海獣の子供のレビュー・感想・評価
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劇場で見ないと意味がない系
原作漫画は未読でしたので、まっさらな気持ちで拝見する事が出来た。
本作は、家庭とも学校関係とも馴染めない思春期の少女が、海の子供とも言える不思議な少年達に出会い、世界の在り方の根源 その一端に触れると言った内容。
生命の始まりの海は、宇宙と同じ。人間は宇宙の一部ではなく、宇宙そのものだ。といったある種の宗教的なメッセージを基として、その世界観に触れる事で少女が成長すると言った感じもあり、物語の道筋としては、とても美しく仕上がっていた。
以下、大きく
①ストーリー構成
②映像・音楽
③描写
④声
について、感想を書きます。
①ストーリー構成
ストーリーは、大きくまとめると、
もののけ姫の主題 + 村上春樹ポエム + 旧エヴァンゲリオン劇場版テイスト + 鋼の錬金術師の真理の扉 + シャーマンキングのグレートスピリッツ - 闘争本能
的な感じです。
人間と海の中間に生きる海と空は、人であって人ではない。
ただの少女である琉花は、家族とも部活とも上手く行かない。
彼女の成長を感じながら、
海とは? 命とは? 生命とは? 宇宙とは? を何度も投げかけられます。
ただ、主人公とは言え少女の話ではなく、「海の子供」を取り巻く思想をストーリーの焦点に持ってきている為、琉花への感情移入には至りません。
随所に入る、大人の思惑も、彼女には届かない所での話なので、完全に俯瞰で物語を観る事になります。
三人称を大事にした結果かも知れないが、大衆向けではなくなってしまっている。
分かる人にだけ分かれば良いと言った、職人気質な感触だ。
また、後半の「本番」シーンは、映像美は高いのに、アングラードの野暮な言葉や、現実なのか夢なのかSFなのか分からな過ぎて完全に置いて行かれます。
感覚で訴えるのならば、言葉で説明はしないで欲しい。特に琉花が鯨に連れて行かれている中で、周囲の大人たちの「行動」を表すのは分かるが、「思想」を出されると、せっかくの宇宙の中心とも言えるシーンに水を差された気分になってしまう。
また登場人物の数人は、「意味深な言葉を言わないと死ぬ病気」でも流行ってのかってぐらい、思わせぶりな事しか言わない。
「観測できない領域」理論のごとく、核心の一歩手前の言葉ばかりを主人公に投げかける。
本当にウザい。しかも大事なシーンでは言葉にしちゃう。
特にアングラード、お前は何なんだ。学者っぽいとこゼロだし、料理作って、砂さらさらして、意味深な事呟いて、星を眺める。これが浮世離れで済まされるのなら、あの世界の人間は全員心が海のように広いのだろう。
②映像・音楽
映像の美しさはPVの時点から分かっていたが、
音楽との親和性が高く、海洋生物の回遊する場面は圧巻の一言。
海洋生物のシーンは、それぞれの生物(虫も含む)の描写が細かく、美しさとリアリティを両立していた。ナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルに、ライフ・オブ・パイの幻想的なシーンを合わせたような心地よさ。
中盤までの映像的な現実の中の幻想的風景は素晴らしいが、最後の心理の扉的シーンは、何か抽象的な表現が多すぎて人を選びそうだ。少し麻薬のような映像なので、面白いが生々しいような気持ち悪さも感じる。
それでも、映像に関しては、原作漫画の線を取り入れつつ、さらに芸術性を昇華させるように細やかな作りになっていて、とても良かった。
そして何よりも劇中音楽が良い。流石の久石譲。良い仕事をする。
時に、デデ(ババア)の謎楽器(アイヌ民族のムックリと言う楽器だそうで)を船の上で奏で始めたシーンは「こいつあたまおかしいんちゃうんか……」と思ったが、その後の海中での曲に見事に謎楽器の音を埋め込んできた。流石、仕事の出来る男だ。宮崎駿や高畑勲に無茶ぶりをされても涼しい顔でこなしてきた古強者。余裕の仕事ぶり。
③描写
本作の心理描写は、とても繊細かつ計算されていて、非常レベルが高い。
何よりも、「玄関」と「ひざの傷」の描写。
玄関にある缶ビールのゴミ。帰ってくると空き缶が増えている事や、靴の崩れ方。靴が増えたり汚れたり……。玄関一つで、ちゃんと家庭環境が見えてくる。そして後ろ向きから前向きになった事も、玄関だけで表現出来ている。
ひざの傷は、夏の始まりと終わり。そして傷が治る事と、心の傷が癒える事がリンクされ、物語の時間と心的外傷からの立ち直りを明確化してくれる。これは分かりやすいのに上手い。
また、それぞれの人物の人間性も繊細に描かれている。
特に父親の周りの見えてなさや母親の余裕のなさを表す場面が随所に描かれ、その度に琉花の心を削られるような描写は、丁寧過ぎて凄い。個人的には、父親の仕事以外への関心の薄さが妙にリアルで好きです。
アニメシでおなじみの食事描写は、ちょっと官能的にも見えます。
直接的に言えば、妙に生々しくエロいです。
生命と性を想起させる描写も、二次性徴を含めるような描写も、最後のへその緒の描写も、しっかりと描く事で、物語の主題に繋げている事にも交換が持てました。
④声
声優については、数人厳しい人がいますが、役のイメージとズレている訳ではないので、慣れればギリギリです。
アニメ声優が好きで、しゃべり慣れてない下手な人絶対殺すマンな人は、この映画は見れません。見ないでください。
金曜ロードショーで風立ちぬを見ると、慣れてきた庵野秀明の声レベルが1に戻ってしまい、物語に全然入れなくなる。結果よく分からない上にツマラナイ……と、あの名作すら駄作になる現象がありますが、本作も同様の事が起きる為、地上波放送を待っている人はご愁傷様です。
ただ、主演の芦田さんは、めちゃくちゃ上手い。上手いって言葉が失礼なくらいの「実感を伴った演技」を見せてくれます。感情を表に出す事が苦手で、説明も出来ない。頭と身体が一致しない。そんな思春期の少女の声を、ものすごくリアルに喋ります。何なのだ、この人は。もともと凄く女優としてのスキルが高い事は知っていたが……。まぁ、映画声優経験がない訳ではないので、比べるのも失礼か。
あとは、キャラとして浮世離れした人々が多いので、多少浮いていぐらいでも許容出来るのが救いでした。
特に森崎ウィンさんが演じるアングラードは、しゃべりが下手なのが味になるキャラだったので良かったかも。
父親役の稲垣さんは、イメージは合っているのにアニメーション演技と声の表情が噛み合わない所があるのが残念です。前半は良かったけど、後半はちぐはぐだったかなぁ。奥さんとの対話シーンや、ジムに琉花の所へ連れてって欲しいと言うシーンは、もっとドラマの時みたいに喋れば良かったのに……。
ゲスト枠なのでしょうが、尼神インターの二人は特に酷いです。江ノ島水族館の職員さんが声をあてたのかってぐらい棒です。……そういう意味では逆にリアルだったかも。
端役とは言え、一般公募レベルの素人さんと同程度の人が、作中の人間関係を説明する台詞(母親の過去とか)を発すると、その分、物語の咀嚼が遅れるので辛かったなぁ。
全ての映画に言えますが、
ゲスト声優は、出来れば一般客程度の何の意味もない台詞をあてさせて下さい。
そう言う意味では、コナンを見習って欲しいかも。
と、
色々書きましたが、映像と音楽がめちゃくちゃ素晴らしい反面、
感情移入を意図的にさせない作りになっているので、上映後はスッキリしません。
良かったと思う反面、モヤモヤし続ける感覚があります。
簡単に言葉には出来ないって事が、ある種この映画のテーマですし。
内容だけなら、漫画の方が良いのでしょうが、映像的音楽的な美しさは高いので、
観るなら音響の良い劇場で見た方が良いです。
たぶん、家のテレビスピーカーや、金曜ロードショーとかで見ると駄目な作品なので、劇場での観劇をお勧めします。
観て損はないですが、満足度はそこまで高くない。でもクオリティはかなり高い……と、だいぶアンバランスな作品になっています。
劇場の音響で久石譲と米津玄師を聴きたい人にはオススメです。
P.S.
人に、どんな映画だったのかと伝える方法で、一番お手軽なのは「米津玄師の曲に大体入っている」だと思います。
良い意味で疲れた!映画館で見るべき✨
原作を読んだことはありませんので
読み取れる部分が少ないのもありますが、
ストーリーは何かと聞かれるとうまく答えられない、
ざっくりいうと「生命の誕生とは…」を問いた壮大なストーリーな気がします。正直、よく分かりません。
特にクライマックスの部分、あれが生命の誕生、あるいはビックバンのような…でもすごく壮大でなんかすごいんです。そう、すごい。とにかくすごいしか言えない。笑
だから見たものをひたすら受け入れるのに必死で、
見終わった後は良い意味で疲れました。
そして、絵は本当に最高!
どこがCGで手書きか分からないほどマッチしていた。
水族館や海の波も水しぶきもひとつひとつ
描かれていて綺麗だった。
映画館で大きいスクリーンで観る価値のある、
むしろそれで観たい作品だと思った。
映画を観たあと、原作も読んで欲しい。
原作と言いたいことが正反対の方向に行っているように見えました。
原作は、海と陸、自然とヒト、男と女、が理解しあえないけれど、それでも、どうしようもなく繋がっているという様をとても丁寧に描いています。
私は琉花の両親が、流花を心配して喧嘩するシーンが書き換わっていたことがとてもショックでした。原作だと、お前は人とどう関わればいいかわからないだろうと言われた母親が、嫌いなわけではないといった旨を父親に伝えます。それはもう断絶で、諦めで、どうしようもない愛しさを孕んでいるシーンだと私は感じていました。
映画では、桃を食べておそらく子供を作ったのだろうと、汲み取れる描写になっていたと思います。どうしてあの2人を和解させたのでしょう。最後に琉花が友達と和解したような描写がされていたことも悲しかったです。
原作でポイントになるシーンがかなり端折られていたことも悲しかったです。母親の世界に対しての目線、世界各地の海の伝承、女性と海の関係性、彼岸と現世の関係性、ジムが犯した過ち、なぜ全て端折ってしまったのでしょうか。時間制限があるとはいえうまいやり方を考えていただきたかったです。
せめて椅子の話は端折らないで欲しかった。あのストーリー展開ではなぜ、米津玄師が歌詞の中に椅子を取り入れたのかもわからないじゃないですか。
映像はとても綺麗でした。魚の動きも種類別に丁寧に作り込まれていて、素晴らしい映像だったと思います。でも、原作の肝心な部分を書き換えられてしまったような気がして腑に落ちませんでした。
説明不足で進む、それに耐えられる人は必見の価値あり
見方一つで姿を変える作品
この映画は主人公、琉花の視点で描かれている。
だから情報も限られる。二人の少年・海、空の背景もそのまわりにいる人間のこともあまりわからない。
父や母の生い立ちや出会いもたぶんまだ聞いてないから出てこない。
そんな彼女が今回みたいな経験をする時、ただただ
目の前に起きる事を感じ、その中で考えるしかない。
だから自分達も余計な事を考えず、主人公と同じように目の前におきる事を見て、ただ感じるのが正解ではないかなと感じた。
実はこの映画最初見た時、原作の知識が邪魔をしてモヤモヤした。
絵も音楽もすごいんだからもう少し情報の出し方、背景とか描き方があるんじゃないか?わかりやすい作品じゃないのはわかってたし、覚悟はしてたけどなんかモヤモヤする。
でもよくよく考えるとそもそも視点が瑠花に絞られてるんだから原作で描かれた他人の情報が出てくる余地なんかない。彼女の経験を同じ知識で追体験してみるしかないのでは?目の前ですごい事が起きたらなんか考えられるか?ただ感じるしかない、考えられるのはだいぶ後!
という感じで見直してみたくなり、ひっかかりをとる為にもう一度映画館に。
ただただ目の前のスクリーンに集中、絵と音楽を感じてみた。
そうしたらこの作品はまったく違う姿に。映像と音楽でゾクッとくる感覚は久しぶり。最後の米津玄師の主題歌もほんと響いてくる。
2回目見て最後の瑠花とデデの会話もなんか感情を重ねられるようになった気がする。
見方一つで姿を変える、見る側に解釈の余地をたくさん残している、そんな映画はほんと久しぶりだった。
あと最後に、ほんと芦田愛菜の演技は良かった。
原作を読んでみたい。
Don't think, feel.
大切なことは言葉だけでは表現しきれない。
ストーリーがあるようでないような、アクションがあるようでないような。
壮大なファンタジーのようで、目の前の出来事のような気がするし、今どこにいるのか分からなくなる。
ただただ、美しい映像と音楽が画面からあふれてきそうになる。
美し過ぎると、逆に怖くなる。
吐きそうなぐらいの美しさと、目から入ってくる情報量。色が美しくて感動していたら、全然映像を追いきれない。
退屈で眠たくなる、でも目を閉じたり逸らしたり出来ない。目を開けてずっと見ていたい。
伝えたいことはなんなのか、とか
どういう風に表現したかったのか、とか
理解しようとしてもしきれない。
ただ見て、感じる、感じたことは各個人の幅の広さだよ、と言われているような気さえする。
結局全てをどういう風に作りたかったのかは原作や監督本人たち以外には全部知りようがないけれど
これを作った人は、わたしとは違う生き物だということだけが分かる。
すごい。
同じ人間でこんな美しいものを作ることができるなんて。どういう思考回路を持っていたらこんな美しいものを作れるのか。
曖昧な表現をするくらいなら、ここまでやってみる、理解されなくて酷評されたとしても、それでも、自分はこう思う、こう作る、みたいな気概があるから、目をそらせないのかもしれない。
個人的には、絶対に映画館で見たほうがいいと感じる。
音と映像の雨の中を、1人で彷徨うような、それこそ膨大な海の中を泳ぐような感覚は、映画館のスクリーンの前でしか味わえないと思うから。DVDで見たら、なんの良さも伝わらなくて寝ちゃうよ、これは。
最終的にはストーリーというか、哲学というか、鶏が先か卵が先かみたいな禅問答をしているような気持ちにさせる。
結末もあってないようなもの。
評価が分かれるだろうなあ…。
きっぱりメリハリがあったり、エンディングで伏線回収するようなストーリーがいい人にとっては退屈で、失敗した!と思うのかもしれない。
どちらかというとわたしも、ミーハーだし、普段そういうメリハリのあるストーリーがすきだ。
でも、禅問答でも、ストーリーの意味がわからなくても、見終わった後には自分の中になにかが残る。
よくわからなかったけど、うまく他の人に伝えられる自信はまるでないけど、見てよかった、と思う。
ジブリのもののけ姫や崖の上のポニョのようなニュアンスが混ぜられている、世界が違うものとの対峙。
でも素は同じであること。世界は広いということ。そして、自分がその、宇宙や世界の一部であること。
見終わった後に、良かった映画はいつも
誰か身近な人に、これよかったんですよ!見てください!って言いふらして回るわたしでも、
言いふらさずに自分の中にしまっておきたい一本になったと思う。
わたしの周りの人が見てどういう反応や、見終わって何を感じたのかを聞いてみたい気もする。
とにかくすごい。
芦田愛菜ちゃん、ほんとになんでもできるなって思う。
蒼井優と森崎ウィンと富司純子はちょっと違うかな…。
多分僕たちは、言葉を信じすぎている。
狂作
「ただの日常」って物凄い
やばいものを観てしまった……と茫然自失で映画館を出て3日経つけど、まだ音楽と映像が頭から離れない。すごい。また観に行ってしまうと思う。そしてこれは絶対に映画館で観るべき。
たしかに、ガールミーツボーイ(きらっ)という作品ではない。ないんだけど……琉花は地球を揺るがす物凄い事件(「祭り」)に巻き込まれながらも、その行動の動機のほとんどは「海くんのことを知りたい、守りたい」「好奇心を満たしたい」という身近で少女らしい衝動だった。要するに地球を救いたいとか世界のすべてを見たいとか、大きな望みを抱いていたわけではなかった。だからこそ彼女にとってこの一連の出来事は、すごく不思議な、だけど「誰にでもある」切なくて忘れられない夏の思い出でもあるのだと思う。
原作にはなかったのだけど、「私、何も知らなくて……ただいなくなってほしくなくて……(うろ覚え)」と琉花が涙するシーンを見たときに、強烈にそれを感じた。こんなに神秘的で衝撃的な体験をしてなお、少女にとっては、恋と呼ぶには短すぎるひと夏の思い出にもなりうるということ、そしてその少女が内包する強かさというか寛容さというか消化力というか……とにかくそういったものに、いい意味で愕然とした。現象に、感じた以上の意味、必要以上の意味を付加しない姿勢に憧れもした。少女、本当に強い。
「子守歌」の設定も原作にはないものだけど、この「子守歌」が世界に刻まれて連綿と受け継がれていく記憶の象徴だとすると、その果てしなさや偉大さ壮大さ、を件のシーンでこれでもかと描き上げているくせに、「その子守歌、お母さんもおばあちゃんから教わったの?」「そう。それがどうかした?」「…なんでもない」(すべてうろ覚え)みたいな短いやりとりで終わらせている、その余裕というか風呂敷のでかさというか「それがどうかした?」って……さっきまでめちゃくちゃどうかしたものだよって見せてきてたじゃん、みたいな……結局この映画は、すごい非日常の事件を描いていると見せかけて、「ただの日常」というものが持つ物凄さをがががががーーーっと伝えてくるものなのかもしれない、と思った。
あの超絶壮大なスケールで描かれた生命のことは、海のそこかしこで、そしてヒトの身体の中で、日常的に起こっていることを拡大して取り上げただけなのかもしれない。
今わたしの腹には子がいて「わたしも宇宙、あなたも宇宙……」と腹を抱えながら思うなどした。
映像と音楽が最高
タイトル通りなので、少しでも気になった方は映画館で観ることをオススメします。
ただ…ホラー映画マニアかつ分かりやすいジャンル映画が大好きな自分からすると…
個人的に…
私向きじゃなかったかな。
宇宙とか、生命の誕生とか、なんかめーっちゃとうてぇモノを見せられて確かに感動したんですが 脳みそがポップコーンなので、後半ちょっと飽きてしまいました。ごめん…
よく、わからなくて…
続々と出てくるキャラクターにもビタイチ感情移入できず、特に両親ひどいなオイ。
稲垣吾郎さんの茫洋とした演技が父親の他人事感を増していて、ムカムカしてしまいました。仕事を逃げ場にするなよぉー!琉花はなっ、琉花がどんな思いでな…!!!
でも、合う人には一生ものの作品になると思いますし この作品は明らかに大画面向きですので cmなどでピンときた方は観たほうがいいんじゃないかな〜〜?
水族館や星空が好きなので映像には心底癒されました。
あと米津玄師さんのテーマ曲、いいですね。
ポカーンとなったラストを綺麗に〆てくれました。
主題歌に負けてる感じが否めない。
個としての人間の否定
あまりにも伝えたいテーマが分かりづらい作品だったので、鑑賞後に原作を読みました。
映画で一番引っかかったのは、その根底にある宇宙観。
人間や生物、物質はそれぞれが個として存在することに意味があるのではなく、時間の概念も含めてすべては1つとして存在するものであり、それぞれが個として認識しているものは、全体の一部に過ぎない。
これが私個人の宇宙(=世界、世の中)の捉え方で、この映画も同じような宇宙観に基づいて作られているのではないかと考えていました。
しかし、壮大な宇宙観を描いて見せているようで、その表現は非常に分かりづらく、ただただ映像美と音楽に頼るチープなアート作品に仕上がっています。
原作未読で鑑賞したため、その原因が原作にあるのか制作側にあるのかが分からず、原作を読みました。
書いてありましたよ、しっかりと。
単行本第4巻。アングラードの言葉としてしっかり描かれている。映画にはないシーンでした。
約2時間の映画の中で、原作のシーンが省かれたり、構成が変わることは致し方のないことです。しかし、本作の根底にある重要な世界観を理解しないまま映像化することは、同じタイトルをつけるに値しない愚行だと思います。
おそらく、映画のプロデューサーが、監督が、特に脚本家が、それを理解し咀嚼できないまま映画を作っている。これがこの作品最大の不幸です。
この物語は、すべては1つである、という前提に基づくと、その1つの期間を切り取った祭りを描いていることが容易に理解できます。
映画というエンタメである以上、それを1人の少女の成長と結びつけて表現することは悪ではないし、必ずしもすべてを言葉で説明する必要があるとも考えません。
ただこの映画は、表現するしない以前に、理解できていないまま作られたもののように感じます。
鑑賞者の感想をいくつも拝見しましたが「映像がキレイ」「よく分からなかったがすごい」という意見が大半で、原作が伝えたかったテーマを深く理解しているようなコメントは皆無でした。
この作品は単なる映像美を訴求するだけのものであってはなりません。そんなチープなものを作りたいのであれば、この作品を原作に選ぶ必要はありません。
原作『海獣の子供』は、海や生物を舞台として、この世界そのものの真理に迫り、そこから生命とは何か、生きるとは何か、人間とは何か、宇宙とは何かを、観る人が思い巡らすきっかけとなる、大変優れた作品でした。
原作者の五十嵐氏がなぜこの脚本にOKを出したのかはわかりかねますが、映画に興味を持った方はぜひ先に原作を読まれることをお勧めします。
原作からの改変はあるものの、1番大切な部分を理解した上であれば、単純に映像と音楽を楽しむ映画として秀逸な出来であると思います。
良い映画だと思います
全307件中、221~240件目を表示

 
  






