劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビュー・感想・評価
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ヴァイオレット・エヴァーガーデン
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
この名前を一生忘れない。
忘れられない。
与え続けること
それが人生を好転させるのだと思います。
失っても奪われても
失わせても奪っても
恨んでも恨まれても
やけどに気づいたとしても
受け入れること
許しあうこと
瘡蓋をつくりながらでも
生きること
そして自身に正直であり
それを周りに伝えること。
そんなことを教えてくれました。
世界は不平等です。
自分が生まれる場所は選べません。
また終わりも選べません。
ですが
生き方は選べます。
作品中、多くの「死」が取り扱われていますが
ダメな映画を盛り上げるような
「死」ではなく
命あるがゆえ必ずくる死を
リアルに叩きつけてきます。
死と同じように
人は自身の感情がわからないもの
なのだと
いや、
終わりがわからないと
自身と向き合う日がこないのだと
誰かの大切さに気づかないのだと
だからこそ
限られた時間の中で
自分という人間と向き合う時間を作り
自分という人間のまま生きること、
生き抜くことの
大切さをこの作品から学ばせて頂きました。
ボヤけて見えるネオンの光のように
わからないからこそ美しいものや
子供達の疑問のように
素直だからこそ残酷なものがあると
教えてくれる本作品ではございますが
わたしの中で行き着く所は
至ってシンプルでした。
難しくしているのは自分自身だと
最後に
製作者の方々が
短い時間の中で伝えきれないものが
多いであろう中、
物語は一つの終わりを迎えていますが
作品の要所に受け手の判断に任せてもらえる
要素を沢山挿入して頂けていることで
都合よく
また私も現実の世界で
前を向いて生きていける
きっかけになりました。
ありがとうございます。
この命が
終わりゆくその日まで
精一杯いきていきていきて
その気持ちが思いが願いが
またその先に繋がっていくこと
祈って
今日も生き抜いて行きたいと思います。
いつか私も
どこかの国の誰ではなく
どこかの一族の誰ではなく
どこかの会社の誰ではなく
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
のように
その名前だけで語り継がれ、愛され、求められ
幸せを運べる
そのような
人生にしたいと思いました。
そして
心から
あいしてる
京アニでグッときた
長文の感想もろもろ
テレビシリーズ、外伝視聴した者です。
シリーズ全体を通してもそうですが、この最終章も素敵でした。
個人的にヴァイオレットの心の成長を見守るように見ていたので、一人の女性として立派になったところが見れただけで満足していました😅
それでもギルベルトがヴァイオレットからの手紙を受け取って、追いかけるシーンは視聴者として嬉しかったです。中々、言葉が出ない2人にもどかしさを感じながらも、言葉にすることが容易に出来ないことを物語っていて、涙を零しながら近づく流れが印象的でした。
終始一貫して、繊細で統一された作画、色彩豊かで緻密なアニメーションでした。京アニさんの技術力、表現力が物語にマッチしていたのが、見てよかった点の1つです。
1番涙したシーンは、男の子が電話で友人に「ごめんね」と「ありがとう」を素直に伝えるところです。病に伏せながら、弱々しくも力を振り絞って言う場面、見ていて苦しくも大事な言葉だと教えてもらったような気分でした。
ギルベルトとヴァイオレットの関係についててすが、戦時中の関係の延長線だと、共依存(言葉が悪いですが)が愛だって作品になってしまいそうで、個人的にそれを避けてくれたのは、安心しました。
ヴァイオレットの成長を知らず生存をやっと知ったギルベルトが、訪ねてきたヴァイオレットに「帰ってくれ」と告げたのは、酷ではあるけれど、〝戦争の道具とその使用者のような、都合のいい関係なんてて嫌だ〟と言ってるように思えました。
その上でヴァイオレットが思いを手紙にこめ、別れを告げずに島を出るところで、またひとつヴァイオレットの成長が見れた気がしました。…辛かったですが😅
お兄さんの大佐と社長の2人の存在が大きかったです。弟の背中を押すような大佐の言葉、社長の「ばかやろう」、良かったです。
長々と書きましたが、「不変」で「普遍」の愛というテーマに沿った、良作でした。
京アニさんにあえて言葉を届けるとしたら、「頑張れ」よりも、「ありがとう」と「忘れません」を伝えたいです。想像以上の努力と、血と汗を流しながら、産み出された作品から、もう十分頑張っていることが伝わってきました。
現代はスマホ、SNSと、形が進化していますが、手紙と代筆がもつ温かさを思い出させてくれました。
また、いつの日か見れたらと思います。
では、この辺で。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ギルベルトについて
本当に綺麗な物語でした。
TVアニメ版での50年間に渡って残された娘(アン)に手紙を届けるお話があったが、その娘の孫がドールの存在や歴史を追っていくストーリーから始まって、どうなるんだろう、そう絡めてくるかというのが見終わった感想。
劇中、ヴァイオレットが関わってきた人々の様々な伏線がラストにつながっていくので感心させられるそんな映画。
アンの孫デイジーが歴史を追っていくことで見えてくるヴァイオレットの消息。
いろんな話が絡み、最後には「CH郵便社を辞めた後が不明っていうあの記事はそういうことだったのか!」とつながり、ラストでため息が出る。
ーギルベルトについてー
ヴァイオレットが生きていること、ドールとして活躍していることを知っても会いに行こうとはしなかったギルベルトの気持ちは非常に理解できる。
実際、海の感謝祭の賛歌を書いたのがヴァイオレットだったと離島に届くまで、
ギルベルトはヴァイオレットの消息を知らなかったと思うし、
彼女を大切に想っていた・愛していたとしても今懸命に生きて仕事を頑張っているヴァイオレットに
両腕を失わせてまで戦わせた自分が会っていい立場ではない、合わせる顔がないと感じてしまうのはもっともだと思う。
本当は会って詫びを言わなければいけないと感じているはずだけど、
美しい少女の人生を自分のせいで台無しにしてしまった、自分はなんと言えばいいか分からない。
突然自分に会いに来たホッジンズにも「ギルベルトはあの時死んだんだ」と言ったのはどうしたらいいか分からなくなってしまった、今がお互い別々の日常があるならそれが幸せなんだと思っていたと思う。
そういう感覚だろう。
…………しかし、父親や母親、兄など大切な家族がいて、連絡もせず会いに行かないのは何故なのかを考えると、
心優しい少年だったギルベルトが、戦争というどうしようもなく逼迫した極限の環境の中でたくさんの人を殺し、徐々にギルベルト自身もかなり性格が変わってしまったんだろうと思う。
戦争とはきっとそういうものだ。
その上でのこの劇場版の現在。
アニメ版でもそうだが、この作品は常にヴァイオレットの視点で描かれていて、ギルベルト視点というものが無かった。
それが今回初めて、ギルベルトの本来の性格やこれまでの少年時代からの気持ちがわかる描写がたくさんあった。
それが少年時代に父と兄と見たブーゲンビリア家の花と軍隊の訓練のシーン。
軍属の厳しい家系の中で反発ばかりしていた兄と、その兄や厳しい父親の為に弟が軍人になり活躍すると決めた過去。
自己犠牲の精神を持った心優しい少年だからこそ、たくさんの人を殺して戦果を挙げ、兄や父親の評価を上げる。
そうしてきた自分が「あの戦争で死ぬ」なら、自分勝手かもしれないが人殺しをしてきた過去とも決別できる。
だから、離島でも偽名を名乗っている。
だから、「あの戦争でギルベルトは死んだ」としたかった。
自分は死んだから、ヴァイオレットにもそう思っていて欲しかった。
心優しい少年は、もう精神的にも肉体的にもボロボロだったんだろう。
ドア越しに拒否感を語るギルベルトに会って、ヴァイオレットは悲しみのあまりその場から逃げ出し雨の中走って転んで、あんなに美しい出で立ちが泥だらけになってしまって…ギルベルトとヴァイオレットの心情をよく表したシーンだった。
そんなギルベルトへの想いを手紙にしたためたヴァイオレットが健気でとても可哀想。(あんなに大事に想っていた美しいヴァイオレットが会いたいって言ってるんだから会ってやれよとは思うが)
ラストはもう王道中の王道という展開ですが、船に向かって崖を走るギルベルトに、船の甲板を走って海に飛び込むヴァイオレット
長年想い続けてきたギルベルトを前にして声にならず泣き出してしまうヴァイオレット
少女に戻った様に泣きじゃくるヴァイオレットが本当に可愛い、可愛くて可愛くて仕方ない。
両腕を義手にしてドールの仕事で成功した「今を生きるヴァイオレット」と、「右目右腕を失って傷ついたままのギルベルト」が、今と過去を生きる2人の対比であるし、
ヴァイオレットの胸にはギルベルトの失った右目と同じ色のブローチが光る。
2人で1つの構図でもある。
あんなに美しくて健気なヴァイオレットが自分のことを心から愛しているのに「俺はダメなやつなんだ、それでもいいのか?」なんてこの状況で聞くギルベルト、もう、あのさ、んなこと聞くなよアホかってなったけど
本当に良かったねぇ、本当に良かった良かった!この2人は絶対こうでなくちゃダメなんだと思える映画でした。
絵やストーリー全てにとても感動した!
ヴァイオレットエヴァーガーデンはアニメからずっと見てきて、アニメでもとても絵が綺麗で、物語もよく何回も泣けてしまう回があったが、今回の映画も同じくらい、それ以上に感動した。絵では京都アニメーションさんの技術にとても見せられた。物語では、今回は映画の中に幾つかの話があり、そのどれもがとても感動して泣ける。そして、切なく、温かくなるものだった。正直に同じスクリーンで見た人は全員が泣いていたと思う。この映画では"素直な気持ち"が今回の映画のテーマになっていたと思う。自分たちは普段からあまり素直な気持ちを伝えられずにいる、そして大事な場面に立たされてもなおその気持ちを隠してしまう生き物のように思った。その中で、正直に自分の気持ちを伝えることの意味だったり、大切さを教えられた。そしてこのアニメの主題とも言える"手紙"は言葉として直接伝えるのが難しくても、手紙として文字としてなら伝えられる素敵な美しいものだと再認識した。サントラや挿入歌の素晴らしさにも触れたいが、ここでは省略する。この映画を是非、映画館で見てほしい。あの空間だからこそダイレクトに伝わってくるものがある。そして、普段の生活を送る中で重たくなった気持ちを軽くしてほしい。
もう一つの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
結論から言えば、鑑賞後は心持ち複雑でした。二回鑑賞し二回とも首を傾げました。
心の底から面白かったと思えなかった自分に対して猜疑的にすらなりました。
私個人としてこの作品を非常に愛していて、ポスターを自宅に飾ったりグッズを購入したりスマホのホーム画面をその壁紙にしたり原作を全て読んだりなど、間違いなく確固たる意思で好きだと断言できます。
しかし、それが却って仇となりました。
愛して止まない「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品を綺麗なまま、最高の傑作として心に留めておきたいと願う期待のエゴが却って作品から受ける印象と乖離してしまった。つまり、思っていたのと違う、というやつです。TV放送版から昨年9月に上映したのエイミーの外伝が面白かったこともあり、劇場版も期待していたのですが、ややお涙頂戴の物語、全体的なストーリーの厚みもなく、ヴァイオレットとギルベルトの念願の再会に涙できない人のために繋ぎを入れた印象です。本当に好きな作品だからこそそう思いたくない反面、美化しすぎてはいけないのだと思います。私の中では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は原作こそかくあるべきと思うようにしています。ですから、アニメ版はもう一つの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であって、これは既に違う物語なのだと思わなければ劇場版の物語の薄さを容認できません。
このレビューはネタバレを含みます。
似た感想を持っている方がいらっしゃったら、自分だけではないと安心してください。
まず、劇場版のおさらいですが、主に二つの軸を中心に物語は進行します。
一つは言わずもがな、ヴァイオレット本人が生きる時代の物語。
もう一方は、TV放送版の神回と名高い10話で登場した少女アンの孫であるデイジーという女の子が、ヴァイオレットの生きた時代より先の未来で彼女の軌跡を追う構成です。
ヴァイオレットの生きる時代では、エッフェル塔を模した電波塔が完成しようとしており、ガス灯も電気に取って代わられ、電話が完成し、技術が発達する中で代筆業を指すドールが廃れようとしている、まさに現代のデジタル社会への一途を辿ろうとしている中途にあります。その未来であるデイジーの生きる時代では既にドールという職業は歴史となりました。
デイジーは、曾祖母から祖母のアンに向けて毎年誕生日に送られてきていた手紙を読んで、ヴァイオレットの軌跡を辿ります。一方、ヴァイオレットは病弱の少年エリスの手紙を綴っていた矢先、宛先不明の手紙を整理中にホッジンズが見つけたギルベルトの筆跡を手がかりに彼の元を訪れますが、彼女を不幸にしてしまったと酷く自責の念を募らせていたギルベルトはヴァイオレットの来訪を手ひどく断ります。
しかし、兄であるディートフリートの介入により心を開いたギルベルトはヴァイオレットとの再会を果たすのです。「今はお前を麻袋の中に詰めてヴァイオレットの前に放り込みたい気分だ!」という科白はなかなかに爽快でした。
さて、今回の劇場版において蟠りの残った部分です。
第一に、多くの人が泣いた瞬間は間違いなく少年・エリスの危篤のシーンでしょうが、それは今作の主軸ではなくあくまで副題に過ぎません。エリスの物語を物語から切り離しても問題はなかったでしょう。ここが物語の厚みを増すための重曹のような部分です。「約束をした」という文言を引き出すために必要であったシーンではありますが、この物語は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なのですから、ヴァイオレットとギルベルトに関してもう少し描いて欲しかった。独りよがりな願望であるとは分かっていますが、鑑賞した人の中に賛同する人が一人もいないとは思いません。
第二に、ギルベルトがヴァイオレットとの再会を拒む理由です。ギルベルトがヴァイオレットを道具として扱わぬようにするつもりが、戦場に同伴させ武器を持たせてしまっている。そして彼女自身の口からも自分を武器だと言わせてしまった。その自責の念を彼は抱き続け、彼女を苦しめた自分といるべきではないという理論は手垢に塗れた、「よくある話」です。勿論よくある話が悪いわけではありません。しかし、よくある話とは往々にして人々の知る物語として常態化してしまっており、どうしても感傷的になれないのです。
少し原作小説について触れたいと思います。未読でネタバレを望まない方は避けてください。
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原作では、ギルベルトは陸軍にて大佐になっていました。同じライデンシャフトリヒに住みながら、ヴァイオレットから身を隠して軍に身をやつしていたのです。彼は、自分の命令を欲しがるヴァイオレットから距離を置き、彼女が自分を武器や道具の類いと認識することから脱却させるための言わば更生期間を設けていました。TVアニメ版では最終話の大陸横断鉄道の話がありますが、本来はそのシーンで既にヴァイオレットはギルベルトとの再会を果たしています。
原作既読の方は、TVアニメ版の冒頭から「おや?」と思ったのではないでしょうか。原作には登場しないアイリスやエリカというキャラクターが存在している時点で、原作とは異なる世界線だと察知したはずです。
原作中のギルベルトは非常に精悍な男で、一緒に居るべきではないなどとのたまうひ弱なタイプではありませんでした。ヴァイオレットの危機と分かれば、正体を明かしてでも暴走する大陸横断鉄道の停止に全力を尽くし彼女を救います。この原作で受けた印象と劇場版のギルベルトの人間性の違いが視聴者に驚きを齎し、私の場合は良い方向へ転がらなかっただけのことです。
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原作の話は以上です。
申し訳ないですがリピートは二回までが限界でしょう。面白くないわけではありません。ただ何度も見たいと思える内容ではなかった。この劇場版にてヴァイオレットの物語は完結でしょうが、もしできるのなら、少し原作に寄せた物語を再度描いてもらえたら私はどれだけ歓喜に満ちることでしょう。原作も完結していますから期待はしていませんが、できればもう一度、彼女の物語を見たいという思いを込めて。
泣きまくった割に
めっちゃ泣かせに来ているのをわかっていて、それでも映画館でビービー泣きました。
が、面白かったか、と言われるとストーリー的には今ひとつ。少佐と結ばれるのは早い段階で予測はできたけど、いざそのシーンになると涙が引っ込んでしまった…。少女を戦争に利用するという重い設定を孕んでいる割に、安っぽい恋愛ものに落とし込まれてしまった印象が否めない。ヴァイオレットもせっかく一人の人間として女性として成長したのに、結局、過去の美化された(?)想い出の世界に戻ってしまったかのように感じ、物語の深さがなくなってしまった。あと、全体的に泣かせに来てる感じが強すぎて、ちょっと冷めてしまったところもあり。
ストーリーを除けば、映像も音響も演技も素晴らしかったです。好きな作品なだけに辛口評価になりましたが、見てよかったと思います。
京アニがファンに育んだもの
最高の一言
冒頭から涙腺が危なかった。
ヴァイオレットが少佐の事になると感情的になる所とか見ていて切なかったけど最終的にはハッピーエンドで大満足😂
主題歌や挿入歌も良かったし、とにかく終始感動して最高の映画だった☺️
涙と鼻水無くしては観れない
今でも胸の痛む悲劇を吹き飛ばすほど素晴らしい作品でした。
後半はすすり泣きと鼻水をすする音が周りから聞かれました。私も涙と鼻水がダダ漏れで恥ずかしさからすするのを我慢してた。
大好きな京アニ作品の中で特に好きなのは「ヴァイオレット〜」と「氷菓」で、その最終章なので今か今かと待ってた甲斐があったというもの。
このラストの為にテレビシリーズと番外編があったのであろう、素晴らしいラストでした。ヴァイオレットちゃんが普通の18歳の女性になれたのは良かったなぁ。
エンドロール後のシーンは余りにもベタ過ぎて、ヤレヤレな感じでした。
私的には、切手のアップからのヴァイオレットちゃんが歩いてゆくシーンで終わったら、なお良かったかなと。
うーん
あいしてるの意味
とても好きな作品。
ヴァイオレットちゃんが幸せになってくて本当に良かった!
ただ…やはり少佐との最後のシーンは…あそこまで描く必要は無かったのでは?とモヤモヤしてしまい初投稿します。
少佐が深傷を負って最期に(最期ではなかったが)言った愛してるは、今まで兵器として、物として扱われてきたヴァイオレットを俺は人間として愛してた、という大きな「愛してる」で、ヴァイオレットも少佐と別れた後で色んな人と繋がって、人を愛するという事を知って行く…という感じかと。
でもあのラストは男女のLoveになってました。
いいんです。2人が再会して、時間を経て結果、男女のLoveになるなら。でも、余りにも唐突で。
病気の子供の最期もはやり電話ではなく、手紙で気持ちを伝えて欲しかった。
だって電話の普及で手紙が廃れるのはわかりきってる事だから。
少佐との結末は、せっかくあの孫娘が過去を探る旅をしてるんだから、切手のイラストと共に、あの子が見つけた結末でよかったんじゃないか。
でも本当に綺麗で、京都アニメーションならではの細かい表情の変化とか…素晴らしかった。
これからも応援します!
2時間泣き続ける覚悟を
アニメを見ていない人は先にアニメを
うるうるではなく、普通に涙が溢れた。
アニメ本編を見てないけど感動した。
ただ、ネット記事のテレビアニメ(本編)を見ていなくても楽しめる!!という記事に騙されました。
正確には楽しめるが、最高には楽しめない。
私は作品名が主人公の名前ということも劇中で知った。
そんなレベルです。
過去にどんなことがあったの?登場人物の関係性は?等の疑問はセリフや回想で解決してくれます。
そういった点では映画単体で楽しめました。
ただ、主人公が想いを馳せる消息不明の少佐。
ギルベルト少佐とヴァイオレットの間には劇中で語られない奥深いドラマがあるんだとおもいます。
この二人が作品のメインだと思うので、
最後まで楽しみたいなら本編見てからをオススメします。
アニメ本編見てたら、伝えたいことがブスブス心に刺さる作品なんだろうなぁと思いました。
アニメ見てからもう一回見たいと思います。
伝えたいことを伝える勇気と大切さ
涙が出てきます。よかったです。
こころを失い機械のように命令に従い生きることで自分を守ってきた孤児の少女。そんな少女を戦争の前線で兵士として活用させるつもりが、そのこころを溶かそうとする内に愛してしまった上官。
戦争は終わり、少女は大人になり、ドールと呼ばれる手紙の代筆業で生計を立てる。上官は戦死した設定かと思っていたら、生きていたという設定。
途中、病気で亡くなる少年の代筆の場面も織り交ぜながら、伝えたいことを伝えることの感動と大切さを描く。ひとは素直な自分を伝えることに勇気がいる。それは自分がこわれてしまいそうな不安があるから。
最後は、ヴァイオレットのけなげなこころの手紙に動かされた上官のギルバートが自分のこころに素直になってヴァイオレットを追い求めるシーンは感動しました。
タイトルなし(ネタバレ)
まず140分。
正直疲れました。
最初の15分(映画館CM)も。友人は慣れたものでギリギリに来ましたが。
映画はじめましての方に向けての説明に1時間(いらねぇ~)
空から見た街並みが酷すぎ。
少年がなくなるシーン弟のあのセリフや声は興ざめ(涙が引いた)
博物館にいたお婆ちゃんもわざとらしい
最後海辺での少佐のアップが雑
うまい人と雑な人が入り乱れてぐちゃぐちゃ。
あれ?朝の出航でしたよね。抱き合う二人はなぜか月明かりですか?
時間設定がおかしいぐらいの妙
波も気持ち悪い
ヴァイオレットの顔がエロアニのようで気持ち悪く、後ろにいた方は「だめだよこれ」とつぶやき退席。泣けるところで泣けない。
パンフレットはミスプリの為購入できない(今は買えるようですが)
テレビ版、外伝が良かっただけに残念感が。
友人曰く「仕方がないんだよ。これが精いっぱいの京アニの今ってことなんだよ。これから育っていくのを見ていかないと。だから今は「良かったです」「素晴らしかったです」って書いているんだよ。本当のファンの気持ちを汲まないとね。
そんな風に言われちゃったら↑馬鹿みたい。
作画・音楽のレベルに全く見合わない脚本・演出
京アニという器を心より尊敬し、深く愛しているがゆえの、最大限辛口のレビューです。
【テーマについて】
表現したいテーマはおそらく大きくは2つあって、
1つ目の「手紙の意義」というテーマについては、非常に雄弁に表現したと思う。
2つ目の「あいしてる」については、なんとも言えない。ラブ・ストーリーは古今東西ありふれすぎている中で、新たに何を表現できるかというのは、相当の難関だっただろう。ただ、個人的には、 TV と Extra Episode で、幼少期の欠落したカリカチュア的ヴァイオレットと戦後という背景設定上で丁寧に積み上げてきた 「あいしてる」とはなにか? というテーマからすると、クライマックス・シーン界隈はあまりに物足りない。
現時点では、私の中でのフィナーレは本作よりは Extra Episode である。 True さんが作詞されたアリア Letter に凝縮されたメッセージこそが現代的愛の到達点と個人的には思う。(歳とりすぎたかな)
【脚本・演出について】
全体的にはお涙頂戴、「京アニの本気」の作画と音楽に付加価値が集約してしまった印象がある。
まず脚本。 TV シリーズで世界中で最も評価が高いであろう 10話をきっかけとした狂言回しによって初見のお客さんにも設定を導入するのはスムースで良いと思った。しかし、あろうことか、パラレルに進行する2つの大きな話の一つでほぼ 10話の内容と同等の話を別キャラで再度ぶっこんできた。私は原作未読だが、ウェブや本サイトのレビューで拝見した情報によれば、原作では話が進んでいるようである。にも関わらず、アニメ・オリジナルの脚本を実質 TV シリーズのリピートにしてしまう感性が全く理解できない。脚本の吉田玲子氏は TV シリーズの構成もなさっているようだ。忙しい脚本家を劇場版のためだけに雇ったわけではなさそうである。なのに、この暴挙。 Wikipedia を見るとものすごい仕事量の相当のやり手脚本家さんのようなので、大して頭の良くないファンの皆さまに、省エネで過去のネタを使いまわして感動ポルノを提供してくれたって感じですかね。明らかに「制作・マネタイズのプロ」の仕事であり、脚本家本人が自分の脚本で本気で感動し、楽しむ というタイプのものづくりではまったくないと思う。京アニが超有能脚本家と仕事をするのはおそらく常道であり、私の愛する作品での賀東招二先生のかけがえのない活躍は永遠に残るだろう。本作については脚本家に文句を言えず忸怩たる思いをしているアニメーターの方々もたくさんいらっしゃるのではないだろうか? KA エスマ文庫を立ち上げた京アニである。脚本家との付き合い方も、本作を良い反面教師として、しっかりと構築してもらいたい。
演出についても、様々なシーンが不要と感じられたり、細かいツッコミどころが多いと感じた。
石立監督がまだお若いか、不幸な事件のせいで人員が圧倒的に不足していたか。
とりわけ、クライマックス・シーンの界隈は、上述のテーマの一つである手紙が意義を発揮する場面を際立たさせるべく人工的な設定、感動の押し売りが鼻につきすぎて、個人的には非常に興醒めだった。「さぶっ」って感じ。
他の方のレビューに「すすり泣く音のサラウンド」という表現にピッタリ、私の訪れた劇場・時間帯でも全く同様で、泣いていらっしゃる方が多かったように聞こえた。しかし、おそらく泣いていらっしゃる方々の多くも、無理やり泣かされた感覚を持っていらっしゃるのではないだろうか?
作画の「京アニの本気」は世界中に熱烈ファンだらけの本当に貴重な才能の労働集約的メディアだと思う。これに見合う脚本・演出も本気で復活を目指してほしい。
エンドロールに武本康弘さんの名前が出て、涙が出た。
武本監督作品の ふもっふ、らき☆すた、氷菓 が懐かしすぎる。
特に、美麗という意味では方向性が近そうな氷菓については、 Blu-ray の副音声に演出意図の解説が非常に丁寧に記録されているので、石立監督を初めとしたこれから京アニを背負う方々には、故人の完璧な演出を深く文化として継承してもらいたいと強く願う。
【音楽について】
もともとこれ以上ないほど美しい Evan Call 先生のクラシカルな作曲・編曲の集大成が聴けたのは大変良かった。
あまりに音楽が素晴らしく、劇場(かなり素晴らしい箱のはずですが)の音が物足りなく感じた。おそらく映画劇場はセリフとサブウーファーで表現される効果音の迫力に全振りしていて、劇伴は2の次なのかなと初めて感じたかもしれない。
熱烈ファンは是非 Blu-ray や数年後のネット配信などで、改めて楽曲を鑑賞し直してもらいたい と思う。
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