」というセリフは、政治活動にアクティブなジェーン・フォンダを揶揄しているように聞こえるが…💦)。
サラの形見であるワンピースは、カトリーヌ・ドヌーヴが『昼顔』(1967)で着ていたワンピースがモデルだという話だし、やっぱりカトリーヌ=ファビエンヌとして観賞しちゃう。
カトリーヌ・ドヌーヴのファンであれば、本作の受け取り方も大きく変わってくるんだろう。
…ちなみに自分は『シェルブールの雨傘』すら観た事がない、全くのカトリーヌ・ドヌーヴ童貞なので、ファビエンヌのことを「嫌なババァだなぁ」としか思いませんでした😅
本作のタイトルである「真実」とは裏腹に、本作の登場人物は皆、何かしらの嘘をついている。
意図的に吐かれる「嘘」は、無意識のうちに信じ込んでいる「真実」の対であり、それと同時にその「嘘」すらも、「真実」の一部であると言えるのかも知れない。
ファビエンヌは、実はリュミールが出演していた『オズの魔法使』をこっそりと観劇していたことを告白する。
ここは確かに感動的な場面である。
しかし、本当にファビエンヌは『オズの魔法使』を観劇していたのだろうか?
ファビエンヌの発言が真実であるのか、それとも嘘であるのか、それはファビエンヌにしか分からない。
だが、この瞬間、リュミールにとっては母親が観に来てくれていたということが真実となった訳で、それが本当に起こった出来事なのかどうかはもはや問題ではない。
真実とは、主体がどう受け取るのかが全てであり、それが本当なのか嘘なのか、事実なのか虚構なのかは、ある意味では重要なことではないのだろう。
白状すると、本作が初の是枝作品。
今まで何となく気が進まなくて一本も観てこなかったが、遂に観賞することが出来た。
監督自身も言っているように、本作はとてもライトな作りの映画。
日仏合作という変化球だが、自分のような是枝初心者には、むしろこの作品は入り口として最適なのかも。
フランス語が分からなくて終始アホ顔なイーサン・ホークがとても可愛らしかった😆
ダメっぽくて冴えないけど、なんか愛されるオッさん。
自分もイーサン・ホークのようなスタンスで生きていこうと思った。
※本作の日本語吹き変えはかなりの珍品!
ジュリエット・ビノシュが宮崎あおい…🌀
いや確かに宮崎あおいは声優としても上手いけど、あの可愛らしい声とジュリエット・ビノシュの険しい顔はミスマッチ以外の何物でもない。
どうやら監督自らのご指名っぽいけど、合ってなさすぎてビビる。
そもそも、家族の中で英語とフランス語が入り混じっている状況というのも本作の一つの重要な要素なので、絶対に字幕版で観ることをおすすめします。
監督も出来れば字幕で観てほしいとインタビューで言っていました。…ならなんで宮崎あおいなんか選んだんだ?
不器用な愛
母と娘の関係性について。
大女優の自叙伝に書かれていない真実が多かったが、それが何を意味しているかを考えていた。
娘から見たら、仕事を優先する母が自分の事を想っていないと感じているが、
母は同じ女優であり、母の立ち位置を取られた姉妹に嫉妬することで、娘への愛情表現が不器用になってしまう。
結局、人はそれぞれの考え方・伝え方があるから、すれ違いが起きてしまうのだろうと思った。
自分も素直に感情を表現したい。
正直、ストーリーについていくのが大変だった笑。
客一人を体験。
是枝裕和は役者から引き出す性根の確かな微量が持ち味(YOUの無自覚な鬼畜性、子役の素など)だが、ドヌーヴからのそれを私は感じられず。
母娘の確執と和解には納得感も新味も無し。
単に大女優アルアルと見るか。
カンヌ後の貴重な打席で痛い題材ミス。
次作は母国で。
シャルロット
フランス語と英語が飛び交う家庭はカッコイイですね。
イーサン・ホークのビフォア・サンライズシリーズ女優と
ジュリエット・ビノシュが途中からかぶってきてしまった・・
シャルロット役の少女が可愛い。そして演技が素晴らしい!
カトリーヌドヌーブの存在感と美しさ
カトリーヌドヌーブの存在感が映画を支えていたと思う。大女優役を大女優が演じると、なんだか映画が自伝なのかと勘違いしそうになる。
自伝小説を書いた。どうやら嘘ばかりらしい。身近に支えていた秘書も出てこない。周りは憤慨したり悲しんだりする。でも、彼女はそうすることで身近な人を守ったのではないか。大切な真実はお互いの間の事として守りたかったのかもしれない。
娘と時々言い争う。そして昔のことを語ると、2人の覚えていることは全然違ったりする。実は実際こういうことが結構あって驚くことがあるのだ。母親らしくはなかったけれど不器用に娘を愛していたことが少しずつわかっていく。複雑な展開や驚くようなエピソードはないけれど、家族の絆が少しずつ再生していく様子は観ている人を暖かくしてくれるだろう。
カトリーヌドヌーブのわがままだったり可愛かったりする表情や仕草が本当に美しかった。
是枝監督らしい良い映画だった。
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