海獣の子供のレビュー・感想・評価
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原作の解釈が私と違う
読み終わった後、速攻で内容をノートにまとめなおした唯一の漫画
てか娯楽系メディアで内容まとめなおしたのってこれだけだな。漫画に限らず。
原作未読の人は引き返したほうがいいよ。
前知識入れないで原作読んだら感動したから(私が)
映画みたのでそれの感想書くけど原作の内容もネタばれ気にせず書くから
以下は映画も原作も見たって人だけよんでね。
アニメーションと背景、音は一級品でいうことない。
最高峰を見せてもらった感じ。
問題は演出とか脚本。
最初は原作通りでよかった。
原作の説明省いたり、シーンを継ぎ足したり差し込んだり改変して
話を訳わかんなくしてから終盤を感じろ!って演出で見せてきたから
は?ってなった。
原作だと各地の御話を挟んできてそれが話とか描きたいことの補助をしてくれるんだけど
それを省いたせいで何が起こってるか全然わかんない。
特に臨死体験とか生まれてくる人がサメの口の中を通った記憶があるって説明は省いちゃいけなかったと思う。
そこ省いたら光が魂だか生命で食べられる事でまた生まれるっていう命の循環と
光を食べることが誕生に繋がる儀式って祭りの説明がなくなる。
そもそも原作の解釈が私と違うかもしれないが。
海獣と人間が似てるって説明は映像で説明してくれたから省いてもよかったと思う。
終盤は意味不明だけど圧倒的映像美で殴ってくる感じ。
言いたいことはわからなくもないがメッセージ性を感じない。
ここは原作から大きく改変してるけどなぜ変えたのか意味不明
特にルカはなんで海と争ってるん?いや、海を行かせたくないってだけ?
神話に造詣が深い人ならわかるのかもしれんが私はわからなかった。
原作読んでなかったら本当意味不明だと思う。
本気で作ってるのにもったいない。
あの映像美で話をちゃんと伝えられたら伝説になったはず。
原作もすごいし技術もすごい。
最初原作通りにやろうとして入らないから圧縮したのかもしれんし
映画で原作通りにやったら流れぶったぎりすぎてどうにもならんかったのかもしれん。
映像や音から見るに本気で作ったのは間違いないから
脚本や演出も私にはわからん深い思考があったのだろう。
原作がわかりやすく教えてくれたことが映画で伝わって来なかったのが残念でした。
原作がすごすぎたのかもしれん。
深い、そして美しく神秘的
最初から最後まで素敵でした。
映画のあとに漫画を読みましたが、
正直映画で伝えたい重要な部分が集約
されたような感じでした。
漫画だともう少しマイナス面も見えて来るかなぁと。それでも生命や人間の心情について語りかける尊き内容ばかりでしたが。
人によっては極端に分かれる作品だと思います。芸術を生み出したり想像力豊かな人達にとっては、これは神がかった作品だと思います。
漫画であるようにアングラードがそちら側の世界。
そして何が何だかあまり理解できない人はジムのように、真面目で測りで物事を見るタイプ。
私の中ではこの映画がダントツでした。
自然と一体になりたいという気持ちが強くなりました。
哲学的でした
海をメインとした青春物語かと思いきや生命に関する哲学的なストーリーでした。
まずは映像表現について、とても美しくて時に派手に時に切ないといった感じでした。
全体的にタッチが繊細でよくアニメーションにできたな…とびっくりしました。描き込みがとにかくすごい!手書きな部分とデジタルな部分が上手く融合していて新しい感覚でした。ちょっとteamLab作品っぽい部分もありました 笑
演出は大半が抽象的な表現で、台詞も少なくわかりやすい作品ではなかったかもしれません。「感じろ」系でしたが、私的にはこういった題材の作品ならむしろ台詞が邪魔するのではないかと思ったので気になりませんでした。また、現代の環境汚染にも少し触れていたように思います。そこにも生命に関するヒントがちらほらあったので繋がってるように感じました。
勝手な考察ですがもし琉花ちゃんが生まれてなかったら空くんと海くんは双子だったのかな?と思ったりしました。出会うはずない三人(生まれてくる候補2人と琉花)が楽しい時間を分かち合えたシーンはとても胸に来るものがありました。
音楽はジブリでお馴染みの久石さんで、より作品が引き立っていました。主題歌も米津さんで本当に細部までこだわりを感じました。
夏にもぴったりだし、深い内容なのでまた何回か見たいなと思える良い作品でした。
美しく壮大な宇宙と海の叙事詩
『地球交響曲』『EARTH』『プラネットブルー』等が好きな人におすすめ。難解と言われますが、前半はすんなり理解できます。ザトウクジラの歌を研究する海洋学者、満月夜の高潮、ここ十数年クジラやアザラシ等が大量に座礁したニュース等 普通に現実の自然現象とリンクする事が描かれてます。宇宙、野生動物、自然破壊、人体の組成元素等について常識程度の知識があれば普通にわかりますよ。地球の磁場が狂ったか等 座礁の原因は不明のままだし、宇宙のビッグバンの起源とか、まだ現代科学では解明されてない事が描かれてるのだから、話を理解できないって作者を非難するのは間違いですよね笑
ジブリ並に、自分でも感受性を働かせて 読み解きながら見るべきです。
映像だけでも凄いです!
誰も見たことのない宇宙の起源ビッグバン、海の誕生、生命の誕生、それらが一緒くたに同時に描かれ、凄い映像表現になってます。
かつて、
『もののけ姫』では、神を殺し 人が自然を支配し始めた歴史を、神話的に描かれました。あのシシ神デイダラボッチ、タタリ神…。
『君の名は』では、口かみ酒を飲んだ瀧が 三葉の記憶をたどる場面で、ヒトの誕生を詩的に描かれました。
『エヴァンゲリオン』では、世界の終末それは新たな始まり? とキリスト教の神話をまじえて描かれました。
ほかにも『星を追う子ども』の伝説が蘇る場面、『ハウルの動く城』でハウルが強い魔法を手に入れる場面、『バケモノの子』で巨大クジラが街に現れる場面、『巌窟王』などなど、あの美しく激しい映像が一緒くたになってる感じです。そういう映像美に包まれて圧倒されたい方は、ぜひ『海獣の子ども』を映画館で(^^)
だって、宇宙の始まりのビッグバンなんて、絶対誰も一生見ることできない。現代の最新科学で、やっとブラックホールが見えたばかり。それを誰もが見れる形の映像に表現してくれたなんて、まだNHKもBBCの最新CGもここまでできませんよ!それだけでも見る価値ありです!
映画館で見たかった…。
序盤は、ルカがどうで、クジラがこうで、って考えながら見ていましたが、考えているうちに物語が進んでいき置いていかれる気分でした。
祖父と観ていたのですが、説明してと言われても
感じろ!としか言えない作品でした。
空くんが帰ってしまうときにルカに見えた光景がすごく怖かったです。クライマックスでは、瞬きするのを忘れて口を開けて見ていました。絶対映画館で見た方が100億倍すごかったと思います。
すごく、沖縄に行きたくなりました。舞台は沖縄では無いですが。
この作品は言葉で表そうとするのは失礼かなって思います。
す、凄い! 観に行けばよかった😭
生命誕生の瞬間をかなり遅れながらではありますが、刮目してきました!映像が綺麗過ぎてTVの画面でしたが、それでも画面に呑まれそうな勢いだった。映画館の大きなスクリーンだとどうなっていたか😓
多くは書きませんが、確認用に。
最後のオチは海がルカの母親から生まれた赤ちゃんに、空は祭り開催の狼煙を上げた鯨(台風の目)に転生したってことでいいよね⁈
個人的なアカデミー賞は天気の子ではなく、こっちでした。
追記
私は先述のように解釈していましたが、レビューサイト等を観ていてより有効な説を多数みつけました。まだまだ、感受性が足りていないです。
アート ~抽象世界と具体世界の狭間~
【一言でいうと】
「一番大切なことは言葉にならない。」という最後の台詞を大事にしたいですが、
敢えて一言でこの映画を表現するとしたら「アート」でしょう。
生命・宇宙の神秘を地球を舞台にして表現したアートだと感じました。
【原作、音楽について】
原作である五十嵐大介氏の「まずヴィジュアルありき」という作風を一貫して感じる
ことができたし、何よりも映像が美しい。音楽も言わずと知れた久石譲氏とあり、
場面に沿った演出は流石の一言。個人的にはクライマックスに向かう道中の音楽
テンポがコミカルに聞こえ、恐怖感よりも高揚感を表現したかったように感じました。
【分かりにくいについて】
確かに内容的には難しく感じることも多く、解明できていない事象も多いです。
しかし、作品を抽象画と同じような捉え方をしたら少しは心のモヤモヤも晴れるのでは?
そして、大切なことは言葉にならないし、出来ないからこそ、登場人物の発する
言葉は非常に重みを持っています。「宇宙と人は似ている」「この世のほとんどの
モノは見ることすらできない」この非常に抽象的な概念が具体的な海を舞台
として、また、人の行動として具象化されているところが奥深い。
登場人物の発する言葉に集中し、映像的な表現はぼんやりと、ああ、この映像は
こんなことを表現しているのかな?と、ON・OFFを使い分けて観てはどうでしょうか?
(だからこそ映像場面で眠くなるのかもしれませんが・・・笑)
【感じたこと】
この映画はメタ思考(抽象的思考)の大事さを強く感じさせてくれました。
抽象画に近い作品だからこそ、メタ思考が必要となります。
具体的な数値や結果を追い求めることは素晴らしいことですし、大切です。
しかし、逆の考え方もまた同じように大切だと思います。
具体的に起こっている事象をどう捉えるか?末端で起こっていることは、
大きな視点から見たら実はこんなことだった。
そしてそれは末端・全体に関わらず全く同じ動きであった。
このような大きさ視座から物事を見ることができます。
例えば、作品の本筋である生命の営み。
これは末端の生物も地球も同じ原理だったこと。
(地球については作者の創作でしょうが)
私自身が強く納得したのが、「歌」です。鯨の発する「歌」は地球の子守歌であり、
その子守歌は末端である人間の流花にまで伝承していた。
台詞としては出てこないものの、流花はそのことをしっかり体感したでしょう。
この映画で得られたこと。
それは、ものごとを具体的に捉え、抽象的に考えることの大事さ。
生命・宇宙の神秘を映画というアートで伝えてくれ、自身の五感に強い刺激を与えてくれました。
是非原作も読んでみたいと思います。
原作を読み、楽しみにしていました(超長文)
率直に言って、かなり残念な出来栄えでした。
映像の表現力=最高
物語の表現力=最低の一歩手前
という印象です……。
※以下、勝手な原作考察が交ざった異常な長さの私見です
お目汚し失礼いたします※
あらかじめ断っておくと、なにも原作礼賛をしたいわけではありません。
この映画がなぜこうも「よくわからない」作品になってしまったのか、原作自体が「よくわからない」テイストだから致し方なかったのか、その点についてのだらだらとした感想です。
映像と作中音楽は本当に本当に素晴らしいです。
映像化可能な限界を追求していると感じ、素直に感動して見入ることができました。
特にタイトルまでのイントロ部分などは、そこだけで涙を誘われたほどです。
それだけに、ストーリーの陳腐・矮小化や、作品の芯を捉えられていない点の口惜しさが際立ちます。
確かに、原作は一部難解ですし、抽象的・感覚的な表現や、多元的な数々の要素が入り組んでいます。
五巻分の内容を二時間に落とし込もうとすれば、ある程度割愛・改変を行いつつ再構成しなければならないのは当然です。また、琉花という一人の少女の物語に絞って描いたのも英断だと感じます(「物語を絞って描く」ことは、必ずしもストーリーの陳腐・矮小化を招くわけではありません)が、要素の取捨選択と演出に失敗した結果、むしろ原作以上に難解な、方向性も情報もとっ散らかった映像作品になってしまっている印象です。
上記の印象を最も端的に物語るのが主題歌です。歌詞に原作のキーワードがふんだんに盛り込まれており、良く言えば「原作世界を再現」していますが、悪く言えば「原作の言葉をつぎはぎした表面的なあらすじ」以上の何でもないように見えてしまいます。もっとも、音楽まで含めて一つの曲なので、歌詞だけで一概に批判は行えませんし、あくまで「タイアップ曲」という立場の範囲内で作品に奉仕していると思えば、十分美しい曲には違いないのですが。
こういった物足りなさやちぐはぐさが、映画本編でも随所に感じられます。
ボリュームダウンの工夫として、例えば、作品を解釈する上で重要な役割を占めていた(と個人的には思う)多くの要素がかなり大胆に削られているのですが、その中でもぱっと目に付いたのが下記です。
①「食べられる」こと
②一連の「海にまつわる証言」
原作未読の方のために一応補足しておくと、原作では、光の粒となって霧散した「海の幽霊」が、その光の粒を他の生物に食べられる様子が繰り返し描かれています。また、空が海中へ消える時、他の生物に食い荒らされる様にも、かなり丁寧にページを費しています。
こういった「食べられる」反復描写の先に待っているのが、映画にもある、琉花が元・海だった光の粒を食べる場面です。そう考えると、一番最後の場面だけを映画内で示しても、物語の繋がりも感動も、さっぱり分からないのではないでしょうか。
さらに、「食べられる」ことを「他の生物の栄養となる」と読み替えれば、作品を司る詩の「人は乳房」にも通ずる部分があり、ますます幅広く自由な解釈の余地が生まれます。
したがって、「食べられる」ことは作品にとって相当大切な要素のように思われるのですが、なぜ削られたのか合点がいきません。食事のシーンを丁寧に描写することで補おうと試みたのかもしれませんが、あくまで「食べる」者としての人間の姿しか描かれていないので、片手落ちです。
一方で、「海にまつわる証言」が削られたことにはまだ納得がいきます。
「海にまつわる証言」とは、原作で物語の合間に挿入される、世界各国様々な地域の人から収集したという設定の「海にまつわる不思議な体験談」です。全部で十ほど紹介され、中には登場人物のバックボーンに触れるものもあります。しかし、本編に対して傍流の位置付けなので、そこまで重要視しかねるのも、二時間の映画にこれらまでねじ込むのは難しいと判断するのも妥当でしょう。
しかし、盛り込めないにしても、どうにか他の工夫で補う余地が無かったか……と思われて仕方がありません。
なぜなら、そもそもなぜこの作品に「海にまつわる証言」が必要だったのかという考察にも通じますが、作品自体の構造と主眼についての重要なヒントを孕んでいると思うからです。
「海にまつわる証言」は、時間も場所も人も性質もばらばらで、一見すると互いに(ものによっては本編とさえ)全く無関係な挿話の集合体のようですが、実ははっきりした共通点があります。
第一に、全ての話が徹底して「体験談」に終始します。不気味さや謎めいた雰囲気を持ちますが、怪談ではありません。したがってオチもありません。道徳も教訓もありませんし、答えもありません。淡々と「こういうことがあった」と語るだけの、剥き出しの「体験」そのものなのです。
第二に、「海にまつわる証言」の話者、つまり不思議な「体験」の当事者は、恐れたり、不思議がったりと、受け止め方こそ個々人で異なっていますが、いずれも「体験」が以後の人生に大きな影響を及ぼしています。海に二度と潜れなくなった水中カメラマン、世界中の海を転々とすることになった青年、海洋学者になった女性、失踪した姉を数十年待ち続ける妹……「体験」を経たことにより、生き方が決定的に変わっているのです。
上記の二つの共通点に、映画にもあった台詞ですが、「本番」後のデデの言葉が響いてきます。
「案外… わたしたちが思ってるよりしょっちゅう起きてる現象なのかもしれないよ」
これは、「海にまつわる証言」という下準備があってこそ、すとんと胸に落ちてくる言葉ではないでしょうか。すなわち、「琉花のもとには「少年・海と空」の形で訪れ、人生を変えた海と生命の不思議が、流花のもとだけでなく、世界の様々な場所に、様々な形で現れているのかもしれない」と想起させるのです。
(同様の示唆は、スケールを変えつつ、作中で何度も何度も繰り返されています。感情を届ける鯨の歌、水の記憶、痕跡としての「幽霊」、……この辺りについては、作品終盤の台詞「世界の秘密はそのヒントを、……」が全てを物語っていると思います)
かなり遠回りになってしまいましたが、要は、『海獣の子供』という作品は、それ自体が一つの「海にまつわる証言」として、あまり理由や意味、目的意識、解答提示に囚われず、読者それぞれが「体験」して自由に受け止め、解釈するよう意図して描かれているのではないか、という意見です。
映画内に「海にまつわる証言」を取り入れるも取り入れないももちろん自由ですが、このような構造上の工夫を、しっかり押さえた作劇にぜひともしてほしかったと思います。多くの方の感想に噴出する「分からない」も、もしかするとその何割かは、この点を扱い損ねたことによるかもしれません。
(ちなみに、「分からない」ことは悪でもなんでもありません。この作品は各個人の自由な受け取り方を喚起するものであり、「分からない」もまた、この作品という「体験」に導かれた立派な反応の一つと考えられるからです。「分からない」という感想を侮辱するような意見は、むしろ作品の本質を捉えられていません)
「わざわざ「海にまつわる証言」が無くとも、各自自由に「体験」すればよい作品であることくらい分かるよ」という方も、もちろん大勢いらっしゃるでしょう。「海にまつわる証言」はあくまで作品に対する補助線であり、無くとも作品へのアプローチは可能です。
しかし、この映画では、せっかくの補助線を自ら外したばかりか、あろうことかストーリーラインに解答らしきものをこじつけて純粋な「体験」としての性質を大きく損なっています。
これは受け取る側ではなく、制作した側の悪手に責任があると思います。
映像・音楽の素晴らしさは、まさにそのような「体験」的性質を見事に捉えています。脚本さえ誤らなければ、「体験」としての核心にもっともっと迫ることが出来たのでは……と考えると、無念でなりません。
「ストーリーラインにこじつけられた解答らしきもの」とは、主に終盤の場面、「父母が揃って琉花を助けに来る描写」と「部活メンバーとの和解を示唆する描写」を指しています。
もちろん、映画独自の解釈で原作に無い場面を挿入すること自体は悪くないどころか、必須の工夫です。しかしこの映画において、これらの場面は紛れもなく大失敗だと思われます。場面に至るまでのストーリーの運びも何もなく、唐突に、ご都合的に挟まれた描写でしかない上、作品の方向性と場面の意味するメッセージが全く食い違っているためです。
ちなみに原作の情報を補完すると、まず琉花を助けに来るのは母だけです。母が自らデデに頼み、デデと二人で琉花を救いに向かいます。また、「部活メンバーと和解する描写」は原作には全く無い、完全オリジナルの場面です。代わりに、と言ってはなんですが、映画では省かれた物語後の時間軸として、年老いた琉花の描写があります。この作品は年老いた琉花の場面から始まり、年老いた琉花の場面に戻って終わります。(そもそも『海獣の子供』の物語は、日に焼けた肌にサングラス・サンバイザーという出で立ちの琉花が、モーターボートで海を行きながら、同乗している少年(恐らく孫)に自分のかつての「体験」を語って聞かせたもの、という構造なのです)
ここまでですでに、原作未読の方でも、原作と映画では随分雰囲気が違うんだな、とお感じになるのではないでしょうか。
「父母が揃って琉花を助けに来る描写」、「部活メンバーとの和解を示唆する描写」に、なぜここまで憤っているのかと言うと、作品内でも最も忌避されている、人間社会の一元的な価値観の押し付け、つまり「一般論やステレオタイプの押し付け」に過ぎないからです。
推察するに、ファミリー向け映画として舵を取るための改変なのでしょう。(もしくは、「少女・琉花」のミニマムな物語としてオチをつける意図か……しかし、オチを求める性質の作品でないことはすでに述べたとおりです)とはいえ、人間社会の範疇を飛び出し、人間の理解を超えた現象に遭遇し、世界の秘密に触れる「体験」……「約束」を胸に抱いて人生を送る、という物語の結末が、「ハイお父さんお母さん仲直りして一緒に来てくれました、家族円満、ヨカッタネ」「ハイ部活の仲間とも仲直りできました、ヨカッタネ」では、あんまりと言う他ありません。「本作が『海獣の子供』である」という大前提を取っ払ってさえも、今の時代におけるクリエーションの在り方としてあまりに甘すぎると思います。
ましてこの作品では、人間の認知世界や社会・常識・思想・言語がいかに狭いか、その外側に、いかに豊かで開けた世界があるかを謳い続けています。人間社会に居場所が見つからず、そこを飛び出して海と空に出会った琉花が、さして脈絡も無くまた狭い社会に戻っていくというのは、なんとも作品の主眼を蔑ろにした作劇ではないでしょうか。
(話が逸れますが、芦田愛菜さんという役者について、「ステレオタイプの演技をさらにコテコテに塗り固めて演じる人」という印象だったので、琉花役と知った時、不器用と豊かな感性を兼ね備えたナイーブな琉花の像に、果たして彼女の演技がマッチするのか懸念がありました。予告の「夏は、体が軽いっ」は悪い意味で期待に違わず、ああやっぱり……と落胆しました。ところが、いざ鑑賞を終えて抱いたのは、これほど陳腐化したストーリーであれば、芦田さんの演技は却ってマッチしていたかもな、という皮肉な感想です。息遣いや呻きなどのちょっとした演技は素敵だったのですが、およそ台詞めいたことを喋らせると、良くも悪くも『芦田愛菜』が前面に出てしまっている気がします)
ストーリーが台無しでも、映像と音楽はとにかく素晴らしかったことを、重ねて最後に申し上げます。
こんなとんでもない長さのレビューを読んでくださり、どうもありがとうございました!
感じることは人によって相当異なる映画
伝わる人にはいろんなメッセージが伝わるし、伝わらない人には映像美にしか目がいかなかったり、意味がわからなかったりだと思いました。終盤に、20分くらいめちゃくちゃ抽象化されたイメージがただ映し出される、台詞もあんまり無いシーンがあります。私はそこにメッセージが凝縮されているように感じたんですけど、いくら考えても理解が及ばない。それくらい、原作者さんの概念がそのまま絵になってる感じでした。まだそこまで多くの映画を見たわけではありませんが、この映画が一番難しかった。人情劇を観たいのなら他を観た方がいいんじゃないかと、思います。
この映画を難しくしているものの1つに、散りばめられているであろうヒントたちが難しすぎるってことが挙げられるんじゃないでしょうか。
ここからは私の意見なんですが、主人公の名前が琉花、ルカじゃないですか。LUCAって生物の一番の祖先の、共通祖先ってやつの名前なんです。上にも書いたラストの琉花がクジラに飲まれてからのシーンで、琉花の体内の隕石がソングに共鳴していたと思うんですが、その時琉花は子宮のあたりを抑えていたように見えたんです。そして、琉花がどんどん広がっていって、宇宙を飲み込む。新たな宇宙となる海を、一度産みなおしたって表現だと思ったのですが、赤ちゃんにし、隕石を飲ませ、海と空は宇宙となり、琉花によって産み出された宇宙は数々の銀河となり、すべての生物の命の種となる…みたいな。琉花がこの宇宙の一番最初の生命となったとも受け取れました。主人公の名前1つとっても、様々な考えが生み出せると思います。
ただ、この映画で一番大事なことは、それぞれが感じた何かしらのメッセージだと思います。解明できない、言語化できないこの世界の大半を、言語の中に無理やり押し込むのではなくそのままに感じ取ることの大切さを映画の中で語っていました。大切なことは言葉にならないんです。原作なら絵で、映画なら映像で、言語化できない作者からの膨大なメッセージが色になって押し寄せてきます。それを無理に言語化せずに、なにか人生の糧にできるのなら、それがこの映画の一番のメッセージが伝わっているということになるのではないでしょうか。
どんな人にも説明できないような、言語を超えたメッセージのこもった、とても面白い作品でした。
作家性を感じる映画
中学生女子のルカは、世間からみればトラブルメーカー。
夏休み初日のハンドボール部の部活でもトラブルを起こして、もう来るな、と言われてしまった。
ま、することがなくなった彼女は、父が勤める水族館へとやって来、水族館の大水槽を傍若無人に泳ぐ少年・海と出会う。
海は、兄・空とともにジュゴンに育てられた父から教えられたルカ。
その後、空の居場所もわかり、ふたりと交流を重ねていくが・・・
といったところから始まる物語で、原作がマンガだとは後で知ったが、宮崎駿監督『崖の上のポニョ』へのアンサーソングならぬアンサー映画だと感じました。
ま、そう思ったのは個人的意見なのですが、海も空も、タイトルどおり海の子供。
それに、陸の子供ルカが出逢う。
けれども、海も陸も繋がっていて、さらには宇宙も繋がっている。
宇宙、というのは「いま、ある空間」なのだけれど、「かつてあった時間」まで繋がっている、とこの映画ではいっている。
『崖の上のポニョ』で、中盤、嵐の後に古生代の生きものが現出したのに、どこか似ている。
そういうことを思ったんだよ、と監督がいっている。
それは、地球の営み以上なんだよ、ともいっている。
そこんところは、原作マンガに依るのかもしれないが、そういう原作を選ぶの作家性。
それで、この映画はいいじゃない。
近年、日本映画では(アニメも含めて)作家性のある若い力は出てこなかったと思うから。
ま、個人的には、目玉が大きいばかりの人物造形には辟易なんだけれども。
フィクションのドキュメンタリー映画
夏休みを迎えた中学生の少女ルカと、ジュゴンに育てられたという少年ウミの一夏の物語。
という本作の予告を目にすると、さも壮大な冒険劇があるのだなぁと思うだろう。残念ながら、その期待は裏切られることとなる。
ネタバレになるが、少年は人間ではなく、全宇宙が送った、人間に対して生命の真理を伝えるために送られるメッセンジャーだったのだ。
そのメッセンジャーの彼が、少女ルカに対してこの世の理を、クジラの誕生祭を通して伝える、というのが本編の本筋となる。よって、なにか起承転結がある、というよりはその自然現象を観衆は、抽象的かつダイナミックな映像とともに上映時間の半分以上眺めることとなる。
そう、これはまさにファンタジーのドキュメンタリーなのだ。
正直、つまらなさそう…と思われるだろうが、原作もそもそもそういうものなのでアニメーションによる"劇"を観るのではなく、"アート鑑賞"の心持ちで臨んだ方が些か肩透かしを喰らわずに済むだろう。その点、映像美に関しては近年稀に見る壮大さと繊細さを本作は放つ。
テーマは語られないが、環境やこの世界の根源はみな同じで、人間もその他の生物も、宇宙も仲良くしましょう!というものだ。
映像を楽しむだけの雰囲気映画
原作1巻を読み、映画化されることを知ったので続きを読まずに我慢して映画館に見に行きました。
結論から言うと、今まで見た映画の中で一番と言えるくらい最低でした。
映像と音楽、特に海やそこを泳ぐ魚の描写はとても綺麗です。
逆に言うとそれだけです。
確かに説明を細かくするタイプの話ではないことは認めます。
それにしても、説明も描写も行動原理も何もかもが不足しています。
ただただ、なんとなく雰囲気の良いミステリアスな描写を出しては、宙ぶらりんで説明なし。
それの繰り返しです。
ラスト30分は本当に苦痛で、生まれて初めて映画の途中で帰りたくなりました。
精神世界の話なのか、SFなのか、科学的にリアルな話なのか、私はなにを見せられてるんだろう?そんな気持ちになります。
もはやセリフも会話になっていません。
何を言っているのかわかりません。
それっぽい聞こえのいいかっこいい言葉を吐いては、視聴者は置いてきぼり。
せっかく米津玄師さんの素敵な曲が主題歌なのに、聞けるのはエンディングのみ。
一番盛り上がる星空と海がみえるシーンで聞けるのかと楽しみにしていましたが、これも肩透かし。
さっさと原作だけ楽しめば良かったです。
期待値が高かっただけに最悪でした
個人の感想です。
原作が好きなわたしにとってあの映画は、最悪でした。
わたしはもともと原作者五十嵐大介さんのファンです。
連載中から読んでおり、当時高校生のわたしにとってバイブルだっただけに映画のひどさが観ていて辛く感じました。
後半はもはや悔し涙を浮かべながら観ました。
ただ映像は綺麗でした。
観てよかった点は画力の高さ一点のみ。
海の生き物のシーンは大きな水槽をのぞいてるようでした。
また、細かい描写の迫力にも引き込まれました。
話の内容は、途中からガンガン勝手に盛り上がるキャラたちのテンションに全くついていけず…話の説明がひたすらなく、フラグを立てないままフラグ回収だけしていく!という感じ。
キャラ紹介も雑なまま話はどんどん進み、大事なキャラも突然強引に出てくるし、いやだから誰だよ!という感じ。観ているこちらは完全に置いてけぼりです。
足元のアップあんなに何回もいる?とか、食事のシーンにあんなに時間割くならもっと丁寧に話を進めてくれよ…とか。
食事が生物の循環を表しているみたいな意見も聞きましたが、そこだけ?という感じ。
観ながら文句がたくさん浮かんできてしまいました。
また、のっぺりとした俳優さんの声で恥ずかしい感じのセリフを次々に読まれて…もう早く終わらないかなあと思ったほど。
せめて、声が全員プロの声優さんならもう少しすんなり受け入れられたかもしれません。
芦田愛菜さんの声ですら、独特なまなちゃん口調が気になってしまったほどでした。
真剣なシーンもなんだか面白くて、何度も笑いをこらえてしまいました。
原作はもっともっと丁寧で、実際に語り継がれる民話なども織り交ぜながら話が進むので、とてもリアルでどんどん引き込まれるつくりになっています。
結末も全く違います。
映画のような謎のアニメ感の強い終わり方ではないですし、エンディングの後のとってつけたようなシーンも、もっと繊細に描かれています。
というか最後あんなに、ハッピーだね!おわり!みたいに終わっておいてエンディングの後に更に話を続けるの、なんだかとても往生際が悪く感じました。
原作は本当に面白いのに、映画でたくさんの人に海獣の子供という作品を誤解されたんだな…ということがひたすら悲しいです。
あと、ラジオのアフターシックスジャンクションで宇多丸さんが絶賛していたのもあって、めちゃくちゃ期待値上がっていました。
もう宇多丸さんが信用できない…。
観たことで色々なものを失った映画です。。
作品崩壊
以下、あくまで個人的な感想です。
この作品を、とても誤解している映画だと思いました。
映像と音楽だけでいいなら、ストーリーのないただのMVにすればよいと思います。
主題歌に「大切なことは言葉にならない」とありますが、
「大切なことは言葉にしない」の間違いではないでしょうか。
映画のエピローグで、琉花は「一番大切な約束は、言葉では交わさない。」と言っています。
この作品にとって、欠かすことのできないとても大切なセリフなのですが、映画を見ただけでは、意味が分かりずらいように思います。
原作のエピローグでは、大人になった琉花が、「”るか”にとってあの夏は”約束”だった。空、海、すべての時間と約束を交わした。私はその約束をずっと守るって決めた。
一番大切な約束は、言葉では交わさない。だから誰かに説明することもできないし、時にあいまいにしてしまいそうになる。でもいつでも体の一番奥でちゃんとつながっている。」と前後を補っています。
また、海が、声の出なくなるシーンでは、琉花は「言葉で話すと、言葉にならないことはないことになっちゃう。それは嫌。だったら言わない方がいい。でも黙ってても、いつもどうしたらいいか分からなくなる。」
(だから、クジラは思ってることがそのまま伝えられるなんて、すごいと思った。)とも言っています。
デデは、祭りのことについて「大切なことは、言葉なんかにしない方がいい。あの子(琉花)はそれが分かってるのさ。」と言っています。
そういう流れを踏まえると、映画のエピローグは、とてもちぐはぐに見えてしまいます。
琉花の髪が伸びていますが、これは時間の経過を示すと同時に、琉花は夏休みの後、ハンドボール部には戻らなかったことを暗示しているのではないでしょうか?
琉花が再び部活に戻るのは、原作にはない映画のオリジナルシーンですが、仲間に囲まれ、日常生活を送る中で、その夏のことを忘れていってしまえば、一番大切な約束を破ったことになってしまいます。
普通の人は、へその緒を切って「命を絶つ感触がした。」とは思いません。しかし、琉花はまだ高校生で、夏を共に仲良く過ごし、好きになっていた海と空との別れ(死)が心に強く残っていたから、
そう思ってしまったのではないかと思います。若い彼女にとっては、心に傷が残るほどショッキングな出来事だったのでしょう。
空も海も、ひと夏であっという間にいなくなり、目に見える周りには何も残っていないけれど、琉花の心にはとても鮮明に残ったものがある。彼女はそれを指針(コンパス)に一生生きていこうと心に誓った。
それは彼女ひとりの誓いではなく、空、海、すべての時間と、そういう約束を交わしたのだと思います。
「大切なことは言葉にならない」というのは、人間同士の場合であって、琉花が約束をした相手は、人間ではなく、この世界そのものなのですから
「(世界との)大切な約束には、言葉は使わない、必要がない。(ただその約束を信じ切り、守り切る自分の心さえあればいい。)」のではないでしょうか。
「一番大切な約束は、言葉では交わさない。」
言葉が人間同士のテレパシーであるなら、「言葉にしないこと」は、星同士のテレパシーだと言えるのではないでしょうか。
「人は乳房」
人間は、あってもなくても、どちらでもよいもの。
この物語の主人公は、琉花や海の子供たちではなく、宇宙に広がる世界そのものなのでしょう。
花火や夕陽を観ているような体験
最初に観て感覚的に近しいと感じたのは、「2001年宇宙の旅」。花火や夕陽のように一瞬の美しさを愛で、瞼の裏に残る余韻に浸れる映画だ。
ジェットコースターで例えれば、後半30分に向けてゆっくりと登りつめ、一気に急下降して最後の10分で余韻を感じる映画。
余りに素晴らしかったので、合計で4回観に行った。空くん消滅以降は毎回、涙腺崩壊。「誕生祭」の受精の瞬間は嗚咽が出るほど泣いた・・・。
ストーリーはシンプルながらも緻密に計算されていて無駄がなく、かつグッと我慢して語り過ぎないよう節度を保っている。最終的にはこの映画はストーリーで魅せる作品ではなく、クライマックスの美しさを五感で楽しんで貰うための作品だということをしっかりとわきまえている。
僕は原作を読んでいないが、読んでいなくても、この作者が作品を通してストーリーを伝えたいのではなく美しいものを描きたいのだということは伝わってくる。
一見難解に感じられるデデやアングラードのセリフは、作品に深みを与えるための隠喩のようなもので、理解しなければ楽しめない種類のものではない。花火職人がその仕事を人生に喩えたからと言って、人生を理解しなければ花火を楽しめないという事も無かろう。むしろここを余り掘り下げ過ぎず、スパイス的に散りばめることで、本質の「一切何も考えずに花火やジェットコースターを楽しむような体験」を産み出すことに全力を注ぎ込んだ制作陣は見事という他ない。
そして五感に訴えかける上で何よりも大きな役割を果たしているのが、音響。映画全体が一つの音響作品と言っても過言ではないくらいに、音の素晴らしさが抜きん出ている。音響監督は誰だ?!と注意してクレジットを見ると笠松広司氏。後で調べると「借りぐらしのアリエッティ」も手掛けられていた。そういえばアリエッティも音響が素晴らしいと感じた映画だ。
ザトウクジラのブリーチング(大ジャンプ)着水時の音には快感すら感じる。クジラの歌を初めて聴いた瞬間の琉花の心象に入り込む音響、「ひとだま」の音や「星の死ぬときの音」、「ソング」の音など、どの音も心に響く強い音だ。雨の中を自転車で走る際の深いフィルターの掛かった音響を始め、フィルターは水と相性が抜群だった。
他にも細かいところでは、セリフも実際に発声している声と心の中の声でオフマイク/オンマイクを使い分けているし、琉花が海に潜ってジンベエザメの群れと遭遇するシーンの久石譲による音楽の展開も素晴らしい。
海の上にいる間はピッコロの高い音のメロディで始まり、海に潜るとシンセサイザーの音になり、ジンベエザメの出現と共に低くて深い壮大なストリングスの音、息継ぎのために海上に頭を出すとまたピッコロの音が鳴り、すぐに潜るとストリングスの音へ・・・。最後に海上に助け出されると、ピッコロの音で締めくくられる。ストーリーの展開と曲の展開を重ね合わせるというのは無声映画時代からの王道パターンではあるが、特にこのシーンは効果的に感じられた。
以下、気付いたいくつかの小さなこと。
空くんが消滅した後は、海くんは一度も人の言葉を喋っていなかったように思う。(最後に「さよなら」と言われたように感じる琉花のセリフはあるが)
「誕生祭」が終わった後の光の柱の中を仲良く泳ぐ二匹のジュゴンは、海くんと空くんの化身(隠喩)なのかな?と思った。
ただただ壮大な生命の神秘。
私たち人間が知らない世界の秘密を、海の生き物たちはどれくらい知っているのだろう。
そしてまた、この宇宙には彼らにすら分からないことがありあまるほどあるのだろう。
私たちは何も知り得ないのだと改めて思わされた。
この世界で一番優れていると自惚れる人間は、きっとどんな生物よりも無知なんだなと思う。
そんな人間でも、その命は尊い。壮大な神秘と奇跡の元に誕生した生命は、どんな形であれ尊い。
そのことを伝えに現れたウミとソラだったのかな?
この世界の全ては宇宙から始まり、全てが宇宙の物質で成り立ち、私自身も宇宙そのもの。
この生命を、私たちは絶対に大切にしなくてはならない。与えられた生命の期待に応えるように、生きなくてはならないのだと思う。
最後、ウミとソラに何もしてあげられなかったと、彼らを目の前にして自分の無力さを知らしめられたルカに対するデデの言葉「おまえはおまえのままでいいんだよ。信じてあげたらどうだウミとソラを、そして自分を。」(こんな感じだったような笑)
この言葉が物語の救いになっていてとても良かった。
「一番大切な約束は言葉では交わさない」
これは、情けなくても、無力でも、生命に従い、「生きろ」というメッセージだったのかもしれないなと個人的には感じました。
宇宙と生命の神秘と、果てしないことへの恐怖。
それらが全て詰まった、生々しく鮮やかで、美しいアニメーションでした。
特に光の煌めきが、とてもとても綺麗で見入ってしまった、、海を照らす日光も、波が光る様も、海の生き物を纏う輝きも、ルカの瞳の煌めきも、美しかったです。
つまり何を伝えたいのか?
まぁ観る前はそれなりに期待して楽しみでした、けど蓋を開けてみたらなんだこれ?例えるなら宝くじが当たりましたと連絡が来て受け取りに行ったら背後から飛び蹴りを食らい(当たりなんて嘘に決まってるだろボケ!)なんて言われた様な気分になりました。
ここからはネタバレ⚠️
つまり出てきた少年二人は結局何なの?ヒロインは少年達同様特別な何かなのか?鯨のソングって結局何?大人達は少年達を利用して結局何がしたかったの?隕石の正体は?祭りって結局何だったの?祭りが起きたらどうなるの?冒頭の同級生とのトラブル必要だった?何でヒロインは最後に隕石?の光を少年が取り込むのを邪魔しといてその後呆気なく渡したの?
????????????????
この映画に言える事は?だけです観てる人どこまでも置き去りです。伝えたいのが哲学なのか、生物学なのかそれとも違う何かなのかその辺ハッキリして作るべきだと思います。
言葉にできないけど何かわかったような、大きな物を伝えられたような感...
言葉にできないけど何かわかったような、大きな物を伝えられたような感覚、でも本当は何もわかってないのかもしれない、そんな気持ちになる映画。
狭い世界でうまく息ができない、自分の気持ちをうまく伝えられない主人公が生命と宇宙の根源に触れる、遠く飛躍していくのがすごい。
見ていてなんとなく伝わる、昔思った懐かしい感覚を温度をもって思い出させてくれる感じがした。
小さい頃魔法が使えるような気がした無根拠の万能感、でも少し大人になっていくと窮屈になって自分が見えてきて苦しくなる無力感。
だから特別な何者かになりたくて、特別な海と空に惹かれたんだと思う。明確な理由はいらなくて、思春期の頃ならとても魅力的に見えるだろうなと思う。
雨の中走ると自分の呼吸が周りの音より大きく聞こえて、海の中と同じになるような感覚も。
両親が全然子供を守れてなくて介入できてなくて、無能感がすごい。でも子供の頃って生活力とかは置いておいて、子供の世界に大人は要らなかったよなって思う。大人は全然わからないから言いたくないこと、友達との中でだけの世界がたくさんあった。だからいいんだ。
人と宇宙は同じ。昔授業で原子レベルで考えるとそうらしいみたいなことを習ったのを思い出した。
母が歌ってくれた子守唄は自分の中に眠っていて、その唄もさらに母から伝えられたもので、そうして生命は繋がっていく。
自分がたくさん忘れているその中に、ふと刺激されたら呼び起こされる感情や記憶がたくさん眠っていて、普段は全然意識してなくて感じとれなくて、でもたしかに有るんだと思う。
それは消えてしまった海と空もで、世界は繋がっていて、そういう大きな根源に触れたから主人公はもう大丈夫なんだと思う。
ものすごく感覚的に大切なものを教えられた、何かを追体験したような感覚。
でもよくわからなくて言葉にできないことこそがこの映画そのものなんだろうなと思う。
あと米津玄師の曲のサビが海の中みたいな音してて、もうさすがやな…!って感じ…また新しい概念生み出されましたって感じ…
難解キャンディーズ
すでに観に行った人やネット情報での事前評判では
わかりにくいストーリーと聞いておりました。
観ましたところ、前半は女子の青春ものと
ジュゴンに育てられた男の子とのファンタジー系の
やりとりで、これでわかりにくいのか?と思いつつ
観ているうちに、宇宙規模の大異変的な展開となり
映像も当初はゆったりとした動きで海の生物の
動きもきれいでしたが、そのうち、サイケデリック
な感じとなり、作画者はLSD(ふるっ)でもやって
描いたのではないかと思うのような映像のオンパレードで
ついていけなくなり、また、映像の意味もお話しも
後半から私の頭では理解不能でありました。
ネットにあるように、まず原作を読んでからか
わけのわからない映像好き(いるのか?)の方には
おすすめします。
※原作をアマゾン買おうとしましたが、
中古の5冊セットで送料込みで7,000円もするので
躊躇しました。
※芦田愛菜の吹替えはうまいです。
うますぎます。
※観客は妙齢の女性の方がほとんど
でしたが、映画が終わったあと
皆、きつねにつままれたような
表情でした。
※ひとり、女のお子さんがいましたが
「あー、やっと終わったね」と
お母さんに話をしていました。
※エンディングの米津玄師の歌の歌詞で
ストーリーの意味が歌われていると
あとで知りましたが、もう一回観て
確かめる気にはならないです。
美しい映像詩。ただし、謎は言葉では説明されない
全編を通じて、映像には目を見張る。
アニメ好きならずとも、大きなスクリーンで観て損しない、映像体験を与えてくれる。
ストーリーも、前半は惹きつける。
「海」と「空」の正体とは?
彼らを待ち受ける現象とは?
ただ高まった期待の答えが、言葉で語られることはない。
目眩く映像で、「海」が宇宙的な存在になったことは分かる。
また、この現象は今回だけでなく、過去にもあったし、これから繰り返されそうなことも分かる。
ただ、登場する大人たちと同様、観客にも謎の本質は語られない。
エヴァンゲリオンのTVシリーズの最終回なみに、投げっぱなしジャーマンをくらう。
加えて、日常に戻ったラストで、冒頭で琉花が抱えた問題が解決するが、ここもあまりにも説明不足。
なので、映像美に対する感動とは裏腹に、説明不足に対する消化不良も残る。
作り手は、観客に考えてほしいのかもしれないが、「海獣の子供」に関する謎については、情報量不足で、何をどう考えていいのか分からないし、そのことについて熟慮しようとする動機付けも得られない。
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